第185話 サンタとマフラー ⑤

 結局、その後、ゆかりはこのケーキを食べれなかった。



 その日のシフトは、渡辺、福田、草壁、そしてゆかりということだったが、仕事中に渡辺に食われてしまったのだった。



「渡辺君どこ行ったの?」


 と大声で呼んだところ、口のまわりを真っ白にしながら厨房の奥から出てきたときにはさすがのゆかりもその場にへたり込んでしまった。




 だが、仕事自体は無事に終わり……




「あの……ゆかりさん、この前から機嫌ちょっと悪くないですか?」


「別に、悪くないです」


「けど、今日は口数少ないし」


「今日はショックなことがあったからです」



 そんなことを話しながらゆかりは、草壁とともに、ひまわりが丘へ帰るべく駅へと歩いていた。


 本当なら、愛車である青のラパンのハンドルを握っているのだが。



「そういえば、ゆかりさん今日はクルマじゃないんですね?」


「私のウサギちゃん、弟が貸してくれっていうから貸してあるの」


「へえ……」



 彼女とデートだとか。



「ショックなことって、渡辺がケーキ食べられたことですか?」


「もう、名前書いてないから大丈夫だと思ったって、本気で言われたときには私、目がクラクラしちゃいました」



 駅まではゆるやかな坂を下って15分も歩けばつくような道のりだ。


 こんな夜は、普段静かな住宅街の家々もイルミネーションを輝かせているところがチラホラあって少し明るく賑やかだった。



 しかし、ゆかりが少し機嫌が悪いのはケーキだけのことではなかった。


 そう、マフラーだ。結局、クリスマスも終わろうとするのにもう渡すきっかけはつかめなかった。


 昨日、恵からプレゼントをもらっている草壁を見て、半分腹立ち紛れにラッピングも破ってしまっている。


 今さらどうしようもないまま、今も自分のバックに仕舞いこんだままであった。



「そういえば、草壁さん、今日はマフラーしてないんですね?」


「それほど寒くないじゃないですか?天気もいいし」



 草壁の言うとおりだった。


 この時期、夜更けすぎに雪でも降ってくれたらクリスマスムードもさらに盛り上がりそうだが、残念というべきか昨日も今日も暖かい夜だ。


 見上げると、冬のオリオン座の3連星が澄んだ夜空にくっきりと輝いていた。




「じゃあ、ゆかりさんは今年はクリスマスケーキは?」


「食べ損ねました」


「それなら、ひまわりが丘についたら、ケーキ屋探してみませんか?僕も今年は食べてないし、部屋に帰ってみんなで分けましょうよ」


「あっ、そうですね。今だったら売れ残りが安く手に入ったりして」




 という訳で、ひまわりが丘の駅に降り立った二人はさっそく駅の北口、つまり商店街や自分たちの住むマンションのあるほうとは反対側に出てみることにした。


 商店街に気のきいた洋菓子屋はない。それにくらべて、北口にはコジャレタ洋菓子屋がいくつかあるのは知っていたからである。




「あやちゃんがね、この辺でイチオシだっていうお店があっちの通りにあったけど、やってるかしら?一度モンブラン食べたけど、おいしかったですよ」



 有名店では、予約販売のみというところもよくある話なので、簡単に売れ残りが手に入るかどうかは分からないが、どうせ食べるならおいしいところのがいいということで、二人はとりあえずその店を目指してみた。



 時間帯としては営業そのものが終了している可能性もあるのだが。




 立地ではなく完全に味で勝負しているようなその店は、賑やかな表通りからは少し入った路地裏というような場所に並んでいるのだった。


 二人は駅を出るとすぐに、細い路地へと入り込んだ。


 あんまり土地勘がない二人。だが、方向さえ間違わなければ道というのはどっかに続くモンだろうと思って歩いていると、じきに見知らぬ場所に出てしまった。



 まだ駅の近くだが、商店の並びが途切れて、一戸建てやマンションが道の両側に並んでいるようなところだ。自動車一方通行となっているような細いアスファルトの通りである。




 軒並み並ぶ商店のネオンやライトアップされた街路樹のあかりのせいで夜でも眩しいぐらいのオモテ通りから少しはいるだけで、まばらな街灯がともるだけの薄暗い路地であった。「痴漢注意」のポスターもさもありなん。




