第186話 サンタとマフラー ⑥

「どうして、ケーキ屋がこんなところでケーキを食べているか知りたいだろ?」


 別に知りたくない。というか、ケーキ屋じゃなくてもこんなところで一人でケーキを食べている人なんていない。



 が、そんなことお構いなく、トナカイオジサンはケーキを口に押し込みながら話を続けた。



「毎年のようにこの時期になったらケーキを作っていたが、去年思った以上によく売れたんだよ。イブの夕方には作った分が全部売り切れちゃって、せっかくうちのケーキを楽しみに買いに来てくれたお客さんががっかりした顔で帰ってゆく姿を何人も見ちゃったんだ。


 それがあって今年はがんばった。


 いつも以上にたくさん作った。だが、一緒に店をやっているうちのカミさんは売れ残ったら大変だからそんなに作るなと言うんだ。


 けど、私は商売人じゃなく職人だ。去年みたいなお客さんをもう一人も出したくない。カミさんに、大丈夫だ全部必ず売れる!とそう大見得きって、いつもより大量にクリスマスケーキを作ってしまった。


 だが、イブの夜の商売が終わってみると、作ったケーキが大量に余ってしまった。


 怒ったのはうちのカミさんだ。もうクリスマス当日になったら、そろそろ半額にしないと売れなくなってくるが、それでも今日は朝から誰一人クリスマスケーキに見向きもしなくなってしまった。


 売れ残りをすべて捌くまで家に入れないと言われてしまった。そこで、こうして、残ったケーキを持って私は売りに出ているんだ――」



 トナカイオジサンの独白の間、降りしきる雪は、その勢いを増していた。


 が、草壁もゆかりも目の前で、聞かれもしない話を一人で話しながらケーキを食べるおじさんに目が釘付けとなっていたせいで、そのことにはあまり気がついていなかった。


 アタマの中では、いっぱいのクエスチョンマークが乱れ飛んでいたせいでもある。



「――しかし、ケーキは売れない」



「こんなところで、そんな格好の人から誰がケーキ買うんですか?」



 非常に冷静な草壁の突っ込みだったが、オジサンには聞こえていない様子だ。そのうち、スポンジくずをボロボロこぼしながらも、ケーキのほうは残り4分の1ほど残すばかりとなっていた。



「もはや自腹を切るのは仕方ないが、職人として自分の作ったものを捨てるなんてことはできない」



「それで、ここでずっとケーキを売らずに、食べてたんですか?」


 オジサンの事情をあらかた理解したゆかりが驚いた。



「ようやく、これだけ食べた。しかし残った最後の一個はもう喉を通らない……限界だ……」


 オジサンの目の前のケーキは、フォーク一刺し分ほどにまで減っていた。


 そして、机の上にはオジサンがもう食べることのできない最後の一箱のケーキとその小さなケーキ片だけが残ることとなった。



 頬の辺りまで生クリームの白い跡を点々とつけたまま疲れきったような様子のオジサンが、まるで今わの際の遺言でも言い残すように『限界だ』といい終わったあと、最後のひとかけらのケーキを口に押し込んだ。



 見ていると、その一口はもう咀嚼することもせずに一気に飲み込んでしまった。




 やがて、うつろな目のまま、しばらく宙を見つめていたオジサンがようやく発した一言



「積もったか……どうりで寒いわけだ……」



 という呟きに、やっと我に返ったようになったゆかりと草壁がふと、あたりを見渡してみると公園は一面真っ白な雪に覆われていた。


 そのかわり、オジサンが独り言を言いながら黙々とケーキを食べていた間、まるで炭酸水の中を泳いでいるみたいにも見えた粉雪の勢いが、いつのまにかぱったりと止んでいた。


 公園灯の向こうの夜空は、やはり何事もなかったみたいに綺麗に澄んだ星粒を輝かせていた。



 ただ、さすがに雪が降っただけのことはある。


 気がつくと、急に冷え込みを感じた。かじかんだ指先がちょっと痛かった。



「マフラーしよ」


 最後の一口をやっつけ終わったオジサンが、足元に散乱した箱を片付けている様子を目の前にみながら、草壁は自分のカバンからあの白いカシミヤマフラーを取り出した。



 何気なく、そのマフラーを見たゆかりがそこにあるものを発見した。「あっ、ちょっと貸してください」と草壁の手からマフラーを取り上げると、表面についていた小さなゴミを摘み上げた。


「ほら、糸くずついていますよ。このマフラー白いからこういうの余計に目立ちますね」



 そのとき、急に一陣の強風が二人の足元から立ち昇った。


 二人の前髪がふわっと翻ると同時に、ゆかりの手にあった白いマフラーをその風が奪い取るようにして空高く吹き上げてしまった。



「あっ!!」



 一瞬で白いマフラーは夜空高く舞い登ってゆく。漆黒の夜空に長く白いシルエットをくねらせている姿は、ヒレの長い深海魚が立ち泳いでいるようだ。


 やがて、風が途切れたのか、急にガクンと空のある一点で止まると、こんどはすごい勢いで地面に落ちてきた。




 雪白のカシミヤマフラーが、降り積もった公園の雪の上に落ちた。


 まったく同じ色の中に紛れてしまったせいで、二人はすぐにマフラーの行方を見失ってしまった。



 そこと思しき場所に二人が近づいて色々と探してみたが、どうしても見当たらなかった。


 こんな小さな場所のどこにもないなんておかしい。それとも、いつの間にか、またどこかに吹き飛ばされたのだろうか?



