第39話:ことりと柚葵
皆それぞれ思い思いの教科の問題集や資料集と向かい合って、その横に広げたノートにシャーペンを走らせている。
私達のテーブルには、そのノートの上で遊ぶペンの立てる音だけが響く。
そこに時々、一息吐く為の、ドリンクをストローで啜る音。
うん、今日の勉強会は昨日と違って、ちゃんと成果が出そうだな。
さっき迄の賑わいが嘘かの様にシンとしたのは、ユズが真っ先に黙って勉強に取り掛かったから。それを見て、朱音も口を閉じて古文の便覧を開いて、ジッと眺め出した。
多分、ユズもさっきの一言は攻め過ぎだと気付いて、急に恥ずかしくなったんじゃないかな。だってほら、まあくんから見えない様に隠してはいるけれど、頬っぺを真っ赤にして、口元が歪む程に噤んでいる。
って言うか、さっきのユズの「決まってなかった、はずなんだけどねぇ」とか、それはもう“私にはカッコよく見えてキュンとしました”って、好意を告白してしまった様な物じゃ無い。
まあ、その儘突っ走れずに一旦引いちゃう処がユズの可愛い所でも有るのだけれど……。
……でも私、さっき「負けないからね」って、ハッキリとライバル宣言されちゃったんだよね。
「ことり、ちょっとここなんだけど……」
まあくんがシャーペンでノートの一角を指しながら、ボソッと耳打ちをして来た。
「ん、何?」
顔を寄せて覗き込んでみると、そこには『飛島さん、さっき”決まってなかったんだけどねぇ”って同じ事を2回繰り返していたけど、何か意味が有るのかな? 震えていた事で悪い印象を与えちゃったのかな?』と書いてあった。
…………はあ。これこそ私、どうやって返せば良いのよ。
前みたいに頑張り出してから日が浅くて、自分に向けられる好意に幾ら未だ疎いとは言っても、流石にちょっと罪深いよ、まあくん。
少し考えた末に、その下に『別に、そんな事無いんじゃない? 流れ的には私から皆の気を逸らす為だって分かっていたんだし』と書いてあげると、まあくんはホッと息を漏らしながら「そっか」と呟いた。
胸の奥が、少しチクッとした。
……伝わっていなかった事、後でユズにはちゃんと言っておくべきなのかな。
飛島柚葵、中学からの付き合いの、私の一番の親友。
この子が居なかったら、私の中学時代、そして今の高校生活はきっと惨憺たる物になっていた。
▼▼▼
「ねえねえ犬山さん、さっきの休み時間に男子と焼却炉の前で向かい合ってるの見たんだけどさ、ひょっとして告白されたとか?!」
中学1年の時。5限の授業が終わるなり、何度目かの席替えで私の前の席になっていたユズが、純粋に興味深々と云った感じで目を爛々と輝かせながら訊いて来た。
「あ、うん、朝来た時に下駄箱に入っていた手紙で呼び出されたから、行ってみたら……」
その時の手紙に書かれていた差出人の名前は見てもピンと来ていなかったけれど、行ってみたら、案の定。
「へえ、モテるんだね! 犬山さん可愛いから! で、で、付き合うの?」
「お断りしたよ。抑々、知らない人だったし」
まあくんと遠くなり出した小6の頃から何度も告白されていた身としては、『そんな事無いよ』とかの謙遜の言葉は、とても口に出来なかった。仲良くなりたてだったユズがそれを何かの拍子で耳にした時に、変に思われるのも嫌だったし。
「ええ、勿体無い! ……って、知らない人だったら仕方無いのかな?」
「それに私、男の人が苦手で、誰とも付き合えないから……」
「へー、そうなんだね。でも何で? あ、ひょっとして……」
そして私の目を捕えていたユズの視線が下がった。
「……うん、これ。小5の頃に急に育ち始めて、男子達に、大分揶揄われたのがトラウマで……」
「そっかあ。大きくて羨ましいと思ってたけど、そんな悩みも有るんだね」
「そうなの。さっき告白して来た人も、殆ど私の目じゃなくて胸を見ながら喋っていたよ……」
「うわ、何それサイテー! 付き合ったら自由に出来るとでも思ってるのかな?!」
「そうなのかな?」
「そんな勝手な思いで告白して来るなんて! 断るのも大変だろうに……。……ねえ、呼び出されたからって、行かない訳にはいかないの?」
「若し行かなかった事で変に恨まれたり絡まれたりしたら嫌だなって。それに……」
「それに?」
「……ううん、何でも無い! 何でも無いよ!」
偶に差出人の名前が書いていない手紙も有って、若しかしたらまあくんかも知れないって、その時は、未だ待っていたから。
結果として、高校生になる迄お預けとなったまあくんからの呼び出しは、廊下で直接声を掛けられると云うものだったのだけれども。そして、その時に伝えられた言葉は、私が望む形で。
兎にも角にも、この時の会話が切っ掛けで、私とユズはそれ以前よりも頻繁につるむ様になった。
その頃の私は未だ、まあくんと云う心の支えを失った混乱と喪失感の中で、余り人間関係を踏み出せずに居たので、ユズの存在は頼もしかった。……まあくんが戻って来つつある今でも、頼もしいのには変わりが無いけれど。
「犬山さん、ちょっと良い?!」
男子からの呼び出しが増えるにつれ、余り話した事の無い女子からの呼び出しも増える様になった。
「あなた、○○君に色目使ったでしょ!」
全くのやっかみなのだけれど、大体皆異口同音にこんな事を言って来た。その子の彼氏だったり、片思いの相手だったりするそれは、私を呼び出して告白をして来た人。
色目なんて、使っていないのに。……悪いのは、全部この身体なのに。
「ちょっと待ってよ! ことりはそんな事出来ないの!」
何も言い返す気力も無く俯くだけだった私の前に立って、ユズはいつも、時に冷静に、時に情熱的に、相手を説得してくれた。
そうすると、「そ、そうなの……。事情は分かったけど、兎に角気を付けてよね!」と捨て台詞を残して居なくなった子も居たし、私に同情したのか、本気で謝ってくれてそれが切っ掛けで仲良くなれた子も居た。
「本当に難儀な身体だね……。でも、私は好きだけどね!」
「ちょ、ちょっと、ユズ!」
そんな事が有った後、いつもユズはそうやっておちゃらけて、力強く抱き締めてくれた。
▲▲▲
そしてこの関係は、高校に入っても続いている。
ユズの説得が無ければ、きっと私は中学でも高校でも幾つかの女子グループからの虐めの標的になっていただろうし、自分を奮い立たせて色々な事を前向きに頑張って来る事も出来ずに、今もこうして毎日を楽しく過ごせてはいなかっただろう。
それにそのフォローが無ければ、私は自分の身体に今とは比べ様も無い程に嫌悪感を抱く事になっていたであろう事は、想像に難くない。
因みに朱音とは、入学式の後の教室で私の席に話しに来たユズが、五十音順の並びで直ぐ後ろの席だった朱音に話し掛けたのが始まり。
……うん。
本音を話した事で仲良くなったんだし、ユズには全部話すべきだよね。
さっきの言葉に込められた意味が伝わっていない事も、私の、まあくんへの思いも。
前にチラっと考えた様な、牽制とかそう云う意味では無くて、友達として、親友として。
まあくんの一番の座は譲る気は無いけれど、ユズだって、私にとって掛け替えの無い大切な人なのだから。
『ユズ、この勉強会が終わった後にちょっと話したい事が有るんだけど、良いかな?』
『うん、守君の事だよね?』
調べ物の為にテーブルに置いたままだったスマートフォンでメッセージを送ると、待ち構えていたのかって位に直ぐに返事が返って来た。
……ユズだなあ。
顔を上げたら、同じ様に顔を上げたユズと目が合ったから、お互いにニコッと微笑み合った。
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