第211話 すみおさめ ④
そういうわけで、草壁とゆかり、二人揃って1月一杯で双葉荘を離れることとなったのだった。
そして、あっという間にやってきた最後のお仕事の日のこと。
草壁が最後の皿洗いのバイトに入るために、駅を降りて双葉荘へと歩いていたときのことだった。
駅前の通りの信号を2つほど越えたあと、いつものように、一歩路地を入った。最初のころは分からなかったが何度もこの辺りを通るうちに、それがもっとも旅館への近道と思われるルートである。
まだ個人の商店なんかも並んでいるそのあたりをいつもように歩いていると。
「サイフ落ちたよ!」
というすこし舌ったらずな甲高い声が草壁の背後の随分と低いところから聞こえてきた。
振り向くと、赤い水玉模様のジャンパーを着た小さな女の子が草壁のサイフを握って立っていた。
「あ、ありがとう、拾ってくれて!」
草壁がペコッと女の子に頭を下げて自分のサイフを受け取った。女の子の方は「うん」って言って草壁にサイフを渡すと、クルッと彼に背を向けて表通りのほうへスタスタ歩いていった。
ジャンパーの背にプリントされた大きなクマのイラストが表通りへとテクテク進んでゆくのを見送りながら、ちょっとだけ草壁は思った。
(アノ子、一人なんだろうか?親が近くに見えなかったけど。まあ、平気な顔してどっか行っているところを見たら、別に迷子とかじゃないんだろうな。この近所の子なのかな?)
女の子が角を曲がるまでしばらくジッと草壁は見送ったあと、それから何もなかったかのように再び、仕事場への道を急いだ。
やがて旅館に到着した草壁は、本日仕事あがりということもあるので、厨房へ顔を出す前に旅館事務室へと顔を出して、若女将と女将に挨拶をすることにした。
「どうも、短い間ですけど、本当にお世話になりました」
「うちもよく働いてもらって助かったわ」
「何か合ったら、またうちいらっしゃい」
そういって、互いに軽く頭を下げて、じゃあ、僕これから厨房へ向かいますので。と、言いかけた時だった。
「ま、真奈美ちゃん、帰ってきてませんか!?」
そう叫ぶようにして文字通り飛び込んできたのはゆかりだった。
あんまりいい顔色をしていない。顔面蒼白、いや顔色というより、大きく見開いた目とずっと走りっぱなしだったらしくて大きく肩で息をしている様子が尋常じゃないトラブルがあったことをよく表していた。
突然、そんなことを言いながらやってきたゆかりの様子に、若女将も女将も、それだけじゃない、その部屋にいた数名の社員たちも一斉に彼女を凝視していた。
ゆかりが大慌てだったのは、こういうことがあったからだ。
その日、草壁と同じくゆかりも叔母の元での最後のお仕事をこなしていた。
因みに、その日のお仕事というのがこのところのお定まりだった旅館の清掃ではなく、葉月家のお手伝い。
そして、午後からのお仕事というのが、若女将・葉月芳江の一人娘である葉月真奈美ちゃんと一緒に買い物にでかけるというもの。
仕事はごく簡単なものだ。
しかし、ここでトラブルが起きた。
真奈美をつれてスーパーに行っていた時、ちょっと目を離した隙にこの子がどっかに行っちゃったのだった。
しばらく辺りを探したがいない。スーパーに戻ったが迷子らしき子はいないとのこと。
一足先に自宅に戻ったかと思って急いで帰ってみたがそこにもいない。
さあ、大変だ!
ゆかりが事務室へと飛び込んできたときというのがそういう状況だった。
「お義母さん!警察に連絡したほうが」
「待ちなさい!まだ迷子と決まったわけじゃないわよ。真奈美だって知らないところじゃないんだし」
「まさか、誘拐でもされたんじゃ」
「縁起でもないこと言わないの!」
母親である若女将がすっかり取り乱しているが、実は横で見ていると女将のレイコだって目を白黒させているのは見ててわかった。
「僕らも、探しますよ」
見かねた事務所の社員たちが、スッと立ち上がるが、レイコはそれを制した。
「お待ちなさい。あなたたちは仕事があるんだから、そっちが優先よ」
「しかし、このまま放っとけませんよ」
横で見ている草壁もエライことになったと思っていた。
自分もお手伝いしようか?しかし、そういえば自分はその真奈美ちゃんって子をまったく知らない。そこで、草壁は、動揺で泣きそうな顔をしているゆかりに聞いた。
「僕も、探しますよ。で、真奈美ちゃんってどんな子なんです?」
「あっ、えっと、えっと、わりと人見知りしなくて、おしゃべりで、おてんばさん……」
「僕は、服装のこととか聞いてるんです!」
なんとゆかりから聞いた今日の真奈美ちゃんの衣装っていうのが、背中に熊の絵の書いてある水玉ジャンパーだって言うじゃないか!
「それ、赤の水玉ですよね?」
「えっと、どうだったかな?赤に白の水玉じゃなかったかな?あれ?どっちだったかな?やっぱり白に赤の水玉だったっけ?」
「赤に白だったはずよ」
ゆかりが悩んでいると芳江がすかさずそういった。母親が言うなら間違いないかと思ったら、それを聞いたレイコが
「何言ってるの!白地に赤よ!しっかりして!」
祖母が違うことを言う。
っていうか、ここでそんな話延々としてるわけにはいかない。間違いない!アノ子が真奈美ちゃんだ!
「ちょっと僕、探してきます!」
これ以上服のことを聞いても無駄と判断した草壁は、そういい残すと、旅館を飛び出した。
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