「このへんのはずなのに、どこにもない……」



 積もっていると言っても、一歩雪を踏みしめれば靴跡で雪が消えてしまうぐらいのものでしかない公園の雪の上のどこをどう探しても、不思議なことにマフラーは見つからなかった。


 二人で、あちこち探しているうちに公園のほぼ隅々まで積もっていた雪がすっかり靴跡で汚れて白いところなんかなくなってしまっているのに、である。



「ごめんなさい」


 申し訳なさそうに俯くゆかり。しかし、草壁は笑っていた。あんまり気にもしていないようだ。


「いいですよ。別にあれそんなにお気に入りの柄でもないし。ちょっと派手かな?って気になってたし」



「もっとありふれたもののほうがいいですか?」


 草壁の言葉を聞いたゆかりが、少し恥ずかしそうに俯いた。まるで告白でもするみたいにモジモジしている。


「ん?」


「あの、お詫びと言ったらなんですけど、わたし買ったものがあるんです。このマフラー。まだ使ってないんで、あれと比べたら安物ですけど、よかったら……」



 かじかんだ指先でちょっと慌てているものだから、少し乱暴な手つきで自分のカバンをまさぐったあと、ゆかりはあの自分が買っておいたマフラーを取り出した。


 むしろ、包装破っといて正解だったかもしれない。


 草壁は、急に嬉しそうな顔をしてマフラーを取り出したゆかりの様子にちょっと呆気にとられていた。


 なんで、そんなに嬉しそうなんだ?



「これ、もらってください!」


 ベージュ地のチェック柄のマフラーをゆかりから草壁が手渡されたときである。



「どうぞ、もらっておくれ……」



 二人が必死にマフラーを探している間、即席ケーキ販売所の店じまいをすっかり終えたオジサンが、折りたたんだ机と椅子を小脇に抱えて二人の下に近づいてきて、最後に残った手付かずの一箱のクリスマスケーキを二人に手渡した。




 オジサンは最後のケーキを手渡すと、あっけにとられる二人を公園に置き去りにしてイソイソとどこかに帰って行った。



「やれやれ、やっと全部さばけた……ゲップ!……もうケーキ見たくない……ケーキ屋だけど」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 マンションに帰った二人は、さっそく草壁たちの部屋で件のケーキを食べることとなった。



 そのとき、このケーキを食べたツルイチが


「これは、なかなかいいケーキですよ。私は昔、ケーキ屋にいたからわかりますけど、この大きさでこの味なら5000円は下りませんね」



 と言い出したときには、その値段とこの同居人のギャンブラーの次から次へと出てくる多彩な過去に目を丸くしたものである。




 が、ツルイチのそんな経歴はさておき、確かに結構お高いケーキには違いないとは食べてみてわかった。



 円筒形をしているのだが、幅より厚さがあるせいで、洋食のコック帽みたいな形をしている。


 中身はクリームだけでなくチョコレートクリームが段々の層になったちょっとしたミルフィーユ状。使ってあるフルーツもフレッシュなものばかり。塗りこんであるドライフルーツがクリスマスのイルミネーションみたいにカラフルで、丁寧に何層にも重ねてあるスポンジには、シェリー酒の香りがほんのりとしていたりする。


 こんなものを何十個も無駄に作ったら、そりゃ奥さんに怒られる気持ちも分かる。



「おいしい!」



 とうとう今年はクリスマスケーキ食べ損ねたと思っていたゆかりも、思わず頬を緩めるようなおいしさのケーキだった。



 ただ、草壁はちょっと疑問に思った。



「けど、あのオジサンが食べてたのって、これでしたっけ?」


「あっ、たしかに、ちょっと違うものだったような……」



 大満足のケーキにありつけたはいいのだが、公園でのことを思い出した二人がちょっと考え込んだ。



 二人があの公園でチラッと目にしたトナカイオジサンの食べてたクリスマスケーキはたしか、表面が擬宝珠アタマをした生クリームのデコレーションにぐるっと囲まれたものだったはず。


 そういえば、ヒイラギのかざりが机の上にいくつも散乱していたのも目にしていた。



 ところが、二人がもらった箱に入っていたケーキというのは、円筒形に成型した生地のまわりを真っ白な生クリームでのっぺりとコーティングしてあるだけのシンプルなものだった。


 表面をペタッと塗り均しておしまい。デコレーションなるものは表面にはない。そのかわり、ナイフを入れたらさっき言ったように、味に関してはとても手をかけてある本格派。それだけに高いと、ツルイチは言うのだ。



 ただ一つ、、マジパンでできたサンタの人形が雪原のようなケーキの真ん中に立っていることだけが、唯一の飾りなのだ。



 


「なんでもいいか?こんなにおいしいケーキただで食べられたんだし」



 草壁はそう言って、真っ白なマフラーを巻いて笑っているサンタを口に放り込んだ。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 完全に余談だが、その後、草壁はあの白いマフラーを古道具屋「宇宙堂」の茂夫叔父さんが巻いているのを目にした。



「おじさん、そのマフラー?」


「これか?いいだろ?奮発して買ったんだよ、暖かいぞ」


「ウソばっかり。それ駅の裏で拾ったんでしょ?」


「なんで知ってるんだ?」





第38話 おわり

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