第193話 ねがいごと ①
さて、物語のほうもいよいよ年が明けて……ということになるのだが、その前に、草壁圭介の身の回りに起こったちょっとしたことについてから、お話を始めてみたい。
温泉旅館「双葉荘」での草壁のバイトであるが、もともとは期間限定という約束だった。
それも、繁忙期の終わる冬休みの終了とともに、草壁のお役もご免。彼にしてみればそれだけ稼げば、とりあえずの目標である自転車、それもちょっと値の張る「ロードレーサー」の購入のめども立つ。それに、正月が開けたらいくら暢気な彼としても、期末の試験へむけて勉強もしとかないといけない。
というわけで、本来ならあと1週間ほどで、あの能無し3人組のお守りも終わりと思ってた矢先のこと。
「ええっ!期間延長?」
旅館事務所に呼び出された草壁が若女将から拝み倒された。
「そう、1月いっぱいまでお願いできない?」
「僕だって学校が忙しくなってくるんですけど」
「今あなたに抜けられると厳しいのよ」
呼び出されて顔を出してみると、若女将の芳江と、女将のレイコの二人がいつも以上に愛想よく「お菓子食べる?」「お茶はなにがいい?コーヒーか紅茶がいいなら淹れるわよ」なんていいながら、事務所のソファーへと草壁を誘った。
その時点でイヤな予感がしていたが、草壁がソファーに腰を下ろすなり、すかさず若女将が彼のとなりにぺったりと張り付き、そして女将のほうは、テーブルを挟んで彼のどまん前に座をしめた。
金持ってそうな客を見つけたボッタクリバーのホステスみたいなフォーメーションだ。
「お礼もはずむから」
普段はおしとやかににこやかな女将のレイコが、ちょっと悪い顔で笑っている。あんまりこの人が、エサで人を釣ろうというところを見せないからちょっと意外な一面を見た気分もする。
なんにしても、草壁を1月一杯までは引きとめてやろうと、追い込みを掛けている。
雰囲気としては、ナニワ金融道みたいになっている。いやだなあ、そういう雰囲気。
「はずむって言いますけど、そりゃもらえるのはうれしいですよ……」
なかなか態度をはっきりしない草壁に若女将が急に説教じみたことを言い出した。
「だいたい、あなたも悪いわよ」
「どうしてですか?」
「今まで、ちゃんと後進を育ててないからこうなるのよ!」
「後進ったって、あの3人組みが簡単にどうにかなると思ってるんですか!」
ちゃんと後進候補を補充してくれないそっちの責任じゃないか。
若女将と草壁がそんなことを言い合っていると、目の前のレイコがまたもや、ニヤニヤしながら
「じゃあ、あの子たちが一人前になるまで、ってことでどう?」
という無茶苦茶な話をしだした。そんなもん一月一杯どころの話じゃなくなるじゃないか!
「それ待ってたら、僕、ここを辞めれなくなりますよ!」
「そうすれば?うちで正社員というのは?」
暢気にそう言って笑っている女将は本心なのか冗談で言っているのかちょっと分からなかった。どちらにしても怖い人だ。いっつも調子の軽い若女将と違って、こういう人は時々冗談と本気の区別がつかない。
「僕にもいろいろと将来設計というのはありましてね」
一応、4年制のそこそこの大学出るんだから、それなりの企業に……というか、なんというか……。
将来か……。
女将レイコとのそんなやり取りをしながら、草壁も話のついでに飛び出した「自分の将来」について、ちょっと思いを馳せて茫洋とした気持ちになっているところで、
「とにかく、あと一ヶ月だけ。お願い!!」
と文字通り拝まれて、しぶしぶ首を縦に振った草壁だった。
かくして、双葉荘の皿洗いのバイトはあと一月続くこととなった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そんなわけで、気が付いたら年が改まってしまった。
ここひまわりが丘で親元を離れて暮らす、草壁、ゆかり、亮作の3人は申し合わせたかのように、実家へ帰ろうとせず、大晦日の夜はツルイチを交えていつものメンバーで宴会をして年を越した。
そして年が明けたお正月、元旦。
草壁もゆかりも双葉荘へは夕方からの出勤、そして、ちょうどあやもそんな予定ということもあって、3人で揃って初詣にでかけることにした。
どこに出かけるか?
そのとき、あやが「松木神社」に行きたいと言い出した。
覚えておいでだろうか?病院で草壁の目の前からゆかりが黙って消えたあと、彼女が巫女のバイトをしていた神社である。そしてそこでの再会から、お話はスタートしたわけだが……。
「……あれ?なんであやさんがあの神社の名前を知ってるんです?」
草壁が驚いた。
「私が、去年の春まで働いていたことをあやちゃんに話したら、一度行って見たいって言うから」
ちょうど、大晦日の飲み会で顔を合わしたときにゆかりからそんな経緯を聞かされた草壁。まあ、それなら僕もついて言っていいですか?ということで、3人での初詣となったわけだった。
その松木神社までは電車にゆられて数駅。駅からは徒歩で15分ほども歩くだろうか?
