第5話 welcome to ひまわりが丘 ②


「ごめんね、うちの人が迷惑かけちゃって、これお詫びと言っちゃなんだけど」



 商店街の駅前出入り口に店を構えている、タコヤキ屋「タコ菊」。さきほどのツルイチの連れはここの亭主だった。


 その日、店を一人切り回していた奥さんが草壁にタコヤキを手土産に持たせてくれた。



「バイト代もらって、さらにタコヤキ儲けちゃった」


「よかったじゃないですか」


「帰ったら、いっしょにつまみましょう」


「いいんですか?」


「お近づきのしるし、なんちゃって……」



 無事に、かどうかは知らないが、チラシ配りのバイトも終わった草壁はツルイチとともに、そんなことを喋りながら帰路につこうとしていた。


 商店街の住宅街側の出口を抜けると、自宅マンションまで徒歩で5分ほど。


 その間、不思議に草壁とツルイチの間に会話が続いた。


 案外と、親しみやすいオッサンだなあと草壁は思うが、彼のほうもそう思われているのかもしれない。



 途中、ニットのパーカーにジーパン姿のゆかりがどこかに向かって小走りに走り去ってゆく姿を見た。



 忙しげな様子は、やっぱり引越し初日って雰囲気だ。


 自分の時も、急な買い物に走ったなあ、と思いながら、声を掛けることもできず、ゆかりがどっかに走り去ってゆくのをぼんやりと草壁が眺めていた。



 307号室の自分たちの部屋近くまでやってくると、宅配ピザの配達とすれ違ったので、アレ?と思いながら部屋に帰ると、ダイニングテーブルの上には、さきほどのピザ。


 それ以外にも、フライドチキン、寿司、おつまみ各種に、缶ビールやら、日本酒、ワイン、チューハイ……。



 キョトンなりながら草壁が、そのテーブルについて一人でスルメをつまみ食いしている亮作に聞いた。



「なに、この料理とお酒……」


「今晩、お姉ちゃんとツルイチさんの歓迎会を開くことになってるんだけど……草壁クン、聞いてなかった?」


「お前、またそれか!!」



 それから、亮作の言う、草壁もツルイチも知らない「約束の時間」なる時間があったらしく、その時間の頃になると、おとなりのゆかりも307号室に顔を出すという。



 なんで、そう曖昧かと言うと、3人、ゆかりが来る前にちょいと軽く一杯ひっかけていたから。


 そのうち、主賓がいつ来ようがどうでもよくなりだした。


 主賓が来る前にあんまり出来上がったら悪いので、遠慮してアルコール3パーセントぐらいのライトカクテル缶。いや、主賓が来る前に酒飲んで、ピザに手をつけちゃ、本当はマズイんだけど。



 今日はさあ、いきなりビラ配りのバイトさせられて大変だったんだよ。へえ、草壁クンも大変だったんだね。


引越しのほう片付いた?うん、もう力仕事みたいなのはないから、あとはお姉ちゃん、ゆっくり部屋の整理しながら、とか言ってたよ。へえ……あっ、ツルイチさん、僕がもらったタコヤキはもう食べちゃいましょうよ、冷めたらまずいし。そうですか、じゃあ、お呼ばれして。遠慮してるみたいなこと言わないでくださいよ、今日からルームメイトなんだし。アッハッハッハ!そうですなあ……。



 ところで、草壁はこの時点でまだツルイチさんが何者か知らない。


 そうこうしているうちに、主賓もやってきた。



「おじゃまします」


「あっ」



 部屋に入ってきたゆかりの姿を見て、ほんの少し、酔いが醒めた様な、いや逆に急に酔いが回ったような気分になる草壁。



 さっきは、ラフで動きやすい格好をしていたのが、今度はすっかり着替えてやって来た。



 シックな色あいのカットソーに、ロングスカート。ちょっと太めのベルトを腰にしめて、そして、レース地のショールの掛かった首元に小さなネックレスを覗かせている。


 フォーマルとまでは行かないが、ちょっとした余所行きって感じ。彼氏と情報誌をにらめっこしながら決めた近所のイタリアンブラッセリーでディナー食べに行くんだ!みたいな。


 そして、うすーく化粧をした彼女は、病院のときより、巫女をしていたときより、綺麗に見えた。



 【デリバリーのピザとスーパーの寿司と、スルメにチータラ、魚肉ソーセージを、弟と、見ず知らずのオッサンと、そして2度もほったらかしを食らわせた、間抜けなただの大学生といっしょに囲む会】


 ――に出席するために、これですか?



 と、草壁は思って、ちょっと見とれた。



 そのとき、化粧や香水の匂いではなく、軽くボディーソープのような香りもした。なんとなくだけど、ただの勘で、ゆかりが直前にシャワーを浴びてきたんだなとも草壁は思った。




 というわけで、とりあえず「カンパーイ!!」である。


 こうして、話をしだして驚いた。


 まず、ツルイチさんの素性である。


 いわゆるパチプロ。それだけでなく、休日には競馬もやって、それで生活しているらしい。


 堅気ではないと思った。そうだよな、50も過ぎて、20歳の大学生のルームメイトしてるなんて、それだけでマトモじゃない。



「ぼくの競馬とパチンコのお師匠さん」


「あなた、そんなことしてるの?」


「ぼくのは、ただの趣味だから、ちゃんと学校も行ってるし……」



 亮作のその言葉を聞いて、ゆかりがかなり心配そうな顔をした。なにしろ弟、こんなヤツだし、中途半端に金も持ってるみたいだし。


 尚且つ、どうもゆかりの様子を見ると、実家の両親はそういうのには、けっこう厳しい様子。


 ええとこのボンボンとお嬢様なら、そうかもしれない。


 亮作がゆかりに突っ込まれている横で、ツルイチさん、「彼、なかなかスジいいんですよ」とか、逆効果っぽいフォロー。やめろよ、オッサン。空気よんで合いの手入れてくれないかな?



「ハメはずすようなら、お父さんとお母さんに言いつけるからね」


「大丈夫だから、ほんと」



 お姉ちゃん、怖い顔した。


 彼女、こんな一面もあるんだ。でも、そんな顔もかわいかった。



 そして、また一つ驚いたこと。


 このお嬢様、飲む。かなり、飲む。



「なあ、おまえのところのお姉ちゃん、飲むの?」


 隣に座っている亮作に草壁が聞いてみたが、弟のほうは


「さあ、よくわからない」


 と言う。



 そうかもしれない。お互い20になる前に、別々に一人暮らしするようになったわけで、いくら仲良くてもいっしょに酒の席に並ぶということはないだろうから。



「結構、お酒いけるクチなんですか?」


 と草壁が、目の前でポッキーをポリポリしながら、カシスソーダのグラスをチビチビ傾けているゆかりに聞いてみた。


 その時点では、お酒より甘いものが好きなんです、ってご様子でした。


 もちろん、ゆかりもこう答えた。


「そ、そんなには飲めないです」


 伏し目がちで、彼女はたしかにそのときそう言った。



 そのカシスソーダをいつ間にか飲み干したあと、ピザをパクついているゆかりに、隣のツルイチが聞いた。


「こんど、なに飲みます?甘いのなら、梅酒ソーダなんてありますよ?」


「日本酒あったら、いただけますか?」


 チーズを、うにぃっとさせながら、彼女がそう答えたあたりから、明らかにペースが変った。ギアはこの時点で2速に入った。



 それと、また一つ驚いたこと。いや、驚いたというのは草壁だけで、別に、ただ「そうなんだ……」というだけのことなのだが。


 ただし草壁にとっては、1年前の出会いから、ことあるごとに思い出していた憧れの彼女。しかも名前以外ろくな情報もなかった彼女。


 その女性がどんな人か、ちっぽけなことでも新鮮な驚きだった。



 このお嬢様、現在はピアノの先生をしているらしい。


 そして、草壁より2歳年上とのことも。



「ええ、先生って言っても、主に小さい子相手の初心者向けの教室なんですけど」


 なぜか、そのとき、ちょっと恥ずかしそうにゆかりは言った。



「いいですなあ、ピアノの先生……雰囲気ぴったりじゃないですか」


 ツルイチが隣のゆかりに、日本酒をお酌しながら、笑った。お嬢様、基本的に、お酌は全部受けた。


 一升瓶、もう半分ない。


 それよりも、最初、お猪口も徳利もないというと「コップでいい」という。


 軽く暖めようか?と電子レンジにでも持ってゆこうとすると「冷やでいい」という。


 自分のスタイルというものは、すでにきちんと確立しているらしい。


 飲むしぐさは、かわいらしかった。


 喉を鳴らしながら、グビグビやって、”プッハー”なんて、間違ってもしない。


 まるで、コップの水を飲むみたいに、普通に飲んだ。


 フライドチキンにあまり下品にかぶりつくのは気が引けるらしく、食べやすいところはおちょぼ口でパクっ、そして、食べにくいところは手とフォークを使ったりしながら、細かく骨をはずしから食べようとしている。


 それを見た草壁が


「フライドチキン、食べにくいですよね?」と、言うと、彼女は笑顔でこう言った。


「焼き鳥のほうがよかったかな」


 せめて、チキンナゲットと言って欲しかった。


 おい、カシスソーダとポッキーどこ行ったんだ?


 現在、ゆかり、ギア3速。



 お酒が入ってるせいもあるのか、この美女と、おぼっちゃまとオッサンと、ただの大学生の宴会は、終始にぎやかに続いた。会話も案外続くものである。


 ゆかりも、自分が勧められて飲むだけでなく、まわりの人にお酌をしたりも頻繁にした。


「草壁さんも飲んでくださいね」


 そんなことを言いながら、草壁に梅酒をついでくれるときの彼女の顔は、とてもにこやかでおだやかで、そして艶やかでもあった。


「あ、どうも、長瀬さん……」



 草壁がそういうと、ゆかりがちょっと怒ったような顔をして彼をにらみつけた。


 睨みつけられた草壁、”ん?”というところである。なにか失礼なこと今、言った?



「さっきから、長瀬さん、長瀬さんって、紛らわしいんですよねえ……」


 はあ?どういうことでしょう?


「この部屋には、今、長瀬が二人いるわけでしょ?」


 そのとおりですね


「だから、同じ名前呼ばれても、判りにくいんです」


 そうですか?基本亮作には、『おまえ』なんですが



「……だから、わたしのほうは、下の名前でいいですよ……」


 そういうと、照れくさそうにゆかりは目をそらした。


 そのとき、なんだか、酔いとは別の赤味が頬に差していたように見えたのは草壁の錯覚だろうか。



「そうですか……」


 そういわれた草壁、日本酒のビンを手に持って、ゆかりにお酌しながら


「もっと飲んだら?注いであげるよ、ゆ・か・り」



 水割りとビールを飲みながら、そんなふたりを見ながら、ツルイチと亮作がつぶやいた。


「……あ、ほら、草壁クン、日本酒こぼれちゃうよ……」


「そうですよ、ゆかりさんも、彼の悪ふざけなんですから、もう許してあげたらどうです?」



「調子に乗らないでくださいね」


「ひゅみみゃひぇん、ひゅかひゅひゃん」(すみません、ゆかりさん)


 草壁のほっぺをぎゅっと抓るゆかりと、その格好のまま動けない草壁。


 ゆかりがその手をなかなか離そうとしないし、草壁も無理に振り解こうとしなかったから、お酌している日本酒がこぼれそう。


 怒ってる顔して、嬉しそうな彼女と、痛そうな顔して、嬉しそうな彼でした。


 現在、ゆかり、4速。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「おまえんところのお姉ちゃんさ、お酒、かなりいけるよな?」


「うん、多分そうだよね」




 一口で飲むには、すこし大目なコップの残り酒を、あおるようにして、一気に飲んだゆかり。


 今までになく、勢いよく飲み干したなと思っていると、草壁に向かってこう切り出した。



「ところで、草壁さんの片思いの人って誰ですか?」


「!!」



 突然の質問に草壁が驚いた。だけじゃなくて、草壁の隣の、長瀬亮作も、ゆかりの隣のオッサンも一斉に驚いて草壁を見た。



「な、なんで、分かるんですか?」


 受け答えがなっていない。お前、結婚して浮気疑われてそんな返事してたら、もたないぞ。


 クスクスと笑うゆかり。


「縁結びの神社で大吉引いて、飛び上がっているのみたら、誰だってわかりますよ」



「ああ、それね……」


 亮作が、なぜか訳知りの様子でニヤニヤしている。


「なに、あなたわかるの?」


 ゆかりも面白そうに、弟のほうへ身を乗り出しながら、日本酒をチビリ、いやグビリ。



「草壁クンさ、暇があると、喫茶店出かけて行ってね」


「フンフン」


「アレでしょ?その店のウエイトレスでしょ?僕一度見たことある。」



 草壁、思わず身を固くする。この野郎、ペラペラ喋るなよ。


 それは、自分の片思いをからかわれたからというより、ゆかりの前でその話をするなって気持ちのほうが強かったりする。


 なぜか、彼女にはそのことを知られたくなかった。


 ……かっこ悪いし。



「面白そう!話し聞かせてくださいよ!!」


 と、ゆかりが空のグラスを草壁に持たせる。


 すかさず、そのグラスにビールを注ぐ亮作。息もピッタリな姉弟の連係プレー。


「ベロベロにして、全部聞き出しちゃえ!!」


「……うわっ、泡こぼれる!こぼれる!」


 もちろん、お酌されたら、この男も断らない。そんなこと言いながら、クイクイッとグラスの半分も飲んじゃった。



「で、そんなにしょっちゅう通ってなにしてるんです?」


 ゆかりはすっかり上機嫌の様子で、からかいだした。


 あ、彼女、こんなふうに男をいじめるタイプ?とか思ってしまう草壁だった。


 そして、草壁は断固たる調子で、こうキッパリ言い切った。


「何してるってね、ボクは何もしていませんよ!!」


「草壁クン、そこ威張るとこじゃない」



 毒気の抜かれた様子のゆかり、キョトンとなりながら、再び聞いた。


「冗談抜きで、何してるの?」


「だから、特に何もしてませんよ。お茶飲んで、マスターと喋って、帰る」


 喫茶店に行くっていったら、誰でもそんなものでしょ?とでも言いたげな様子で話す草壁。


 まあ、普通はそれでいいんだけどね。普通は。



「それだけ?」ゆかりの疑問のほうが自然。


 では、なぜこの木偶の坊が、ほとんど無駄足を運び続けたかというとその答えが……



「いいおみくじ引けたから、なにかいいことあるんじゃないかと」



 だとさ。



「それで、馬鹿みたいに、毎日のように通って、彼女とは話もせずに帰る日々を、延々繰り返していたんですか?」


「ば、バカって……」


「今はじめてその話聞いたけど、馬鹿だ!!」


「ゴメンナサイ!私も……そう思う!!」


「きょうだい揃って、人指差して笑うな!」



「いやあ、いい話じゃないですか」


 ここまで話を黙って聞いていたツルイチが、水割りのグラスを傾けながら、しんみりと言った。


 この人、オジサンにありがちな、年上としての経験をひけらかすようなことはしないタイプのようだ。


「ツルイチさん、この話のどこにも人の心の琴線に触れるものはないでしょ?」


「おまえ、そこで、急に真顔で疑問を呈するな!」



「思い出したんですよ……若いときのことを」


 遠い目をするツルイチ。


「淡い恋でした、叶うはずないと思ってました。けど、いつか渡そうと手紙をポケットに入れててね」


 オッサンの昔話のトーンが、いやに低いので、それ以外の3人も、ふと、動きを止めて聞き入った。



「綺麗な人でしたよ。私が言うのも、なんですが。ちょっとした親切をしてもらったのをきっかけに、意識しだしたりして。みんなに明るい子でしたけど、挨拶の言葉交わすだけでも、うれしかったものです」


