2
パチンコ屋のネオンのように点滅する矢印に導かれて、洞窟に入った。猫の神様、けっこう派手好きらしい。湿った岩に足を滑らせながら、約一時間。急な上りを這い登ると草原の穴に頭が出た。
あれ? 逆戻り?
名人が私の肩を叩く。
振り返ると、湖があった。大きい。対岸が見えないほどだ。周辺をまばらな木々に囲まれた静かな湖水。真ん中に島がある。
知らないうちに目的地に誘導されていたようですね。
じいさんが背負ったリュックから顔を出したあけみに、パッションが問う。
「にぃー」
パッションが翻訳した。
「聖なる湖……だって言ってる」
「神様はここに?」
「そうらしいわね。でも、どうやってブルの呪いを解くの?」
「まず、捜すのが先でしょうね」
作戦その一――神様を捜索。顔を合わせても、呪いを解く自信なんかないけど……。
と、湖の方から冷たい風が吹き寄せた。
パッションが脅えた声を出した。
「嫌な感じ……ブルのお城に近すぎる……」
「城? どこが?」
パッションは前足を突き出した。
「あそこが猫の島なんだけど……」
じいさんが双眼鏡をのぞいた。
「城は黒い煙の中じゃな……」
あけみが、にぃーとうなずいた。
パッションが説明する。
「本当はきれいなお城なんだって。でも、ブルが乗っ取って、煙を出す機械を置いて……。ブルは太陽の光が嫌いだそうよ。目がくらむから、お城を煙で包んでいるらしいわ」
じいさんから双眼鏡を受け取った。ガウディの教会を思わせる城は、真ん中から上が黒い霧に包まれていた。
作戦その二――煙を止める。
私は言った。
「とにかく湖へ」
パッションがすねる。
「怖いよ……」
あけみも脅えている。
じいさんが言った。
「味方がおる。神を信じるんじゃ」
名人が首を横に振る。
「丸腰で敵地に乗り込むなんて、ど素人ですよ。戦うアイテムはないんですか? 生命力もレベルダウンしてるのに……」
確かにお腹はくーくー鳴っている……。
これがコンピューターゲームなら、なんとかの剣やら、かんとかの盾がぽろぽろ出てくるんでしょう。だが、そんなものを待ってはいられない。
「考えるのは行ってからよ。どうせ考えて分かる世界じゃないし」
仲間たちを見ると、若造が地面に模様を書いている。またか。妙な奴だこと。
*
大型生物の襲撃を警戒しながら、湖岸に進んだ。周辺の木々は立派に育っているが、避けてはいられない。木だったら動きが鈍いから、不意を突かれる心配はないだろう。
不気味なほど生き物の気配がなかった。
兄貴分は久々に肩を怒らせている。
「ブルめ、怖じけづきやがったのさ!」
カラ元気だ。気持ちは分かる。
空は見事に晴れ上がり、日差しも心地好い。なのに、不安で不安でたまらない。
こんなに静かでいいの……? ブルの奴、何を企んでいるの……。
与太郎が私たちを置いて走り始めた。真っ先に湖岸にたどり着くと、水をなめる。
私も喉が乾いていた。
パッションも跳ねながら走る。と、急に止まって振り返った。
「だめ! 飲まないで!」
全員止まった。パッションがゆっくりと与太郎に近づく。そっと後ろ足をかじる。
与太郎が変だ。身体が動いていない! 呼吸してない!
「よた! どうしたのよ⁉」
私は与太郎に走り寄ってしがみついた。
どうして⁉ 冷たい! 氷みたい⁉
パッションが泣き出した。
「お兄ちゃーん! やだよ! 動いて!」
呪いだ……。ブルの呪いが湖水に……。だから、手下もいなかったんだ……。
目の前には大きな湖。喉はすでにからからだ。でも、飲めば凍り付く。
周囲の木々がゆっくりと根を抜き始めた。いつの間にか、上空に無数の鳥が舞っている。遠くにビーストの叫び声。背後には呪われた湖――。
囲まれてしまった……。
若造が叫んだ。
「あそこに船が!」
動いた木の陰に、古びたボートがあった。行楽地でアベックがじゃれている手漕ぎのボートよりは、一回りほど大きいが……。
「みんなは乗れない!」
若造は妙に強気だ。
「じゃあ、どこに逃げるんだよ!」
一理ある。
私たちはボートに走った。板が腐りかけているが、浮かびそうだ。
力を合わせて湖に押し出す。オールはボートの中に入っていた。いったん水に浮かべてから、与太郎を回収しに岸に乗り上げる。
その間にも、木たちはこっちににじり寄っていた。ワシやタカも、私たちをボートから落とそうと急降下してくる。しかし、鳥たちはオールを振るだけでだらしなく逃げていく。彼らの役目は、何かの時間稼ぎらしい。
総勢五人で踏ん張って、与太郎の巨体をボートに転がした。私たちは凍りついてしまった与太郎の上に乗る。
パッションが不安そうにつぶやく。
「大丈夫? この船」
凍りつくのも濡れるのも、猫には恐怖だろう。しかし、じっとしていたら殺される。
遠くから、大きな物体が飛んでくる。何かが、馬鹿でかい鳥にぶら下がっている!
