第198話 あーん ②


 さて、そんなふうにして、あっという間に双葉荘でのバイトを終えてしまったあや。


 彼女だけ、一足お先にひまわりが丘での日常に戻っていった。


 そして、あやの日常っていうと、午後までは大学にでて、そのあと気が向いたら喫茶「アネモネ」に顔を出してウエイトレスのアルバイトをするというものである。




 ところで、あやがここのバイトに顔を出すと、よくやってくる客がいた。


 そう、未だにあやを諦めていない、ナンパ高校生、田村だ。



 相変わらず、毎日アイロン当ててるみたいなパリッとした高校の制服ブレザーでやってくると、最近はすっかり常連顔で二つ年上のあやのことを平気で「ちゃん」づけで話しかけてくるのだった。



「今日はあやちゃんの顔が見れてラッキー!けど最近あんまり姿見なかったけどどうしてたの?」


 しかもすっかりため口。



「冬休みの間はちょっとよそでバイトしてたから」


「どこ?」


「旅館で仲居の」


「ねえ、着物着た?見たかったなあかわいかっただろうなあ」



 客の少ないのはいつものこと。


 そうなると、カウンターに陣取った田村と向かい合ったまま、この口だけは人一倍動く軽薄高校生の相手をずっとしなければいけないのはつらいことだった。


 あやが、若干迷惑そうに受け答えするものだから、隣のマスターが会話に割って入ってさりげなく間を持たせた。



「田村君、高校3年ってことは受験生だろ?この時期のんびりしてていいの?」



 田村はヘラヘラ笑って答えた。


「指定校推薦でもう行くところ決まってるんで、問題ないです」


「あやちゃんのこと好きなら、がんばって彼女と同じ大学目指してみたら?」



 マスターが真顔でそんなことを言うものだから、あやが隣で焦った。


「変なことけしかけないでください!」


 この男、オンナが絡むとひょっとしたらやりかねない。



「あやちゃんが来てほしいって言うなら、浪人してでもがんばるよ」


「来なくていいです!」



 真面目腐って田村が言うものだから、あやが本気で焦っていた。



 と、そこへ一人の客の来店である。


 ゆかりの不在で最近ではすっかり足の遠のいていた草壁である。




 他に客のいない店内を、なぜか取り澄ましたような顔でカウンターまで歩いてくる草壁。マスターとあや、田村がそんな彼の出現で会話を中断させてしばらくじっと草壁を見守る。


 と、そんな視線を無視するように、カウンターの田村から一つ席を空けたところに座っていつものようにホットコーヒーの注文を済ませた。


 そして、そこで、ようやく田村の存在に気が付いたみたいな顔になる草壁



「あっ、田村君も来てたんだ」


「どうも」


 田村が軽く会釈する。


「何?なんか仲よさそうに話してたけど、なにかあったの?」


 田村とあやを交互に視線を動かしながら草壁が聞いた。


「なんでもいいじゃないですか?気になりますか?」


 田村としては、草壁とあやが付き合っているなんてお芝居、やっぱり半信半疑。


 おたくさん、本当にお付き合いされてるんですか?どうせ芝居でしょ?って感じで薄笑いを浮かべていた。



「そりゃ、気になるっていうか、気にしちゃ悪い?」


 草壁がちょっとふざけ掛けるような笑顔で、あやのほうへそんな言葉をかけた。君がよその男の人と親しげにしていることを彼氏が気にしちゃ悪いの?っていう意味をこめて。



 いつもより、草壁のこちらへの踏み込みが強い気がしてあやのほうはやや腰が引け気味である。


 お芝居は続けなきゃいけないけど、過度に恋人を演出するのも、なんとなくやりにくい。だから、黙って笑っているだけだった。



「本当にお二人、付き合ってるんですか?」


 その様子を見ながら、田村が草壁に聞いた。


 草壁は平然と言い切った。


「当たり前だろ?っていうか、そっちはまだ気があるの?けど誘っても無駄だよ?あんまりしつこく迫るのやめてあげてくれない?」



「じゃあ、草壁さん、あのピアノの先生の長瀬さんどう思って……」


 田村がそんな言葉を言いかけたときである。


 草壁は田村の言葉を途中でさえぎるように、目の前のカウンター内にたっているあやに向かってポケットからチケットを取り出して、彼女の前にチラつかせた。


 もちろん、ツルイチさんからもらったスポーツセンターのチケットである。



「ここにさ、スポーツセンターのチケットがあるけど。ほら、この前行きたいって言ってたでしょ?買ってきたから今度一緒に行こうよ!」




 あやは草壁がニコニコしながら紙切れをヒラヒラさせている様子を見てしばらく固まっていた。


(えっ、私そんなところ行きたいなんて言った覚えはないけど……)



 草壁の意図がわからないものだから、そっと草壁に近寄って


「言いましたっけ?」


 と耳打ちしたが、草壁はあっち向いてあやの言葉を無視。




 しばらく、どう答えていいのか分からずにあやが言葉に詰まっていると、草壁が不満そうに口を尖らせた。


「なんか、最近忙しいって言ってばかりで誘ってもどこにも来てくれないね?」


「ええっ!」


 いつ誘った?というか、どこまで草壁の芝居に付き合わないといけないの?とあやは混乱するばかり。このままこの人どこまでやるつもり?そもそもなんでそんなチケットを持ってやってきたの?



「冷たいっていうかさ……せっかく買ってきたのに」



 二人の様子に田村が余計なことを言い出した。



「別に好きな人ができたりしてね」


「うるさいよ。そっちには関係ないことだろ?これはこっちの話だから。ねえ、暇ないの?これ別に期日指定とかのチケットじゃないから、都合のいいときにいつでも行けるんだけど」


「もう、ちゃんと振るのもめんどうだから、自然消滅狙われてるんじゃないっすか?」


「だから、いちいちでしゃばるなって言ってるだろ?ねえ、行こうよ」



 目の前では、田村はヘラヘラ笑っているし、一つ間を空けた隣では草壁が心配げな顔でじっとこちらを見つめている。まるで振られる予感におびえているみたいな顔を作っている。




 自分がつまらない芝居を続けてるばっかりに、へんなしがらみが増えた。


 それにしても、草壁さん、どういうつもりなの?


 あやは、草壁に返事をする前に、怖い顔で睨み付けてやった。


 すると、このお調子者がちょっとむかつく顔で笑った。

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