駅を出ると、よく晴れた元旦の午後の静謐の中で、町自体もひっそりとしていた。前夜夜更かしした人たちは、まだお休みしているのかもしれない。
草壁にとっては、去年の春まで1年ほど住んだ町に久しぶりに足を踏み込んだということになる。
不思議と懐かしい気がしてくるものである。馴染んだというほど長く暮らしたわけではなかったが。
明治神宮やお伊勢さんみたいな超メジャーどころではないから、駅に降りた直後にはあんまり人気も感じなかったが、そこからちょっと歩くと、車道脇に整備された遊歩道の舗装が、綺麗な石畳に変わってくる。道幅も通行人のためにゆったりと拡張されたところまで来ると、街路樹の植え込みの合間合間に、縁日の屋台がちらほらと並んでいるのが見えてくる。と、同時に初詣客の人の流れも賑わいを見せてくる。
そして神社近くまで来ると、車道の真ん中をバリケードと交通課の警官が塞ぎ、歩行者天国へと変わった。
その辺まで来ると、小高い丘の上に立つ社殿の茅葺の切り妻屋根が、生い茂る楠の林の中にチラッと見えてくる。
「私、ゆかりさんと二人で来るつもりでいたのに、待ち合わせのひまわりが丘の駅に行ったら草壁さんもいっしょに立ってたからちょっとびっくりしました」
神社への参道を歩きながら、あやがそう言ってちょっと驚いていた。ちなみに、本日は草壁はもちろんのこと、女子二人組みも普通の洋服姿。
初詣を済ませたら旅館でのバイトがあるからである。
「まあ、僕も、この辺久しぶりだから、ちょっと来てみようかな?って」
「草壁さんも、ゆかりさんが巫女のバイトしてたの知ってたんですか?」
「うん……まあ……」
以前にも書いたが、小高い丘の上に立つ社殿までは、ふもとからまっすぐに石畳の階段がまっすぐに伸びている。体力のある草壁たち一行でも、頂上の本殿まで行こうと思うとちょっとくたびれそうになる。参道は杖を付きながらも元気よく急勾配を登ってゆくお年寄りから、元気一杯駆け足で一気に上りきる競争をする子供たち老若男女の群れで、列車到着直後の駅の階段みたいな賑わいを見せていた。3人もそんな人波に紛れてゆっくりと上って行った。
そんなことを話しているうちに、3人もやがて本殿のある丘の上にまでやってきた。
見ると、人の賑わい以外は春に訪れたときと変わらない。
すぐ右手にたつ、二人でおみくじを結びつけた樹木もそのままだ。
そして、その前にはあのときおばあちゃんたち御一行が座っていたベンチ。今日も石畳の急勾配をやっと上りきったおばあちゃんが、よっこらせっと3人腰掛けている。
そちらとは反対側には、手水場と売店のある社務所の建物。縁起物の破魔矢や絵馬、そしてもちろんおみくじを求める人で、まるっきり縁日の屋台みたいな賑わいである。
石段を登ってからまっすぐ進んだ3人が、人ごみの中でちょっと肩をすくめながら本殿への参拝も済ませると、売店のほうへと皆を誘おうとするあや。
「せっかくだから、おみくじ買ってきませんか?」
まあ、神社に来たらおみくじのひとつも引いてみたくなるのは人情。
わざわざ電車に乗って初詣に来て置いて、かしわ手たたいて、ハイ、オシマイ、というんじゃ淋しいだろうし。
しかし、普段だったらこういうことに割りとノリよく、ほいほい従う草壁が、そこで急に真面目腐った顔で
「僕はいいです。もうおみくじは買わないので」
と妙は言い回しできっぱりと断ったのであやが、不審げにきょとんとなった。
「どうしたんですか?おみくじでなにかあったんですか?」
「去年、ここでいいクジを引いたから、もうおみくじはしないことに決めてるんです」
すると、その言葉を聞いたゆかりが急に笑い出した。
「あの、フトキチっておみくじですか?」
そういって、二人だけが何かしっているみたいにクスクス笑いあっている。あやが余計に不思議に思って一体なんのことか聞いて、そこで初めて草壁とゆかりが春にここで出会っていたということと、そこで変なクジを引いたということを知らされて驚いた。
「えっ、それじゃ、二人って隣同士になる前から知り合いだったんですか?私、知らなかった。どうして黙ってたんですか?」
確かに、隠すようなことじゃないはずと思えるだろう。それを二人が揃って黙っていたなんて。
あやに突っ込まれると、ゆかりは涼しい顔でこう言ってのけた。
「ここで顔を合わしただけのことを、知り合いになったとは普通言わないでしょ?」
「わかるようで、わからない説明ですね、それ」
そう言って、不思議そうにゆかりを見るあやだった。
もちろん、あやは知らないのである。ここでの出会いは実は再会であって、最初に出会ったのはゆかりが自殺に失敗したあと運ばれたあの病院であることを。
もちろん、ゆかりが不倫の恋に破れて、ショックで自殺をしようとしたことも、いまだ彼女は知らない。
いくら親友とは言っても簡単に話せる話ではないのだろう。
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