 へえ……。とか言いようがない。



 考えてみたら、どうということない昔話かもしれないが、そんなツルイチの回想話に、なぜか釣り込まれるように聞き入る3人。


「で、どうなったんですか?」ゆかりが尋ねた。


「どうもなりません。ただの片思いで終わりです」



 話のリズムを取るように、そこで、チビリと水割りのグラスを傾けるツルイチ。


「やがて時間がたって、彼女とは遠くはなれて、それで、おしまい」



「残念ですね……」


 ゆかりも、自然とトーンは落ち気味で相槌を打つ。



「仕方ないです。ボクには彼女の行く高校は無理だったんです」



 えっ……



「草壁クン、40年前の中学生と同レベルだっ!!」


「だから、きょうだい揃って人を指差して笑うなっ!」



「で、こちらはこれからも待ち続けるんですか?」


「そういうわけじゃ……」


 からかうような笑顔のゆかりに、草壁も思わず言葉を詰まらせた。


「そのあや、って子ちょっと見てみたいな、わたし」


「お姉ちゃん、なんでそんなのに興味あるの?」



 ゆかり、ちょっとそこで、言葉を止めて、再び、グイッとコップの日本酒をあおるように飲んだ。彼女の蝋石のような白い喉が、小さくコクンと鳴った。


 そして、草壁を見つめながら、笑顔でこう言った。



「面白そうだから、私、応援してあげましょうか?」



 応援……。嬉しいのか、嬉しくないのか。目の前で、うまくいったらいいですね、なんていいながら、草壁をからかうように笑っているゆかりを見て、草壁は思うのである。


 彼女、何を考えてるんだろう?


 それと、応援って、何をするつもりなんだろう?



「いやあ……そんなことは置いといてさ……」


 亮作は、暢気なものだ。隣の草壁とゆかりが、短い間であったが、妙な様子でじっと見詰め合っていることには気づいていない。だから『そんなバカ話はおいとおいて』というわけで、続けた。



「分からないものだよね、お姉ちゃんと草壁クン、そのおみくじのときに初めて出会ってたなんてさ……あんまり大喜びしている人がいたから、声かけたら、それが草壁クンで……そういう偶然ってあるんだね」



 違う!!!



 草壁が、亮作の言葉にハッとなった。


 僕らはそのもっと前に病院に入院してて――


 そのとき、目の前のゆかりが明らかに困ったような顔をしていた。


 草壁を見つめているが、眼球が震えている。


 草壁に発言を禁止させたいと思っているが、その手段が見つからなくて固まっている。


 言ってはいけないのか?


 草壁は一歩踏み出す直前に、「立ち入り禁止」の立て札を見つけた――。




 そんなことは、あったものの、いわばそれは水面下の話。その後、酒宴のほうは進んで……


 ゆかり5速にはいった様子。



「おい、お前んとこのお姉ちゃん、なんか勝手にここの冷蔵庫あさりだしぞ」


「文句があるんだったら、お姉ちゃんに言ってくれよ」


 つまみが足りない、と言うのだ。まだ飲み足りないということだ。



 トースト焼くとか目玉焼き焼くとか、簡単なサラダを作るとか、その程度の料理しかしない長瀬亮作に対し、草壁は実は、自炊を結構する。


 理由は簡単。お金。



「あーあ、もっと良いもの食べなきゃダメでしょ?」


 お姉ちゃんは冷蔵庫を見ながら、弟に説教しているつもりだが、これ、だいたい草壁のです。


 すみませんねえ、庶民はこんなもんです。


「賞味期限来てるもの、捨てちゃうわよ」


 おっ、待って!!まだ食べれる……


「『半額』なんてやめときなさい……結局、安物買いの銭失いよ。それで節約したみたいな気分になって他所で無駄遣いするだけなんだから、っておじいちゃんの言葉、忘れたの?」


 知りません、そんな「長瀬家家訓」。



 とは言っても、ゆかり、手早く、おつまみを2、3品作ってくれた。


 やるな、お嬢様。


 トマトとナスにとろけるチーズとオリーブオイルかけて、コンガリ焼いたら、イタリアンなおつまみ。


 生野菜をおつまみ代わりに食べるためのディップソースをポンッ。


 シイタケと豆腐はオイスターソース炒めに胡麻油で中華風。


 ビールには、ジャーマンポテトが合いそう?ベーコンないなら、ハムで急場しのぎ、でどう?



 会場はそのままに、2次会突入。



「♪~♪~♪」


 そのうち、一人で鼻歌を歌いだすゆかり。すっかりご機嫌な様子です。


 それを聞いたツルイチが言った。


「それ、『北の宿から』ですね、お若いのに渋い趣味ですなあ……それにお上手だ」


「そ、そんな、おだてないでくださいよ」


「いや、いや、なかなかのものです……ちょっと待っててくださいよ、私もそれを聞いたら、黙っていられなくなった!!」


 それまで、にこやかに若モノの話を聞いて、大人しく相槌打っていたオッサンのテンションが何故か上がった。



 なんなんだろうと見ていると、ツルイチさん、アコースティックギターを抱えてやってきた。


 他の3人、驚いた。


「わたしね、こう見えても昔、流しをやってましてね、こういうの得意だし、好きなんですよ。ゆかりさん、一曲披露してくれませんか?」


 そんな過去もあったのか!


「え、わ、わたし、困りますよ、急に言われえても……あんまり上手じゃないし」


「いやいや、私は分かりますよ、随分いろんな人の歌を聞いてきましたから」



 それを見ている、オーディエンス、草壁と亮作から沸き起こる「ゆかりっ!ゆかりっ!」のコール。


「調子に乗らないで!!」


 そんな弟を叱るゆかり。


 いくら、お酒入ってるからって、こんなところで、ギター1本の伴奏で、一人で演歌歌うのはキツイか……。


「もう!!」


 とうとう、不機嫌な顔をして、そっぽをむくゆかり。


 さすがに、ちょっとやりすぎたか、と草壁は思った。しかし、亮作は酔ってるせいなのか、実弟としての気安さからなのか、さらに図に乗り出した。



 すっと、立ち上がると



”遠く離れた空の下


このひと編みに未練をかけて……”


 って調子で、曲紹介をはじめだす。



「こらっ!亮作!!怒るわよ!!!」



”遠いあなたを思う夜――


 それでは、歌姫、長瀬ゆかりに歌って頂きましょう『北の宿から』”




 実際のところ、ツルイチさんの見立てどおり、ゆかりの歌はとても上手だった。


 年に似合わず、渋い演歌を歌ったわけだが、コブシを利かせず、サラッと唱歌でも歌うように、嫌味のない素直な歌い方をする。


 透き通るような歌声。


 ピアノの先生らしく、音程もはずさない。


 聞いてるほうも、自然と拍手できた。



「でもさ、俺、びっくりしたよ」


 目の前で、ツルイチの伴奏の横に立って歌うゆかり。それを手拍子しておとなしく聞いている、草壁と亮作。手拍子をしながら、草壁が亮作に呟いた。


「何が?」


「お前が調子乗って、曲紹介始めただろ?あのとき、ゆかりさん、目の前でキョロキョロするから」


「へえ……」


「なんです?って聞いたら『魚肉ソーセージないか?』って言うから、これですよって言ってさ」


「うん」


「一応、気を利かせたつもりで、ハサミで、包装のビニールを切ってあげようとしたら『やめてっ!』って」


「そう……」


「けど、まあ、おまえんところのお姉さん、面白いひとだよね」


「ありがとう、草壁クンにそう言ってもらえてうれしいよ、歓迎会を開いた甲斐があった」



 ゆかり、トップギアの夜。


 その夜、ゆかりはマイク代わりに握った魚肉ソーセージをなかなか手放さなかったという。







第二話 おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る