三件目の問題が一番難しい。

 出口がないんだもの。

 若造が言った。

「それにしても、ここ、何なんでしょうね? ドアもない部屋だなんて……」

 名人が残っていたズボンでパッションを拭きながら、応えた。

「天然のほら穴でもないしね。誰が掘ったんだろう……?」

 私はパッションに聞いた。

「出る方法、分かる?」

「わかんない。あけみも知らないって」

 兄貴分が苛立つ。

「役に立たねぇ猫だな。焼いて食うぞ!」

 じいさん、逆上した。

「この人でなしが!」

 猫を食べるなんてことは、私たちには口が裂けても言えない。

 とはいえ、お腹がすいていることも事実だ。喉もカラカラ。水は湖一杯分あっても、口にすることはできないし……

 焚き火も消えそうだ。衣類が尽きたら、残る明かりはライターが一個だけ……。

 弱ったな……。

 私は名人を見た。

「こんな時、ゲームならどうするの?」

「戻ります」

 それが出来れば苦労はない!

 与太郎が、ふぅわーとあくびをした。呑気な仕種はいつものまま。命がけで呪いを解いたんだから、そうでなければ困るが、もう少し神妙にしてもいいものを……。

 与太郎はぐいと身体を起こして壁を前足で突くと、いきなり爪研ぎを始めた。ごり、ごり、ごり、と、壁をほじくっていく。身体がでかいだけあってパワーショベルを思わせる迫力だ。削られた土がどんどん後ろ足の脇に溜まっていく……。

「にゅあゎぁ!」

 与太郎は突然、奇妙な声を上げた。

 は?

 よく見ると、両方の前足がずっぽり壁に埋まっていた。突き抜けたらしい……。

 突き抜けた? 出られるってことじゃない!

 私は与太郎の尻尾を握った。

「手伝って! 穴が開いたわよ!」

 みんなが集まり、与太郎を引っこ抜いた。壁には丸い穴が開いている。穴から何かが転がり落ちた。

 リンゴ……ですか?

 兄貴分がいきなり拾い上げた。

「ありがてえ! 頂くぜ!」

 私は止めようした。この世界では、ただのリンゴに見えてもどんなに危険か分からない。

 が、前に出た私は、じいさんに腕をつかまれた。

 じいさん、耳元でささやく。

「毒味、じゃよ……」

 与太郎が開けた穴からは、ぽろぽろとリンゴが落ちてきているのだ。穴をのぞき込んだ。熟れたリンゴがびっしり詰まっている。食料倉庫の底をぶち破ったらしい。

 リンゴを食った兄貴分が無事なら、私たちの空腹と乾きもいやされる。

 年寄りは賢い。

 リンゴに歯を立てた兄貴分は、でっかい口を開いたままうめいた。

「か……固てえ……」

 歯が立たない? 歯槽膿漏でないなら、おかしいのはリンゴだ。リンゴじゃないの?

 正解だった。かじられたリンゴは、突然、悲鳴を上げたのだ。尻尾を踏まれたネズミのような声。

「ぐわぁ!」

 兄貴分は、いきなりリンゴを放り出して尻餅をついた。

「リ、リンゴがかじった!」

 若造、ぷっと噴き出す。

「兄貴、リンゴをかじった、でしょう?」

「俺がかじられたんだ!」

 まさか⁉

 落ちたリンゴは〝生きて〟いたのだ。兄貴分の手から逃れたリンゴは、自分でころころと仲間のところに転がっていく。十個ほどのリンゴと一緒になると、みんながひと固まりになって動き始めた。砂利場の縁をせわしなく転げ回る。

 こいつら、逃げているつもりなのかしら……?

 パッションが濡れた毛をなめるのをやめ、うふふと笑う。

「かわいい! こういうの、黙って見てられないのよね」

 だっと走り出し、リンゴを追いかける。あけみもじいさんの腕を飛び出し、後を追う。与太郎までが走り始めてしまった……。

 私たちはリンゴと猫の渦に巻込まれ、目を回した。

 名人が呆れてつぶやいた。

「にぎやかな奴らですね……」

「猫、だから……」

 他に応えようがある?

 と、いきなりリンゴが止まった。

 勢いをつけて走っていた猫たちが静止できず、どさどさと壁に衝突して積み上がる。

 パッションが与太郎の下から鼻を出した。

「なんでいきなり止まるのさ……」

 水面を見て分かった。水の中から木の枝が延びている……?

