2
先手必勝!
私はタコたちに叫んだ。
「ブルに取りつくのよ!」
命じるまでもなく、強力な邪念はタコを引き寄せていた。すさまじい勢いで飛ぶ無数のタコが、巨大化したブチ猫にぴたぴたと貼りついていく。ふぅーと毛を逆立てたブルは、たちまちタコの集団におおい尽くされてしまった。
名人が叫んだ。
「やったぜ!」
喜びはつかの間だった。巨大な猫の形に盛り上がったタコたちは、一瞬で真っ赤な茹でダコに変わり、ぱんぱんと爆発し始める。
飛び散ったタコの死骸の中心に立ったブルは相変わらず笑っていた。
博士がつぶやく。
「邪念が強力すぎる……。あいつと戦えるのは、地下の大ダコだけだ……」
じいさんたちが解放に失敗した、黒い霧の元凶?
「そいつならブルでも倒せるの⁉」
「可能性はあります。確信は持てませんが……」
試すしかない。階下に残る兵士は多くない。今ならタコを解放できるかもしれない。
与太郎に命じた。
「大ダコを連れてくるのよ!」
博士が、ぴょんと与太郎に飛び乗る。
「私も! エレベーターを動かせるようにしたら、すぐ戻ります」
銀色に輝く与太郎はだっと走り出し、翼が生えたように跳んで壁のドアに吸い込まれる。鎧の力で跳躍力が格段に増している。
タコが着くまで何としても時間を稼がなくては……。
ブルは、襲いかかるシャチたちに前足を振っていた。そのたびに閃光が走り、獣たちは消されていく。
勝手な奴。自分の都合で呼んでおきながら。
私たちはじりじりとブルに接近した。
回りでは、猫どうしの戦闘が騒がしく繰り広げられていた。タコもわずかに生き残っている。彼らは猫兵士の呪いを吸い取り、味方を増やしていく。これで猫を警戒する必要はなくなったわけだが……。
ブルはまったく動じない。
名人が言った。
「落ち着いてやがるな……。どんな技を隠してるんだ……?」
技はすぐに現れた。
壁の一部が開き、新たな敵が殺到してきたのだ。
じいさんが目を丸くした。
「ビーストじゃ!」
喜ぶな!
全裸の男女が二十人ほど、槍を構えて迫る。彼らが独特の雄叫びを上げると、猫たちは一瞬動きを止め、だっと逃げ出した。頼りにしていた勇者たちまでが、あっという間にいなくなってしまった。
まあ、猫に向かって本能に逆らえという方が無理なんですが……。
幸いと言うべきか、獲物を失ったタコがビーストに張りつき、またしても凄惨な共食いが始まった。食いつき、抵抗し、引き裂いた肉を奪いあい……私たちなど眼中にない。つくずく、しょうもない奴らだ。何のためにのこのこ出てきたんだか分かりゃぁしない。
しかしブルはうろたえず、血だまりでもつれあうビーストを笑いとばした。
「見よ。これが人間だ。しょせん人間は、優れた者の奴隷となるほかに生きる価値のない、半端な生き物なのだ」
ビーストは次々に死体に変わり、男女一組が残るだけになった。互いの手には槍がある。二人は同時に相手の胸を突き、倒れた。
これが、人間の本性なのか……。これが……。
駆け戻った博士がうめいた。
「むごいことを……」
事態は振り出しに戻ってしまった。勝ち誇るブルと対峙するのは、攻撃力を持たない私たちだけ。神の蒸気はまだ漂っているが、実体を与えるべき霊が去っては無力だ。
私はブルに言った。
「ほんと、人間なんて、愚かな生き物。こんな出来そこないの親分に納まっても、つまないんじゃなくて?」
ブルは真剣に答えた。
「自分のために世界を統べるのではない。未来が必要としているから、応えるのだ」
大きなお世話よ。
「それじゃあまず、政治家として立候補してみたら?」
どうせ、日本の選挙制度にスポイルさるのが落ちでしょうから。
ブルは、あくまでも自信に満ちている。
「もちろん、そうする。日本の選挙は充分に研究した」
甘かった。奴め、組長の猫だったんだ。権力は金から、金は暴力から。日本の政治は五十年間、少しも変わらない。有能な指導者が現れたように見えても、国民の不満が収まればいつも同じ場所に戻ってくる。憎たらしいほど日本の政治状況を見切っている……。
ブルは続けた。
「いよいよ人間世界へ侵攻する時がやって来た。私は向こうで政治家の魂を乗っ取り、卵を育てなければならん。仕事は多い。そろそろ、茶番は切り上げよう。王座を見よ」
まだ何か出してくる気……? いい加減、くたびれたな……。
見上げて、はっとした。
卯月!
