5
夜明け近くに戻ったパッションは、足もとをふらつかせていた。
「ご……ごめん……なさいね……ひっ。なにしろ……マタタビが……ひっ。私……よっ……ぱらっちゃ……みたい……ひっ」
見れば分かります。
後ろからついてくる与太郎とあけみも、腰がふらふらしている。なるほど、猫はマタタビに目がないわけね。
じいさんはあけみを抱きしめ、しつこいぐらいに頬ずりをしている。
与太郎が私の脇にでれんと横になった。いきなり寝息をたて始める。
ちょうど寒さを感じていたところだ。私は与太郎の足の間に潜り込んだ。
「パッションも眠れば。そんな状態で怪物に出会ったら、お陀仏だから。ふわあぁ……」
私たちも心配でろくに寝られなかったのだ。与太郎を残していくわけにはいかないから、目が覚めるまでおつき合いだ。これでやっと休めるわね……。
パッションがすり寄ってきた。
「そうね……ひっ」
「卯月……どうしてるかな……あんな物騒な所にとり残してきちゃって……」
「大丈夫よ……ひっ。あいつ、逃げ足だけは……ひっ……早いから……。あれ……? あとの……みんなは……ひっ」
「ん? 近くに人間の村があるの。先に行ったよ……」
「人間……? この世界に人間なんて……やだ! ビースト⁉」
パッションは飛び上がった。
私も起き上がる。
「何か? まずかったの?」
「た、大変よ! あの人たち、ビーストの村へ⁉」
ただ事ではないらしい。
「ビーストって?」
「人間の形の化け物。残忍、狂暴、情け知らずの肉食獣。人間世界からはじき出された極悪人が姿を変えた、根っからの怪物よ!」
「なんですって⁉ だってあの木が……」
そうよ、私たちを案内したのはあの老木なんだから。
「だってもなにもないわよ! 早く助けなくっちゃ、三人とも食べられちゃう!」
「間違いはないの⁉ 普通の人間も少しは住んでいるとか……?」
「猫は人間が嫌いなの! 好きになったら一途だけど、知らない人間がうろうろしている世界なんて騒がしくて嫌! 猫の世界に人間なんて必要ない!」
「じゃあなんで、そんな極悪人たちが?」
「どこかで引き取らなくちゃしかたないでしょう。猫の世界に割り当てられた分をすみっこに住まわせているだけよ。誰もビーストなんかに近づかないわ!」
まいったわね……。
パッションの話を聞いたあけみは震えてはじめている。説明に間違いはないらしい。
じいさんに言った。
「様子を見て来ます。待っててください」
与太郎の腹を蹴飛ばして起こした。返事は、またも呑気なあくび。
じいさんは言った。
「帰れる自信はあるのか?」
「宝猫がついています」
「わしも行く」
「危険らしいですよ」
「だからじゃ。パッションにはぐれたら、帰れない」
老人は賢い。
*
ビーストの村はドーナツ等の形ををしていた。木と草で組んだ小屋がびっしり並び、中央が広場になっている。小屋の出入口は広場に面した側だけで、外からは継目のない城壁に見える。広場に入る通路は、森に向かったものと反対側に開いたものの二ヶ所。他に通り道はない。
私たちは森の反対側にまわってそっと中の様子をうかがった。
全裸の男女が群れて、焚き火を囲んでいた。
素っ裸……ですと?
揺らめく炎に照らされたビーストたちは、みんな若い。男も女も、見事なまでに整った肢体を隠そうともしていない。しかも、毒々しいまでの美形ぞろい。
なんと、まあ……。
じいさんが茫然と双眼鏡を取り出す。
「えぇなあ……」
私も目がくらみそうだ。
パッションがじいさんをたしなめる。
「見かけにだまされないで」
じいさん、いひいひと笑いをこらえながら、興奮している。目を尖らせたあけみに引っかかれても知らんぷりだ。
「こりゃあ、えぇ。若いもんは、えぇ」
何も聞いちゃいない。勝手にしろって。
ビーストたちは何やらぼそぼそと話し合っている。声はかすかに届くが意味は理解できない。どこの言葉?
