博士は言った。

「一刻も早く、すべての卵を破壊しなくては。ブルは、すでに人間世界へ運ぶ準備を整えていますから」

「どこにあるか分かりますか?」

「王の広間に。あなた方の言う、ブラックホールもそこに」

 若造が声を上げた。

「早く行こうぜ!」

 博士はうつむく。

「しかし、容易な道のりではありません」

 名人が首を突っ込む。

「モンスターがいるんでしょう? ね? ね?」

「どうしてそれを?」

「やっぱり!」

 喜ぶんじゃないってば!

「王の広間へは、三つのホールを通り抜けなければなりません。ホールをつなげた回廊が中央の広間をぐるりと囲んでいるのです。それぞれに守りを固める怪物がいます」

 名人が小さくガッツポーズ。

「よし!」

 じいさんが聞く。

「その怪物はブルが来る前からおったのか?」

「いいえ。ブルが王座を奪ってから城に連れ込まれたものです」

 私は考えた。

「それなら、光に弱いかもね……」

 城は黒い霧でおおわれている。ブルの弱点が太陽の光だからだ。手下の怪物も光を嫌う可能性は高い。

 私は博士に聞いた。

「霧を出す機械は、どこに?」

「タコ・マシーンですね」

「タコ……?」

「あの霧は巨大タコが出す墨を拡散させて放出しているのです。タコ本体はすぐ上の階の中央部につながれていますが……。そうか! タコを解放すればいいんだ! 霧は消え、ブルの邪念も巨大タコに吸い取られる!」

 私はうなずいた。

「行きましょう」

 じいさんが首を横に振る。

「ここから先は、もっと警戒が厳重になるじゃろう。大勢で行動しては目立ちすぎる。一網打尽にされてはブルの思う壺じゃ。二手に分かれるべきじゃな」

 名人が賛成する。

「一方がタコ解放へ。もう一方は、モンスターを倒しに」

 不安ですけど……。

「力が弱まるんじゃなくて?」

 じいさん、強気だ。

「時間がないのじゃ」

 ブルを人間界に出させてしまったら、猫の世界は呪われたまま。卵を持ち出されたら、たとえ無事に帰れても、人類そのものがブルの奴隷にされる恐れがある。

「分かったわ。猫と私はモンスターへ」

「僕もそっちがいい」

「あけみはわしと一緒じゃぞ」

「俺はタコは嫌だ!」

「兄貴、あっしがお供しますぜ」

「尻に触るな!」

 パッションが言った。

「あけみがいたハーレムは、タコの部屋と同じ階にあるんですって。ハーレムを解放すればみんなも協力してくれるわよ、きっと」

 博士が言った。

「でも、警備が厳しいはずです……」

 私はリンゴを取り出した。パッションにさし出す。

「タコとマタタビ、どうなったかお母さんに聞いてもらって」

 パッションはしばらくリンゴを眺めて、うぅーんといきばる。か細いテレパシーを精神力で感知しようとしている。つらそうね。

 と、パッションはほっと息を抜いた。

「もう少しで準備できるそうよ」

「リンゴの木は火を起こせる? マタタビをタコの真ん中で燃やして欲しいんだけど」

 パッションは、またもリンゴをにらみつける。

「枝をこすれば火は出るそうよ。怖いけど、やってくれるって」

「よろしく頼んだわ」

 兄貴分が言った。

「そんなことして、何の足しになる?」

「地下でマタタビを燃やせば、煙が城内の兵士を引き寄せるでしょう? タコも解凍されて動き出すわ。そこにブルにコントロールされた猫が集まれば、どうなる?」

 若造が、ぽんと手を叩いた。

「生き返ったタコに呪いを吸い取られて兵隊が正気に戻る!」

 博士がうなずく。

「すばらしい計画です」

「ここまで煙が届いたら、行動開始よ」


          *


 廊下からマタタビの香りが漂ってくる。

 パッションたちが、ふにゃふにゃととろけ始めた。

「さあ、出発よ!」

 じいさんは、漫才コンビを引き連れて研究室を出た。

 私たちは、酔っ払った与太郎の首を引っ張り、柱のエレベーターに向かった。

 博士とパッションは、意志の力でマタタビの誘惑と戦っている。

 名人が言った。

「エレベーター、動くのかな……」

 私も心配だった。

 王の広間は地上十階にあるという。エレベーターはモンスターのホールに直結しているのだ。侵入を防ぐために電源を切られていても不思議はない。

 しかし、博士が壁の穴に前足を入れると、内部で機械が動き出す音がした。

「コンピューターが私の足型を確認しました。最高機密を扱っているんで、私はどこでもフリーパスなんです」

 私は身がまえた。ドアが開く……。

 空だった。

 私たちは中に入り、博士がボタンを押した。

 名人が首をひねる。

「掌紋コードを変えるとか、博士のデータを消去するとか、電源を切るとか……何とかすりゃぁいいのに。こうまで妨害がないと、かえって不安になっちゃう……」

 ゲームとしてつまらない、と言いたいんでしょう?

 博士が説明した。

「機械類を操作できる猫はいますが、ブルに洗脳されると能力を失います。だからブルが自分で手を下さない限り、データも電源もいじれません。ブルは機械が苦手ですから」

 どうりで、広間をモンスターに警備させているわけだ。

「つまり、敵はドアの前で待ち受けているということね……」

 名人ののど仏が、ごくりと下がった。

「いきなりご対面、ですかね……」

 私は不覚にも、与太郎にしがみついてしまった。研究室を捜しても、ろくな武器が見つからなかったんだから仕方ないわよ。

 ぼろ布で蓋をしたフラスコに詰めた、発電機用のガソリン。槍代わりの鉄パイプ。ちっこいナイフとリンゴを入れたウエストポーチ。そして、並みの女程度の度胸。それが、武器のすべて。しかも、ほとんど裸……。

 泣けてくるわよね。

 エレベーターが止まった。ドアが、開く……。

 ぐわぁおぅぅ……!

 いきなり吠えたのは、巨大な熊だ。目の前で直立するヒグマ。大きさは普通の三倍!

 狭いエレベーターに手を突っ込まれたら逃げ場もない。やみくもに突進した。運よく、熊の腕の下をくぐってホールに転げ出る。

 振り返った熊に与太郎が飛びかかった。

 目を狙って鋭い爪を振り下ろす……。

 熊も素早かった。ぶんと振った太い手が与太郎の腹を捕らえた。与太郎ははね飛ばされ、横向きになったまま壁に足をつく。ぴょんと壁を蹴って跳ぶと、身軽に着地した。

 私はホールを見渡した。

 全面が石の壁。部屋そのものがかすかに湾曲し、突き当たりは見えない。高い天井の付近に小さな窓がずらりと並んでいる。外は真っ暗だ。ガラスがはまっていないので、タコの墨で作ったという霧が入り込んで天井に揺らめいていた。せめて光が差し込めば、熊の威力もそがれるかもしれないのに……。明かりは壁の上部に並んだたいまつだけだ。

 熊は私たちに向かってきた。

 武器は⁉ 武器になるものはないの⁉

 そうだ! たいまつ!

 逃げながら叫ぶ。

「よた! たいまつを取って!」

 でかくなったって、猫だから火は怖い。しかし与太郎はためらわずにジャンプすると、たいまつをくわえて私の横に降り立った。

 私は、たいまつを名人に手渡した。

「すみっこ追い詰めて」

「ぼ、僕が……?」

「ご体面を楽しみにしていたんでしょう⁉」

 与太郎はさらに別のたいまつを取り、名人と共に熊を追い込む。

 熊は吠えながらも後退していった。狂暴そうな目がたいまつの炎を映して赤く輝く。追い込まれた熊は、壁の角に背中を張りつける。その頭上でも、たいまつが燃えていた。

 私は熊の上のたいまつに向かってガソリン入りのフラスコを投げた。砕けたフラスコに火が移り、炎の雨が熊に降りかかる。熊の毛皮はたちまち燃え上がった。

 熊は叫び、両手で顔をおおう。

 与太郎が襲いかかった。

 敵の脇腹に鋭い牙を食い込ませる。

 私は、鉄パイプをかまえて叫んだ。

「よた! どいて!」

 目をつぶったまま、うわおおぅーっと、突進した。やけくそよ。それでも狙いは狂わなかった。なにしろ、的がでかい。

 目を開く。下から突き上げた鉄パイプは熊の腹に命中していた。巨体の背中まで貫き通し、壁に達した手応えがある。

 あれれ?

 あたしゃぁ、リプリーか? なんだって『エイリアン』もどきの活劇を演じているの? 売れない女流作家のいったいどこに、こんなパワーが眠っていたのだろう……?

「危ない!」

 名人の声で上を見た。熊の目が、炎の中でひときわ赤く燃え上がっている。

 私はパイプを握ったまま、すくみ上がった。

 さっさと逃げるつもりだったのに……どうして足が動かないのさ……?

 与太郎が熊に跳びかかった。しかし、あっけなく張り飛ばされてしまう。

 熊の憎しみは、私に……私だけに向けられている……。

 熊の手が振り上げられた。長く、鋭い爪が、炎の中に揺らめく……。すくみあがった私は、目を閉じることさえできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る