見間違えようはない。不安げに尻尾を振り回す卯月が、不細工な人間の男に抱えられている。首には一度もはめたことのない首輪。男の手には短い刃物が……。
漫才コンビが叫んだ。
「組長!」
何ですって⁉ あの男が、漫才コンビのボス……? なんでまた、こっちに……?
ブルは言った。
「人間世界にいたときから、私はこの男をコントロールし、訓練していたのだ。こちらからでも指令は届く。貴様の猫も捕らえさせた。殺させるのは簡単だ。さあ、どうする? これでも逆らえるか?」
名人がうめいた。
「許せねえ……卯月まで……」
卯月は名人の一番のお気に入りだった。
私は小声で兄貴分に尋ねた。
「親分を助けたい?」
兄貴分は、きっぱり首を振る。
「降参したって助かりゃぁしねぇ。どうせ猫ごときに操られていたノータリンのすけべえじじいだ。どうとでもしろ」
確かに親分の目はどんよりと焦点を失っている。正常でないことは一目で分かる。それにしても、ヤクザともあろう者が、こうもあっさり親分を見捨てられるとは意外だ。相当不満がたまっていたらしい。
残る問題は、卯月をどうやって助けるか、ね……。
ブルは命じた。
「水を飲め。我がしもべとなるのだ」
しつこいってば!
じいさんがささやく。
「宝猫じゃろう? 信じろ」
そう。今までは、信じて救われた。
私は叫んだ。
「いやよ。絶対に手下にはならないわ」
「残念だな……最後のチャンスを捨てるのか。よろしい。望みをかなえてやる。まず、大事な猫が腹を裂かれるのを見ろ。それから、貴様らをひねりつぶしてやるわ!」
そして、親分に命じた。
「殺せ!」
親分はドスを上げた。卯月は緊張し、尻尾をふくらませる。しかし、恐怖に金縛りになっていた……。
正視できない。悔しいけど、助けようがない……。
「卯月……許して……」
名人がつぶやく。
「卯月……あれ、様子が変ですよ?」
目を上げた。
親分、ぼんやりと卯月の尻を見下ろしていた。きらり、と何かが光る。
あ。ウンコ。卯月め、恐怖のあまり、ウンコをもらしちゃったんだ……。
親分、ドスを握る手で金のウンコを卯月の尻から引っ張り出し、臭いを嗅いだ。しきりに首をひねり……ついに、かじった。
親分の目に光が戻った。
「お! 金じゃねえか⁉」
刃物が手から落ちる。
あれ? ブルの呪いが解けたの? なぜ?
じいさんが笑った。
「この強欲じじいめ。金塊を見て正気に返りおったわ」
欲が呪いを解いたですって?
なるほど。言われてみれば、金欲ほど強力な愛情は他にはない。肉親の愛情に勝ることもまれではない。ブルの呪いも、親分の欲の深さには勝てなかったわけね……。
若造が感激してうなずいた。
「さすが、親分!」
親分が卯月の首輪を放す。卯月はだっと飛び降り、駆け出し、私の肩に飛びついた。
懐かしい、陽なたの匂いがした。
「卯月……」
「ぐぅにゃーん」
パッションが、ぷいとそっぽを向いた。
「今だけよ。帰ったら、いじめてやる」
親分、辺りをきょろきょろ見回して叫んだ。
「な、なんだ、ここは⁉」
漫才コンビに気づく。
「お、お前ら! 何だ、ここは! こんな所で何を⁉」
兄貴分がそっぽを向く。
「一生そこで、わめいてろ」
ブルが始めて狼狽を見せた。
「き、貴様らの親分なんだぞ。私はあいつの命を奪えるのだぞ!」
兄貴分はブルに向かって唾を吐く。
「おお、やってくれ。猫の家来なんぞ、親分と呼べるか!」
「あっしも同感っす」
親分は、わなわなと震えた。
ブルも、わなわなと震えた。
二人が同時に叫ぶ。
「この役立たずが!」
親分はブルと目を合わせた。
「おまえ……ブル……か? まさか……でかすぎるし……猫がしゃべるなんて……」
「失せろ!」
親分は、ぽかんと口を開けたまま、消えた。
私は言った。
「卯月を捜してくれて、ありがとうね」
ブルは怒り狂っていた。
「もう、下僕など必要ない! 踏みつぶしてくれるわ!」
前足を振った。床が激しく振動する。
今度は何さ⁉
球状の池の水面がぼこぼこと泡立った。中から何かが浮かび上がってくる……。
名人があとずさる。
「で、でかいですよ……」
博士がうめく。
「最終兵器はここに隠していたのか……」
水面が割れて、それは頭を現した。
じいさんが尻餅をついた。
「こ、これがトカゲの正体か……」
私は茫然とうめいた。
「トカゲなんかじゃ……こいつはティラノサウルスよ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます