第174話 双葉荘奮闘記 ⑥

 そんなこんなで、いつも以上にドタバタしながらも無事、チーム洗い場の仕事は終了の運びとなった。




「みんなお疲れ様!いつものとおり乾杯、いっとこうか!」



 大きなお盆の上に、大きなカチ割り氷を入れたジョッキとブリキのヤカンを乗せてゆかりが一同のたむろするステンレステーブルへとやってきた。



「のど乾いたでしょ?冷たいお茶でもどうぞ」


 っていいながら、一同のジョッキにヤカンのお茶をナミナミ注いでくれるのはいい。が、良く見ると、お茶を注いだ後、マドラーでクルンクルンと中の氷を器用に躍らせながらかき混ぜる。その仕草はまるで……



(ゆかりさん、水割り作ってるみたいな手つき……この人、そんなにスナックのバイトやってたっけ?)



 黙って手つきを見ていた草壁がちょっとびっくりした。お茶かき混ぜるしぐさじゃない。



 それどころか……。


「はい、福田君今日はご苦労様でした」


 っていいながら差し出す手つき。


 片手で底を支え、もう片手はジョッキの脇に添え、相手のほうへ取っ手を向けて差し出す。ニッコリ笑っている様子と相まって、まるっきり飲み屋に飾ってある生ビールのポスターのモデルみたいだった。



 けど、そんなふうにして仕事終わりの一杯を勧められたほうは悪い気はしない。


 福田もちょっと照れくさそうに頭を掻きながらそれを受け取った。




(それにしても、明るくていい子。お姉さんから話は聞いてたけど、ゆかりちゃんそんなに水商売のバイトやってたの?随分慣れてるみたい……。ま!とにかく、おもしろい子だわ!)



 宴会も無事終わり、洗い場が気になったレイコが覗きに来たらそんな様子だった。女将はそれを見ると微笑みながら、誰にも気づかれないようにソッと厨房から出て行った。



「渡辺君、すごい飲みっぷりね?もう一杯どうぞ」


「どうも、すみません。僕、ただのお茶がこんなにおいしいなんて初めて知りました」


「オマエ、今まで ”暑い”以外の理由で汗かいたことないのか?」


 ジョッキ片手に草壁がおもわず突っ込んだ。とにかくコイツは突っ込みどころが満載だ。



「けどなんとかなってよかったですね。一時はどうなることかと思ったけど」


 ジョッキ一杯のお茶を飲み干したあと、いつものコンソメスープを飲む福田。そういえば、今日は最後までコイツも倒れずに頑張ったよなあ。



「今日は君らの動きがいつもより1・5倍ぐらいよかったからね」


 このままちょっとずつ成長してくれたら楽なんだが。草壁もやっと仕事終わりに心の底から笑顔になれるような気がした。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 というわけで、本日のメインのお仕事は終わったわけだが、草壁とゆかりにはまだこのあとも仕事が入っている。



「草壁さんも長瀬さんもお金に困ってるのかな?」


 なんて言いながら洗い場3人組が、仕事終わりに旅館の温泉に浸かっている頃。



 ゆかりは夜勤の人が入るまでホテルのフロント業務。


 そして、草壁はカウンターの軽食コーナーでラーメンをゆでてたりしていた。




 二人のあてがわれた仕事のうち、草壁のほうが一足さきに上がることとなった。



 彼が一人着替えを済ませて廊下を歩いているとそこで、まだ仕事中のゆかりとすれ違った。



 洗い場での私服にエプロンとも、また掃除中のツナギとも違って、今は旅館のサービス係の制服である黒のスーツ姿にタイトスカート。OL風というより、クルマのディーラーとかレストランのサービススタッフみたいだ。


 少しきつそうな胸元にどうしても目がいってしまうが、こうしてお仕事モードで締まった顔をしていると逆にとっつきにくい印象がある。美形というのも、そう思うとオールマイティじゃないのかもしれない。



 草壁のほうは相手が仕事中ということもあるので、ちょっと会釈程度で別れようかと思ったが、ゆかりが彼を見ると、とたんに笑顔になった。


 そして笑うと、急に子供っぽくみえてくる。かわいいい。



「あら、草壁さんはもう上がり?」


「ええ、もうこれでおしまいです。風呂入って寝ます。ゆかりさんは?」


「私もあと40分ぐらいでおしまいです」




 二人きりで話す機会もめっきり少なくなっていた。


 草壁はときどき思うのだった。このまま会わないままで、彼女とはいつの間にか離れ離れになるんじゃないかと。


 と、同時に不思議な感覚も感じる。


 なぜか、顔を合わせるとしょっちゅう会ってたようなとても近しい感覚。


 今も、目の前で「そうなんですか……お互い大変ですね」って言って笑っているゆかりの笑顔はとても懐かしくとても身近な気がした。


 それと、彼女のほうがちょっと何か立ち去りかねているような気がした。


 ひょっとしたら、自分と同じ気持ちなんだろうか?



 草壁は思い切って誘ってみた。


「あの、仕事が終わったらちょっとだけ、僕の部屋で飲みませんか?」


「えっ!」


「軽くお酒とつまみを買ってきますから。ゆかりさんの好きな日本酒も用意して」



 目の前にゆかりが、照れくさそうに目を伏せながら言った。



「そうですね……草壁さんとゆっくりお話するのも久しぶりですし……」




 よっしゃ!オーケーが出た!


 急に元気になった草壁が


「じゃあ、お酒は日本酒とビールでいいですか?あとつまみは適当に買っときます!」



 そう言って小走りに立ち去っていった。




 その後である。


 ニコニコしながらフロントに戻ってきたゆかりが、夜もとっぷり暮れてすっかり静かになったカウンターで交代相手が来るまで間、鼻歌混じりで座っていると



「あっ、長瀬さん、今日は一日ご苦労さま。ところで仕事が終わったらなんだけど」



 もうこんな時間には旅館にはいるはずのない女将のレイコが、普段着のままゆかりのもとへやって来た。





 一方の草壁である。


 その後コンビニに走ってカップ酒とビールと簡単なおつまみを大き目の袋にパンパンにさせて、こちらも上機嫌である。


 本日の両名の宿泊先は、例によって例のごとく、双葉荘のオンボロ寮。


 すっかりここの住人みたいになっているゆかりの隣の部屋が草壁にあてがわれていた。以前、ネコとじゃれてたときと同じところである。



 こちらも鼻歌混じりに自分の部屋に戻ってきてから、ゆかりがやってくるのをワクワクしながら待っていたのだが、彼女、いつまで経ってもやってこない。


 気になって隣の様子を伺ってみるが、ゆかりが帰ってきた様子もない。


 一体、彼女どうしてるんだろう?





 ちょうどその頃の葉月家のリビングでは、レイコと嫁の芳江の間ではこんな会話が交わされていた。



「本当に芳江さん、しっかりしてちょうだいね」


「すみません、お義母さま。あそこ、昔は男も女も関係ナシに一緒に住んでたところだから、ついうっかり……」


「今は違うでしょ?大事な姪を、あんなところで若い男と一緒にはさせれないわ」


「おっしゃるとおりです」





 その後、ゆかりからの連絡でことの次第を知った草壁は用意していたカップ酒を一人でかっくらうと


「面白くない!もう寝る!」


 と言って布団の中にもぐりこんだ。




 一方その頃、窓すらロクにない独房みたいなリネン室の中に押し込められていたゆかりも、旅館の売店で買ってきたカップ酒を一人ふてくされながら煽ると


「面白くない!もう寝る!」


 と言いながらフテ寝したそうだ。





第36話 おわり

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