6
三件目の問題が一番難しい。
出口がないんだもの。
若造が言った。
「それにしても、ここ、何なんでしょうね? ドアもない部屋だなんて……」
名人が残っていたズボンでパッションを拭きながら、応えた。
「天然のほら穴でもないしね。誰が掘ったんだろう……?」
私はパッションに聞いた。
「出る方法、分かる?」
「わかんない。あけみも知らないって」
兄貴分が苛立つ。
「役に立たねぇ猫だな。焼いて食うぞ!」
じいさん、逆上した。
「この人でなしが!」
猫を食べるなんてことは、私たちには口が裂けても言えない。
とはいえ、お腹がすいていることも事実だ。喉もカラカラ。水は湖一杯分あっても、口にすることはできないし……
焚き火も消えそうだ。衣類が尽きたら、残る明かりはライターが一個だけ……。
弱ったな……。
私は名人を見た。
「こんな時、ゲームならどうするの?」
「戻ります」
それが出来れば苦労はない!
与太郎が、ふぅわーとあくびをした。呑気な仕種はいつものまま。命がけで呪いを解いたんだから、そうでなければ困るが、もう少し神妙にしてもいいものを……。
与太郎はぐいと身体を起こして壁を前足で突くと、いきなり爪研ぎを始めた。ごり、ごり、ごり、と、壁をほじくっていく。身体がでかいだけあってパワーショベルを思わせる迫力だ。削られた土がどんどん後ろ足の脇に溜まっていく……。
「にゅあゎぁ!」
与太郎は突然、奇妙な声を上げた。
は?
よく見ると、両方の前足がずっぽり壁に埋まっていた。突き抜けたらしい……。
突き抜けた? 出られるってことじゃない!
私は与太郎の尻尾を握った。
「手伝って! 穴が開いたわよ!」
みんなが集まり、与太郎を引っこ抜いた。壁には丸い穴が開いている。穴から何かが転がり落ちた。
リンゴ……ですか?
兄貴分がいきなり拾い上げた。
「ありがてえ! 頂くぜ!」
私は止めようした。この世界では、ただのリンゴに見えてもどんなに危険か分からない。
が、前に出た私は、じいさんに腕をつかまれた。
じいさん、耳元でささやく。
「毒味、じゃよ……」
与太郎が開けた穴からは、ぽろぽろとリンゴが落ちてきているのだ。穴をのぞき込んだ。熟れたリンゴがびっしり詰まっている。食料倉庫の底をぶち破ったらしい。
リンゴを食った兄貴分が無事なら、私たちの空腹と乾きもいやされる。
年寄りは賢い。
リンゴに歯を立てた兄貴分は、でっかい口を開いたままうめいた。
「か……固てえ……」
歯が立たない? 歯槽膿漏でないなら、おかしいのはリンゴだ。リンゴじゃないの?
正解だった。かじられたリンゴは、突然、悲鳴を上げたのだ。尻尾を踏まれたネズミのような声。
「ぐわぁ!」
兄貴分は、いきなりリンゴを放り出して尻餅をついた。
「リ、リンゴがかじった!」
若造、ぷっと噴き出す。
「兄貴、リンゴをかじった、でしょう?」
「俺がかじられたんだ!」
まさか⁉
落ちたリンゴは〝生きて〟いたのだ。兄貴分の手から逃れたリンゴは、自分でころころと仲間のところに転がっていく。十個ほどのリンゴと一緒になると、みんながひと固まりになって動き始めた。砂利場の縁をせわしなく転げ回る。
こいつら、逃げているつもりなのかしら……?
パッションが濡れた毛をなめるのをやめ、うふふと笑う。
「かわいい! こういうの、黙って見てられないのよね」
だっと走り出し、リンゴを追いかける。あけみもじいさんの腕を飛び出し、後を追う。与太郎までが走り始めてしまった……。
私たちはリンゴと猫の渦に巻込まれ、目を回した。
名人が呆れてつぶやいた。
「にぎやかな奴らですね……」
「猫、だから……」
他に応えようがある?
と、いきなりリンゴが止まった。
勢いをつけて走っていた猫たちが静止できず、どさどさと壁に衝突して積み上がる。
パッションが与太郎の下から鼻を出した。
「なんでいきなり止まるのさ……」
水面を見て分かった。水の中から木の枝が延びている……?