 そうじゃない! 木が這い上がってきているんだわ!

「木だ! 敵よ!」

 兄貴分が名人からズボンを取り上げて火を移した。尻込みしながらも炎を振り回す。

「き、来てみろ……たきぎにしてやる!」

 相手の動きは、今までの木よりはるかに素早かった。するすると根を這い上がらせ、ぐいと幹を持ち上げる。まばらに葉っぱが付いた枝が水面から飛び出し、目の前を塞ぐ。

 兄貴分はズボンを投げつけたが、濡れた枝に炎は移らない。

「こん畜生!」

 兄貴分は飛びかかった。

「やめて!」

 とは叫んでみたものの、逃げ場所もないのに他に何ができる?

 兄貴分は枝に跳ね返されたが、また身がまえる。私もポーチからナイフを出した。

 が、反撃してこない……。むしろ私たちの敵意を恐れ、枝で幹をおおっているみたい。 じいさんが命じた。

「やめるんじゃ! 敵じゃない!」

 私が兄貴分を押さえると、木は緊張を解いた。落ちているリンゴに枝をのばす。リンゴは、枝にぴょこんとひっついた……。

 壁の穴からも続々とリンゴが飛び出し、つぎつぎに枝にくっつく。ビデオを逆に回しているようだ。葉の落ちたみすぼらしい木は、たちまち赤い実で満開になってしまった。

 するとこの木は、リンゴの木?

 パッションが言った。

「この木、お母さんなんだってさ」

「パッション、木の言葉も分かるの?」

「うん」

 名人がうなずいた。

「なるほどね。つまりこの洞窟は、リンゴの木の母さんが掘ったんだ……」

「そうなんだって。ブルに子どもたちが捕まったんで、助けるために。一人で、何ヵ月もかかって開けたそうよ」

「なんでこの木は、水に浸かっても凍らなかったんだ?」

 じいさんが答えた。

「子を思う心が呪いに勝ったんじゃな」

 そうか。与太郎も、いずみたちを思い出して元に戻ったものね……。

 若造が言う。

「だけど、こんな暗いところでよく生きられるね。植物には光が必要なのに」

 パッションがまた〝リンゴ語〟を翻訳。

「半日、外で陽を浴びて力を貯めて、夜は水の中で穴掘り。やっとここまできたって」

 母は強い。

「だから、洞窟は空っぽだったんだ……」

「私たちに感謝してる、ですって。子どもたちを助けたから」

 たまたま与太郎が爪を研いだだけ――ですけど。

 兄貴分は与太郎の陰にこそこそと隠れた。リンゴの一つには歯形が残っているからね。

 私はパッションに聞いた。

「猫はリンゴなんて食べるの?」

「私、かぼちゃととうもろこしは好きだけど……。リンゴはあんまり聞かないわね。リンゴのお母さんも、今まで猫に子どもを取られたことはない、ですって」

 じいさんがぽつりと言った。

「わしもリンゴを食う猫は知らん。猫でないとしたら、ブルが食うためだ。とすると、奴はただの猫ではない……いや、そもそも猫などではないかもしれんぞ……」

 名人が問う。

「だって、白黒のブチ猫なんでしょう? 猫でなけりゃ、なんなのさ?」

「まったく別の生き物が猫に化けて、この世界を支配しようと企んだのかもしれん。わしには、はなから合点がいかなかった。どんなに性根の曲がった猫でも、猫は猫じゃ。これほど性悪なことはできん。ブルのやりくちは汚な過ぎる。奴め、きっと猫ではない」

 私も同感だ。

「邪悪な生き物って……何だろう……?」

「わしには一つしか思いつけんな……」

 語尾を飲み込んだじいさんに、若造がじれったそうに言った。

「だから、何なんだ⁉」

「人間――じゃ」

 人間……? ブルは、人間が化けた化け猫……? いや、違うわね。猫が化けたのが化け猫だから、人間が猫に化けたなら、猫化け……いや、化け人……どうでもいいか。

 と、いきなり聞き覚えのない声が洞窟中に響き渡った。

「よく見抜いたな。さすがに私が見込んだ戦士たちじゃ」

 兄貴分がびくりと身を震わせて叫ぶ。

「だ、誰だ?」

 私は言った。

「木? リンゴの木がしゃべったの?」

「私は木ではない」

 じゃあ、誰が……?

 パッションが言った。

「神様……よ」

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