若造、呪いが抜けきっていなかったのね!

 兄貴分が叫ぶ。

「こいつ、裏切りやがった!」

 私は叫んだ。

「タコは⁉」

「それどころじゃねぇ! このガキ、猫の兵隊に囲まれたらころっと寝返った。俺はこいつに頭を殴られたんだぞ!」

 半分べそをかいている。子分に裏切られたことがよほど悔しいようだ。

 じいさんは落ち着いていた。

「なに、結果は同じじゃ。あれだけ大勢に囲まれては手の打ちようがないわ」

 ブルが言った。

「涙のご体面はこれで充分だ。兵士からダニをのけろ。この部屋から消し去れ!」

 じいさんと兄貴分が同時に叫ぶ。

「言うことを聞くな! どうせわしは先がない!」

「言うことを聞け! 俺はまだ死にたくねぇ!」

 若造が剣を振り上げる。

「ブル様の命令は、絶対だ!」

 若造、じいさんの白髪をつかんだ。剣を振るって髪をすっぱりと切り落とす……。

 じいさん、カッパハゲにされても動じない。

「だめじゃ! 言いなりになるな!」

 兄貴分も負けずに叫ぶ。

「早く言うことを聞け!」

 ブルが王座を下り、重そうな足取りで若造の前に出た。

「さあ、ダニを! 仲間が死ぬぞ。同じ仲間の手のかかってな。ぐぅわっはっは……」

 お手上げね……。

 私は言った。

「虫たちよ。すべてのダニを運び去れ」

 ブルがつけ足す。

「二度と戻るな、と命じろ」

「……そして、二度と戻るな」

 虫たちは地上に降りた。ダニを身体にしがみつかせると、次々と飛び立っていく。空間に充満した羽音と影は次第に薄れ、壁に開いた出入口に吸い込まれて消えた。

 一旦は退却した猫の兵士も、再び姿を現わした。しかし今度は、足取りが落ち着いていた。数百匹の猫は整然と隊列を組み、じりじりと前進する。

 ブルが勝ち誇った。

「我が兵士に抵抗すれば、結果は言うまでもないな」

 ざっざっと砂を踏みしめて迫る猫は、まさしく訓練された兵団だった。帝国陸軍の行進みたい。勝手気ままが身上の猫には全体主義などそぐわないのに。

 それだけに、不気味ね。

 私たちは囲まれ、後退していった。背中が岩に当たる。背後は、盛り上がった池の水面。もう、しりぞくこともできない……。

 振り返って、ブラックホールを見上げた。人間世界に通じる、唯一の通路。しかしそれは十メートル以上の高さに浮かんでいるのだ。与太郎だって跳べる距離じゃない……。

 兵士の行進が止まる。

 ブルが笑った。

「水を飲め」

 名人がとぼけた。

「は? 喉は乾いてないけど?」

「池の水を飲むのだ!」

 ぴんと来た。

「この池、湖とつながっているのね?」

「その通り」

 ブラックホールの引力で城の頂上まで湖水を引き上げているのだ。湖には呪いがかけられている。飲めば、ブルの手下に……。

 じいさんが叫んだ。

「だめじゃ! 飲むでない!」

 若造がじいさんの背に剣を立て、台座の縁に押し出した。

「ブル様の命令を聞くんだ!」

 ブルは若造を見上げた。二人の間は、ほんの一メートル……。

「貴様……かわいい奴じゃな」

 と、若造はにやりと笑う。

「俺は人間の男が好きなんだ。猫は趣味じゃねぇ。死ね!」

 剣を振った。

 すぱん!

 飛んだのはブルの首だった。

 若造の裏切りは、ブルを油断させるための策略だったのね!

 片目のブチ猫の首は空中に高くはね上り、くるくる回って私たちの脇に落ちた。兵士の間にどよめきが広がる。

「神が……滅びた……」

「王が……去った……」

 そして一匹がひれ伏し、数匹が続き、すべての兵士が鼻先を砂に埋めた。

 パッションが言った。

「服従の印。今度は私たちが王様よ」

「ずいぶん転向が早いのね」

「だって、猫だもの」

 分かったような、分からないような……。ま、いいか。

「じゃあ、帰れるの……?」

 パッションはうなずいた。

 私は若造を見上げた。主人の死を見せつけられたブルの腹心は、すでに逃げ去っている。

 若造はにっこりと笑い、ブルの身体に剣を突き刺した。死体を砂の上に落とす。

「洗脳されたふり、してたんです! やっぱ猫ですよね、すっかりだまされちゃって」

 そう言って、兄貴分とじいさんの縄を切った。

 兄貴分が叫ぶ。

「なんだと! 兄貴分を差し置いて勝手な真似を!」

「すんません。他に方法がなかったから……。じいさん、悪かったね、髪の毛」

「なに。すぐ生えるさ」

 しかしじいさん、さみしげに頭の天辺に手をそえた。

 兄貴分、手首をさすりながら若造をにらむ。

「さんざんこずきまわしやがって。帰ったら、ただじゃぁおかねえぞ」

 じいさんがたしなめる。

「機転をきかせて皆を救ったのじゃ。感謝しろ」

「だから礼をするんだよ!」

 若造、妙に嬉しそうだ。

「へえ、たっぷり可愛がってください」

 兄貴分、げっと身を引く。

「そ……そうだったな。お前、マゾの気もあったんだっけ……」

「嬉しいです、覚えてていただいて……」

 若造は兄貴分にすり寄った。

 私は言った。

「お礼は、ちゃんとしてあげるのよ」

 それだけの価値はある。

 まったく、見事なトリックだった。タコ解放が不可能だと分かると、ブルにコントロールされ続けていると見せかけて、急速接近。見事に首をはねたんだものね。若造、頭も切れるし、肝も太い。兄貴分に惚れていなければ、立場は今すぐにでも逆転するだろう。

 なにはともあれ、苦労は終わった。

 と、じいさんが声をかけた。

「先生! これ、何じゃろうな?」

 金色のメダルを放ってよこした。鎖がついている。拾って調べる。

「ブルがかけていたの?」

「そうじゃ」

 卍のマークがレリーフになっている。さてはブルの正体は、生臭さ坊主の成れの果てだったのかな……? そんな俗物にしては、霊力が強すぎるような気もするけど……。

 待てよ。この卍、どこか変……。向きが逆? ……ってことは……ハーケンクロイツ!

 あわてて裏返した。とたんに、血の気が引いた。

 な、なんだって、こんな場所に……? ブルとは、いったい何者……⁉

 ブル……正式な名は、ブロンディ。ブロンディ……? どこかで聞いた覚えが……? ブロンディですって⁉ そんな……嘘よ……ありえない……あのブロンディは、犬よ……。

 まさか……まさか……。

 名人が顔を出す。

「先生? どうしました?」

 私は、翼を広げた鷲が彫られたメダルを差し出した。

「これ……ナチスドイツの紋章よ……」

「は?」

 私はブルの首を指さした。

「こいつはね……あ……ああ……」

 言葉を呑み込んでしまった。

 首が動いている。地面を転がっていく。切り離された身体を目指して……。

 名人が私にしがみついた。

「せ、先生……嘘でしょう……」

 嘘なら、どんなに嬉しいか……。

 パッションが叫ぶ。

「いやぁ! なによ、この空気……邪悪な臭い……」

 猫の兵士たちは顔を上げていた。

「神が……王が……復活される……」

 復活できるのだ、彼なら。それほど邪悪な力を、彼なら持っている……。私は、なんという歪んだ世界に来てしまったの……?

 転がる首を、みんなが見つめた。しかし、止められなかった。誰も、動けなかった。たとえ試みても、成し遂げられないだろう。彼が持つ〝暗黒の力〟は、人間を超越している。

 首は身体に結合した。でっぷりふとったブチ猫が起き上がる。そして、白熱した。

 あまりのまぶしさに目をそむけた。

 再び視線を戻すと――そこには、与太郎よりも巨大に変化したブチ猫が笑っていた。

 ブルは私に言った。

「よくぞ見抜いたな、私の真の姿を……」

 私は、ごくりと唾を呑み込んだ――つもりだったが、唾は干上がっている。

 名人は脅えている。

「な、何なんですか、あ、あいつ……」

 私は彼が人間だった時の名をささやいた。

「アドルフ・ヒトラー」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る