今度は、なに⁉ 眼を凝らすと……ビースト! 嫌だ!
「水は漏っていないわ! 早く乗って!」
パッションは振り向き、渋々ボートに飛び込んだ。
オールで地面を押してボートを岸から離す。飛び乗って、死に物狂いで漕ぐ。
ビーストが岸辺に降り立った時には、奴らの槍の届かない沖まで出ていた。
ざまあみなさい。
しかし今度は鳥たちが本気の攻撃をかけてきた。ビーストを運んできた巨大なワシが真上から突っ込んでくる!
オールを振った。大当たり! はたき落とされたワシは、水面に落ちて凍りついた。
後に続いた別のワシは、すぐに上空に舞い上がった。岸に戻ると、ビーストを一人捕まえてまた襲ってくる。上空からボートに飛び降りようとするオスのビーストを、兄貴分が立ちあがってぶん殴った。ビーストは、わっと叫んで落ちた。
ビーストの陰部に見とれていた若造がつぶやく。
「もったいない……」
ボートが揺れて水が入ってきた。
じいさんが叫ぶ。
「揺らすな!」
私たちは与太郎の上に座った。水面のビーストは激しくもがいたが、やがて凍って沈んっでいった。さらに押し寄せてくる大小さまざまな鳥たちは、低く旋回して私たちが陸地への再接近するのを阻む。
どうせ戻る気なんかないもん!
私は、もう一度オールを振って叫んだ。
「何度でも来なさい! 叩き落としてやるから!」
「よせ!」
叫んだのは兄貴分だ。青くなっていた。
「何よ?」
「水が口に……俺、凍っちまうのか……」
兄貴分は必死に唇を拭っている。水しぶきがはねたのか……?
私たちは息を殺して見守った。
……変化はない。
「へ……へへ……。大丈夫みてえだ……」
兄貴分はひきつった笑いを浮かべた。
じいさんが言った。
「水滴ぐらいでは、小さすぎて呪いが弱いんじゃろう」
飲み込まなければオーケー。人体実験を引き受けてくれた兄貴分に感謝しましょう。
名人が言った。
「どこへ行くんですか?」
「島へ。他に行くところがあるの?」
ぷっとふくれる。
「計画と違う」
肩をすくめた。
「知ってるでしょう? 私の計画はたいていこんなもんよ」
東京ではいつもそれで担当者ともめていたんだから、自慢はできないか……。
オールを漕ぐ手に力をこめた。
若造が不意に、いひひと笑う。
「な……何よ、今度は?」
薄気味悪いわね。
若造、ボートの底を指さす。与太郎の脇に隠れていた節目に、ぼろ切れが詰めてある。
「その栓――抜いたら、沈みますかね?」
「当たり前よ⁉ 馬鹿なことを――」
考えるな、と言う前に、やられた。
若造、身を乗り出してぼろ切れを引き抜くと、船の外に捨ててしまったのだ……。
「なんて事を⁉」
「やめるんじゃ!」
「てめえ! 狂ったか?」
兄貴分が殴りつけた。後の祭りだ。
はっと顔を上げた若造が全員を見回す。
「え? なに? あっし、何かしました? あ! 水! 水が!」
自分がしたことを理解していない。まさか……ブルに操られている⁉
船底からは水が吹き上がり、もはや止めようもない。岸に戻れば、ビースト。水を飲まずに泳ぐ自信なんかないし――。
と、ボートの脇の水が、ぐんと盛り上がった。水の柱は太陽に輝きながらずんずん高さを増して、あっという間に巨大な人間の形に変わる……。
人間――じゃない! 角が生えている! 悪魔だ!
呪われた湖水で出来上がった〝悪魔〟は、両手を広げてボートにのしかかってきた。
みんなが同時に叫んだ。
「僕、泳げない!」
「わし、泳げん!」
「俺、泳げねぇ!」
「あっし、泳げないっす!」
「私だって泳げないわよ!」
どうすりゃあいいのさ⁉
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