第177話 ズルイ女 ③

 それから、3人組と別れた草壁が、すでに陽もとっぷり暮れた暗闇のなかで、ポツンと明かりを漏らしているオンボロ寮の一室にやってきた。


「こんばんわー。ごちそうになりにきました」



 努めて愛想良く中に入って行った。行けばもう鍋がグツグツコンロの上で湯気を立てているだろう。と思っていたし。


 が、


「いらっしゃいませ。草壁さんも手伝ってくださいね」


 部屋のちゃぶ台の上で、あやがまだ鶏肉団子を丸めているじゃないか。



「今日は順調だったみたいですね。時間がいつもよりちょっと早いみたいで」


 こちらは玄関脇にすえつけてある小さな流し台の前にたって、脇でグツグツ言っているまだ具材もなにも入っていないダシスープをオタマでかき回しているゆかり。


 見たところ、調理が進んでいないみたいだぞ。まだまだこれからみたいな様子じゃないか?




 とりあえず、部屋に上がりこむと、ちゃぶ台の前のあやが草壁に包丁とまな板を差し出す。


「お野菜、切っちゃってください」



 ちょっと待ってくれよ。今まで2時間も3時間もなにやってたんだ?


 と思って、ちゃぶ台の上を見た草壁が叫んだ。



「あっ、遅い遅いと思ったら!」



 見ると、あやに無理矢理買わされたお高い輸入もののカマンベールチーズが見事に、外側のカビのところだけ残して中がみんなえぐり取られてしまっている!


 一緒に買ったクラッカーも中身がない。


 うわっ、ビールの空き缶が3本も……。



「今まで二人で飲んでたんですか?」



「何もせずに呑んでたみたいな言い方しないでくださいよ。チャンコの鶏スープを煮出す時間潰しです」



 ゆかりがシレッと言うのだが、なら今まで野菜が手付かずで放置されているのはどういう意味か聞きたくなる。



 この状況に一人ぶつぶつぼやく草壁だったが、女子二人はそれは無視してとっとと仕事を押し付ける。


「野菜切るぐらいで文句言わないの!みんなで食べる鍋なんだから」


「なら、このなくなったカマンベールチーズはどういうことですか?」



 が、抗議をしたってもう後の祭りだ。


 台所とも言いがたい小さな調理スペースは、ゆかりがスープの味つけのために使っている。二人で並んで作業する余裕などはなかった。だからこそ、あやはちゃぶ台の上で鶏団子を丸めているのだが、野菜を切る草壁もそういうわけで、ちゃぶ台の上での作業となった。



 正座で野菜を切るというのははじめての経験だ。



「けど、洋式のキッチンが普及する昭和の初期の頃までは、土間の上にまな板を置いてそこで切りモノしてたらしいですよ」



 あやが豆知識を披露した。そんなことはどうでもいい話なんですがね。



「はい、じゃあこれ、お野菜さっさと切っちゃってください」


 袋に入ったままの野菜をあやから草壁が手わたされたときである。


 背中を向けて台所に立っていたゆかりが、振り向きもせずに、サラッとこんなことを言い出した。



「あっ、私もちょっと野菜買ってきたんで、それも切っておいてください」



 ん?ゆかりさんが野菜買ってきた?どうして?分担は肉野菜以外じゃないの?


 意外なことを言い出すもんだと思って、草壁がキョトンとしていると、ちゃぶ台を挟んで目の前に座るあやもそんなことを今まで知らなかったらしい。


「えっ?ゆかりさんお野菜買ってきたんですか?なんで?」


 と、ちょっと驚いていた。



「その隅っこに袋あるでしょ?草壁さんのずっと右手に。その袋に入ってますから」


 相変わらずこっちを見ずに、ゆかりが言う。心なしか冷たい響きが……。けど、向こうを不機嫌にするようなことをしたつもりはこれっぽっちもないし。



 言われたとおり、右手を見るとたしかに部屋の隅っこに、スーパーの袋が置いてある。


「これですか?」


 と手にとってみるが、ちょっとずっしりとした重さはあるが、たいして中身は入っていない。中身があんまり透けていないので、白い袋の中身がなんなのかすぐには分からなかった。



 そこで、ちゃぶ台の上で中身を取り出してみたところ。




「……」



 袋の中から出てきたその野菜を見て、あやと草壁が揃って黙り込んだ。




 大根だ……。しかも見覚えのあるでっかいキズがある。これは間違いなくあのときのスーパーの特売品だ。




 一瞬だけだが、自分がしたと同じ失敗をしてうっかり知らずに買ってきたのか?と思った草壁だが、目の前のあやが、サラダの中に青虫見つけた人みたいな顔をしているので、咄嗟に理解した。



 チラッと、左手に目をやる。


 ゆかりはさっきからずっとこっちを見ずに黙々と調理に夢中みたいな様子だが、これは違う。わざと喋らないんだ。


 つまり、例のアレだ。


 またかよ、この人は……。



 この大根が発しているメッセージ――


”さきほどは、お二人そろって仲良さそうにお買い物していましたね?楽しかったですか?”


――だ!




「草壁さん、早く切ってくれないとお鍋いつまで経っても出来ませんから急いでくださいね。こっちはもうスープ出来上がりましたから」



 3人でいると、これという話題がなくてもなんとなく賑やかなのだが、しばらく妙に静かな中で、草壁が野菜を切る音だけが響いていた。





 とは言え、作業自体は切るのみ。


 ザックザックとやっているうちにものの10分で仕込みは終了。


 あやが家から持ってきたちゃぶ台のIHヒーターの上に、丸々一羽分の首つき鶏がらが中でゆったり泳げるほどのアルミ鍋をセットしたら、あとは具材を入れて火が入るのを待つばかり。



 本当は土鍋でも用意できたら少しはそれっぽくなるだろうが、ここであんまり贅沢は言えない。


 両手持ちのちょっと使用感のあるそのお鍋でグツグツやっていると、町内会でトン汁でも炊き出ししているみたいな素朴な雰囲気になる。それでも厨房から貸してもらえただけで、よしとしよう。




 ヒーターの上にお鍋をセットすると、菜ばしを握ったゆかりが準備の揃った食材をキチンと鍋に入れてゆく。


「あら?大根ないけど、どうして?」


「あ、あれ、痛んでたから……」


「あ、そうなの。知らなかった」



 さあこれから鍋パーティだということで、ちゃぶ台を囲む3人だったが、ゆかりのあの大根が登場してから若干、空気が重い。


 じゃあ、あとは、仕上げにちょっとバターを落として風味付け。あとは10分もあったら大丈夫かしら?ちょっと待ってましょうね。



 と言って、ゆかりが食材を詰め終わると鍋の蓋を落とす。


 そして、ちゃぶ台を囲む3人は、お鍋をなぜかジッと見ながら、再び黙り込む。



 段々と居たたまれなくなったあや。そっと隣のゆかりのもとへ近づいて、彼女に耳打ちをした。



「あの……ゆかりさん、駅前のスーパーにあのとき居ました?」


「あのとき?ってなんのとき?」


 あやがちょっと釈明しようとすると、ゆかりがわざととぼける。草壁は仕方ないので、「あっ、ここもうまいなあ!」って言いながら、残ったカマンベールのカビの部分を摘みに、一人でさっさとビールを飲んでいた。




 そのとき、部屋のドアをノックする音が。



「はい、どなたですか?開いてますからどうぞ」



 ゆかりの呼びかけを聞いて、のっそりとドアから顔を覗かせたのはツルイチだった。



「草壁さんからちょっと聞きましてね。若い人の集まりにあんまりお邪魔するものじゃないとは思ったんですが、楽しそうなのでつい。……これ、つまらないものですが、手土産がわりにどうぞ。それから、草壁クン、言ってたシラタキも買ってきましたよ。これでいいんですか?」



 手土産に一升瓶抱えてきたのはいいとして、このオジサン、なぜかいっしょにギターまで抱えている。


 一体、こんなものどうしたんだ?


 が、そのときにはそれは謎のまま放置された。




 ツルイチの登場で一応、場の雰囲気が盛り返した。


 草壁はルームメイト。ゆかりはお隣さんで草壁たちの宴会にちょいちょい顔を出しているので随分と顔見知り。だが、あやだけは初対面。



「どうも、本名は鶴山寿一ですが、アダ名のツルイチで結構ですから」


「こちらこそ。お話はゆかりさんから、いろいろと聞いてます」



 と初対面同士がペコペコしている横では



「急病の板前さん知ってるでしょ?代打でしばらくの間ここで働くみたいです」


「昔ここに居たんですか?本当にいろいろな経歴の持ち主ですよね」



 驚いたゆかりと草壁のほうは、それまでのいきさつはあっちに置いて普通に会話が弾みだした。





「えーっ、本日は、お若い方々の宴席にお招きいただき、恐縮でございます。年は、親子ほども違いますが、今宵は、無礼講ということで一つよろしくお願いいたしたいと思います。それでは僭越ながら乾杯の音頭を取らせていただきます」



 とりあえず乾杯の音頭をお願いしますとツルイチに振ってみたら、立ち上がって妙にしか爪らしい挨拶を真顔でやりだしたときには、それ以外の3人も面食らったが、それでも


 乾杯!!


 と、それまでの雰囲気は仕切りなおしで賑やかに鍋パーティーが始まった。

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