ティラノサウルスの口が近づく。牙の間から生臭い息が吹きつける。恐竜の頭に乗ったままにやにやと笑うブルと、目が合った。

 そんな……。戦う方法はないの……?

 と、ブルの顔に緊張が走った。

 恐竜も動きを止める。

 ブルが王座に向かって手を振った。

 王座の背後が瞬き、ドライブイン・シアターのようなスクリーンに変わる。外から見た城の映像が写された。

 お、ライブ中継⁉

 空に虹が出ていた。その先端が、城をおおった黒雲に突き刺さっている。

 光!

 私は天井の穴を見上げた。黒雲がわずかに虹色に輝いている!

 ブルはコウモリたちに命じた。

「光をさえぎれ!」

 コウモリは恐竜の卵を床に下ろし、舞い上がった。霧を突っ切って外に飛び出す。

 スクリーンを見た。黒い霧から飛び出したコウモリの群れは大きな羽根を広げて旋回し、虹を遮断する。と、虹は向きを変え、別の場所に先端を向けた。コウモリたちも移動して城を守った。霧も一向に薄くならない。

 虹は生きている。なんとか城に入り込んで、ブルをうち倒そうとしている。

 でも、これじゃ光は広間の中まで届かない……。霧を消さなくては……。与太郎は失敗したの……?

 この状況に安心したのか、ブルが緊張を解いた。

「神は私だ。私を倒す力など存在しない」

 万事休す……。

 恐竜の牙が閉じ、私を挟んだ。蒸気の鎧がかろうじてその力をはね返す。恐竜のうめきが耳を打つ。しかし、長くは持ちこたえられないだろう……。

 と、ティラノサウルスの巨体が震えた。あごが開く……。

 何? 地震?

 恐竜の足もとを見た。床が割れ、そこから現れた何かがティラノサウルスに絡みついている。赤い実をつけた、枝……?

 リンゴの木じゃない! 木が床の亀裂を押し広げ、恐竜の動きを封じたのね!

 とっさに閃いた。なすすべもなく飛びまわる仲間に向かって叫ぶ。

「木におしっこをかけて!」

 栄養を与えて、力を強めるのよ!

 パッションが地上に降り、枝の根本にしゃがみ込んだ。

 が……。

「おしっこ出ない!」

 男たちも猫に続き、一物を現す。

「僕、出ません!」

「ちびっちたのか。おや、わしも……」

「あっしは……出ませぇん!」

「俺に任せろ……くそ! 干上がっる!」

 水も飲まずに、ここまで来たんだものね。それも当然か……。しかし、りんごの木は今にも恐竜の馬鹿力に振りほどかれそうだ。早く肥料をやらなければ……。

 一瞬、辺りが静まり返った。と、ぴちょぴちょと、かすかな音が聞こえた。

 あ……卯月がしゃがんでいる……。そうか! 途中参加のこいつは、まだ出るのね!

 狙いは当たった。

 栄養を取ったリンゴの木は、ぐんぐん伸び始めた。うめき、もがくティラノサウルスの足をがんじがらめにする。鞭のようにうねった枝が、私を捕まえた手にも巻きついた。

 恐竜は吠えた。

 しかしその手は枝にひっぱられ、私は牙から遠ざかった。

 ブルは恐竜の頭に爪を立ててしがみついている。

「なにをしている! 早く踏みつぶせ!」

 焦っているの⁉ そうか、下りたくとも下りられないのね!

 恐竜はブルの手足となる最後の兵隊だ。そこを下りれば、もはや自分で戦うしかない。下には、さかんに枝を振り回す木がいる。神に助けられた仲間たちがいる。いかに有能な指令官といえども、兵隊を失っては戦いようがない!

 枝が恐竜の腕をしめつけた。爪がゆるみ、私は落下した。

 落ちたショックでアイデアが降った。

 外から攻撃できないなら、中からすればいい。池は湖につながっている。蒸気は鏡になる。シャチの部屋ではチューブにもなった。それなら、光ファイバーが作れる!

 チャンスはブルが動けない今だけ。

 私は光を導く構想を頭に思い浮べながら叫んだ。

「光よ! 地下をくぐれ!」

 仲間たちを守っていた蒸気の鎧が拡散した。シャチたちも消え、霊を形にしていた蒸気が加わる。辺りに漂う蒸気も一つに集まり、水が引いた池に吸い込まれていった。そしてすぐに、穴から蒸気のチューブが伸びた。

 王座のスクリーンを見た。

 新しい虹が現れていた。空に、ではない。湖の彼方の森の奥から七色の光が地面を這って湧き出したのだ。コウモリたちは空中の防戦に忙しく、地上の虹には気づいていない。丘の間を縫い、大地をうねる虹。巨大な蛇のように、流れる川のように、光の帯は地上を突き進む。

 同時に、湖岸から蒸気のチューブがもう一方の先端を現した。地上の虹はチューブに吸い込まれる……。

 ブルが絶叫した。

「ばかな⁉」

 さっきまで池だった縦穴が輝いた。チューブを通って吹き出した虹が、薄暗い広間を切り裂く。部屋中が七色に彩られた。色はうねり、瞬く。虹を封じ込めた蒸気の管は激しく跳ね回った。

 私は叫んだ。

「光をブルに当てて!」

 名人がチューブに飛びついた。光の勢いに勝てずに、振り回される。他の男たちがさらにしがみつき、暴れる蒸気のチューブを押さえこむ。男たちは一斉ににたっと笑い、チューブの先端をブルに向けた。

 虹がブルに叩きつけられる。

「ぎぃやあぁ……」

 ブルは光に包まれた。動きが止まった。

 その時、壁の扉から大きな音がした。

 すっぽーん!

