地平線が明るくなってきた。

 森の奥に物音がする。与太郎が木々の間を駆け抜け、近づいて来た。その前方で、ふわふわ浮かぶ無数のタコたちが逃げ惑っている。タコは森の外れで立ち往生した。そこから先は湿気が薄くて出ていけないのだ。

 私はツタで編んだカゴを振り回し、空中のタコをかき集めた。カゴは三個。地面に伏せたカゴの中に、ぐにゃぐにゃした生き物がぎっしり詰まった。

 パッションがカゴに飛び乗る。

「大漁ね」

 にょろりと出てきた足を嬉しそうに食いちぎった。

「一匹だけよ」

 私はカゴに手を突っ込んで、ひっついた奴を差し出した。

 なんだ、イカじゃないの。

「イカでもいいわよ、嫌いじゃないから」

 封を切ったサキイカの半分は、必ず平らげるくせに。

「大事な時だから、腰を抜かさないでね」

 苦労して吸盤を引き離したイカを、パッションがかじる。頭だけ食べて、残りは与太郎に持っていった。

 じいさんたちも戻った。リュックがぱんぱんにふくらんでいる。

「参ったぞ。あけみが帰りたがらなくて」

 あけみは、また酔っ払っている。

「攻めるのは、もっと明るくなってからよ。休ませてあげれば」

「で、ヤクザどもは見つかったか?」

「閉じ込められている小屋が分かりました。まだ無事らしいわよ」

「じっくり偵察してきたんじゃな……」

 よそ見をしてる暇があるもんですか。

「双眼鏡、返すわ」

 じいさんは双眼鏡をリュックにしまいこんでから、タコのカゴを見た。手で揺すって頑丈にできていることを確かめる。

「あんた、器用じゃな。今ここでこしらえたんじゃろう?」

 組み立てたのは確かに私の手だ。しかし、自分で作ったようには思えなくて……。

「ツタは握ると勝手に抜けてくるし、編み方なんか知らないのに、どんどん出来上がっちゃって……。魔法みたいだったわ」

 じいさん、うーんとうなずいた。

「本当に魔法かもしれん。わしも、わしらを助けようとしている力を感じる」

 同感。しかし、詮索している暇はない。

「計画を説明しましょう」

 聞き終わったじいさん、首をひねった。

「与太郎を奴らの中に? 餌食にされないか?」

 私は与太郎を見た。

「並の猫とはサイズが違います。この子なら、チョキでも出せるはずよ」

 与太郎、ぐるるとうなずいた。

「しかし、森から出したらタコが死んでしまうじゃろう?」

 私は平原を指さした。さっきから霧が湧き上がっていたのだ。

「本当に誰かが助けてくれてるみたいよ」


         *


 ビーストの村は、霧に包まれて眠りこけていた。焚き火を囲んで十人ほどの男が見張りに残っているだけだ。そのうち半分は居眠りをしている。

 森に近い方の入口の脇にカゴを並べる。霧が気配を消してくれた。

 じいさん、吐き捨てるように言う。

「女がおらん!」

「見惚れてタイミングを間違えないでね」

「年寄りを見くびるな」

 下半身も歳相応なら、心配しませんって。

 あけみが、じいさんの懐から顔を出してにぃーと鳴いた。

 パッションが通訳。

「おじいさんは私が見張ってる、って」

 確かに、このじいさんには見張りが必要よね。

 私たちは反対側に回った。フキの葉で包んだマタタビを与太郎にくわえさせる。

「焚き火に投げ落としたら、すぐに戻るのよ。さあ、行って!」

 与太郎は軽やかに跳んだ。

 ビーストが一斉に振り向き、槍を取り上げた。しかし、与太郎の巨体にすくむ。

 いいわよ!

 与太郎はビーストを蹴散らし、その中心にジャンプした。空中でマタタビを吐き出して、焚き火の中に落す。着地すると、太い前足でビーストたちが突き出した槍をなぎはらい、悠然と戻った。きりりと引きしまったしましま顔の凛々しさは、虎やライオンにも勝る。

 うーん、いいオトコだこと。

 私は、二十センチ置きにタコを縛りつけたツタを入口に張り渡した。お祭りの提灯の代りにぬるぬるしたタコがぶらさがったようなものだ。これでビーストは村から出られない。

 それに気づいたビーストが声を上げた。恐怖の叫びだ。

 私は与太郎の背に飛び乗った。

「突っ込んで!」

 広場には、焼けるマタタビの香りが充満している。ビーストたちはのどをかきむしり、半狂乱だ。小屋の中からも全裸の男女がわらわらとあふれ出す。

 ひえぇ! 五十人じゃきかないわ! 男たちの見事な股間に目がくらむ……。

 い、いけない! 冷静に!

