パチンコ屋のネオンのように点滅する矢印に導かれて、洞窟に入った。猫の神様、けっこう派手好きらしい。湿った岩に足を滑らせながら、約一時間。急な上りを這い登ると草原の穴に頭が出た。

 あれ? 逆戻り?

 名人が私の肩を叩く。

 振り返ると、湖があった。大きい。対岸が見えないほどだ。周辺をまばらな木々に囲まれた静かな湖水。真ん中に島がある。

 知らないうちに目的地に誘導されていたようですね。

 じいさんが背負ったリュックから顔を出したあけみに、パッションが問う。

「にぃー」

 パッションが翻訳した。

「聖なる湖……だって言ってる」

「神様はここに?」

「そうらしいわね。でも、どうやってブルの呪いを解くの?」

「まず、捜すのが先でしょうね」

 作戦その一――神様を捜索。顔を合わせても、呪いを解く自信なんかないけど……。

 と、湖の方から冷たい風が吹き寄せた。

 パッションが脅えた声を出した。

「嫌な感じ……ブルのお城に近すぎる……」

「城? どこが?」

 パッションは前足を突き出した。

「あそこが猫の島なんだけど……」

 じいさんが双眼鏡をのぞいた。

「城は黒い煙の中じゃな……」

 あけみが、にぃーとうなずいた。

 パッションが説明する。

「本当はきれいなお城なんだって。でも、ブルが乗っ取って、煙を出す機械を置いて……。ブルは太陽の光が嫌いだそうよ。目がくらむから、お城を煙で包んでいるらしいわ」

 じいさんから双眼鏡を受け取った。ガウディの教会を思わせる城は、真ん中から上が黒い霧に包まれていた。

 作戦その二――煙を止める。

 私は言った。

「とにかく湖へ」

 パッションがすねる。

「怖いよ……」

 あけみも脅えている。

 じいさんが言った。

「味方がおる。神を信じるんじゃ」

 名人が首を横に振る。

「丸腰で敵地に乗り込むなんて、ど素人ですよ。戦うアイテムはないんですか? 生命力もレベルダウンしてるのに……」

 確かにお腹はくーくー鳴っている……。

 これがコンピューターゲームなら、なんとかの剣やら、かんとかの盾がぽろぽろ出てくるんでしょう。だが、そんなものを待ってはいられない。

「考えるのは行ってからよ。どうせ考えて分かる世界じゃないし」

 仲間たちを見ると、若造が地面に模様を書いている。またか。妙な奴だこと。


         *


 大型生物の襲撃を警戒しながら、湖岸に進んだ。周辺の木々は立派に育っているが、避けてはいられない。木だったら動きが鈍いから、不意を突かれる心配はないだろう。

 不気味なほど生き物の気配がなかった。

 兄貴分は久々に肩を怒らせている。

「ブルめ、怖じけづきやがったのさ!」

 カラ元気だ。気持ちは分かる。

 空は見事に晴れ上がり、日差しも心地好い。なのに、不安で不安でたまらない。

 こんなに静かでいいの……? ブルの奴、何を企んでいるの……。

 与太郎が私たちを置いて走り始めた。真っ先に湖岸にたどり着くと、水をなめる。

 私も喉が乾いていた。

 パッションも跳ねながら走る。と、急に止まって振り返った。

「だめ! 飲まないで!」

 全員止まった。パッションがゆっくりと与太郎に近づく。そっと後ろ足をかじる。

 与太郎が変だ。身体が動いていない! 呼吸してない!

「よた! どうしたのよ⁉」

 私は与太郎に走り寄ってしがみついた。

 どうして⁉ 冷たい! 氷みたい⁉

 パッションが泣き出した。

「お兄ちゃーん! やだよ! 動いて!」

 呪いだ……。ブルの呪いが湖水に……。だから、手下もいなかったんだ……。

 目の前には大きな湖。喉はすでにからからだ。でも、飲めば凍り付く。

 周囲の木々がゆっくりと根を抜き始めた。いつの間にか、上空に無数の鳥が舞っている。遠くにビーストの叫び声。背後には呪われた湖――。

 囲まれてしまった……。

 若造が叫んだ。

「あそこに船が!」

 動いた木の陰に、古びたボートがあった。行楽地でアベックがじゃれている手漕ぎのボートよりは、一回りほど大きいが……。

「みんなは乗れない!」

 若造は妙に強気だ。

「じゃあ、どこに逃げるんだよ!」

 一理ある。

 私たちはボートに走った。板が腐りかけているが、浮かびそうだ。

 力を合わせて湖に押し出す。オールはボートの中に入っていた。いったん水に浮かべてから、与太郎を回収しに岸に乗り上げる。

 その間にも、木たちはこっちににじり寄っていた。ワシやタカも、私たちをボートから落とそうと急降下してくる。しかし、鳥たちはオールを振るだけでだらしなく逃げていく。彼らの役目は、何かの時間稼ぎらしい。

 総勢五人で踏ん張って、与太郎の巨体をボートに転がした。私たちは凍りついてしまった与太郎の上に乗る。

 パッションが不安そうにつぶやく。

「大丈夫? この船」

 凍りつくのも濡れるのも、猫には恐怖だろう。しかし、じっとしていたら殺される。

 遠くから、大きな物体が飛んでくる。何かが、馬鹿でかい鳥にぶら下がっている! 