 なんと、巨大なタコが狭い通路をくぐり抜けて飛び出したのだ。さらに、じゃらじゃらと太い鎖を引きずるタコを追って、与太郎が踊り出る。

「やった!」

 与太郎は大ダコを解放したのだ!

 広い空間に出たタコは戸惑ったらしい。足をすぼめて与太郎から逃げ回る。与太郎はふぅーとうなりながら、タコを追い立てた。ブルの前に誘導すると、すうっと敵意を消す。

 大タコも緊張を解いた。そして、気づいた。

 でっかい御馳走が目の前にある。恐竜の皿に乗って、さあ食えと言わんばかりに硬直している。タコはためらわなかった。足をすっと揃えると、一気にブルに襲いかかった。

 ブルは恐怖に目をむいた。しかし、虹の光が俊敏さを奪っていた。ブルは巨大タコに全身を包まれた。

 男たちは光のチューブを放し、尻餅をついた。もう、動く力は残っていない。虹は真っすぐ天井に向かっている。

 私たちは、もがく恐竜の頭に張りついたタコを見守った。

 大ダコはブルに勝てるのか……? あの強大な邪念を呑み下せるのか……。

 タコは全身をぴくぴくと震わせている。身体にほんのり赤みがさす。

 パッションがつぶやいた。

「苦しんでる……」

 博士が応える。

「そんな……大ダコでさえ消化できないのか……?」

 名人は悔し涙をにじませていた。

「タコ……ゆでられてる……」

 ところがじいさんは、笑った。

「おぬしら、若いのう。よがっているんじゃよ、あれは」

 は? タコが、快感に身を震わせる? ばかな……。

 ぷい。

 妙な音がもれた。タコのうねりが高まる。

 若造が指さした。

「何か出てくる!」

 タコが糞をひり出そうとしている……。と、いうことは……?

 兄貴分が叫んだ。

「おお、やってくれたんじゃねぇか!」

 黒い固まりが、ごんと落ちた。

 私たちは恐る恐る近づいた。

 バスケットボールほどの、糞。その上には、なんと、ヒトラーのシンボルのちょび髭が生えていた。

「出た……」

 とうとうブルの精神エネルギーを封じ込めたのよ!

 しかしタコはまだ、恐竜から離れない。ついでに、恐竜の邪念まで吸い取っているのだ。食欲旺盛だ。ブルの機械で墨を絞り尽くされ、きっとお腹がすいていたのね。

 兄貴分が恐ろしそうにタコを見上げる。

「で、でっけぇな、このタコ……」

 ヤクザはタコが嫌い。

 じいさんは笑った。

「大丈夫じゃよ。お前ごときじゃ、デザートにもならん」

 与太郎がタコを見つめて、ひひひと笑う。よだれを垂らしている?

 私は鼻先を叩いて釘を指した。

「命の恩人よ。食べないでね」

 天井が明るくなっていた。タコの墨が切れて、霧が晴れ始めたのだ。コウモリもどこかへ飛び去ったらしい。

 噴水のように池から飛び出す虹が、黒雲を突き破った。上空から下りる虹と、ぴたりとつながる。輪になった虹が、ぺたんと座り込んだ私たちを照らし出した。

 全員、心底疲れ切った顔をしている。しかし、いい顔だ。

「ラストステージ、クリア……」

「極道の底力を思い知っただろうよ」

「兄貴ぃ……良かったっすね……」

「尻に触るな!」

「勝ったのは、神じゃ。神と、霊と、名もない小さな者たち」

「そして、リンゴの母さん。ありがとう」

 私は、リンゴの枝にそっと手を触れた。預かっていた子どもを、揃えて返す。

 パッションと卯月が走り寄ってきた。

 私は二匹を抱きしめた。

「二人とも……大変だったわね」

「なにさ、卯月なんか。ウンコもらしただけじゃない……え? なに? そうね、おしっこも出したのよね。分かったわよ、うるさいガキ」

 言いながら、卯月の尻尾をなめ始めた。

 姉さんとは、そういうものだ。

 トラ毛に戻った与太郎が、でっかいあくびをもらした。のそのそと寄ってきて、いきなりのしかかる。

「おい、重いよ……」

 また、あくび。

「ごくろうさま。いい子ね」

 私は与太郎の暖かくてでっかい背中に頬を寄せた。そして、一緒に眠った。

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