第6話 2 VS 1 ①

こうしてはじまった、ひまわりが丘での生活。カレンダーは4月も終えようかという頃。



 草壁圭介のほうは、住む場所が変ったぐらいで、生活そのものは、それ以前とさほど変わりばえのない、キャンパスと自宅との行ったりきたり。ただ、その距離と時間が延びたぐらい。



 なんで、わざわざ大学の遠くに部屋を借りなおしたの?おまえバカか?


 という友人たちの評判はうなづける。


 彼自身は、そのかわり、けっこういい部屋をお手ごろ値段で借りれて、むしろ今の生活のほうがいいぞ。といい訳していた。自分がバカなことぐらい自覚していたから、薄々は。



 ところで、一方の長瀬ゆかりのほうである.



 ピアノ教室を開くにあたって、実はちょっとした事情があった。


 彼女の先輩がこの近くで、子供相手のピアノ教室を開いていたのだが、旦那の転勤に伴い、教室を閉めなきゃならなくなった。


 そこで、知り合いである彼女のところに、その話を持ち込んだ。


 ただし、最初の話は「心あたりでいい人がいたら、新しい先生を紹介してくれないか」であって、彼女自身に頼んできたわけではない。まさか、彼女自身にはそれは無理だろうとその先輩は思っていたからである。確か長瀬さんって、いずれ実家に戻らなきゃいけないはず。ところが……



 なんだったら、私が面倒見てもいいよ。


 そう言われて、先輩は驚いた。それどころか、本人、なぜかやる気マンマンで、


「実は、その近くに手ごろなテナントがあったから、借りちゃった」


「えっ、もう決めちゃったの?!」


 先輩がびっくりするほど手回しよく、教室を開いちゃった。


 教室もう開いたから、さっさと生徒を渡しね、じゃあ、バイバイ、お元気でね!


 まさか、そう言うつもりでないんだろうけど……と思いながら、ゆかりの話を聞いた先輩、まるで半分教室を乗っ取られたようになりながら、この地を離れたのでした。



 それが3月の下旬ごろのこと。


 その頃は、教室があると、愛車である青のラパンに乗って、教室へ通ってレッスン。


 そして、週に4度は神社でお巫女さんのアルバイト。


 そんな毎日をそれまでの一ヶ月ばかり過ごしていたわけである。


 住居をひまわりが丘に移すのは、その後のこととなる。



 さてその教室、看板に「ひまわりが丘音楽教室」とあるだけあって、実は商店街の中に存在している。



 5メートルほどの間口で、前面はガラス張り、出入り口ドアもガラス扉。


 中に並んでいるグランドピアノとアップライトピアノが外からも良く見えるようになっている。


 チビッ子の生徒と並んでゆかりがレッスンしているときなんかは、おっ、綺麗な先生だ……なんて、思いながら商店街を通ってゆく人も多かったりして。


 教室の中には、その2台のピアノ以外にも、ソファーセットに小さなテーブル。



 見た目、小奇麗だが、それはあくまでアーケードに面した1階部分だけの話。


 実は、3階建てとなっているこの建物自体は、なんと築50年という代物。ゆかり自身も、「怖いから2階より上にはほとんど行ったことがない」らしい。



 ところで、このピアノ教室、一体商店街のどのあたりにあるのかという話のだが……。





「うーん、今日も、お茶飲んで行こうかな?」


 今日も今日とて、喫茶アネモネに行こうかなんて思いながら店の前でサイフを確認している草壁。学校帰りとなるとこの場所を決まって通ので、いつもここで喫茶店のほうを向いてぼんやり突っ立っていることが多い。


 そこへ……


「だーれだ?」


 なんて、背後から草壁の目を、白い手のひらが、ふんわりと包んだ。”目隠し”……なんというクラッシック!実際された人いるんだろうか?いや、する人がいるんだろうか?ここにいるんですが。



 振り向くと、微笑みを浮かべた長瀬ゆかりの姿。


「ゆかりさん!」


 どうして彼女は、振り向くといつも嬉しそうな笑顔をしているんだろう。


「お帰りですか?」


「ええ、はい……ゆかりさんは、どうしてここに?」


 触れた手の柔らかさにうっとりとなりながら草壁が聞いた。少し頬が熱いような気がした。


「わたし、ここでピアノを教えてるんです」



 反対側の喫茶店にばかり気を取られていたし、音楽教室なんて興味のないし。外観だって、シンプルなただのガラス張りに小さな看板がだしてあるだけだし。ここの白いカーテンが今日みたいに両端に寄せてあることもそんなに多くもなかったから……気づかなかった。



