第205話 心ほぐして ④


 そして、その翌日のこと。


 早めの出勤となった草壁が若女将に請われ、久しぶりに旅館の歓迎看板を書いているところへゆかりが通りがかった。



「何やってるんですか?」


 とゆかりのほうから尋ねてきた。とは言っても話しかけているのは草壁じゃなくて、隣で草壁の筆使いを感心しながら覗き込んでいる若女将へなのだが。


 本格的にヘソを曲げてるなら、草壁の近くには寄ってこないだろうから、まあ、すこしは気もほぐれたのだろうか?



「彼、書道6段で師範の資格持ちらしいのよ。字、上手でしょ?」


「すごい……知らなかった」


 草壁のすぐ背後までやってきたゆかりが感嘆している。そういえばそんなこと、ゆかりに話したことはなかったと思っていると、若女将が言わなくていいのに余計なことを言う。



「あなたも彼に字を習ってみたら?」



 ここで、ちょっと話の接ぎ穂でも見つけて、簡単な雑談でも交わしてちょっとずつ向こうの気をほぐそうって思ったら、空気ぶち壊しの若女将の言葉。知らないとは言え、余計なこと言うなと草壁が思っていると、



「別に、いいです」



 そう言いながら、ゆかりはさっさと立ち去って行った。


 まだ、完全には直っていないな、これは。





 そうして看板も書き終えた草壁。


 まだ客の到着にも、仕事にもちょっと早い時間。なんとなく、旅館内をブラブラと徘徊してたどり着いたのが、一階大浴場前のフロアだった。



 エレベーターから降りて、すぐ右手に曲がったところにある、臙脂色のフカフカカーペットを敷いたそこ。そのまま歩いてゆくと、ちょっと折れ曲がって男女の大浴場の入り口へと続いている。その手前に広がる、中庭に面した大きなガラス張りのフロアは、湯上りのお客さんのためにドリンクの自販機やソファーが置いてあって、椅子の数だけで言うとおおよそ20人ぐらいの人がくつろげるようになっていた。



 ガラスの向こうは、竹矢来に囲まれた和風庭園が季節ごとの花を植えて、湯上がり客の目を楽しませるようにしつらえてあるのが見える。




 そんな大浴場前フロアには、この旅館にもお定まりのものが置いてある。


 マッサージチェアだ。




 フットレストが、左右の足を別に置けるようになっていて、マッサージ中は両足を左右からモミモミしてくれる。アームレストに手を置くと、上からカバーが自動で降りてきて上腕をすっぽり覆ってモミモミ。


 座ってみると、マッサージチェアっていうより、宇宙船のコックピットみたいな気分になれる、とてもイカツイ見た目。




 こういうものに頼らなきゃいけないような凝り性でもない草壁だったが、一度座り心地を確かめてみたいという好奇心はあった。


 もうこの旅館ともさよならなのだし、その前に気になっていたあの高級マシンのすわり心地を確かめちゃおう。



 と思って、まだ入浴客もいないガランとした大浴場フロアへと赴いた。




 フロアの壁際にはそんなマッサージチェアが、サイドテーブルと一組になって3台並んでいた。客はそのサイドテーブルの上に冷たいドリンクでも置いてそれを飲みながら、風呂上りのマッサージを楽しめるというわけだ。



 そして、そんなフロアに草壁が一歩足を踏み入れたとたん、彼の動きがピタッと止まった。



 誰もいないと思っていたフロアに一人、先客がいたのだ。



 そう、今そんなマッサージチェアに深々を身を横たえて、目を瞑りながらうっとりと揉み玉の感触を楽しんで疲れを癒している人が一人。


 ゆかりだった。



 本人が目を瞑っている上に、チェアの発するモーター音に来訪者の気配が消されてしまっているのだろう。近寄ってきた草壁がしばらく、自分の様子を興味深そうに覗き込んでいることにまったく気づいていない。


 いや、ひょっとしたら、あまりの気持ちよさに眠っているのかもしれない。



 チェアの揉み玉が彼女の肩に圧を加えながら揉み解すたびに、彼女の肩とすこし豊か過ぎる彼女の胸のふくらみがゆったりと波打っていた。




 そこで、何を思ったか草壁が何気なく、サイドテーブルに乗っかっていたチェアのリモコンを手に取ってみた。



(フーン。いろんなボタンがあるんだな……で、今が肩のマッサージというわけか……)



 瞳を閉じチェアのマッサージに身を委ねたまま、まるで寝ているみたいなゆかりをジッと観察する。これはかなり気持ちよさそうだ。



(他のところはどんな具合なんだろ)



 というわけで、横に立っている草壁がリモコンの「背中」ボタンをポチリ。



「ヒッ!!」



 急にチェアの動作が変わったせいで、驚くゆかり。


 見ていると急に身をよじりだした。



「そこ、くすぐったい!……って、何やってるんですか?草壁さん」


「ゆかりさんこそ、こんなところで何やってるんですか?」


「い、いい……か……ら、リモコン……止めて!アハハ……くすぐったいから!」



「あっ、そうですか。背中は弱いんですね」


 そうですか、背中はちょっとくすぐったいんですか。じゃあ、「肩」に戻してと。



「肩は気持ちいいですか?」


「もう!何してるんですか?へんなことしないでください」


 と言って怒るが、やっぱり肩もみが気持ちいいらしく、ゆかりはチェアから立ち上がろうとはせずに、肩をゆらしながら座ったままだ。




 そんなに気持ちいいのか……。ところで、こっちの「腰」ってところを押すとどうなるだろう?ってことでポチッ。



 すると、お嬢様急に目を大きく見開いたと思ったら急に首をもたげて、肩を大きくゆらして


「ヒャアッ!」


 って変な声を上げた。そして



「やめて!やめて!」


 やがて、大きく上半身をくねりだす。かなりくすぐったいみたいだ。



「面白い反応!」


 見ていた草壁が感心していた。


「面白がっていないで、と、止めて!!」



 あんまりいじめちゃ悪い。再び「肩」へとモード変更。



「私で遊ばないで!」


 と言いながらも、やっぱり椅子から離れないゆかり。



「見てたら気持ちよさそうだったから、揉み心地が知りたかったんです」


「自分で座ったらいいでしょ?リモコン返してください!」



 と言って草壁のほうへ手を伸ばすゆかりだが、草壁、あえてそれを無視。


 そして、今度は強さを「中」から「強」へ変更。そして、再び「背中」ボタンをプッシュ。



「もっかい『背中』」


「イャァン!!くすぐったいですって!」


「……からの、『腰』」


 すると、今度は「アヒャアヒャア!」というさっきよりさらに変な声を上げだすゆかり。やっぱり大きく身をよじる姿は、腹筋運動をするアスリートみたいにも見える。


「ヤメテ!ヤメテ!ヤメテ!」



「おおっ!やっぱり面白い!」




”ふざけるのはやめて!リモコン返して!”


”ハイハイ……と言っておいて、背中!”


”イヤアン!”


”今度は、腰、と思わせておいて肩”


”もう!いい加減にして!”


”すみません。……といいつついきなり腰!”


”アヒャアヒャッアヒャ!”


”これぐらいで、許してあげようかなあ、なんていいつつ「背中」”


”イヤアン。くすぐったい”


”いったん休憩で「肩」”


”これは気持ちいい”


”油断させて、再び「腰」”


”アヒァーン!”





 最終的には通りがかった、女将レイコに「いい加減にしなさいよ!あなたたち!子供じゃないんだから!」と怒られるまで、遊んでたそうである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る