第200話 あーん ④


 うわっ、大変なことになった!とあやは驚いたが、草壁は「大したことないですから」と言って笑っていた。



「で、でも、ほんとごめんなさい」


「これなら、骨までは行ってない。経験者だからわかる」


 草壁は笑っているが、真っ赤になった右手がちょっと心配だ。


「念のために、専門家に見てもらったほうがいいと思うから、もう帰りましょう」



 あやが申し訳なさそうにそう言って、帰ると言い出すし、草壁も無理して続けても確かに右手はズキズキ痛むから早々に引き上げてひまわりが丘に帰ることにした。



 そして、その電車の中で気が付いたら草壁の指がグローブをはめたみたいにパンパンに腫上がってしまった。



 大慌てになった二人は駅からもっとも近い、こういう治療の専門家というわけで、あの今木恵の実家である「今木整骨院」のドアを潜ったのだった。




(ええっ!おにいちゃんと辻倉さんが二人揃ってやってきた!)



 驚いたのはそのとき受付に座っていた恵である。



 聞いたら草壁が右手を強打して腫上がったのだと。見てみたらたしかにそうだ。が、なんで二人揃ってここにやってくる?



(何、これ?いくらなんでも彼氏の病院通いに彼女がついてくるなんて……)



 詳しい事情まで知らない恵にしてみたら、こうして二人連れでやってきた草壁とあやの関係がまた訳の分からない形に見えている。


 友達、とは言いがたい、親密そうな様子だ。しかも、彼女のほうが彼のことを心配する様子が普通じゃない。完全に動揺しきってオロオロしている。まさか、この二人、本当に付き合ってたのか……。




「痛みます?」


「ちょっと、ジンジンする……」


「冷やしたほうがいいのかな?」


「いや、素人が勝手な治療しないほうがいいと思う。もうすぐに案内があると思うからこのまま待ってたほうがいいよ」



 受付の恵の目の前では、草壁の腫上がった手をお互いが見ながら頭を寄せ合うようにしてそんな話をしている二人の姿があった。


 まるっきり、小さな子供の急病に付き添ってきたお母さんだ。


 とても親密そうな二人だった。



(この二人、本当に付き合ってたの?)



 その様子を見た恵は一人、気落ちしていた。



(わたし、もっとおにいちゃんのことわかってると思ってたんだけどなあ……)





 診断の結果は「指の捻挫」だそうで。


 骨折経験者、草壁本人の見立てどおり骨まではいってないとのこと。しかし、右手をテーピングでグルグル巻きにされてしまい、しばらくは動かさないように、と言われてしまった。


 軽いものだから、数日で手も動かせるようになるだろうという。


 実際、テーピングをしたら痛みもほとんど消えた。



 骨折して石膏で固定、なんてほどじゃないから、テーピングの手でもちょっとものの支えぐらいはできる。家に帰ったらまあ日常のことはなんとかなる。食事も数日はフォーク使ってすることにしよう。


 それはいいが、問題はバイトである。


 そう、双葉荘でのバイトをこの手で行うの無理だ。しかし、未だに草壁の不在は洗い場には大きい。しかも今日の今日の話だ。


 さっそく双葉荘に事情説明の電話を入れたら向こうも困っていた。



「困ったわね……今日は長瀬さんも他の仕事があるから」



 なんと代打も使えないというのだった。





 という訳なら仕方ない。



 その日の午後3時にすこし早いような時間の双葉荘事務所には、怪我で仕事ができないはずの草壁の姿があった。仕事はできない。が、その代わりだ――。



「というわけなんで、僕の代打のさらに代打を連れてきました。以外にも長距離ヒッターです」



 という変な紹介をされて、つい先日双葉荘のバイトを上がったばかりの辻倉あやがまたこの旅館に戻ってきたのだった。


 ちなみに、洗い場の仕事ははじめてのあや、ということで。



「右手は使えないけど、僕もいっしょに入ってフォローするので」


 ということで、なぜか、バイトのシフトの仕切りまでこの男が決めちゃったりしている。が言われた女将も若女将もこんな時間から急な戦力を一人補充するのにアテがなくて困っていたので、コイツの言うとおり一応してみることになった。


 ちなみに、草壁にもちゃんとバイト代は発生したそうである。


 そうだろう。只ってわけにも行くまい。


 ちゃっかりしている。



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