6
扉を押し開いた。
薄暗い。異様に静かだ。じっと、目をこらすと――。
巨大な空間が広がっているみたい。深夜の東京ドームに迷い込んだ気分ね……。
目が慣れてきた。床は、はるか下にある。横長の階段が続いていた。壁や天井はごつごつとした岩肌でおおわれている。真ん中に小山のような盛り上がりが見えるが……。
とたんに、明るくなった。壁に並べられたたいまつから一斉に火が噴き出したのだ。
人間の声――それも、日本語が広間に響きわたる。
「待っていたぞ、勇敢な戦士よ。そして、我がしもべよ」
ブルね……。
名人が胸を張る。
「しもべだと? 馬鹿言うんじゃない! 僕たちは貴様を倒しにきたんだ!」
思ったとおり、広い。小山と見えたのは〝池〟だった。人の背たけを越えそうな大きな石を円状に並べ、その中に水を満たしている。しかし、入っているのは普通の水ではない。直径五メートルの水晶玉を埋め込んだかのように、中央が半球状に盛り上がっている。その上を見ると――空中に小さな黒い穴がぽっかりと浮かんでいた。
ブラックホール!
その引力が池の水を吸い寄せ、盛り上がらせている。天井と水を引き合わせてバランスを取り、ブラックホールを空中に固定しているわけだ。それは王の権力を示すモニュメントのように感じられた。
そう――ここは競技場なのだ。王の気まぐれを満足させるために、命を賭けた戦いを見世物にするコロシアム……。
声が言った。
「思う存分、戦いたまえ。お前たちがどれほど勝れた戦士か、とくと見せてもらおう。だが、お前たちの運命はとうに定められておる。私と共に人間世界に戻るのだ。そして、私の手足となって人の世界を統べるのだ」
こん……と小さな音がして、向かい側の壁が開いた。ぐぐっと台座がせり出してくる。中央にばかでかい王座が据えられていた。あまりに遠く離れているで、王座にうずまるブルの姿は点にしか見えない。が、そこから発散する狂暴な意志ははっきりと感じられる。
名人がささやいた。
「遠すぎますね……」
「こっちに来て、と頼んでみる?」
「外の黒い霧も晴れませんね……」
天井には、やはり無数の小窓がつけられている。が、光はまったく差し込まない。
「窓は塞がれているようね」
「条件はよくならないじゃないですか」
「なったわよ。敗けても帰れるもの」
「化け猫の奴隷なんてご免ですよ」
「あんな野蛮な猫なら、私もやだ」
私たちは、ゆっくりと階段を下っていった。長い。上で感じていたよりも、ずっと長い。私は周辺の壁をじっと観察した。どこからかブルの兵隊が現れるはずだ。
何も起こらない……。私たちは、コロシアムの床に立った。敷きつめられた砂に、くるぶしが埋まる。
足場が悪くて動きにくいわね……。
背後で、ごくんと音がした。振り返ると、階段が静かに壁に吸い込まれていく。階段の動きが止まった時には、私たちが通ってきた扉は床から十メートルも高い位置にあった。その間は、垂直の壁。
名人がつぶやいた。
「逃げられませんね、もう……」
「逃げる気でいたの?」
名人は肩をすくめた。
と、両側の側面の壁が、ゆっくりせり上がる。私は鉄パイプを握りしめた。
「来るわよ!」
うわぁーんというような音があふれ、湧き出してきたのは無数の猫の兵隊だった。
名人が吠える。
「きったねぇぞ! まだこんなに残っていたのかよぉ⁉」
兵士の数は、百や二百ではきかない。地下のマタタビはここまでは届かなかったの……? そうじゃないわ。走り寄る兵士は全員、鼻にマスクをつけている。マスクからはチューブがのび、背中に付けた小さなボンベにつながっているのだ。
化学兵器戦に備えた特殊部隊なんだわ。
恐れていた鉄爪は装備していなかった。
パッションが言う。
「あれをつけてると、仲間のマスクのチューブを切ってしまうから」
それなら戦える!
「よし! 蹴散らしてやるわ!」
与太郎が毛を逆立てた。飛びかかる兵士を叩き飛ばし、噛み、踏みつける。ひたすら暴れ回る巨体の迫力は圧倒的だった。
私と名人は背中を合わせて立ち、鉄パイプを振った。顔に向かってジャンプしてくる猫兵を打ちのめす。そのたびに猫たちは、ぎゃっとうめいて凄まじい勢いで逃げ去った。敵は、たかだか猫だ。かわいそうだが、人間の力に勝てはしない。
「ブルめ! 見なさい! 残らず追い払ってやるわ!」
ブルは冷静だった。
「いくらでも時間をかけるがいい。楽しみたまえ」
生意気な口を叩くんじゃないわよ!
パッションと博士は私たちの間に逃げ込んだが、時折前足を突き出して応戦する。
しかしパッションは泣きべそ。
「だめよ……数が多すぎるもん……」
言われて視線を上げた。
ぞっと、血が下がった。手が届く範囲の猫は追い払っているが、兵士の多くはドーナツ状に隊列を組んで牙をむき出しているのだ。しかも壁の穴からは、ぞろぞろと新たな兵士が湧き出してくる……。
与太郎も奮闘していたが、足にかじりつく兵士の数は、さっきよりも多い。動きも鈍っている。
私の足も引っかき傷で血まみれに変わっていた。いつまでも、パイプを振り続けることはできない。疲れて倒れれば、身体中に牙を立てられて内蔵まで食われてしまう……。
「まずいわね……」
名人が泣いた。
「先生! 虫を!」
死ぬほど嫌いな虫に、助けを求めている。こいつも必死ね。
まだ、言うことを聞いてくれればいいんだが……。
私は念じた。
「こっちへ来て! 猫を追い払って!」
黒雲は、やって来た。
名人、ひっと息を呑んで固くなる。
虫はうあぉーんという羽音を響かせ、床に広がって猫兵にまとわりつく。ハチは毒を刺し、毒のない虫は手当り次第にかじりつく。虫たちは身の危険もかえりみずに、猫兵士に果敢に戦いを挑んだ。
結果は……兵士を喜ばせただけだった。
猫兵は一斉に後ろ足で立ち、両手で虫を捕まえようと跳ねた。本能丸出しで、尻尾をふくらませて興奮している。まるでロックフェスかねぶた祭りだ。
考えてみれば、当然。うちの猫だって、虫や鳥を採っては見せびらかしに来たもん。
博士がつぶやいた。
「どうせ虫ならダニの方が良いのに……」
ダニ、ね……
私は叫んだ。
「虫たち! 地上に戻ってダニを乗せて来て! 出来るだけたくさん運ぶのよ!」
虫は上昇した。あっという間にドアから消え去る。
私は名人をつっついた。
「朝よ! 働きなさい!」
虫取りでヒートアップした兵士を相手に、さらにパイプを振り続ける。
名人がぼやいた。
「虫……まだ来ないんですか……」
記憶にございません――てか? どうせ援軍を見たら、今度も動けなくなるくせに。
「到着予想時刻は神様に聞いてね……」
息を切らせた私たちを、ブルがあざ笑う。
「もがけ! わめけ! そして、悟れ! 貴様らは私の敵ではない!」
うるさい! 気が散るじゃないさ!
しかし、パイプが重い。腕がこわばり、目がかすむ。足に牙を立てられても抵抗する気力が失せ始めた……。あと五分もしたら、ぶっ倒れてしまうわね……。
その時、羽音が聞こえた。
虫が戻った!
今度は虫たち、猫の手が届く位置までは降りなかった。上空で旋回して盛んに〝粉〟振り落とす。黒雲から降るダニの集団は、まるで雪のように光り輝いて見えた。
猫たちの動きが変わった。
ちょこんと座り、耳の後ろをかく者。背中に潜り込んだダニを取ろうと、ボンベを外す者。大部分はかゆみに耐えかね、砂に身体をこすりつけた。
私たちを囲んだ狂暴な兵士たちは、あっという間に転げ回るだけの無害な猫に変わってしまった。かゆさを我慢しきれなくなった猫は、出て来た穴に駆け戻る。最初は数匹だった脱走兵は次第に増え、ほとんどの猫は穴に逃げ帰ってしまった。
ブルがうめく。
「味なまねを……」
与太郎が、かすかに足を引きずりながら戻ってきた。ダニには食われているだろうが、もともとが大きいから気にかけていない。
名人が硬直しながらもつぶやいた。
「さすが博士だ……効果てきめん」
博士は、もじもじしながらうなずく。
「だてに猫はやっていません。し、しかし……」
食いつかれたのね。
私はしゃがんで、ダニを捜した。あれあれ、米粒のようなダニが房になって食いついているじゃない。一匹ずつつまみ取っていたんじゃ日が暮れるわ……。
しかも、私も頭がむずむずしてきた。
名人も青くなって頭をかく。
「やだよ、こんなの! 先生の命令、聞くんじゃないんですか⁉」
「そうか……ダニよ、我々から去れ」
すると、どこからともなく薄い水蒸気が集まり博士とパッションを包んだ。ダニは自然に、ぽろぽろと落ちていく……。
またもや、水蒸気……? これには何か秘密があるわね。
と。お、おお……。今度は水蒸気が私たちにもまとわりついてきた。やわらかな羽でなでられているように、こそばゆいが……ありゃりゃ。な、なんと、引っかき傷が治っていくじゃないさ!
ブルの笑い声が轟いた。
「この勝負は貴様らの勝ちだ。しかし、こんな状況には打つ手があるかね?」
私たちは王座を見た。
ブルと手下の猫が四匹。私たちを見て笑っている。問題は、彼らに囲まれた人間だ。
じいさんと兄貴分が、後ろ手に縛り上げられている。
二人に剣を突きつけているのは……なんですって⁉ 若造じゃないのさ!
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