7
若造、呪いが抜けきっていなかったのね!
兄貴分が叫ぶ。
「こいつ、裏切りやがった!」
私は叫んだ。
「タコは⁉」
「それどころじゃねぇ! このガキ、猫の兵隊に囲まれたらころっと寝返った。俺はこいつに頭を殴られたんだぞ!」
半分べそをかいている。子分に裏切られたことがよほど悔しいようだ。
じいさんは落ち着いていた。
「なに、結果は同じじゃ。あれだけ大勢に囲まれては手の打ちようがないわ」
ブルが言った。
「涙のご体面はこれで充分だ。兵士からダニをのけろ。この部屋から消し去れ!」
じいさんと兄貴分が同時に叫ぶ。
「言うことを聞くな! どうせわしは先がない!」
「言うことを聞け! 俺はまだ死にたくねぇ!」
若造が剣を振り上げる。
「ブル様の命令は、絶対だ!」
若造、じいさんの白髪をつかんだ。剣を振るって髪をすっぱりと切り落とす……。
じいさん、カッパハゲにされても動じない。
「だめじゃ! 言いなりになるな!」
兄貴分も負けずに叫ぶ。
「早く言うことを聞け!」
ブルが王座を下り、重そうな足取りで若造の前に出た。
「さあ、ダニを! 仲間が死ぬぞ。同じ仲間の手のかかってな。ぐぅわっはっは……」
お手上げね……。
私は言った。
「虫たちよ。すべてのダニを運び去れ」
ブルがつけ足す。
「二度と戻るな、と命じろ」
「……そして、二度と戻るな」
虫たちは地上に降りた。ダニを身体にしがみつかせると、次々と飛び立っていく。空間に充満した羽音と影は次第に薄れ、壁に開いた出入口に吸い込まれて消えた。
一旦は退却した猫の兵士も、再び姿を現わした。しかし今度は、足取りが落ち着いていた。数百匹の猫は整然と隊列を組み、じりじりと前進する。
ブルが勝ち誇った。
「我が兵士に抵抗すれば、結果は言うまでもないな」
ざっざっと砂を踏みしめて迫る猫は、まさしく訓練された兵団だった。帝国陸軍の行進みたい。勝手気ままが身上の猫には全体主義などそぐわないのに。
それだけに、不気味ね。
私たちは囲まれ、後退していった。背中が岩に当たる。背後は、盛り上がった池の水面。もう、しりぞくこともできない……。
振り返って、ブラックホールを見上げた。人間世界に通じる、唯一の通路。しかしそれは十メートル以上の高さに浮かんでいるのだ。与太郎だって跳べる距離じゃない……。
兵士の行進が止まる。
ブルが笑った。
「水を飲め」
名人がとぼけた。
「は? 喉は乾いてないけど?」
「池の水を飲むのだ!」
ぴんと来た。
「この池、湖とつながっているのね?」
「その通り」
ブラックホールの引力で城の頂上まで湖水を引き上げているのだ。湖には呪いがかけられている。飲めば、ブルの手下に……。
じいさんが叫んだ。
「だめじゃ! 飲むでない!」
若造がじいさんの背に剣を立て、台座の縁に押し出した。
「ブル様の命令を聞くんだ!」
ブルは若造を見上げた。二人の間は、ほんの一メートル……。
「貴様……かわいい奴じゃな」
と、若造はにやりと笑う。
「俺は人間の男が好きなんだ。猫は趣味じゃねぇ。死ね!」
剣を振った。
すぱん!
飛んだのはブルの首だった。
若造の裏切りは、ブルを油断させるための策略だったのね!
片目のブチ猫の首は空中に高くはね上り、くるくる回って私たちの脇に落ちた。兵士の間にどよめきが広がる。
「神が……滅びた……」
「王が……去った……」
そして一匹がひれ伏し、数匹が続き、すべての兵士が鼻先を砂に埋めた。
パッションが言った。
「服従の印。今度は私たちが王様よ」
「ずいぶん転向が早いのね」
「だって、猫だもの」
分かったような、分からないような……。ま、いいか。
「じゃあ、帰れるの……?」
パッションはうなずいた。
私は若造を見上げた。主人の死を見せつけられたブルの腹心は、すでに逃げ去っている。
若造はにっこりと笑い、ブルの身体に剣を突き刺した。死体を砂の上に落とす。
「洗脳されたふり、してたんです! やっぱ猫ですよね、すっかりだまされちゃって」
そう言って、兄貴分とじいさんの縄を切った。
兄貴分が叫ぶ。
「なんだと! 兄貴分を差し置いて勝手な真似を!」
「すんません。他に方法がなかったから……。じいさん、悪かったね、髪の毛」
「なに。すぐ生えるさ」
しかしじいさん、さみしげに頭の天辺に手をそえた。
兄貴分、手首をさすりながら若造をにらむ。
「さんざんこずきまわしやがって。帰ったら、ただじゃぁおかねえぞ」
じいさんがたしなめる。
「機転をきかせて皆を救ったのじゃ。感謝しろ」
「だから礼をするんだよ!」
若造、妙に嬉しそうだ。
「へえ、たっぷり可愛がってください」
兄貴分、げっと身を引く。
「そ……そうだったな。お前、マゾの気もあったんだっけ……」
「嬉しいです、覚えてていただいて……」
若造は兄貴分にすり寄った。
私は言った。
「お礼は、ちゃんとしてあげるのよ」
それだけの価値はある。
まったく、見事なトリックだった。タコ解放が不可能だと分かると、ブルにコントロールされ続けていると見せかけて、急速接近。見事に首をはねたんだものね。若造、頭も切れるし、肝も太い。兄貴分に惚れていなければ、立場は今すぐにでも逆転するだろう。
なにはともあれ、苦労は終わった。
と、じいさんが声をかけた。
「先生! これ、何じゃろうな?」
金色のメダルを放ってよこした。鎖がついている。拾って調べる。
「ブルがかけていたの?」
「そうじゃ」
卍のマークがレリーフになっている。さてはブルの正体は、生臭さ坊主の成れの果てだったのかな……? そんな俗物にしては、霊力が強すぎるような気もするけど……。
待てよ。この卍、どこか変……。向きが逆? ……ってことは……ハーケンクロイツ!
あわてて裏返した。とたんに、血の気が引いた。
な、なんだって、こんな場所に……? ブルとは、いったい何者……⁉
ブル……正式な名は、ブロンディ。ブロンディ……? どこかで聞いた覚えが……? ブロンディですって⁉ そんな……嘘よ……ありえない……あのブロンディは、犬よ……。
まさか……まさか……。
名人が顔を出す。
「先生? どうしました?」
私は、翼を広げた鷲が彫られたメダルを差し出した。
「これ……ナチスドイツの紋章よ……」
「は?」
私はブルの首を指さした。
「こいつはね……あ……ああ……」
言葉を呑み込んでしまった。
首が動いている。地面を転がっていく。切り離された身体を目指して……。
名人が私にしがみついた。
「せ、先生……嘘でしょう……」
嘘なら、どんなに嬉しいか……。
パッションが叫ぶ。
「いやぁ! なによ、この空気……邪悪な臭い……」
猫の兵士たちは顔を上げていた。
「神が……王が……復活される……」
復活できるのだ、彼なら。それほど邪悪な力を、彼なら持っている……。私は、なんという歪んだ世界に来てしまったの……?
転がる首を、みんなが見つめた。しかし、止められなかった。誰も、動けなかった。たとえ試みても、成し遂げられないだろう。彼が持つ〝暗黒の力〟は、人間を超越している。
首は身体に結合した。でっぷりふとったブチ猫が起き上がる。そして、白熱した。
あまりのまぶしさに目をそむけた。
再び視線を戻すと――そこには、与太郎よりも巨大に変化したブチ猫が笑っていた。
ブルは私に言った。
「よくぞ見抜いたな、私の真の姿を……」
私は、ごくりと唾を呑み込んだ――つもりだったが、唾は干上がっている。
名人は脅えている。
「な、何なんですか、あ、あいつ……」
私は彼が人間だった時の名をささやいた。
「アドルフ・ヒトラー」
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