 だから、驚いた草壁がおもわず口走った


「なんと、目の前……」


「ん?目の前って、何の?」


 そう、ピアノ教室の目の前には喫茶アネモネ。



「まさか、そのあやさんってウエイトレスのいるお店って?」


「ええっ!その話、覚えてたんですか?」


「覚えてますよ、ついこの前のことじゃないですか」


「あの時、かなり飲んでたから、酔っ払ってて覚えてないんじゃないかと」


「それほど飲んでませんから、忘れたりしませんよ」


 そうですか、一人で一升瓶ほとんど空けたあとも、ワインとかお飲みでしたが、そうですか。本人がそういうなら仕方ない。



 するとゆかり、ちょっと待っててくださいねとか言いながら、一度教室に帰って戸締りすると、すぐに戻ってきて草壁の手を引張って、一緒にアネモネのドアをくぐろうとしだした。



「ちょっと、待って!どこ行こうとしてるんですか?」


「あなたの好きなあやさん見物に」


 完全におちょくるっている。なんなんだよ、このひとは!俺が誰好きだろうと、あんたに関係ないだろ!それにそんなもん見て、そっちに時間の無駄以上のなにになると言うんだ。


 と、草壁は思うものの、妙に照れているのも、初々しいというか。こいつ絶対童貞なんだろうな、っていうような反応。


「なに動揺してるんです。行きましょって!」


「わ、悪ふざけはやめましょう!」


「私は真面目です!」


「そ、それに、今日は出勤してませんから」


「へえ……店の奥にちらっと、女の子立っているのが見えるんだけど。外から見て居ないけりゃ、寄り道せずにまっすぐ帰るんでしょ?で、毎日のようにここ通るようになってから、回数券買って通ってた頃より、出費が嵩むんでしょ!?」


「大きな声で言わないでくださいよ!」


 亮作のボケ!あいつ説教だ!と草壁が焦りながら怒っていたりする。


 ……というか、草壁の反応が、童貞というより、幼稚園児の初恋以下。



「マスター、なんか店の前で草壁さん、女の人ともめてますよ」


「お尻でも触ったんじゃないか?……ああいうタイプは溜め込んだものの発散の仕方が歪んでいそうだし」



アネモネの店内で、そんなことを言いながら、二人を見ていると、なんと女の人のほうが、笑いながら、草壁の手を引張ってやってきたものだから、あやがびっくりした。



「うわあ、綺麗な人……」


「あら、可愛い」



 初対面でのゆかりとあやの会話がのっけからこれ。


 そして、二人、なにがおかしいのか、二人とも顔を見合わせてクスクス笑い出した。そんな様子を見ているマスターと草壁のほうがポカンとなってしまった。


「な、なんだかおかしいですね」


「ね!なんかね……」


 ひとしきり、二人して笑いあったあと、あやがゆかりに軽い調子で切り出した。


「お時間あったら、お茶のんでいきませんか?」


「そうしようかな」


「じゃあ、カウンターにどうぞ」



 ご注文なににします?じゃあ私、アップルティーいただけます?じゃあ初来店のご挨拶がわりにクッキーをサービスしちゃおう!マスターありがとうございます。わたしはこの時間ぐらいには店にいること多いから、ちょくちょく来てくださいよ。そうなんだ、じゃあ、また来ますね。


 ゆかりの着席から、なんだか、アットホームな雰囲気が流れ出す店内。


 ちなみに、今日も、客は他に居ない様子。



「ところで、彼、お客さんになにかしたの?」



 マスターがずっと出入り口付近で、ポツンと突っ立っている草壁を指差してゆかりに聞いた。





「……まっ、よかったよ、警察沙汰でも起こしたんじゃないかと思ってさ」


「こんなところで痴漢するわけないでしょ!」


「『こんなところ』じゃなきゃするのか?!」


 マスターが、草壁にホットコーヒーを差し出しながら言った。さっきから、ゆかりにだけサービスで出したクッキーの小皿をチラチラ見ていることは無視である。こいつにサービスなんかしても、メリットはない。


「まさかとは思うが、まさか彼女とかではないんでしょ?」


「当たり前じゃないですか。ただの知り合いですよ」


 即座に言い切るゆかり。彼女がこんなふうに言い切るときに、少し険があるように草壁には思えて、それが余計に彼にこたえた。



 それにしても、あやである。


 初対面からウマが合う。ということなのだろう。ピアノの先生ってなんかかっこいいですよね?とか目をキラキラさせたりしながら、ゆかりとは瞬時に仲良くなってしまった様子。


 しまいにはマスターから


「あのさあ、いくら彼女以外客がいないからと言って、カウンターに座って話し込まないでよ、あやちゃん」


 とまで言われる始末。


 あっ、僕って客じゃないんだ。


 注文したお茶もそこそこに、あやと話し込んでいるゆかりの隙をついて、彼女のクッキーをつまみながら、草壁は思った。

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