第4話 welcome to ひまわりが丘 ①

前門の美人、後門のハゲオヤジ


 なんだそれ?と言われると困るが、今草壁クンの置かれている状況を手短に言うと、こうなる。



 おい、これ、亮作のヤツ何考えてるんだ。



 草壁が混乱していると部屋の電話が鳴った。



「もしもし……」


 それで部屋に戻って受話器を取り上げる草壁。


 受話器の向こうでは、長瀬亮作ののんきな声。


「あ、長瀬だけど……草壁クンさ……」


 こいつ、何か食いながら電話してるな。しかも、バックになんか音楽が流れている。どこにいるんだ?



「言い忘れてたんだけど……たしか、今日からね、……ツルイチさんって人がルームメイトになるからよろしくね」


「その『たしか』ってなんだ!『たしか』って!ちゃんと把握しとけよ」


 ついでに『よろしくね』の一言でこっちの意思確認とかはナシかよとも思う。



 短いながらも突っ込みどころ満載の亮作の言葉。


 あいつたしか、『なんか一人も淋しくなってきたから』って理由で俺のことルームメイトにしたけど、その理屈でまさかこのまま、見ず知らずの人間、何人も引っ張り込むつもりじゃないだろうな。



 一瞬で、とんでもないヤツとルームメイトになったかもしれないと、背筋が凍る草壁。



「それからさ……これも言い忘れてたんだけど、今日……うちの姉がとなりに……」


「おまえ、言い忘れすぎだ!」


「いやあ、よかったよかった……一応びっくりしないように、前もって連絡入れることが……できて」


「もう、びっくりしたけどな、しかも2回な」


「あ……ちょっと遅かったか……」


「『ちょっと』じゃないよ!」


 野球の走塁じゃないんだから、タッチするまえならセーフみたいに言うなよと思いながらも、勤めて冷静に草壁が続けた。帰ってきたら、説教だ、このおぼっちゃま。



「おまえ、とりあえず早く帰ってこい」


「……今さ、ちょうどプレートに料理のっけたばっかりということなんで!」


 こいつファミレスでモーニングバイキング食ってやがる。しかも、急いで帰るつもりはなしか?


 そして、向こうは通話を強引に打ち切った。



 亮作からほぼ一方的に電話を切られて、憮然としている草壁。すると……



「ああ、思ってたよりもいい部屋だなあ」


 すぐ背後でいきなり声がして、草壁が驚いた。


「うわっ!!」



 ツルイチさん、でっかい荷物を床に下ろして、もう部屋の中に上がりこんでいる。


 おい、オッサン、何勝手に上がってるんだ?と思ったが、考えてみたら、この人もこの部屋の住人だから、いいのか?……いや、ちょっと待て、俺はそんなもん、認めたつもりはないぞ。



 などと思いながらも、なんとなく人の良さそうなオジサンでもありそうだなと思う草壁。


 あれ?待てよ……ということは……



「あっ、鶴山さん……」


「わたしのことはツルイチと呼んでください」


「はあ、じゃあ、ツルイチさん」


 なんだ、そのモッサリとしたアダ名は?