 今度は、なに⁉ 眼を凝らすと……ビースト! 嫌だ! 

「水は漏っていないわ! 早く乗って!」

 パッションは振り向き、渋々ボートに飛び込んだ。

 オールで地面を押してボートを岸から離す。飛び乗って、死に物狂いで漕ぐ。

 ビーストが岸辺に降り立った時には、奴らの槍の届かない沖まで出ていた。

 ざまあみなさい。

 しかし今度は鳥たちが本気の攻撃をかけてきた。ビーストを運んできた巨大なワシが真上から突っ込んでくる!

 オールを振った。大当たり! はたき落とされたワシは、水面に落ちて凍りついた。

 後に続いた別のワシは、すぐに上空に舞い上がった。岸に戻ると、ビーストを一人捕まえてまた襲ってくる。上空からボートに飛び降りようとするオスのビーストを、兄貴分が立ちあがってぶん殴った。ビーストは、わっと叫んで落ちた。

 ビーストの陰部に見とれていた若造がつぶやく。

「もったいない……」

 ボートが揺れて水が入ってきた。

 じいさんが叫ぶ。

「揺らすな!」

 私たちは与太郎の上に座った。水面のビーストは激しくもがいたが、やがて凍って沈んっでいった。さらに押し寄せてくる大小さまざまな鳥たちは、低く旋回して私たちが陸地への再接近するのを阻む。

 どうせ戻る気なんかないもん!

 私は、もう一度オールを振って叫んだ。

「何度でも来なさい! 叩き落としてやるから!」

「よせ!」

 叫んだのは兄貴分だ。青くなっていた。

「何よ?」

「水が口に……俺、凍っちまうのか……」

 兄貴分は必死に唇を拭っている。水しぶきがはねたのか……?

 私たちは息を殺して見守った。

 ……変化はない。

「へ……へへ……。大丈夫みてえだ……」

 兄貴分はひきつった笑いを浮かべた。

 じいさんが言った。

「水滴ぐらいでは、小さすぎて呪いが弱いんじゃろう」

 飲み込まなければオーケー。人体実験を引き受けてくれた兄貴分に感謝しましょう。

 名人が言った。

「どこへ行くんですか?」

「島へ。他に行くところがあるの?」

 ぷっとふくれる。

「計画と違う」

 肩をすくめた。

「知ってるでしょう? 私の計画はたいていこんなもんよ」

 東京ではいつもそれで担当者ともめていたんだから、自慢はできないか……。

 オールを漕ぐ手に力をこめた。

 若造が不意に、いひひと笑う。

「な……何よ、今度は?」

 薄気味悪いわね。

 若造、ボートの底を指さす。与太郎の脇に隠れていた節目に、ぼろ切れが詰めてある。

「その栓――抜いたら、沈みますかね?」

「当たり前よ⁉ 馬鹿なことを――」

 考えるな、と言う前に、やられた。

 若造、身を乗り出してぼろ切れを引き抜くと、船の外に捨ててしまったのだ……。

「なんて事を⁉」

「やめるんじゃ!」

「てめえ! 狂ったか?」

 兄貴分が殴りつけた。後の祭りだ。

 はっと顔を上げた若造が全員を見回す。

「え? なに? あっし、何かしました? あ! 水! 水が!」

 自分がしたことを理解していない。まさか……ブルに操られている⁉

 船底からは水が吹き上がり、もはや止めようもない。岸に戻れば、ビースト。水を飲まずに泳ぐ自信なんかないし――。

 と、ボートの脇の水が、ぐんと盛り上がった。水の柱は太陽に輝きながらずんずん高さを増して、あっという間に巨大な人間の形に変わる……。

 人間――じゃない! 角が生えている! 悪魔だ!

 呪われた湖水で出来上がった〝悪魔〟は、両手を広げてボートにのしかかってきた。

 みんなが同時に叫んだ。

「僕、泳げない!」

「わし、泳げん!」

「俺、泳げねぇ!」

「あっし、泳げないっす!」

「私だって泳げないわよ!」

 どうすりゃあいいのさ⁉

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