第36話:テストが明けたら
みなみさんと湊人小父さんのファーストキスの場所は、その時のセントレアで別れる直前に、との事だった。
今の穏やかな姿からは、湊人小父さんにそんな情熱が有ったなんて想像出来なかったな。さっきの話に依ると、その時は解放の為の別れ話をした後だって云う事だし。
それにしても麻実ちゃんは自分で質問しておきながら、その答えに「へえ、そうなんだー!」と返して笑っただけだった。……何の為の質問だったのかな?
お母さん達4人が居なくなった美浜家のリビングで、残された私達子供組3人は一緒に勉強をしている。「私は家でやるよ」と言ったのだけれど、麻実ちゃんが残念がって引き留めたので、家で必要な道具をピックアップして戻って来たのだ。
私は、どうしても麻実ちゃんに弱い。
大人組は、明日の仕事の為に帰京する湊人小父さんを見送りに
まあくんの変化をみなみさんから聞いてその足で帰って来てしまった小父さんは、戻る時にドタバタしたくないからと、東京に戻る手段を新幹線では無く、夜行バスにしたそうで。
太閤口の広場にあるユリの噴水前で遅い時間に集合だと聞いたみなみさんが「じゃあ私、見送りに行くよ」と言った処にお父さんとお母さんが遅くにみなみさんだけで帰って来るのは危ないからと、一緒に行ったのだった。物心ついた時からずっと見て来たけれど、本当に4人共、仲良しだよね。
……そして思い返してみると、息子であるまあくんが昔みたいに明るくなったって云うニュース1つで新幹線に飛び乗って帰って来てしまった湊人小父さんは、今でも充分情熱的なのだった。
「うーん、どうなるんだろ、これ」
麻実ちゃんは開いた数学の教科書と睨めっこして、可愛い唸り声を上げている。
「麻実、どこが分からないんだ?」
それを見て、まあくんがすかさず声を掛けた。
改めてだけど、こうしてちゃんとお兄ちゃんをしているのが見られると、私も嬉しくなる。この間まで、いつも通り笑顔が素敵だった麻実ちゃんも、やっぱりどこか寂しそうだったし。
「うん、ありがと、お兄ちゃん。これなんだけどね、数学なのに“x”ってアルファベットが入って来て、良く分からなくなっちゃったの」
「う……」
麻実ちゃんが引っ掛かった場所を聞いて、何故だか吃るまあくん。どうしたんだろう。
「……えっと、この“x”はね、分からない数字の代わりに仮に違う文字を置いてあるだけだから、別にxじゃなくても、……例えば“馬”とかでも良いんだよね」
「そうなの?! 馬って!!」
まあくんの説明に、楽しそうに笑う麻実ちゃん。まあくんの説明のコレは、確か前にゲン先生が説明していた方法だね。
「……あっ、じゃあ、こう云う事?」
「あ、うん、そう云う事」
スラスラとノートにペンを走らせた麻実ちゃんに訊ねられたまあくんは、満足そうに笑顔で答えた。
「ん? どうしたの、ことり?」
不意に目が合ったまあくんが訊いて来た。
「あ、ううん、何でも無いよ? 仲良くて良いなって見ていただけ」
「ふうん?」
「うん、仲良しだよ! ことりちゃんも!」
「ふふ、ありがと」
……と、危ない危ない。
さっきのみなみさん達の話の余韻で、ついついまあくんの口許をボーっと見詰めてしまっていた。
別に、今直ぐしたいとか云う訳では全く無いのだけれども。
まあくんもその内に誰かとするのかなとか、ちょっと、思っただけ……。
「んー、ちょっと疲れちゃった。お茶飲もうかな? ことりちゃんも飲む?」
「うん、飲む。ありがと麻実ちゃん」
「えへへへ。じゃあ、直ぐに持って来るから待っててね」
麻実ちゃんは颯爽と立ち上がって、キッチンに行ってしまった。
こう云う時に照れた様に笑う麻実ちゃんは、本当に可愛いと思う。
「ことり、ここちょっと教えて欲しいんだけど、良い?」
「ん、どこ? 私で分かるかな?」
「……ことりが分からなかったら、学年の殆どの人が分からないと思うし、それは先生が悪いな」
「えぇ? そんな風に言われるとプレッシャーだなぁ。ええっと?」
向かいに座っていたまあくんの隣に回り込んで、開かれていた数学の問題集を覗き込む。
確かに私は中間テストは順位的にもトップクラスだったけど、今はどうか分からないんだけどな。特に、一番のライバルが、今、目の前に居るのだし。
「ふふふ、仲良し仲良し」
その声に振り返ると、トレイを持った麻実ちゃんが嬉しそうに立っていた。
確かに最近は昔ほどでは無いにしても、仲良しの部類に入るのだけれど、そう言われると何だか恥ずかしくなって来て、「や!」と変な声を上げて、元々自分が座っていた向かいに急いで戻った。
「あれ? 違うのぉ?」
膝をついて、グラスを配りながら何故だか不満気に言う麻実ちゃん。
「今のはそう云うのじゃなくて、守の質問を聞いていただけだし。あ、守、多分ここがちょっと違っているんだと思うよ」
慌てて、まあくんが解き掛けのノートの一点を指して平静を装って言った。
「え? ……あ、そっか。えーっと、だから……あ、解けた。ありがと、ことり」
「どういたしまして。……でもこれ結構難しい問題だと思うけど、考え方は間違っていなかったし、解まで後ちょっとだったね。まあくん、本当に凄い頑張っているね」
私の記憶が間違っていなければ、清須君と話していたのが聞こえて来たまあくんの中間テストの順位は、100位とちょっとの、悪くは無いけれど良くも無い、真ん中位のそんな順位だった筈。
不意に褒めたからか、まあくんは少し頬を赤くして照れていて、麻実ちゃんもニコニコと笑顔になっている。
ね? 決して、仲が悪い訳じゃ無いんだよ?