しばらく聞いてから、パッションが通訳した。
「捕まえた人間の仲間たち……つまり、私たちが来るのを待っているのよ。誰が脳味噌を食べるかでもめてる……。普通ならとっくに骨になってるわ、あの三人」
くわばら、くわばら……。
「まだ無事なのね?」
「今のところは」
「何で我慢してるの?」
「ブルの命令」
「私たちが飛ばされてきたこと知っているの⁉」
「いろんな生き物をスパイに使っているもの。ここに落ちた時の振動も感じたろうし」
ご丁寧に、私たちは手榴弾まで使った。知らないうちに宣戦布告しちゃったようね。
そう思うと、逆に腹が座った。どうせ、近いうちに戦わなければならない相手だ。
「三人はどこ?」
「建物の中。お酒を飲ませて眠らせたんですって」
酒だけじゃないでしょうね、気をゆるませるのが奴らの作戦なら。奇麗どころがこれだけ揃っているんだし……。
じいさん、羨ましそうにつぶやく。
「えぇなあ……」
ったく、男どもっていうのは。あんたも食われに行くか?
ビーストの数は五十人を越えている。まともに突っ込んだら、たちまち捕まる。とは言っても、本当にあいつらはそんなに狂暴なのだろうか……。
パッションが言い切った。
「信じて。目に見えるものに惑わされないで」
私はパッションを抱き上げた。これまで、猫の力を疑ったことはない。信じるわ。
こっちにも作戦が必要ね。
「森に戻るわ」
女たちから目を離せないじいさんを与太郎が力任せに引きずる。
*
巨木の間に戻ると作戦会議をはじめた。ひんやりとした空気が私たちを包む。
「パッション、ビーストの苦手は?」
「マタタビとタコ」
「タコ?」
「八本足の、ふにゃふにゃした生き物」
タコぐらい知ってるけど……いきなり断定されても、理論の飛躍が埋められない。
首をひねった私に、パッションが説明を補足した。
「マタタビは匂いが嫌いみたい。嗅ぐと動きが鈍くなるし」
「タコはどうして?」
「霊を吸い取るから。タコにとってはビーストの汚れた魂は一番のごちそうなのよ」
「ここのタコはそんなに危険なの?」
「吸い取るのは悪い霊だけよ。タコって、悪魔の魚なんでしょう?」
「は? 確かに、英語じゃそう言うけど」
「母さんは大丈夫よ、きっと。悪い心は少ししかないもの」
誉められた……のかもしれない。
「でも、どうしてタコにそんな能力があるの?」
「猫の国には警察も裁判所もないから。悪い心を放っておいたら、みんなが迷惑するじゃない。でも、タコは湿気がないと生きられないから、森の外には出られないよ」
そうか。タコもこっち側の森に住んでいるんだ……。
どうもこの世界にはなじめないな。
パッションは辛抱強く説明を続けた。
「猫はタコが好き。だからタコは猫が嫌い。タコはビーストが大好き。だからビーストはタコが苦手。でもビーストは猫が大好物。だから私、ビーストに近づくのは嫌」
「ややこしいわね」
「ジャンケンみたいなものよ」
グーはパーに勝って……あ、そうか。ところで――。
「パッション、ジャンケン知ってたの?」
「いずみちゃんに教えてもらった。でも、いつも負けるの。チョキが出せないから」
無事に帰ったら、足ジャンケンの講習会を開かなければならないようですね。
しばらく考えて、作戦を決めた。
「おじいさん、あけみと一緒にマタタビを取ってきてください。与太郎とパッションはタコ狩りよ。二人で追い立ててこの辺りに追い詰めておいてね」
じいさんが言った。
「あんたは?」
「もう一度、村の偵察。仕掛けも作らなくちゃ。双眼鏡、貸してください」
目の色が変わった。
「一人で行くのかぁ?」
双眼鏡を握りしめ、上目使いに私を非難する。よだれが垂れそうだ。
「だから連れて行きたくないんです」
ふん、役得よ。たまには引き締まった身体の男たちを、観賞させていただくわ。
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