隣のドアにも鍵はかかっていなかった。与太郎を真っ先に送り込む。

 しばらく息を詰めていると……。

 与太郎は、子豚ほどの大きさの生肉の固まりをくわえて悠然と出てきた。

 拍子抜けね。

「中には誰もいなかったの?」

「ぐるる……」

 パッションが言った。

「猫がいたけど、兄さんを見て逃げちゃったんだって」

 て、ことは……?

「ばか! 侵入したことバレちゃったんじゃないのさ!」

「だって、隣が調理場よ。兄さんみたいな大きな身体が見つからないはずはないわよ」

 先に言ってよね、そんな大事なこと!

 与太郎は平然と肉をかじっている。

 じいさんが言った。

「いったん野菜置き場に退却じゃ」

 与太郎を見た猫が、幻覚だと思い込んでくれればいいんだけど……。

 と、廊下中にサイレンが鳴り響いた。

 あちゃぁ……。そんなに都合よくいくはずないわよね。

 ガスが漏れるような音がして、いきなり前に白い壁が現れた。振り返ると、後ろにも壁ができる。恐る恐る手を触れると――。

 あ……! 熱い!

 床から沸騰した蒸気が噴き出していた。天井に吸引されているので、壁にしか見えない。

 こっちは、ほとんど裸。熱がじわじわしみる。私たちは、蒸気の壁にはさまれて真ん中に身を寄せた。汗臭い男どもとひっつくのはうんざりだが、突き抜けることはできない。

 パッションがつらそうに言う。

「侵入者を閉じ込める檻よ……」

 兄貴分は腹をすえたらしい――じゃない、腹がすいたらしい。

 ふんと肩をすくめると、与太郎の口から生肉を取り上げた。噴き出す蒸気にちぎった肉を当て、火を通す。そして、かじった。

「いけるぜ」

 逃げようがないのだ。今のうちに腹を満たすのも悪くないか。幸い、肉はみんなで食べても余るほど大きい。何の肉かは分からないけれど……。

 九十パーセントやけくそで、ともかく腹ごしらえができた。

 と、片側の蒸気の壁が不意に消えた。

 廊下の先が、ヘルメットをかぶった猫の兵隊でうめ尽くされていた。大きさは、普通の猫。槍を持って歩くようなアニメっぽい相手でもない。四つ足で立って背中の毛を逆立て、尻尾をふくらませている。恐ろしいのは、前足に取りつけた金属製の〝爪〟だ。

 爪は片足にそれぞれ二本ずつ。長さは五センチほどもある。首でも引っかかれたら、動脈を切られて一巻の終わりだ。

 ふぅーっといううなり声が波のように押し寄せた。

 私たちは後ずさった。しかし、背後の蒸気は消えていない。

 居直った兄貴分が、ずんと前に出た。

「たかが猫が! 人間さまをおちょくるんじゃねぇぞ!」

 声の大きさに、猫たちがずずっとしりぞく。腰を抜かせて座り込む奴もいる。

 ありゃ? 大人数のわりには弱腰ね。

 与太郎も前に出て、ぐるるとうなった。

 と、パッションが言った。

「あらやだ。あいつら、脅えてる」

「え? 戦いにきたのに?」

 敵が人間だと知らされてなかったのか?

 パッションが首を振った。

「ううん、母さんたち裸だから」

 裸……? あ! ビーストと間違えているんだ! 一気に脅した方がいいぞ!

 私は、ぐわぉーと吠えた。

「私はビーストだ! 食っちまうぞぉ!」

 だっと走っていくと、猫たちはさらにずりずりと後ずさった。命令の重さが辛うじて恐怖を押さえているだけだ……。

 作戦に気づいたみんなが、つぎつぎに前に出る。

「僕はビーストだよ!」

「わしはビーストじゃ!」

「俺はビーストだぜ!」

「あっしもビーストでやんす!」

 そのたびに、猫たちは後退した。

 兄貴分がさらに身を乗り出して、小さく言った。

「わ」

 隊列が崩れた。

 猫たちは一斉に振り向き、だっと駆け出していく。

 名人が笑った。

「軟弱な兵隊。これなら戦闘アイテムなんて必要ありませんね」

 猫が去った後に、鉄の爪がぽろぽろと落ちていた。あわてたので外れたのだろう。

 私は気を引きしめるために注意した。

「同じ手は二度と効かないわよ。今度は飛びつかれると思ってね」

 名人は爪を拾って、刃先に指を触れた。

「痛て! これ、危いですね……」

 じいさんが言う。

「奴ら、すぐに戻って来るに違いない。もっと強力な兵士を連れてな。とにかく隠れるんじゃ。安全な場所はないか?」

 問いかけられたあけみが、リュックの中でわにゃにゃと鳴く。

 パッションが言った。

「この調理場は地下三階。上の階に秘密の部屋があるそうよ。でも、たくさんの木がガードしていて猫の兵隊でも近づけないって」

 名人が首をかしげる。

「ガード? 何を隠しているのかな……」

 若造が叫ぶ。

「ブラックホール⁉」

 パッションがうなずいた。

「その秘密の部屋、ブルが来るまでは宴会場だったそうよ。ブラックホールは一番上の王様の広間にあったんだけど、宴会場に移したかもしれないって……」

 兄貴分が肩を怒らせる。

「それで帰れるんじゃねぇか!」

 パッションはふくれた。

「ブルを放っておいて?」

 名人が代弁する。

「怖いもんな」

 兄貴分、ふんと顔をそむけたが、否定はしない。

 じいさんが言った。

「行ってみなくては、何があるかも分からん」

 結論は私が下した。

「道順は?」


         *


 偵察から戻ったパッションは言った。

「宴会場の入口はイバラのツタでびっしり塞がれていたわ。猫が抜ける隙間もないの」

 上にのびる階段は、幹部専用のものだという。なのに、登り口には警備の兵士もいなかった。私たちを倒すために狩り出され、他の兵と一緒に逃げてしまったのだろう。

 猫の忠誠心など、その程度。勝手気ままな生き物だから、恐怖や規律で縛るのは難しい。

 イバラが警備している出入り口の他は、石を積み上げて塞がれてしまったという。

 となると、イバラをだますしかない。

 私は、一個取り出したリンゴに言った。

「作戦は分かったわね?」

 パッションが言った。

「この子じゃあ、頼りにならないわ……」

「小さいんだから、しかたないわよ」

 その方が作戦にも都合がいい。

「よし! 行ってきて!」

 リンゴを軽く放り投げた。リンゴは、ころころとはねながら階段を上っていく。

 しばらくすると、ぞぞっ、ぞぞっと、何かが地面をこする音が聞こえてきた。

 動いた!

 予想は当たった。私は背後のみんなに合図をした。四人は、手に鉄の爪と石を握っている。鉄爪は三十個以上も集まったのだ。私たちが使える唯一の武器だ。

 果たして、作戦は通じるのか……。

 いよいよモンスターとの戦いだ!

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