第12話 節度ある男女交際 ②

 そんなことがあったその晩のこと。


 草壁のもとに、実家の母親から電話がかかった。



「あんたも知ってるでしょ?古道具屋の茂夫おじさん」


「……うん」


「前のお店が、再開発事業のために立ち退きになったって知ってたっけ?」


「知らない。けど、あの叔父さんのことはどうでもいい」


「どうでもいいなんて言わないでよ。一応親戚じゃないの!それでね、新しいところで、お店開いたんだって」


「そんなのどうでもいいから」


「そうじゃないのよ!別に、あんたとそんな世間話したくて電話したんじゃないの!」


「じゃあ、何?」


「それがさ、あんたの近くらしいのよ」


「ええっ!」


「嫌そうな声ださないで!」


 来なくていいよ、あんなの。


「なんでも、ひまわりが丘の商店街で、お隣がピアノ教室だって言ってたんだけど。あんた場所わかる?」



 ……マジか?



 だから祝い酒でも買って挨拶に行っといてくれ、だとさ。




 親戚中から、変わり者で通っているあの叔父さん。顔を合わせると言っても、せいぜい年に一度あるかないかってところだけど、幼心に良く覚えていることがある。


 それは「お年玉」と称して、大真面目に飴玉を1つだけ、渡してくれたときのことだ。以来、あの叔父からは何一つ世話になった覚えはない。



 そんなわけで、草壁も祝い酒を置いて「おめでとうございます」とペコリを頭を下げたらさっさと帰るつもりだった。



「こんにちはー!圭介です!」



 確かに、古道具屋なんて、だいたいがカビくさくて、ホコリじみているようなものかもしれないが、草壁が顔を出してみると、もうなんかその場所で100年も前からずっと商売しているみたいになっていた。



 通りに面した、ショーウインドウには、値打ちがあるんだかよくわからないシミだらけの書や水墨画があれば、その前には中古ゲーム機と、そのハードとは無関係のソフトが並べてあったり。それから、ただ古そうだけの縁の欠けた茶碗が数点、しかも柄や大きさのバラバラなのが、中古の電子レンジの上に並べてあったり。


 外観で一番「らしい」のが、人の背丈ほどある、信楽焼きのタヌキ。これが店先に置いてあるぐらい。まあ、遠目からみたら、老舗の蕎麦屋みたいに見えないこともない。



 中に入っても、店内はメチャメチャ。ヒョットコやオカメのお面が飾ってある隣に、アフリカの伝統工芸品っぽい、ヒヒみたいな顔したお面が飾ってあるかと思うと、自転車、三輪車、それも20年も前に放送が終了したアニメのキャラのものが置いてあったり、江戸時代の頃の古銭も並んでいるが、それも 、ありきたりな天保銭、たいした価値などありはしない。


 店内の空いているスペースに、これでもかと、ガラクタを並べてるわけだが、草壁が見る限りでも、はっきり言って、全部、ゴミ。



 ついでに言っておくと、ここの「古道具屋」なる商売だが、世間一般の古道具屋がどうかは知らないが、ここで扱っているものは、すべて中途半端なものばかりである。



 「骨董商」なのか?と言われると、答えはノー。


 なぜなら、この店主、その方面に目が利かない。



 ならば「リサイクルショップ」なのか?と言われても、やはり多分答えはノー。


 そもそも、リサイクル、なんて考え方がない。それほど手間かけて手入れや修理をそもそもしない。


 とりあえず、使えるなら、売る。……いや、使えなくても、客がうっかり買ってしまうようなら、そ知らぬ顔で売る。



 この「宇宙堂」を一言で言うなら、ホームセンターの超劣化版。


 と言ったところだろうか?


 ナマモノでなければ、衣料から日用雑貨、家電や雑貨、なんでも来いである。




「おお!圭介か!よく来たな!」



 無精ヒゲにボサボサの髪。こけた頬に目だけはギョロリとさせた痩せっぽっちの貧相な男が店の奥から現れた。これがその茂夫叔父さんである。



「……叔父さん……その格好……」



 くすんだねずみ色のスラックスとか、薄汚れたカッターシャツとか、そんなことはこの際おいとく。



 なんでその上から、ビクトリーホールなんて聞いたことないようなパチンコ屋の真っ赤なハッピを2枚も重ね着してるんだ?



「これか?うちも一応、新規開店だからな。晴れの日ということで……」


 つまり、礼服って訳か?


 どんなセンスだよ。なに当たり前みたいに言ってるんだ。


「まあ、それに、ちょっと羽織っとかないと肌寒いしな」


 ええっ!コートがわりかよ?それで一枚だと寒いから重ねてるの?


 まともな服、持ってないのか?



 それから草壁が持参した祝い酒をロクな感謝の言葉もなく、ひったくるようにして奪い取った茂夫が、そのあと、片手持ちのホウキとチリトリ、そして前垂れを持ってきた。



 この変人の普段の様子に、あっけにとられている草壁に向かって。……「これ着けて」「これとこれ持って」とそれらを押し付けた。



 あっと言う間に「宇宙堂」の丁稚、草壁圭介の誕生。



「なんですか?これ」


 言われたら、とりあえず着けてみる。というのはコイツの悪いクセかもしれないが、事の成り行きに呆然としながら、自分の前垂れを指差す草壁。



「その『大吟醸アライグマ』ってのが、これがまたウマイ酒でな」



「……この前垂れの柄のことなんか聞いてません。……けど、ここに書いてあるのは、アライグマじゃなくて、タヌキみたいに見えますけど。ほらそこに立っている信楽焼きにそっくり……」



 草壁、とりあえず言われたままにつけた前垂と店先に飾ってある大きな信楽焼きのタヌキを見比べながら呟いた。


 前垂れの表には、草壁の言うとおり、信楽焼きのタヌキが妙な顔でニヤリとしながら、横向きに突っ立ている、その隣に「銘酒 大吟醸 アライグマ」の文字の意匠。あんまり、うまそうな酒という気がしない。



「そうなんだよ、その昔、この蔵元の社長が『ぜひ世界に通用するようないい酒を作りたい』と真剣に思ったわけだな」


「ほお、そうですか……」


 コイツも、一体なんの話しに引き込まれているのかわけが判らないが、叔父が妙に真剣に話をしだすものだから、つい、うっかり真面目に相槌を打っている。



「そのために、選び抜いた米を、さらにこれでもか!というように、磨きに磨きぬいて、立派な酒をつくるんだと……」


 そこまで聞いて、草壁もこの日本酒の名前の由来に気がついた。ポンと手を叩く。


「なるほど!それで『アライグマ』!」


「そうだ」


「あのアライグマみたいにゴシゴシと米を磨き上げると……」


 思わず、両手をこすり合わせる草壁。



「そうそう!しかし、このとき発注した絵師がアライグマをロクに知らなかったらしい」


「そんなことってあるんですか?」


「まだ日本で『あらいぐまラスカル』が放映される前のことだ」


「エリマキトカゲだって、「どうぶつ奇想天外!」がなければ、きっとみんな知らなかったでしょうからねえ……」


「お前、一体いくつだよ……それで、アライグマの小さな写真を元に書いたら」


「タヌキになったと」


「蔵元では、これはアライグマだと言い張ってるがね」


「へえ」


「それから、大分経って、この蔵元の社長が、孫といっしょに「あらいぐまラスカル」を見てて、『やっぱりうちのはただのタヌキだった!』って叫んだらしいが、もう、この名前と絵でもって、地元じゃ名の知れた銘酒になっちゃってたから、どうしうもなかったという話だ」


「ふーん……それだったら、黙ってこっそり、お尻にシマシマのシッポをつけるだけでいいんじゃないですか?、それで、だいたいアライグマでしょ?」


「なるほど!お前、いいこと言うな!」


「いやあ、それほどでも」




 ……


 ……って、そういうことじゃなくて!



「いや!僕はなんでこんな前垂れつけなきゃいけないかって聞いてるんです!!」


 草壁の話、随分前のところまで戻ります。「なんですか?これ」ってところまで。



「仕方ないだろ、うちの店には制服なんてないんだから」


「制服の制定を望んでいるんじゃありません!」


「このハッピのほうがいいのか?」


「違います!だから、それ脱がなくていいですから!」



「じゃあ、何が不満だ?」


「心底不思議そうな顔しないでください。わかるでしょ。なんで僕が、ここの店員みたいなことしなきゃならいんですか!」


「正式に雇えと?」


「余計いやです。っていうか、僕の話、マトモに聞く気ないでしょ?」


「おまえねえ、叔父と甥っていったら、家族も同様だろ?」


「年に1度も顔あわさない親戚を、親子関係みたいに言わないでください」



「独り身の俺にとっては、甥と言えば、ほとんど実の子……」


「20年間で、飴玉一つしかくれない人がよく言えますね」


「よく覚えてたな」


「帰りますよ。」



 ここで、ようやく、草壁が前垂れに手をかけた。


 それで、叔父のほうも、少しまともになった。



「うちも、まだ開店したばっかりで、人手が必要なんだよ。奥の整理している間、ちょっと店の前掃除して、


店番の一つも頼みたいんだ。お礼はするから」


「初めっから、そういえば良いじゃないですか……」


 そう言って、一度解きかけた前垂れの紐を結びなおす草壁。結局、店員やるのか。




 それから、宇宙堂の丁稚となった草壁、イソイソと店の前の掃除なんかをやりだした。


 やってみて、変なことに気がついた。



 こっちにやってきてまだ、ひと月ほどだとというのに、この商店街の中で妙に自分の顔を覚えられている。


 いつぞやのタコヤキ屋「タコ菊」の主人が通りがかりに、「何やってんの?」と不思議そうな顔で声をかけてきて、世間話をしていると向かいの喫茶店のマスターも、「どうしたの草壁くん?」と、驚いた顔で店から出てきたりして。



 で、その後、噂を聞いて駆けつけたあの商店街の組合長から


「じゃあ君、この店の人だったの?」


 と、たまげられた。


 ……待て、このジイサン、まるで自分のこと知ってるみたいに言うが、ほとんど初対面だぞ。


「えっと、どこかでお会いしましたっけ?それに僕は、ちょっと手伝ってるだけで店の人じゃありません」


「んっ、いや、いや、……そういえば、初対面だったね……そう、そうかい」


 ナンなんだ?



 それから、表の気配を察して、店の奥から顔を出した茂夫の様子を見て、組合長がなんとも言えない顔になって急に言葉に詰まり、その後二言三言お互いに口を聞くうちに、すっかり仏頂面になって世間並みの挨拶もそこそこに、黙りこくって帰っていった。



「大人しいお爺さんだな、ここの組合長さん」


「……叔父さん、わざとボケてるでしょ?初対面で、向こうから何も言ってないのに『自分は今まで町内会費や組合費みたいなものは一度も払ったことがない』なんて言いだすからでしょ」


「まずかったか?」



 しかし、草壁にとって一番マズイのは、この叔父が自分のことをはっきりと「甥」だと言ってしまったことだった。


 こんなのと親戚だと思われるのか……。




 トボトボと立ち去る商店街組合長の仏壇屋の背中を、宇宙堂の店の前に叔父と並んで見送っていると、今度は背後から声がかかった。



「草壁さんじゃないですか?何してるんですか?」



 振り返ると、ゆかりとあやが並んで立っていた。



 不思議そうな顔で目を丸くしながら、前垂れ姿の草壁とその隣の変人を見ているあや。


 隣では、気まずそうな顔で、微妙に草壁から目を逸らして立っているゆかり。


 あっ、ゆかりさん、なんか変に意識してる?声掛けづらいなあ……と、草壁もちょっと決まりが悪いように思っていると、突然、叔父が声を張り上げた。



「なんだ、なんだぁ!この別嬪さんのお二人は!おい、おい、圭介、お前の知り合いか?一体、いつの間にこんな美女二人と仲良くなってたんだぁ!これはこれは、申し送れました、私、この古道具屋の主をしておりまして、ここにいる圭介とは叔父と甥の関係で、もう実の親子みたいにしてましてね……」



 草壁もそんな叔父の隣で、二人から目を逸らして立ちすくむしかなかった。



 固まる草壁の隣で、自分がいかに昔からこの甥によくしてやっているかという、草壁にはこれっぽちも覚えのない作り話を一頻り話した茂夫おじさん。その後、「ちょっと待ってて」と言い残して、そそくさと店の中に引き返していった。



「お、おもしろい叔父さんですね」


 あやが、引きつった笑いを浮かべて草壁に言った。それぐらいの言葉しかこの場合言えなかった。


 そして、他人に気を使ってもらわないといけないような親戚の存在を知られた草壁のほうも、開き直るしかなかった


「ええ、冗談がとても好きな叔父です」



 ところで、二人おそろいということは何かあるんでしょうか?


