第189話 つれない彼女 ③

 さて、一方の草壁である。


 実はゆかりが目撃した洋菓子屋で買ったものは、別に彼女へのプレゼントではなかった。



 が、それはさておき、草壁もそのころは情報誌やネットをあちこち見ながら、一体ゆかりをどこへデートに誘い出そうかというプラン作りに頭を痛めていた。




 こういうものはハシカと同じで、早いうちに経験しておいたほうがいいという、ある意味悪い見本かもしれない。


 アッチの経験どころか女の子をデートにまともに誘ったことがないまま、二十歳をすぎるとこういうふうにこじれるという。



 結局、プランとしては、遊園地に誘ったあと、夕食たべて、二人で軽く飲む、というごく普通のところで落ち着いた。


 そういえば、ゆかりさん、前に遊園地行ってたもんな。なんか知らんが、ずっと橋の上で過ごしただけだったみたいだけど。ということはそういうところ興味あるんだろう、と思ってのこと。


 それはいいのだが、これのどこが「こじらせた」のかというと、この男、ゆかりを誘う前に一度現地を下見しておくべきだと考えた。


 準備がいいというより、考えすぎて慎重になりすぎている。



 まあ、マメと言えば言えなくもないが。




 そこで休日を利用して、お一人様による仮想デートをした草壁。


 すでに学生なんかは冬休みに入っていたりするようなこの時期、女の子を誘って行けるようなアミューズメントスポットはどこに行っても、カップルや家族連ればっかりだ。


 いや、普段だってそんなところへお一人様はやってこないだろう、というところに一人で下見に行ったものだから、その時間のつらいこと、つらいこと。



 どこに行っても「何名さまですか?」という、嫌がらせか?という係員の言葉に、若干うつむき加減で「一人です」と答えたあとにやってくる、微妙なタイムラグ。


 あんまり回りの人と目が合わないようにして、スマホをいじりながら、じっと順番待ちの列に並んでいる間にも「近づいたら仲間かと思われる……」「見ちゃ悪いわよ」という言葉が聞こえてくることも。そのときは、耳を真っ赤にしながら聞こえないふりをしてやり過ごすだけである。




 一人観覧車。一人ジェットコースター。一人メリーゴーラウンド。……etc。周りでほかの人が楽しそうにしている中、表情ひとつ変えずに固まったままの男を一人の乗せてコーヒーカップはクルクルと回った。


 草壁にとっては通学の電車に乗っているときほどの感慨もなかった。




 どうでもいい話なのだが、ここで草壁はちょっと不思議な経験をした。


 以前、恵と田村の二人の誘いで行ったとあるテーマパークでお化け屋敷に入ったのだが、もともとそういうのが得意というわけではない草壁だった。あの時も気持ち悪いからさっさと一人で屋敷を抜けた。ところが、今回そういうところに一人で入ったところ、あんまり怖くなかったのだ。


 おそらく屋敷そのもののギミックはそれなりに怖いはず。中に入るといたるところから男女限らず絶叫がこだましていたのだから。


 ただ、そのときの草壁にとっては、お化け屋敷の中より、外の明るい世界で、怖いというか寒い思いをさんざんしてきたので、そのときは感覚が相当麻痺していたようだ。屋敷から外に出たとき、美術館巡りでもしたあとみたいなちょっと爽やかな気分だった。





 こうして、悪夢の遊園地お一人様ツアーを終えた草壁が次に向かったのは、ディナーのために目星をつけておいたレストランである。



 実は、ここがもっとも悩んだところだった。



 普段はあんまりそういう様子は見せないが、実はゆかりってお金持ちのお嬢様だ。


 実家の大きさを見ても、資産額が庶民とは桁が違うことは容易に想像がつく。



 「ディナー」だと言って誘っておいて、中途半端なお店連れて行けないんじゃないか?と思った。



 軍資金はある。双葉荘では相当こき使われた分、もらうものはきっちりもらっていた。これなら相当張り込めるはず。



 ということで、相当張り込む覚悟を決めた。決めたはいいが、実際どれぐらい掛かるかわからない。調べればここのお店のディナーのコースは一人おいくら、というのはすぐ分かるが果たしてそれだけか?


 何も知らずに評判だけ聞いて入った初めてのお店で、とんでもないお会計を請求されて驚いたという話はたまに耳にする。



 そこで、このお店どうだろうと思ったお店に電話を入れてみた。ちなみにミシュランで星がついているようなフランス料理のお店。


 二人で行って、ワインを飲んでどれだけするか?予算を把握しておきたいので教えてほしい。


 すると向こうが言った、そうですねえこれぐらいです。もちろん、ご予算に応じてこちらも対応させていただきますが。


 という金額を聞いて腰が抜けそうになった。そんなもん、半額クーポンでもないと無理。いや、あっても無理。もちろんこの格の店にはそんなものは絶対に存在しないだろうが。




 だが、ここに関しては多分、草壁が相当に勘違いしていると思われる。


 そんな店、学生が、バイト代入ったから行ってみようというようなお店じゃもともとない。


 もうちょっと年をとって、それなりに自分で稼ぐようになってから行くべきお店なのだ。


 そもそも本格フレンチなんて食べたことないヤツが初めて言っても、緊張で味が分からなくなるような店である。




 この点、カジュアルでオシャレなお店というのはいくらでも探せばある。味とかサービスの細かいところはわからないが。


 ただ、明らかに予算で妥協したみたいなお店も気が引ける。


 それに、オープン当初はマスコミに取り上げられたりして客が入っても、似たような店が次から次へと開店するなかで、やがて寂れていって、数年後には店が閉まっている、なんてことになったら、二人の初デートの思い出がなくなるじゃないか?――などという、実にくだらないことにばかりに細かく気をもんでいたりする。こういうところも「こじらせた」と思われる部分である。




 結局、落ち着いたのは老舗の高級洋食店。本格フレンチより肩に力入れなくてもよさそうだし、お値段も評判もまずまず。雰囲気も悪くなさそう。


 二人の思い出の場所も、長く続きそうだし。




 で、そんなお店に行ってみた。


 摩天楼立ち並ぶ思いっきり都会のどまんなかのビルの中でとある階のワンフロアーぶち抜きで営業しているような店だ。


 立地を考えれば、前のミシュラン3つ星ほどじゃないにしても、相当なお値段はとられると覚悟しなければならない。


 一般人なら、ここで何か食べるというだけで生涯何度あるかわからないというような高級店。


 店員さんにわざわざ聞いてみないと教えてくれないが、出されるフォークもナイフも全部純銀製だったりする。




 なわけだから、「洋食屋」だと思ってエレベーターを出たとたん、店の入り口までまっすぐ続く白いふかふかのジュータンの向こうで、蝶ネクタイ締めた店員から、深々とお辞儀されたあと「いらっしゃいませ、ご予約おありでしたでしょうか?」と言われたとき、半オクターブほど上ずった声で「ごご、よやくありません!」って言った瞬間から、まずいことになったと後悔した。



 本日何度目かになる、向こうの人数確認の質問に「お一人様です」とやはり上ずった声でこたえる。


 が、さすがに、格式あるレストランの店員は応対が違う。眉ひとつうごかさず、「承知いたしました。ではご案内いたします」と何事もなかったように即座に反応する。


 雰囲気に呑まれて緊張しっぱなしなのだが、一応、デートの下見。すかさず「なるべく見晴らしのいい席をお願いします」という要望をきっちり入れるのは忘れなかった。そういうところもいかにも草壁風。




 洋食屋と言ってもそこらとはまったく格の違う室内は、白を基調とした西洋の老舗ホテルのロビー風。クリーニングしたてをさりげなくアピールする、綺麗な折り目がくっきりついた白いテーブルクロスの掛かる各座席には、上品なナリをした客が多い。が、全体として年齢層は高め。


 あたりまえだろう。こんなところ普通の若造が簡単にこれるような店じゃない。




 昼の遊園地の経験があるせいか、周りの人たちが見ていないようなふりしてときどきこっちを見ているという、あんまり印象のよくない視線を、ここでもビンビンに感じながら、ここでもっとも安いメニューである3000円のグラタンを食べたあと、そそくさと退散した草壁だった。


 味のほうはよくわからないが、おいしいに違いない。値段が値段なのだから。





 こうして一人罰ゲームみたいなバーチャルデートを一人でこなした草壁が、精神的な疲れでヘトヘトになりながら、最後にやってきたのが、都会の隠れ家的なオシャレなバー。


 考えてみたら場末のスナックか、ショットバーって言っても実際はオカマバーみたいなところしか行ったことがないからこちらも雰囲気に飲まれないように、一人で偵察に出かけることにした。



 そこでようやく人心地つくことのできた草壁だった。




 オカマで懲りているので、バーテンがあんまり喋りそうなところはパスした。


 選んだお店は、カラフルなカクテルより、琥珀のバーボンのグラスをくゆらせているほうが雰囲気に合いそうなシックなバー。


 年季の入ったオーク樽を思わせるようなつややかな木の壁に囲まれたその小さな店は、控えめにともされた照明のせいもあって、店自体が、ウイスキーの中に沈んでいるみたいだった。



 この空気の中ではもはやお一人様を恥じることもない。


 客の顔を覚えることが重要な仕事のひとつでもある、チョッキ姿の物静かそうなバーテンは、草壁の様子を見るなり、人数の確認をすることなく「いらっしゃいませ、どうぞ、お好きな席に」とおだやかな笑顔で迎えた。


 聞かなくてもそれぐらいはすぐに察するのがプロ。




 さっきの洋食屋もサービスは悪くなかったが、基本、ファミレスまがいのところしか行ったことのない、貧乏学生のお一人様の行く場所じゃなかった。


 それにくらべたら、こっちの居心地のいいこと。




 そこでカウンター席についた草壁が、乏しいカクテルの知識をひねくり回して、何を飲もうかと考えていたところ、ちょっと離れたところで、いきなり自分を呼ぶ声が聞こえた。



「あれっ、草壁クンじゃないか!どうしたの?こんなところで?」



 見たら、フチにイチゴの飾りをつけた幅広のグラスから、名前はよくわからないがイチゴミルクみたいな色をしたカクテルをストローで飲んでいる客がいた。




 よく見たら、藤阪公司だった。

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