 二人の靴音だけがやけに響くような、粛としたそんな夜道を草壁とゆかりが歩いていたときである。



「おーい」



 やけに弱弱しい声が耳に入ってきた。道路脇の家から洩れるテレビの声かとおもうぐらいに小さなその声。二人がそちらをちらっと見て、途端に揃ってギョッとなって立ち止まった。



「あんたたち、ちょうどよかった。いいところに通りがかってくれたよ」



 汚れた入居者募集の張り紙がペタペタと何枚も壁に貼ってある、すこし古びた賃貸マンションに両側を挟まれたその場所は、いちおう公園のようだった。


 遊具らしいものはなにもないが、中央の灯火が地面に敷き詰めたストーンタイルのカラシ色したオモテをぼんやりと照らしている。


 元は小さな民家でもあったその跡地を都市計画法とかそんなもののために、無理矢理行政が公園にしちゃったみたいな小さなスペースである。



 その公園のど真ん中、ちょうど灯火の下に、焦げ茶色をした全身タイツ姿のオジサンが突っ立っていた。


 オジサンの前には全身タイツと同じ色の長机にパイプ椅子が一脚。ここからでは何の箱かよくわからないが、足元に空き箱が10個、いや20ぐらい、口を無造作に開けたままアチコチ転がしてある。



 そのオジサンの恰幅がちょっといいせいか、クリスマスのブッシュドノエルが立っているのかと、その色味から思った。



「そこのあんたたちのことだよ!いいから、こっちおいで!」



 ちょび髭生やしたオジサンが、アタマの先まですっぽりと包み込んだ着ぐるみから丸っこい顔だけ出しながらしきりにゆかりたちを手招きした。


 見渡したところ、他に人通りもないこの辺りである。



 多少不審には思ったが、怪しくはあっても、危なそうな雰囲気がないものだから、草壁とゆかりは手招きに応じて、その公園へと入っていった。



 近寄ってみて、オジサンの着ている全身タイツがなんなのかわかった。


 これはトナカイの着ぐるみだ。


 が、シンボルのはずのトナカイの立派な角は、芝エビみたいなのがちょこんと乗っているだけなので近づかないと分からない。


 それも、近づいて頭に角があるとわかるのじゃなくて、首元のチョーカーから、小さなクリスマスリースらしき飾りものがぶら下がっているのを見てようやく正体が推察できる、というような着ぐるみであった。



 


「よかったよ、やっと人が通りがかってくれた」



 まるで遭難した人みたいなことを言うトナカイオジサン。


 だが、近づいて顔をよくみると、ホントウに遭難していたみたいに衰弱しきった顔をして肩で息をしていた。



 が、口の周りが真っ白に汚れているのであんまり深刻な感じがしない。というかこんな街中で遭難なんかありえないだろうが。




 草壁とゆかりが公園に足を踏み入れると同時にオジサンが机の上に置いてあった箱を指差し


「ケーキもらってくれんか?」


 と言った。




 近づいて良く見ると、トナカイオジサンの足元に散乱しているたくさんの空き箱と同じ箱である。



「どうしたんですか?」



 突然のことに驚く草壁。もらってくれと言われてもいきなりそんなもの、言われもなくもらえるわけもない。もちろん隣ではゆかりも目を丸くしていた。




「聞いてくれ……」


 そういいながら、トナカイオジサンはパイプ椅子に座った。公園のど真ん中に広げていた長机の上には半分ほど食いかけのクリスマスケーキが置いてあった。


 なぜかはよくわからないが、トナカイオジサンはそこでずっとケーキを食べていたようだった。


 椅子に座るなり、黙々と食べさしのホールケーキの断崖にフォークを差し入れ、そして掬い取った固まりを口に文字通り押し込む。


 時々、エヅイたような唸り声をあげながらも、手と口を休めない様子はまるっきりフードファイターそのものである


 虚ろな目にはうっすら涙が滲んで見えた。




「私は、ケーキ職人なんだ」



 必死の形相でケーキを口に押し込みながらオジサンが話だしたときである。



「あっ、雪だ」


 ゆかりの声に思わず目を上げてみると、夜空から白いものが舞い降りてくるのがわかった。


 風のないその夜に、花びらのようにゆっくり降りてきた雪片がとても軽やかに地面に落ちた。粉雪というのは冷たく、そして積もりやすいものだ。



「今日は、わりとあったかいと思ったら、急に……」


 草壁もゆかりの隣で舞い降りる雪の行方を幾筋も追いながら驚いていたが、ケーキに必死のトナカイオジサンはそんなことはどうでもいいようだった。


 聞いてもいない話を勝手に続けだした。




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