「私達が二人そろってたら、何かなきゃいけないんですか?」


 いえ、そうじゃないですが……


「実はあるんですが」


 どっちだよ。


「今晩、ゆかりさんの部屋で夕食会でもやろうなんてなってるんですよねえ」


 さっきから喋ってるのはあやのほうばっかり。ゆかりは未だに、若干、表情が固い。



「草壁さん、ゆかりさんの弟さんどうしてるか知りません?あと、いっしょの部屋の鶴山さん?」


「実は、携帯切ってるみたいで、連絡とれないんです」


 と、ようやくこのあたりで、ゆかりのほうも体勢を立て直した様子で口を開いた。


「ああ、アノ二人!それなら朝から揃って……」


 草壁が何気なく口を開いて、ハッとなった。揃って、出かけたということは……


「またパチンコですか?」


 亮作の姉であるゆかりが心配そうにしている。


 ……それとも、日曜だから、競馬のどっちか二択で、間違いない。



「あの子、ちゃんと毎日大学行ってるんですか?」


 お姉ちゃん、パチプロと同居している弟の様子が気になる様子である。


「あっ、はい。ちゃんと行ってます」


 と、草壁はかるーく答えたが、そんなこと細かく知るわけない。


「家でも、勉強してます?」


「ああ見えて、普段は真面目ですよ」


 亮作がどれほど勉強熱心かなんてことも知るわけない。むしろこいつら、最近、暇があったら、酒盛りしていることのほうが多いぐらいだ。とりあえず、適当にフォローしてあげただけ。


「パチンコとか競馬なんて、亮作君の場合、土日ぐらいみたいです」


「け、競馬も……」


 マズイ、一言多かった。


「そ、それも、ほんとちょっとの金額を遊び程度使うぐらいだから、心配いりませんよ」


「本当に遊び程度なんでしょうか?」


「はい。『競馬場で一日遊んで、千円ぐらいで済むんだったら安いものだよ』。なんて言ってましたから」


 これも大嘘。こいつだって、茂夫のことをウソツキ呼ばわりできない。


 先日、ついに食費まで苦しくなってきたといいながら、仕送りまでの数日間、半額セールのスーパーの弁当や、ただのたまごかけご飯をかっ込んでいる亮作を草壁は目撃していた。


 米が気にいらないと言って、百貨店の名店極上ステーキ弁当を買ってきたその数日後のことである。



「だから、心配いりませんよ」


「だったら、いいんですけど……」


 草壁が、ゆかりの弟の普段の行状をこうやって、まったく無責任に無根拠に弁護するとゆかりもとりあえず納得した。



 実は、お互い、ただ二人で気楽に話をしたかっただけで、この際亮作のことなんかどうでもよかったりして。


 そして、二人の空気も、なんとなく、いつの間にかなごんでいたりして。




 というわけで、亮作もツルイチも今晩は外で食べて帰る、ということを草壁の口から聞いた二人。


 じゃあ、今日の食事会、草壁とゆかりのあやの3人でいいか、っていうようなことを宇宙堂の前で話していると、茂夫叔父が、駄菓子の飴玉を2つ持って戻ってきた。



 そして、それを受け取ったあやとゆかりの両名が、なんだか、さっきの仏壇屋の組合長と同じように、言葉少なく、足早に立ち去ってゆっく背中を、草壁と見送りながら茂夫が言った。



「大人しいお嬢さんたちだな。人見知りするタイプか?」


「真面目に言ってるんですか?叔父さんが、食事会、何時にどこでするんだ?とか、親睦を深めたいとか、自分は別に和食でも中華でもなんでもかまわないとか、物騒なキーワードを口にするから、二人とも怖くなって、さっさと逃げたんです。」


「ところで、食事会、いつ、どこでするんだ?」


「絶対、教えません」

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