 若干呼びづらいので、なんとかならないだろうか?と思ってる草壁は、もう半分このルームメイトを受け入れてたりする。



「部屋とかどうするんだろう?」


「私ですか?私は、空いているところに寝袋で寝ますから、お構いなく」


 こっちは構うんですがね。



 見ていると、ツルイチさん、でっかい荷物を部屋の片隅に置いて、手鏡覗いて、手櫛で髪をちょっと整えだした。


 で、簡単な身づくろいが終わると。


「じゃあ、私はこれで」


 と言って部屋を出ていってしまった。



 そして、部屋のリビングにひとり残された草壁がポツリと呟いた。



「……ところで、あのオッサン、何者?」



 そんなところに、再び部屋の呼び鈴がピンポーン。今日は忙しい。


 草壁、玄関のドアを開けるとそこに、長瀬ゆかりの姿。



 あっ、どうも、さきほどは……というふうに、なぜか二人とも少し照れくさそうにモジモジしていると、ゆかりが、部屋の奥を覗き込むようにしながら聞いた。



「うちの弟、居ませんか?」


「あ、なんか、今、外出しているみたいですけど」


 お姉ちゃんの引越しすっぽかして、バイキング食ってます。とは言いかねた。


 草壁の言葉を聞いて、ゆかりが唇を尖らせて、ちょっとむくれ顔。


「さては、手伝うのがいやで逃げたな……」



 かわいい、と草壁はそんなゆかりの表情を見て思った。


 亮作の姉だから、自分より年上だけど、そんな表情をすると、とても幼い顔に見えるのが不思議だ。



 草壁は思わずじっと見つめてしまっていた。


 ゆかりもその視線に気づいて、そして、困惑したような顔した。が、なぜか視線を逸らそうともせず、固まったようになってしまった。



 アレッ、どういうこと?この表情は。困っている。けど、逃げない。向こうも意識している?


 いや、まさか……


 だって、病院で、そして神社で、自分は2度とも、すっぽかしをくらったわけだし。



 草壁の部屋の玄関先で、なぜか固まる二人。その後ろでは引越し業者が家具なんかを部屋に搬入してるんですけど。まるで、二人きりの世界みたいになっちゃってる。



と、そこに



「お姉ちゃん、お待たせ!」


 お前、今度は早すぎる。



 電話では、ああ言っていたが、亮作のほうも、ゆかりを待たせたら悪いと思ったので、大急ぎで、オムレツとベーコン、白身魚のフライ、クロワッサン、コンソメスープ、ビーフピラフ、チキンナゲット、ハニートースト、フルーツサラダ、納豆、苺タルトを流し込んで帰ってきたのであった。



「もう、遅い!時間勘違いしてたんでしょ」


「そんなことないよ」


(実際に勘違いしていた)


「あなたのこと頼りにして来てるんだから、ちゃんと手伝ってよ」


「わかってるって」



 割と仲のいい姉弟という雰囲気で、急に草壁そっちのけでゆかりと亮作の会話が始まり、一人なんか取り残される草壁。


 そして、ダンボールが何箱も業者によって運び込まれているお隣の308号室へと向かう二人の背に草壁が声を掛けた。



「あ、よかったら僕も手伝いましょうか?」


「草壁クンはいい!」


 亮作が急に真顔になって手を振った。


「手伝ってもらったら、パンツが何枚かなくなるから」


 そのとき、微かにゆかりの肩がピクン。



 おい!何勝手にそんなキャラつけてんだよ!と思いながら、草壁は一人、マンションの廊下にポツン。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 嵐の前の静けさ、ではなく、嵐の後の静けさ。



 今日は、なんて一日なんだとか思いながら、気がつけば、暇ないつもの休日だと気づいた草壁。


 仕方ないので、あの商店街の喫茶店「アネモネ」にでも行くか。ということになった。



 ここで微妙な変化が起こっている。


 そう、今草壁は、「仕方ない」、他にやることないから仕方ないから、喫茶店に顔を出すという。


 しかし、ちょっと前までは暇さえあれば、イソイソと通っていたのである。


 なにしろ、そのために、通学の面では遠くなるはずの、ここ、ひまわりが丘に引っ越すという暴挙を平然としていたのだから。



 理由は、おそらくお隣に引っ越してきた、長瀬ゆかりの存在。



 しかし、彼女には2度もほったらかしにされている草壁。まさか、彼女が自分を意識してるなんて、あんまり期待はしていなかった。


 じゃあ、さきほどの妙な雰囲気は?


 うーん、謎だな……。


 けど、これをきっかけにもっと仲良くなれたら……



 そして、喫茶アネモネではマスターからの「君、また来たの?」という言葉に迎えられながら、店内を見回すと、あやの姿はなし。


 じゃあ、ってことで、草壁、クルッと踵を返して帰ろうとする。


 あやさんがいないなら、ここに居ても仕方ない。



「ちょっと待ってよ、君にお願いがあるんだけど」


「ん?」


 もう、ドアノブに手をかけている草壁がマスターの一言に振り向いた。


「君、暇だろう?手伝ってもらいたいことがね……」



 草壁、ちょっとむくれながら、


「なんで暇って決め付けるんですか?」


「休日の昼間に、ねぐせのまま、サンダル履きで喫茶店に来る人を世間では暇人というんだよ」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 いやに手回しよく、マスターがどこかに電話をして、それが終わると、草壁はとある場所に行ってほしいと言われた。途中、マスターの”ほらね、言ったとおりでしょ”とか”いつも暇そうにしてる”とかいう妙なキーワードが草壁の耳に入ってきた。



 それは、ひまわりが丘商店街の事務局なる場所。


 一階が元パチンコ屋で、もう長い間、閉まったままになっているその2階。実はここも数年前まで英会話教室だったりする。その場所を「商店街事務局」として使っている。


 事務局と言っても、会議や事務だけでなく、時々、落語会や将棋大会などのイベントスペースにもなる、商店街の多目的施設だ。



「で、僕は何をすればいいんですか?」



 40人学級の教室ほどもあるだだっ広いスペースの中に、4人がけの長テーブルが二つとキズだらけのホワイトボードと、姿見の鏡ぐらいしかないこの商店街事務局に草壁の声が響いた。



「君さ……」


 部屋には草壁ともう一人、60過ぎの白髪をきちんと撫で付けた、やせた細身の男の二人きりである。


 この事務局で対面したとき、男はこの商店街の靴屋だと言った。そして、この商店街組合の理事もしているとも言った。


 その靴屋が、あきれた顔で続けた。



「こっちが出した着ぐるみを黙って着たから、話は聞いてると思ったら。着てからそんなこと言い出すのか……」



 チラシ配り、らしい。


「商店街の大売出のね。で、私がハッピ着て配るから、君着ぐるみお願い。頼んでた人がどっか行っちゃって、こっちも困ってたんだ、助かるよ」


「僕、ハッピのほうがいいです」


「年寄り相手によくそんなことが言えるな」



「だって、この大黒さん顔が怖いというか、不気味ですよ、笑っているんだかなんだか、よくわからないアルカイックスマイルって感じで、ぜんぜん可愛くないからイヤです」


「さっきから自分の格好見てしきりに首振ってたのはそういうことか」



 でっぷりで突き出たおなかに、くすんだ色の大黒衣、袴だけが妙に金ぴかで、頭陀袋にはなぜか「ひまわりが丘商店街」の刺繍が赤い糸ででっかく書いてある。


 しかも、この大黒さん、顔が不気味であるだけでなく、顔が黒い。


 だから、余計不気味。



「せっかくの大売出しだから、こっちも張り切ってるんだ。それだって、全国七福神協会に問い合わせて、もっとも古くて由緒のある大黒さんをなるべく忠実に再現して作ったものなんだから」


「張り切るポイント違うと思いますけど、もっとかわいくてそのなんというか……」


「知ってるよ、『ゆるキャラ』とか言うんだろ?わたしだって」



「じゃあ、なんで……」


 理事が俯いた。


「うちなんてさ……」


「……もう神頼みぐらいしかできることないから……フフフ……」


 靴屋の自虐的な笑みを見ながら、がんばるだけはがんばろうと、草壁は思った。ついでに思った。


 『全国七福神協会』って何?と。




 こうしてはじまったチラシ配り。



 場所はひまわりが丘駅の南口、商店街のある側でもあり、どっちかというと寂れた側。


 その駅前ロータリーに、大売出しのハッピを着た靴屋と、不気味な顔した大黒さんの着ぐるみの草壁の二人が繰り出した。



 商店街のアーケードの一方は閑静な住宅街に続くが、もう一方はこの駅前南口のまん前に続いている。


 アーケードを抜けると目の前が4車線ある交通量も多い国道。その国道にかかる横断歩道を渡るともうそこが、駅南口のロータリーなわけである。



 北側より静かと言ったって、人通りは結構ある。


 草壁、一応、がんばってビラ配りをしようとは思った。最初は。


 しかし、いかんせん、不気味な着ぐるみ。誰も気持ちよくチラシを受け取ってくれない。



 こうなると、面白くない。


 もう、誰かれ見境なく、チラシをとにかく、押し付けるようにして出す。ちびっ子にだって容赦なし。


 これが、ものの見事に、泣かれるわ、喚かれるわ……


 母親には「やめてください!うちの子に何するんですか!」ってまるで犯罪者みたいに言われる


 小学生ぐらいの奴等にもなると、泣かないが、遠く離れたところで草壁の大黒さんを指差して「オバケだよ、オバケ」って笑いものにする。



 しまいには靴屋からの説教。


「あんたさ、子供から嫌われるようなことやめてよ」


 この不気味な着ぐるみのせいだろ。


「だいたい、子供にチラシ渡してどうするの」


 少しでも早くチラシをハケたいからです。もう商店街の売出しとかどうでもいいです。


「バイト代払ってるんだから、しっかりがんばってよ!」


 最初、商店街のお買い物券でいいよねって言われたとき、驚きました。



 そうして、あのオバケ怒られてやんの、という子供の嘲笑を受けていると、そこに大原が通りがかる。


「商店街、大売出しです」


 とチラシを差し出すが、向こうは無視。仕方ないので、被りものを脱ぐ草壁。


「俺のチラシを受け取れないというのか!」


 驚く大原


「わっ、お前、何やってんの?」



 靴屋が再び怒る。


「君ね、子供の前でかぶり物脱がないでよ、夢を壊すでしょ!」


「この着ぐるみのどこに夢があるんですか!!」


 大原と草壁が同時に言った。


 こうして、一向に進まないチラシ配り。



 そこにあやが通りがかる。電車に乗ってどっかにでも出かけていた様子。


 あらっ、草壁さんたちなにしてるだろう?なんて思いながら、そっちに近づいてくると、草壁もそんなあやに気がついた。


 おっ、なんて言いながら、持っている頭陀袋の中からチラシを一枚取り出すと、近づいてきたあやにまるで卒業証書授与みたいな格好で


「よかったら、これ受け取ってください!」


「ラブレターかよ!」


 大原の突っ込み。


 なんだか、もう怒る気力もなくなって黙り込む靴屋。



 どっかの帰り?はい、ちょっと出かけてました、だったら、途中まで一緒に帰らない?方角同じだし。いいですよ。


 と、大原とあやの二人が草壁を置いて帰ろうとしだす。



 えっ、帰っちゃうの?と草壁が思った。思っちゃいけないんだけど。


 思わず草壁が口走った。


「あっ、待ってよ……」


 そう言ってほんとうに、あやと大原を追いかけて行こうとする草壁の首根っこを理事が掴んで叫んだ。


「お前、どこ行くつもりだ!それから、さっさと頭かぶれ!」




「……」


 少し離れたところで同じようにチラシ配りをする靴屋の視線が痛い。


 あの野郎、目を離すと何するかわからないからな、とその目は言っている。草壁にはわかった。


 だから、それからは真面目に、いや、それまでも真面目にはやっていたが、がんばった結果、かなりチラシもハケてきた。



 そんなとき、通りがかったのがツルイチと、草壁の知らない40代ぐらいの中年男の二人連れ。


 二人とも親しげに話しているところを見ると、顔見知りらしい。


「あっ!」


 大黒さんの着ぐるみ姿の草壁、仕事中だっていうのに、またフラフラと顔見知りのほうに寄ってゆく。大体少し、緊張感ってものがない。


「あっ!」


「あっ!」


 そのとき、靴屋とツルイチの連れの中年男も同時に叫んだ。で、草壁はツルイチのほうへ、靴屋はその中年男のほうへ、歩きだした。



 草壁、ツルイチの目の前にやってくると、仕事中だっていうのに暢気に挨拶。


「こんにちは」


「えっと、誰でしたっけ?」


 大黒さんの着ぐるみじゃ、誰かはわからない。



 一方、靴屋と中年男の二人はというと……


「あっ、チラシ配り!忘れてた!」


「困るよ、約束すっぽかしてどっか行ってもらっちゃ」


 どうやら、彼が本来の大黒さんだったらしい。


「おかげで、こっちは、あのお兄ちゃんに散々な目に……」


 と、靴屋が草壁を指差しながら振り向くと、



 そこには、またもや被り物を脱いで、ツルさんと話し込んでる草壁の姿。


「僕ですよ、草壁。よかったら商店街のチラシでも一枚いかがですか?」


「ほほう、それではお言葉に甘えて一枚頂いておきましょうか」


 などと言いながら、今日ルームメイトになったばかりの正体不明のオッサンと割合と仲良くなってたりして。



「草壁!!お前、真面目に仕事しろ!人前でちょくちょく被り物脱ぐなっ!!」


 しまいには靴屋、年甲斐もなく、叫んだ。



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