 目指す小屋に飛び込んだ。

 中では三人揃って目を丸めていた。外の騒ぎで、幸せいっぱいの夢から引きずりだされたのだろう。服は着てはいるが、ぐちゃぐちゃに乱れている。

 手厚い接待を受けたようで。

 三人は一斉に首を後ろにひねった。手を縛られていたことに、やっと気づいたのだ。

 物かげから女が飛びかかって来た。しかし、与太郎のうなり声にたじろぎ、外へ逃げ出す。女はマタタビの煙に包まれて、ぎやっと叫んだ。

 私は与太郎から下りて、名人の縄を解いた。与太郎は漫才コンビの方を噛み切る。

「逃げるのよ!」

 名人、目が充血している。

「遅かったですね。歓迎してくれたのに」

「それから食う気でいたのよ」

 名人、縄のすり傷をさする。

「食うって……? 何を?」

「あなたを。まだ分からないの? だから、眠っているうちに縛られたんじゃない!」

 兄貴分が立ち上がって叫ぶ。

「なに⁉ どうりで……都合が良すぎると思ったんだ……」

 職業柄、悪巧みを見抜くのは早い。

「立って!」

 私は若造の手を引っ張った。

 若造、なぜか抵抗した。

「あっしは……ここにいたいっす……」

 兄貴分が横から殴りつけた。

「ぐずぐず言うな、オカマ野郎め!」

 オカマ? さては……。

 名人、にやにやしながら身だしなみを整えている。

「あの娘、まだ外にいるのかな……? あんな子に比べたら、アイドルの追っかけなんて馬鹿馬鹿しくて――」

 分からん奴だな! 思い切り腕を引っ張る。

「急いで!」

「先生、みんなは?」

「外よ!」

 私たちは小屋を飛び出した。

『奇襲・タコ作戦』は見事に成功していた。じいさんが解き放ったタコは、恐怖に目をむくビーストを追って広場中に漂っている。私たちが逃げたことは誰も気にしていない。

 兄貴分が、団体になってすり寄ってくるタコを乱暴に振り払う。

「なんだ⁉ 邪魔だ、このタコ!」

「すんません」

 首をすくめたのは若造だ。

「お前じゃない! タコだ!」

「あ、ほんとにタコだ」

 漫才している暇もない!

「行くぞ! あっちだ!」

 私たちは走った。タコ提灯のツタをくぐって、平原に転げ出る。草に隠れて待っていたパッションが村を指さす。

「見て!」

 ビーストの様子が変だった。何人かが血まみれになり、仲間に食いつかれている。共食い? こんな時に……?

「邪心を吸い取られて善良になった仲間を、よってたかって食べてる……」

 これが、ビーストの正体……。

 三人も、おそまきながらビーストの正体を実感したようだ。青ざめている。

 名人がうめいた。

「ほんとに俺たちを食う気だったんだ……」

 若造が、あっとうめいた。

「とすると……昨日食ったのは……まさか⁉」

 二人は、げっと戻しそうになって口を押さえた。

 だが、兄貴分は平然と笑った。

「あの肉、うまかったぜ」

 あなた、死ぬまでここで暮らしなさい!

 私も彼らが〝ビーストの肉〟を食わされたかもしれないと聞いて、血の気が引いていた。ビーストたちがタコに食われ、仲間を食らい、私たちを忘れているのは幸いだが……。

 じいさんが村の外側を走って来た。

「どうじゃ、やりとげたじゃろう?」

 はればれとした顔だ。

 あけみが悔しそうに、にぃー。

 パッションが鼻を鳴らす。

「ビーストの女をタコで脅して捕まえたんだって」

 じいさん、怒ったらしい。

「たまたまタコがひっついたら、向こうからしがみついてきたんじゃ!」

「それにしても……早業ね……」

 じいさん、笑った。

「がはは。年じゃからな、乳をもんだだけじゃ。それだけですっかり吸い取られちまった」

 兄貴分がにこやかに言った。

「お年寄りの楽しみは尊重しなくてはいけません」

 は? 急に言葉づかいを変えないでよね、ややこしいから。

 若造があわてる。

「兄貴、尻にこんなもんが!」

 張りついていたタコをはがした。兄貴分、〝悪意〟をちょっぴり吸い取られたわけだ。

 兄貴分は若造の手からタコを奪った。

「げっ! またか! てめえら、なんで俺ばっかり⁉」

 兄貴分にしめ上げられたタコは、ぽろりと糞をひり出した。

「わ! 汚ねえ!」

 パッションがうなずく。

「あんたの邪心よ。タコは人の悪い心を吸い取ってウンコにして吐き出すの」

 このタコを人間世界に持ち込んだら、人類も少しは利口になれるのかも……。

「ま、とにかく逃げましょう」

 あれ? 与太郎がいない……。

 与太郎は、ふらふらと村から這い出て来た。腰が抜け、腹が地べたをこすっている。

 怪我をしたの⁉

 私の足もとでばったり倒れた。

「よた⁉」

 パッションが首を振る。

「起きない。マタタビで、べろんべろん」

 とんでもない計算違いだこと……。

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