●●●
「あ、もうこんな時間? そろそろ帰ろうかな?」
テレビ台に置かれた時計を見たら、既に短針が10を回った処だった。
みなみさんは、未だ帰って来ない。湊人小父さんの夜行バスの集合時間が何時かは分からないけれど、別れを惜しんでギリギリ迄名駅に居るのだろうか。
確かに、こんなに遅くなるのならお父さん達もついて行っていて正解だと思う。
「ええぇ?! 帰っちゃうの?」
ええぇ?! そんなに身を乗り出して寂しそうに言われても。
「私ももっと麻実ちゃんと一緒に居たいけど、明日の準備も有るしさ」
明日が休みだったら別に良いんだけど、残念ながら明日は未だ金曜日でつまり学校は普通にある。
「そうだよ、麻実」
「でもぉ」
そんな声を出されると、帰る気が失せてしまうのだけれども……。
「また一緒に勉強しよ、麻実ちゃん」
「うん……」
「それに、期末テストが終わったら、土日のどっかで一緒に遊びに行こうよ。そんなに遠くは無理だけど、麻実ちゃんの行きたい所に」
この遊びの提案に、漸く麻実ちゃんは笑顔に戻った。
別にこれは、麻実ちゃんのご機嫌を取ろうとしている訳では無い。ただ単に、私が麻実ちゃんと遊びに行きたいのだ。
「私の?」
「うん、麻実ちゃんの。どこが良い? 今度こそ、東山でちゃんと動物を見て回る? それか、
そしてどうせなら、麻実ちゃんが好きな所で笑顔になっているのが良い。
「んー、ことりちゃんと全部行きたい……。考えておくね!」
「うん!」
麻実ちゃんが元気に笑うと、私も元気に笑う。
これは、自然の摂理。
「ねえ、それ、僕も入っている?」
そこに申し訳無さそうな声で水を差して来たのは、まあくん。何よ、良い気持ちだったのに。
「その心算だったんだけど」
「ほら、演劇部は夏休みに入った頃に演劇大会が有るから、どうなっているか分からないんだよね。必要なら休みでも部活が有るだろうし、無かったとしても僕も上手く出来ていなかったら自主練しなくちゃいけないから」
「あ、それもそうか」
……失念していた。私が所属する美術部はアート展用の作品を提出したばかりで、次は9月末の文化祭展示用の作品に取り掛かる迄は、差し当たっては何も無いし。
「うー、だったら仕方無いよね……。その時は良いや、ことりちゃん、お兄ちゃんなんか
「麻実ちゃんは誰を呼びたい?」
「え? うーんと、うーんと……」
又考え込む、麻実ちゃん。
「時間は有るから、考えておいてね。麻実ちゃんの友達とかでも良いし」
「うん、ありがとう、ことりちゃん! 楽しみだな!」
「私も楽しみだよ。ちゃんと楽しめる様に、テストも頑張らないとね」
「任せて!」
頼もしく胸を叩いた麻実ちゃんは何処に、どんなメンバーで行こうって言うんだろう。
答えを聞くのは未だ先になるのだろうけれど、今から楽しみだな。
どうせならまあくんも一緒の方が嬉しいのだけど、大会が控えているのだから仕方が無い。
まあくんはまあくんとして頑張っているのだし、そこに水を差す様な真似はしたくない。
……尤も、練習……お芝居だから稽古? ……が上手く行って、一緒に遊びに行けるのが勿論一番好ましいのだけれども。
「じゃあ麻実ちゃん、またね。守はまた明日、かな」
広げていた問題集やらを全部鞄に片付けて立ち上がった私は、2人に笑顔で言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます