第190話 つれない彼女 ④
と、こうして草壁が、する必要のあんまりないような苦労を一人で必死こいてやっている間も、彼からの洋菓子のプレゼントはいつになるのだろうと、ゆかりは思っていた。
が、彼からはなしのつぶてのまま、年末も押し迫ってくる。
そんな中、これから年明けまでの本格的繁忙期を前に、休みをもらったゆかり。
久しぶりなので、数ヶ月ぶりにアネモネに顔を出して、エプロンをつけてまったり休日を過ごそう。――ここのウエイトレスの仕事なんか大して忙しくもないので。と思っていた。
ゆかりがそんなふうにしてエプロンつけてカウンターに立っていると、まるでミツバチが花に引き寄せられるようにやってくるのが、草壁である。
ただし、そのときはちゃんと目的があった。
彼女をデートに誘うという目的が。
とはいえ、言い出すタイミングがつかめないまま、マスターを交えて雑談していると。
「ゆかりちゃんも草壁クンも、今はヒマなの?」
と聞いてくるので、まあ、特に用事はないですが。
そう二人が口を揃えて言った途端だ。
久々に彼らの前に姿をあらわしたのが、この商店街の仏壇屋の爺さん。以前にも出てきたことがあるが、この商店街組合の組合長も長年勤めている。
この爺さんが、アネモネの扉を潜ると同時に
「いやあ、助かったよ……今、ちょうど人手がなくてさ」
って言いながらやってきたときには、草壁とゆかりの顔が引きつった。またか!この爺さんは!
「商店街の福引の受付なんだよ。ガラガラと景品は用意しておいたんだけど、人の手配をすっかり忘れちゃったんだ!夕方まででいいから、お願いできるかな?」
商売柄、普段は小難しい顔してむっつりしていることも多いこの爺さんが、わざとらしい満面の笑顔であっさりと言い放った。笑ってごまかすつもりという雰囲気がヒシヒシと伝わってきた。
相変わらずやることなすこと行き当たりばったりな商店街だった。
ちょうど、商店街の駅側の出入り口からアーケードをちょっと入ったところ、左手にあのオカマのいるショットバー「jiro's」があって、ちょっと歩いたらアノ、仏壇屋。
となってその隣。
もう長いこと閉まりっぱなしらしい、相当錆びとホコリに汚れたシャッターの下りた空き店舗の前に、紅白の幕をぶら下げた長机の前で、くじ引きのガラガラと、ハズレ景品であるポケットティッシュの詰まった空箱といっしょに並んで死んだ目をして座っていた、商店街のたこ焼屋「タコ菊」の主人とバトンタッチした草壁とゆかり。
「まいったよ。休みのこの時間っていうのが一番ウチだって忙しいっていうのに、無理やり引っ張り出されてさ。おかげで店に戻れるわ!じゃあ、あと頼んだよ!」
というわけで、来年の干支のイラストが背中にプリントしてある、揃いの赤い法被を羽織った二人が、あんまり人のやってこない福引の受付をしばらくやらされる羽目となった。
「なんか、ここの商店街ってこんなのばっかりですね?」
「ですよね?けど、組合長、私たちが暇だって言ったらすぐに店に顔だしましたけど、私たちの会話どっかで聞いていたんでしょうか?」
屋外と言っても、屋根のあるアーケード通りの中なので、風は静かだった。二人ともコートの上に法被を羽織っていれば、割と過ごしやすい。
そして、ガラガラを回しにくる客も少なかった。
来るひとがいないとジッとしているぐらいしかない。ここで客の呼び込みをやったって無駄だろうし。
アーケードどおりを行き交う人たちの流れを目の前に見ながら、二人はしばらく口数少なくじっと黙っていた。
それぞれの思惑を胸に秘めながら。
まず、草壁は「いい機会だから、ここでデートに誘っちゃえ」と思っている。
しかし、こんなのでも一応仕事中。しかも、目の前を知らない人がこっちをチラチラ見ながら歩いている。クジはやらなくても、「なんかやってるんだな」程度には皆思うものである。そんなところで、「こんどどっか二人でデートに行きましょう」って言うのもなんだな、と躊躇していた。
そして、ゆかり。
先日、草壁が買っていたリボン付きのお菓子の箱。あれはてっきり自分への贈り物だと思っていたがここまで来てもまったくそれに向こうが触れないということは、アレは自分宛のものじゃないのかもしれないと思っていた。
じゃあ、アレは一体なんなのだろう?誰へのプレゼントなのだろう?
気になるから、あのとき、草壁の買い物を目撃したことを告げて、誰への贈り物にしたか探ってやろうか?と悩んでいた。
そこへ
「二人ともお疲れ様です。外、寒いでしょ?これお二人に差し入れです。ちょっと一息入れてください」
まだ、一息入れるほども働いていないというのに、そう言ってお盆の上にお茶と茶菓子を乗せてやってきた者があった。
今木恵である。
突然の恵の登場に、ゆかりも草壁も驚いた。
だいたい、なんで恵がゆかりと草壁に気を使うようなことをするんだろう?あの仏壇屋や、理事をしている靴屋ならわかるが、商店街の整骨院、しかもそこの娘が組合の仕事にそれほど関わっているものだろうか?
最初そういう思いで驚いていたのは、草壁もゆかりも共通であった。
が、
「これ、いただきものだけど、とってもおいしいから、食べてください」
と言ってインスタントコーヒーの入ったカップとともに、二人の目の前に並べた皿を見た草壁は、ひとり息を呑んだ。これって……。
「あ、ありがとうございます。すみません、こんなに気をつかってもらっちゃって」
ゆかりは目の前に皿の意味が分からないから、恵に向かって丁寧に頭を下げながら、皿のラップをゆっくりとはがしている。
「大変ですよね?こんな時期に外でずっと座りっぱなしっていうのも。あっ、どうぞ、そのタルト遠慮せずに召し上がってください」
「じゃあ、遠慮なくいただきます……あっ、これおいしい!」
恵とそんなことを話しながら、ゆかりは奨められるままに恵持参のフルーツタルトをひとすくい、フォークで口に運んだ。
ビスケットのようなハードな食感のタルト地にしっとりとしたケーキのクリームの相性も抜群。上に乗っているカスタードクリームも濃厚だし。
おいしさのおかげで、寒さも吹っ飛びそうな気分でゆかりがタルトを食べている横では、草壁が固まっていた。
「どうしたんですか?このタルトおいしいですよ」
ゆかりが、隣でじっと両手をひざの上に置いたまま、身じろぎひとつせずに座っている草壁に声をかけたとき。
「すみません、クジお願いできますか?」
と、ようやくここで、引換券を握り締めた男性客が一人やってきた。
そして、それを見ると、恵は笑いながら早口に
「先輩は、このタルトの味よく知ってるんでしょ?だって、これ先輩が私にくれたものですから。私からのクリスマスプレゼントのお礼ということで。じゃあ、私、これで失礼します!」
と言い残して、小走りにその場を去っていった。
ちょっとした災難だったのは、そのときガラガラをやりにきた客であろう。
商店街専用のお買い物券1000円分という、中途半端な当たり玉を引き当てたあと、「おめでとうございまーす!大当たり!」というやけに威勢の声をあげながら、ハンドベルを草壁が振り回すので、道行く人から「旅行でも当たったの?」という感じで妙に注目を浴び、さらに景品の引渡しの際には、まるでこんどは当てたら悪かったみたいな顔した女から、無表情でムスッと安い景品を手渡されて、わけの分からない気持ちのまま福引会場を後にしたのだった。
最初はあれほど「おいしい」を連発しておきながら、恵の最後の言葉を聞いてゆかりのフォークは皿の上に置かれたままになってしまった。
そして、例の能面みたいな仏頂面をしてコーヒーも手につけようとせずに、じっと座っているゆかり。
「あ、あのですね。このまえ恵ちゃんからクリスマスにちょっとしたものをもらったのでそのお礼ということなんですけど」
「あっ、そうですか?ちゃんとお礼を返したというわけですね?それでいいじゃないですか?」
そっけなく答えるゆかりの言葉に、彼女が何を怒っているかにすこし気づく草壁。
もちろん忘れているわけじゃないのだ。そのためにここのところ一人で大変な目にもあっているわけだし。
「もちろん、ゆかりさんへのお礼を忘れているわけじゃなくて」
「私、お礼されるようなことしてませんけど?」
もうこうなったら、前を通る人から変な目で見られているということは二人には関係なくなってきた。
こういう会話をしている二人が妙な雰囲気を発しているというのは、ちょっと二人の顔を見たら第三者にも明らかである。
女のほうが、男と目を合わさない、のではなく、わざと無視するようにそっぽ向いて不機嫌な顔をして口を尖らせている。何でもない間柄で見せる顔をしていないのだから。
「だから、本当はゆかりさんにはあのマフラーのお礼ということで、デートにでも誘いたいなって思ってて」
もうこうなったらきちんとお誘いするどころの話じゃない。もっとちゃんと申し込もうと思ってたことを言い訳に使うしかなくなった草壁。それでも、一応、彼女の反応は気になる。
しかし、こういうところで一度ヘソを曲げると厄介なのは百も承知。
すると、やっぱり、そっぽ向いたままでゆかりは拗ねて言うのだった。
「それ今思いついたんでしょ?」
とっさについた嘘だと言われたらこっちも立つ瀬がない。草壁が急に勢い込んで言った。
「嘘じゃないですよ!恵ちゃんのほうを覚えてて、ゆかりさんのほうを忘れるわけ……」
と、ここまで言って言葉が詰まった。
「あるじゃないですか!」
草壁のほうを向き直って、ちょっと怖い目でにらむゆかり。そう、あったのだ、そういうことが。
タコヤキ……。
「まだタコヤキのこと蒸し返すんですか?」
「事実ですから」
結局、デートに誘うどころかすっかりつむじを曲げてしまったゆかり。草壁はもはやデートに誘うなどということもできないまま夕方まで、客の少ない福引受付の仕事を黙々とこなすしかなかった。
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