ティラノサウルスは水から足を出して、牙をむいた。大音響の吠え声に壁がびりびりと震える。

 じいさんはたまげて、ぴょこんと立ち上がった。

「なんでこんな化け物が……」

 名人でさえ肝をつぶしている。

「ドラゴンはいないって言ったのに……」

 パッションは応えた。

「恐竜は空想の生き物じゃないもの……」

 ブルがティラノサウルスに命じた。

「奴らを踏みつぶせ!」

 ティラノサウルスは尻尾を振り上げ、身軽に跳んだ。床を揺るがせて私たちの目の前に着地し、二本の爪が生えた短い手を振る。

 私たちは、だっと逃げ出した。

 一瞬逃げ遅れたじいさんが、爪にかかった。銀色の痩せた身体が跳ね上がり、くるくる回りながら壁に激突する!

「おじいさん!」

 落ちたじいさん、またもぴょこんと立ってこっちに手を振った。

「平気じゃ。早く来い」

 どういう神経をしてるの、このじじい⁉

 それにしても、神の鎧は強力だ。

 兄貴分が走りながら叫ぶ。

「でかすぎるぜ!」

 若造はべそをかいていた。

「反則だよぅ!」

 じいさんが待つ壁際にたどり着くと、博士が言った。

「あいらが人間世界に現れたら……」

 ヒトラーに操られる五十匹もの恐竜軍団。作家の私でも想像力が及ばない。が、結果は悲惨に決まってる……。

 私は博士に尋ねた。

「出口を塞ぐ方法はあるの?」

「は?」

「ブラックホールを叩き壊すのよ!」

 全員の目が私に集まった。

「しかし……あなた方も帰れなく……」

 恐竜は舌なめずりしながらにじり寄ってくる。

 横に飛ぶために足場を固めながら、言った。

「あれが出るよりずっといい!」

 兄貴分。

「俺は帰りてぇ!」

 じいさんが悲しげに諭す。

「恐竜に踏みつぶされた日本で、ブルの奴隷になるか? ここならビーストと楽しめるぞ」

 思わず本音を出したわね。

 若造が兄貴分の腕にすがる。

「兄貴ぃ……ここで一緒に暮らしましょうよぅ……」

「帰りてぇよう……」

 兄貴分は、泣きながら若造を張り飛ばした。

 博士がうなずく。

「王座に自爆スイッチがあります。押すと天井が崩れ、ブラックホールは水中に……」

 名人が言った。

「湖そのものは吸い込まれないんですか?」

 博士はうなずいた。

「湖水が神なら、穴の吸引力に打ち勝てるでしょう」

 じいさんが言った。

「ブルも出られないのじゃな」

「おそらく」

 若造が、はっと顔を上げる。

「ブルもこっちに残るのか⁉ それじゃあ、殺されちゃうよ!」

 パッションが言った。

「人間世界に戻れないと知ったら、神と戦うのをあきらめるかも……」

 兄貴分が結論を下した。

「ええい、めんどうくせぇ! さっさと、ぶち壊しちまおうぜ!」

 私たちはうなずいた。

 ティラノサウルスが跳ぶ。

 だっと走った。まるで闘牛士だ。逃げながら王座を目指す。

 目標を失った恐竜は壁に激突した。広間が揺らぐ。走りながら振り返ると、壁に頭を突っ込ませてもがいていた。

 名人が言った。

「鈍い奴。でかいだけで恐くないですね」

 私は、桁外れの破壊力にビビっていたんですけど……。

 ブルが跳ね、私たちの前に立つ。顔面ににやにや笑いを張りつけて前足を振った。

 閃光が飛ぶ。

 私たちは一斉に伏せた。

 閃光は鎧に反射し、拡散した。その一部がブルに跳ね返る。自分が放った閃光を浴びたブルは全身を光らせた。毛皮が焦げる白煙が漂う。

 蒸気の鎧が今度は鏡に変わったのだ!

 ブルは吠えた。

「こしゃくな!」

 しかし、動きが鈍い。自分が放った破壊力を受け止めたせいだ。

 今のうちに!

 私たちは、また走った。床がうねる。

 ち! ティラノサウルス!

 壁から首を抜いた恐竜が驀進してくる。

 名人が叫んだ。

「奴に向かって走って! 合図でよけるんです!」

 壁を蹴って方向転換。恐竜に真正面から突進する。チキン・ランの肉弾戦だ。敵は鈍い。また壁にぶつけて動きを止めてやるわ!

「今よ!」

 踏みつぶされる寸前、左右に別れて転がった。恐竜は勢いを止められない。見事に、壁をぶち抜いた。また部屋が揺れ、天井からでかい石の固まりが落ちてきた。

 兄貴分、わめいた。

「へっ! スリル満点だぜぃ!」

 全員が素早く立ち上がって、王座に突進する。恐竜がもがく間に、私たちは王座を囲んでいた。

「スイッチは⁉」

 博士。

「ここです!」

 ひじ掛けの先端に赤いボタン。

 私は、みんなを見た。

「いいわね?」

 全員、うなずく。

 ボタンを押した。頭を抱えて、落下する天井の破片に備える……。

 が……何も起こらないじゃないさ⁉

 目を上げる。

 いつの間にか王座に座っていたブルが、悠然と笑った。

「ご苦労なことだ」

「な……なんで……?」

 私たちはブルの気で空中に叩き出された。砂地に落ちて、転がる。

「破壊装置はとっくに解除したわ。高貴な王座に触れおって。死ね、ウジどもめ!」

 ブルが跳んだ。私は横腹を蹴られて、再び空中に舞った。落下の衝撃が強烈に身体を貫く。ブルには神の鎧も歯が立たないのか……。意識が遠のく――。


         *


 頭の中にブルの言葉が、がんがん響く。

「コウモリたち! 卵を運べ! ブラックホールに投げ込むのだ!」

 一瞬、意識が飛んだようね……。

 しかし私はその何秒かの間に、心の片隅で奇妙なまでに冷静に考えを巡らしていた。

 恐竜の卵が……人間世界に……。許してはならない。ブルを倒さねば……。奴の苦手は、光……。しかし、恐竜が壁に開けた穴からも、光は差し込まない。城はまだ黒い霧におおわれているのだ。なんとか光を導く方法はないの……?

 困った時の神頼み。

 私は気力を振り絞って叫んだ。

「神よ! 光を!」

 ブルが笑いながら迫る。

「神は私だ!」

 と、ブルの足が止まった。

 地響きが身体を揺さぶる。恐竜の巨体が迫っている! 踏みつぶされる!

 その瞬間、私の身体は、いきなりぐんと持ち上げられた。

 二羽のフクロウが腕をつかんで舞い上がったのだ。

 足の下をティラノサウルスが突進していく……。ブルに向かって……。

 仲間たちは、シャチやフクロウに乗って飛んでいた。巨大なコウモリも無数に舞っている。縄をかけた卵をつかんで飛ぶコウモリたち。ブラックホールを目指すブルの家来に、みんなが空中戦を挑んでいたのだ!

 フクロウの背でパッションが言う。

「神様が動物を復活させたのよ」

 シャチにしがみついた名人が近づいた。

「僕、恐竜を怒らせて、壁を壊します!」

 壁が壊れれば天井も落ちる!

 さすが名人、敵の力を逆用する小ずるいアイデアは天下一品だ。

 恐竜は王座に激突していた。

 部屋が大きく揺らぐ。ごき……ごき……。天井がきしんでいる。

 シャチの尾が恐竜の鼻先を叩いた。目をむいた恐竜は、シャチを狙ってジャンプする。その頭が、王座の上の低い天井を打った。

 ごわぁん!

 不気味な音響が部屋に満ちた。天井全体ががうねる。ブラックホールも目に見えるほど振動していた。

 ブルが跳んだ。私に向かってくる!

 パッションがフクロウに命じた。

「もっと高く!」

 ブルの足の爪が私のスニーカーを引っかけた。スニーカーが脱げて、ブルは落ちた。下にはティラノサウルス!

 ブルは恐竜の頭にしがみつく。恐竜はブルを乗せたまま、またジャンプした。私の胸を鋭い爪がかすめる。

 巨体が着地した振動がとどめになった。

 ごごごごご……。

 天井の真ん中がぽっかりと抜け落ちた。池に落下して、砕け散る。ブラックホールも水中に没した。池の水が落ち込み、でかい縦穴が残る。吸引力が消滅した結果だ。

 これで、卵は運び出せない!

 しかし、ブルは恐竜の頭上でなおも笑っていた。

「ブラックホールなどすぐに掘り出せる。どうせこの城は用済みだ。好きに壊すがいい。貴様らも城の下敷きになって滅びろ!」

 なんでよ……ここまでやっても、こたえないなんて……。

 敗北感が私を捕らえ、隙ができた。

 ぶん!

 風圧を感じた。恐竜の手だ!

 私はティラノサウルスに握られた。

「神よ! 光を!」

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