第40話:ことりと柚葵、勉強会後の帰り道


「……だからね、守が今みたいに、昔みたいに頑張る様になったのは、私へのその宣言以来の事なの……」


 余り遅くならない様にと適当な処で勉強会を終わらせた、その帰り道。朱音は自転車ケッタで急いで帰って行ったので、私達3人だけでの、帰り道。

 歩調を合わせて隣を歩くユズに、最近の事だけを掻い摘んで教えた。昔の事も含めるとすると、帰り道で話してしまうには私達の歴史は長過ぎる。

 私とユズとの関係がどうなるのか怖いのは怖かったけれど、今を逃せば多分、伝えるのにはより多くの勇気が必要になるだろうし、先送りしている内に状況が悪くなる事も考えられるから。……尤も、前は伝えるか否かどちらが良いのか判断が付かなくて、ユズがまあくんに好意が有るって言ってから既に2週間位は経ってしまっているのだけれども。

 伝えると決めてしまったら、昔流行語大賞に選ばれた、テレビにも出ている塾講師の先生の言葉を思い出して、メッセージを送って退路を断って。

 あの言葉、名古屋弁で言うと、“今だて”になるのかな? “今だがね”かな? ニュアンス的にどっちだろう。三重弁だと“今やに”、岐阜弁だと“今やお”とかかな。……なんて、思い切って伝えてしまった今では、東海三県バージョンを考えられる程に、心に余裕が出来ている。

 そう言えばあの先生も、名古屋出身だったっけ。

 ……これ、余裕なのかな? それとも、他の事を考えて紛らわせているだけ?


「……そうなんだ……」

 感情が見えないそのユズの言葉に、思わず身体がビクッと震える。

「あの……」

「ちぇえっ、切っ掛けはことりなのかあ」

 言葉を挟もうとした私を遮って、ユズは明るい声でそう言って笑った。

「えっ?」

「じゃあ、今はことりが優勢だね。負けてられないなあ」

 ユズから返って来たそれは、私の予想とは全く違う感情と言葉。

「ユズ?」

「あっ、もしかして私に諦めて欲しいとかあった?」

「ううん、そんな事は無いけど」

「なら良かった! ことりの事は勿論大切だけど、だからって出来るなら自分の気持ちを押し込めたくないもん。友情は友情、恋愛は恋愛」

「……うん、そうだね。私にとって、ユズも守も同じ位に大事」

 これは、紛れも無い私の本心。

 ……私の事を“勿論大切”って言ってくれる、ユズ。その逆も、又然り。

 普段気を付けてはいるけれど油断すると内に籠りがちになる私にとって、ユズも又、掛け替えの無い人だから。

「お互いに正々堂々とだね。守君の事で私達の間がおかしくなるのは避けたいし、守君も望まないだろうし」

「それはそうだね。守も、ユズが私を周りから守ってくれている事に、感謝していると思うし」

「私がことりのナイトって事? ……じゃあいっそ、ここで付き合っちゃう?」

「あははは、それも良いね!」

 笑い合いながら振り向くと、私達の会話が聞こえない位に離れてついて来ているまあくんは外灯にお芝居のスポットライトみたいに照らされていて、不意にこっちに気付いて間の抜けた表情を見せたので、私達の笑い声は一層大きくなった。

「何あの顔!」

「油断していたんだろうね! まあくん、時々そう云う処が有るから!」

「……まあくん?」

 ……ユズの声のトーンが急激に落ちて漸く、私は自分の失言に気付いた。

「普段は、……さっき迄もずっと“守”って言っていたけど……、2人の時はそうやって呼んでるの?」

 ユズはこう云う時、中々逃してはくれない。

「昔はずっとそう呼んでいたから、今でも偶に出ちゃうの。でも、普段話し掛ける時は、ずっと“守”だよ?」

 ……心の中ではもう、アクセルベタ踏みで“まあくん”なのだけれど……。

「そうなんだね。……でも不意に出るって事は、心の中ではずっと“まあくん”呼びだったりして」

「…………うん」

 バレてた。

「でも、心の中でだけでもそう呼んでいると甘える気持ちが出ちゃうから、変えようとは思っているんだよ?」

「え? 別に良いんじゃん? 心の支えになっていれば。ことりのナイトの私でも、守れない時とか普通に有るし」

「あれ? う、うん……」

 ……怒っているのでは無いのかな?

「私も何か、特別な呼び方したいなあ。守君って、普通過ぎない?」

「あ、そう云う事か。それは、守と相談して貰えば。こう呼びたいんだけどって言えば、赤面はするだろうけど、嫌がらないと思うよ」

「んー、じゃあ、考えてみようかなぁ」

 ユズは今度は静かにまあくんをチラッと見た。そして私に顔を寄せて、耳打ちをする。

「……因みにさ、今の処ことり以外に、守君に好意を寄せてる人とかって居るの?」

「えっと」

「他にライバルは居るのかなーって」

 ……予め、伝えておいた方が良いのかな。

「ねえユズ、テスト明けに遊びに行きたいって麻実ちゃんが挙げた人のリスト、憶えている?」

「あー、私とことりにマミちゃんの友達1人と、それに2年の扶桑先輩、あと3年の中村先輩だっけ? 私は知らない人だけどさ。どんな人か、楽しみだよ」

「うん、そう。演劇部の部長の中村先輩は守と同じ理由で来れなくなっちゃったんだけどね」

「テスト明け直ぐの土日からやるんだよね? 大変だよねー。ああ、朱音のバレー部も大会が近いからやるって言っていたっけ」

「バスケ部は良いの?」

「下記の予選は8月に入ってからだし、部としてはその後からやるって。だからテスト明けで、丁度良かったよ」

 ……こう云う話を聞くと、私が所属する美術部は本当に自由が利くんだなって実感する。うちの学校だけかも知れないけれど。

「で、それがどうしたの?」

「うん……そのメンバーが、私も知る限りではだけど、守に好意を寄せている人なの。……ミモちゃんと中村先輩のは恋愛感情かどうかは分からないけれど」

「え、マミちゃんがそのメンバーを?! 私、昨日ちょっと会っただけだよ?!」

「少なくとも、守に興味を持ってから会ったのは、その通りだよね。私が顔を洗って戻った時には来ていたけど、多分麻実ちゃん、その時に何かを感じ取ったんだと思う」

「マミちゃん凄っ! 何者なのよ」

「多分、ずっとお兄ちゃん大好きで来ているから、守の周りの人の気持ちには敏感なんだと思うよ」

「成る程ねー。じゃあ、マミちゃんにも好かれる様にしないと。……ってかさ、そう考えると、ことりのアドバンテージってえげつなくね?」

「あはは、それは言えるかも知れないけど。でも麻実ちゃんは基本的に皆大好きだから、これから次第でどうにでもなると思うよ?」

「そうなの? ようし、ガンバろ! ……あ、昨日引っ掛かってた、前にマミちゃんに会った場所、急に思い出したわ」

「思い出した? それで合っているとは思うけど、守には内緒でね?」

「……うん、その方が良さそうだね。あと、これをバラされたく無ければとか、ことりを脅さない事も誓っておくわ」

「ありがと! 疑ってもいなかったけれど、嬉しいな」

「もう、ことりは可愛いなあ! 大好き!」

 そう言ってユズは私を抱き締めて、頬擦りをして来た。私も大好きだよ。

「……あ、今日はマミちゃん来なかったから良かったけど、来てたら朱音も誘う羽目になってたかもね。行けないのは間違い無いけど」

「あー、……ね」

 急に真顔になったユズに釣られて、私も真顔になる。

 麻実ちゃんのリストの判断基準がどれ位に設定されているかは分からないけれど、今日の朱音の態度なら、間違いなく引っ掛かるだろう。

 ……麻実ちゃんの友達も、そう云う事なのかな。


「あ、ことりんち、ここだよね」

 手を繋いで歩くユズが不意に立ち止まって言った。

「うん」

 楽しくお喋りをしていると、時間が経つのが早いなあ。

「……あ、ねえユズ、さっき喫茶店で『決まってなかった、はずなんだけど』って繰り返していたのは、やっぱり?」

「あ、やっぱりバレてた? 流石に今の状態で踏み込み過ぎたかなって」

 うちの玄関前のセンサーライトに照らされたユズの顔が、急激に真っ赤になった。可愛い。

「あの後で守に聞かれたけど、全く気付いてなかったよ?」

「マッ?! ……ホッとした気もするけど、麻実ちゃんの爪の垢……」

「本当だよね……」

「麻実がどうかしたの?」

 そこで漸く追い付いて来たまあくんが話に加わって来た。良かった、本当に聞こえていなかったみたいで。

「ううん、麻実ちゃんと遊びに行くのにユズも一緒だから、その話をしていただけ!」

「そ! そ!」

「と云う事で、もう暗いし、ユズを家まで送ってあげてね! じゃあ、また明日!」

 まあくんの家は勿論直ぐそこなのだから、往復する事にはなるのだけれども。

「えっ、ことり?!」

「ことり? ……うん、また明日ね!」

 2人が私を呼ぶ声の背中に受けながら上げた手をヒラヒラと振って、何だかフワフワとした足取りで、私は家に入った。

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