そうじゃない! 木が這い上がってきているんだわ!
「木だ! 敵よ!」
兄貴分が名人からズボンを取り上げて火を移した。尻込みしながらも炎を振り回す。
「き、来てみろ……たきぎにしてやる!」
相手の動きは、今までの木よりはるかに素早かった。するすると根を這い上がらせ、ぐいと幹を持ち上げる。まばらに葉っぱが付いた枝が水面から飛び出し、目の前を塞ぐ。
兄貴分はズボンを投げつけたが、濡れた枝に炎は移らない。
「こん畜生!」
兄貴分は飛びかかった。
「やめて!」
とは叫んでみたものの、逃げ場所もないのに他に何ができる?
兄貴分は枝に跳ね返されたが、また身がまえる。私もポーチからナイフを出した。
が、反撃してこない……。むしろ私たちの敵意を恐れ、枝で幹をおおっているみたい。 じいさんが命じた。
「やめるんじゃ! 敵じゃない!」
私が兄貴分を押さえると、木は緊張を解いた。落ちているリンゴに枝をのばす。リンゴは、枝にぴょこんとひっついた……。
壁の穴からも続々とリンゴが飛び出し、つぎつぎに枝にくっつく。ビデオを逆に回しているようだ。葉の落ちたみすぼらしい木は、たちまち赤い実で満開になってしまった。
するとこの木は、リンゴの木?
パッションが言った。
「この木、お母さんなんだってさ」
「パッション、木の言葉も分かるの?」
「うん」
名人がうなずいた。
「なるほどね。つまりこの洞窟は、リンゴの木の母さんが掘ったんだ……」
「そうなんだって。ブルに子どもたちが捕まったんで、助けるために。一人で、何ヵ月もかかって開けたそうよ」
「なんでこの木は、水に浸かっても凍らなかったんだ?」
じいさんが答えた。
「子を思う心が呪いに勝ったんじゃな」
そうか。与太郎も、いずみたちを思い出して元に戻ったものね……。
若造が言う。
「だけど、こんな暗いところでよく生きられるね。植物には光が必要なのに」
パッションがまた〝リンゴ語〟を翻訳。
「半日、外で陽を浴びて力を貯めて、夜は水の中で穴掘り。やっとここまできたって」
母は強い。
「だから、洞窟は空っぽだったんだ……」
「私たちに感謝してる、ですって。子どもたちを助けたから」
たまたま与太郎が爪を研いだだけ――ですけど。
兄貴分は与太郎の陰にこそこそと隠れた。リンゴの一つには歯形が残っているからね。
私はパッションに聞いた。
「猫はリンゴなんて食べるの?」
「私、かぼちゃととうもろこしは好きだけど……。リンゴはあんまり聞かないわね。リンゴのお母さんも、今まで猫に子どもを取られたことはない、ですって」
じいさんがぽつりと言った。
「わしもリンゴを食う猫は知らん。猫でないとしたら、ブルが食うためだ。とすると、奴はただの猫ではない……いや、そもそも猫などではないかもしれんぞ……」
名人が問う。
「だって、白黒のブチ猫なんでしょう? 猫でなけりゃ、なんなのさ?」
「まったく別の生き物が猫に化けて、この世界を支配しようと企んだのかもしれん。わしには、はなから合点がいかなかった。どんなに性根の曲がった猫でも、猫は猫じゃ。これほど性悪なことはできん。ブルのやりくちは汚な過ぎる。奴め、きっと猫ではない」
私も同感だ。
「邪悪な生き物って……何だろう……?」
「わしには一つしか思いつけんな……」
語尾を飲み込んだじいさんに、若造がじれったそうに言った。
「だから、何なんだ⁉」
「人間――じゃ」
人間……? ブルは、人間が化けた化け猫……? いや、違うわね。猫が化けたのが化け猫だから、人間が猫に化けたなら、猫化け……いや、化け人……どうでもいいか。
と、いきなり聞き覚えのない声が洞窟中に響き渡った。
「よく見抜いたな。さすがに私が見込んだ戦士たちじゃ」
兄貴分がびくりと身を震わせて叫ぶ。
「だ、誰だ?」
私は言った。
「木? リンゴの木がしゃべったの?」
「私は木ではない」
じゃあ、誰が……?
パッションが言った。
「神様……よ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます