第194話 ねがいごと ②

 そうこうするうちに正月も明けてしまったある日。




 草壁は、ゆかりのクルマである青のラパンのハンドルを握り、ルームメイトであるゆかりの弟の長瀬亮作とともにドライブに出かけた。



 ドライブ、などというと大げさだろう。ちゃんと目的がある。


 とある人のお見舞い、であった。



 実は、彼らのもう一人のルームメイトである普段はパチプロ、そして今は短期の約束でこちらも双葉荘の厨房の手伝いに入っているツルイチさんが入院しているので、そのお見舞いに出かけたのだった。


 病気、と言っても、それほどたいしたものではない。病名は「痔」。


 長くカタギの仕事から遠ざかっていた人が、まともな仕事をしたせいか知らないが、年末ぐらいから急にお尻の調子が悪くなった様子で、仕事にも支障をきたすというわけで、年明け早々に手術をしたのだ。


 手術自体は軽いもので、2日間ほど経過の観察のための入院をして、支障なければすぐに退院という軽いものだったが、それでも入院は入院。


 普段、あれこれとお世話になっている。か、どうかは分からないが、一応同居人のよしみということでちょっとお見舞いに行ってみようということになって、こうして二人揃ってお出かけとなったのだ。




「おい、お前の言う交差点ってアレか?」


「もうひとつ先かもよ?」


「どっちだよ?!」


「あっ、やっぱりここだった!」


「っておまえ、交差点入ってから急に言うなよ!あぶないだろ」


「仕方ないから、Uターンする?」


「だめだよ、ここUターン禁止だから、右曲がってコンビニの駐車場に一旦はいるわ」


「草壁クン、しっかり運転してくれないと……」


「おまえのナビのせいだろ!」




 ハンドルを握る草壁のとなりでは、亮作が地図とにらめっこしていた。土地勘は乏しいふたりだ。そこへまったく行ったことないような場所に行かなければならいが、実は「あの」カーナビが現在故障中で使えないのだった。そこで、ナビ役を助手席の亮作が務めながらのドライブ。


 ところが、このおぼっちゃんが割とのんびりとしていて地図を読むのが苦手らしい。



 右だ左だといちいち指示を出すタイミングが悪いので、草壁のハンドルさばきもつねに乱れた。


 舗装も綺麗なまっすぐな車道の上で、このクルマだけがまるっきり初心者というよりも、教習所コースを走っているみたいに、グラグラしながら危なっかしい軌道を描いて走っていた。




 なにしろツルイチさんの入院している病院というのが、大きな総合病院じゃなくて、住宅街の中にある規模の小さな専門病院ということで、地図を見ても、なかなか入り組んだところに建っているようなのだ。





 そんなドライブの最中のことである。


 草壁はゆかりについてのとあることが気になっていたので、彼女の実弟である亮作にこんな質問をしてみた。



「なあ、ゆかりさんって、去年、神社で巫女のバイトしてただろ?」


「うん」


「そのころってやっぱり暗かった?」



 そう、あのころのゆかりの普段というのは彼は知らない。


 もちろんそのころは、まだ自殺に失敗したショックというのから完全に立ち直れてはいなかったかもしれないだろうから、いくらか今よりは暗かったかもしれない。


 が、草壁が急にそんなことを亮作に聞いたのも実はあるきっかけがあった。




 というのは、先日の初詣でのことである。


 あの松木神社の境内で引いたおみくじの話をしながら、草壁たち3人が神社売店ちかくで立ち話をしていると「あっ!長瀬さん。元気にしてた?」って、当時のバイト仲間の巫女さんからゆかりが声を掛けられた。


 相手は仕事中ということもあって、長話もしていられないようだったが、そんな知り合いと久々に出会って挨拶を交わしながら、ゆかりがおしゃべりをしていたときのこと。


「最初、長瀬さんって気が付かなかった。雰囲気かわったね。アノ頃はもっと無口で静かな雰囲気だったもん」


 などとゆかりが言われていたからである。


 言われたほうは、笑ってごまかしていたが、チラッと耳に入ったそんな知り合いの証言が草壁にはちょっと意外だった。


 あの直後、ひまわりが丘で一緒に暮らすようになってから、彼女にそんな雰囲気をあまり感じることはなかったからである。




 そして、そんな質問を草壁から受けた亮作はしばらく考え込みながら



「会うと、暗いというか、考え込んでいるみたいな様子は時々あったかなあ……」



 弟からもそう見えていたということか……。


 ところで、その当時の事情っていうのが、草壁もあんまり知らないことなので、ことのついでにいろいろと亮作に聞いてみようと思った。



「ふーん。ところで、引越しのこととかピアノ教室の話っていうのも急に決まったの?」



 道路地図とにらめっこしながら、亮作はそのあたりの事情をポツポツと語りだした。




「ピアノ教室の話は引っ越すちょっと前だったかな?なんかお姉ちゃんの知り合いの人がひまわりが丘の近くで、子供相手に教えてたんだけどさ、その人の旦那の急な転勤で、教室閉めなきゃいけないってことになってさ」



「へえ、今の商店街にある教室で?」


「違う。たしか自宅でやってたらしいよ。僕は直接は知らないけど。それならってことで、なぜか知らないけどお姉ちゃんがその生徒の面倒を見ることになってから、お姉ちゃんが場所を探して見つけたのがあの教室」



「なぜか知らないって言うけど、ゆかりさんもピアノやってたんなら、別におかしな話じゃないだろ?」


「それはそうだけど、さっきも言ったように、アノ頃、お姉ちゃんあんまり元気がないっていうか、無気力な感じがしてたから、わざわざ必要もないのにそんな仕事するか?って、ちょっと意外な気がしたんだよ」


「そうなんだ」


「それにさ、本当のところ、うちの両親はいつまでもこっちにいないで、もういる必要ないんだから、実家に帰ってこいって何度も言ってたらしいんだよ。ところが、本人はなぜか、前住んでたあの松木町から離れたがらなくってね。」


「なんで?」



 亮作の話を聞いて、草壁も今頃になって改めて考えさせられた。


 なぜ、彼女は用もないのに、いや、自殺に失敗したような苦い記憶が染み付いているような、けっして居心地のいいとは思えないような土地にずっと巫女のバイトなんかしながら居続けたのだろうか?と。



「さあ?――」


 さっきから、ちょっと頼りないナビゲーション役をしていた亮作だが、草壁とそんなことを話し込んでいる間、わりと冷静に右、左と行き先の指示を出していた。じきに地図を読むのにも慣れたのかもしれない。


「――けど、お姉ちゃんがピアノの教室を開いたってことになったらうちの両親もさ、あきれちゃったというか、なんというか……」


「どういうこと?」


「だって、それなりに責任あるじゃない?何人も新しい生徒を抱えることになったんだから。それで、ウチの親も簡単には実家に戻って来いって言えなくなっちゃんだよ」


「なるほどね」


「今でも、お姉ちゃん、実家あんまり帰りたがらないけど、僕もその話聞いたときには、そこまで帰りたくないか?ってちょっとびっくりしちゃったよ」



「じゃあ、引越しっていうのも、ピアノ教室をやるからってことでひまわりが丘にやってきたってこと?」



 亮作の話を聞いていたら、草壁でなくてもそのように思うものだろう。


 しかし、ここでも亮作から意外な事情を聞かされることとなった。



「それが、そうじゃないんだな!」



 事情を知っている亮作自身にとっても、いまだ不思議なのか、彼は草壁の質問に急に大きく声を上げた。


「そうじゃないって?」




 実は、ゆかりが今住んでいる、おとなりの308号室というのは、長いこと居住者がいなかったらしい。そして、マンションの前にはつねに「入居者様募集」張り紙がでっかく張り出してあった。調べたら、本当に管理会社のほうでは長く募集をかけていた物件だった。



「だから、ちょうど都合よかったわけだよ。お姉ちゃんだって、仕事場に近いし、うちの親にしてみたら、実家に帰ってこないなら、せめて僕のとなりにでも移ってくれたらって感じでさ。だから、なんどか、引越しすれば?って聞いてみたけど、なぜか、それも嫌がるんだよ。『わたしはここに居たいから』って言って」


「そうはっきり言ったんだ?」


「うん」




 なるほど、と草壁も思った。と、同時にたしかに亮作の考え込みたくなるような気持ちはわかる。


 あの当時のゆかりの気持ちなんて、弟でも簡単にはわからないことだろう。ましてや、当時はまったくの他人といっていい草壁にとってはなおさらだった。



 そして、クルマのほうは一応、亮作のナビにまかせたまま進んだ。


 ハンドルを握る草壁にしてみたら、この際、疑問はみんな聞いておきたかったので、中途半端なところで目的地につかれないか、のほうが心配である。




 あっ、こっからしばらくはずっとまっすぐ行ったらいいみたいだから。と亮作が言ったとかと思ったら彼もそこまで話したあと、しばらく黙り込んだ。


 何事か、頭の中を整理でもしている様子で、しばらく、ジッとしたあと、ぽつりとつぶやいた。



「思うんだけどさ――」


 真面目腐った顔で、続けた。


「――おねえちゃん、気持ちの整理をつけていたのかもしれないなあって」


「どういうこと?」


「自殺を図ったあと、すぐに大学もやめちゃってピアノのプロになることもあきらめたって言ってたけど、まだ本当は未練があったのかもしれない。


 前に住んでた部屋にはね、アノ頃、まだピアノを置いてあってさ。当人が触ってたかどうかは知らないけど、時々練習ぐらいはしてたのかもしれないよ。それが、こっちに来たら、部屋にはピアノ置いてないでしょ?もうあれ、処分しちゃったんだよね。引っ越すときに。


 考えてみたら、ピアノ教室のセンセイなんて引き受けたのも、あきらめをつけるためかもしれない。


 だってさプロを目指す大事に時期に子供あいてに教えてたら、腕は落ちちゃうだろうし。


 そうやって、向こうの町でしばらく自分の気持ちを整理して新しい生活を始めようってなったんじゃないかな?」



「その気持ちの整理がついて、やっとひまわりが丘にやってきたと……」



「そうなんじゃないかなって、思うだけだけどね。


 だからさ、お姉ちゃん、急にそっちに引っ越そうと思うって言ったとき、急にサバサバした顔してたんだよね。


 あっ、ようやく、吹っ切れたんだって、ちょっとその顔みて安心したもん」





 その後、亮作のナビを盲信したままに草壁が運転したせいで、絶対にありえないような海沿いに出たあと、大慌てになった。


 最終的に、ナビと運転役を変わることで一応目的地である、ツルイチさんの入院先の肛門病院にたどり着くことはできたが、予定所要時間30分のところが2時間半もかかる、随分な遠回りとなってしまった。



「草壁クン、しっかり運転してよ!どこに出ちゃってるのさ?」


 海の見える海岸通に出たときに、ナビ役の亮作が暢気なことを言ったものだから、思わず草壁もこう叫ばずにはいられなかった。


「うるさいよ!お前が読み違えたんだろ!」

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