夜明け近くに戻ったパッションは、足もとをふらつかせていた。

「ご……ごめん……なさいね……ひっ。なにしろ……マタタビが……ひっ。私……よっ……ぱらっちゃ……みたい……ひっ」

 見れば分かります。

 後ろからついてくる与太郎とあけみも、腰がふらふらしている。なるほど、猫はマタタビに目がないわけね。

 じいさんはあけみを抱きしめ、しつこいぐらいに頬ずりをしている。

 与太郎が私の脇にでれんと横になった。いきなり寝息をたて始める。

 ちょうど寒さを感じていたところだ。私は与太郎の足の間に潜り込んだ。

「パッションも眠れば。そんな状態で怪物に出会ったら、お陀仏だから。ふわあぁ……」

 私たちも心配でろくに寝られなかったのだ。与太郎を残していくわけにはいかないから、目が覚めるまでおつき合いだ。これでやっと休めるわね……。

 パッションがすり寄ってきた。

「そうね……ひっ」

「卯月……どうしてるかな……あんな物騒な所にとり残してきちゃって……」

「大丈夫よ……ひっ。あいつ、逃げ足だけは……ひっ……早いから……。あれ……? あとの……みんなは……ひっ」

「ん? 近くに人間の村があるの。先に行ったよ……」

「人間……? この世界に人間なんて……やだ! ビースト⁉」

 パッションは飛び上がった。

 私も起き上がる。

「何か? まずかったの?」

「た、大変よ! あの人たち、ビーストの村へ⁉」

 ただ事ではないらしい。

「ビーストって?」

「人間の形の化け物。残忍、狂暴、情け知らずの肉食獣。人間世界からはじき出された極悪人が姿を変えた、根っからの怪物よ!」

「なんですって⁉ だってあの木が……」

 そうよ、私たちを案内したのはあの老木なんだから。

「だってもなにもないわよ! 早く助けなくっちゃ、三人とも食べられちゃう!」

「間違いはないの⁉ 普通の人間も少しは住んでいるとか……?」

「猫は人間が嫌いなの! 好きになったら一途だけど、知らない人間がうろうろしている世界なんて騒がしくて嫌! 猫の世界に人間なんて必要ない!」

「じゃあなんで、そんな極悪人たちが?」

「どこかで引き取らなくちゃしかたないでしょう。猫の世界に割り当てられた分をすみっこに住まわせているだけよ。誰もビーストなんかに近づかないわ!」

 まいったわね……。

 パッションの話を聞いたあけみは震えてはじめている。説明に間違いはないらしい。

 じいさんに言った。

「様子を見て来ます。待っててください」

 与太郎の腹を蹴飛ばして起こした。返事は、またも呑気なあくび。

 じいさんは言った。

「帰れる自信はあるのか?」

「宝猫がついています」

「わしも行く」

「危険らしいですよ」

「だからじゃ。パッションにはぐれたら、帰れない」

 老人は賢い。


         *


 ビーストの村はドーナツ等の形ををしていた。木と草で組んだ小屋がびっしり並び、中央が広場になっている。小屋の出入口は広場に面した側だけで、外からは継目のない城壁に見える。広場に入る通路は、森に向かったものと反対側に開いたものの二ヶ所。他に通り道はない。

 私たちは森の反対側にまわってそっと中の様子をうかがった。

 全裸の男女が群れて、焚き火を囲んでいた。

 素っ裸……ですと?

 揺らめく炎に照らされたビーストたちは、みんな若い。男も女も、見事なまでに整った肢体を隠そうともしていない。しかも、毒々しいまでの美形ぞろい。

 なんと、まあ……。

 じいさんが茫然と双眼鏡を取り出す。

「えぇなあ……」

 私も目がくらみそうだ。

 パッションがじいさんをたしなめる。

「見かけにだまされないで」

 じいさん、いひいひと笑いをこらえながら、興奮している。目を尖らせたあけみに引っかかれても知らんぷりだ。

「こりゃあ、えぇ。若いもんは、えぇ」

 何も聞いちゃいない。勝手にしろって。

 ビーストたちは何やらぼそぼそと話し合っている。声はかすかに届くが意味は理解できない。どこの言葉?

 しばらく聞いてから、パッションが通訳した。

「捕まえた人間の仲間たち……つまり、私たちが来るのを待っているのよ。誰が脳味噌を食べるかでもめてる……。普通ならとっくに骨になってるわ、あの三人」

 くわばら、くわばら……。

「まだ無事なのね?」

「今のところは」

「何で我慢してるの?」

「ブルの命令」

「私たちが飛ばされてきたこと知っているの⁉」

「いろんな生き物をスパイに使っているもの。ここに落ちた時の振動も感じたろうし」

 ご丁寧に、私たちは手榴弾まで使った。知らないうちに宣戦布告しちゃったようね。

 そう思うと、逆に腹が座った。どうせ、近いうちに戦わなければならない相手だ。

「三人はどこ?」

「建物の中。お酒を飲ませて眠らせたんですって」

 酒だけじゃないでしょうね、気をゆるませるのが奴らの作戦なら。奇麗どころがこれだけ揃っているんだし……。

 じいさん、羨ましそうにつぶやく。

「えぇなあ……」

 ったく、男どもっていうのは。あんたも食われに行くか?

 ビーストの数は五十人を越えている。まともに突っ込んだら、たちまち捕まる。とは言っても、本当にあいつらはそんなに狂暴なのだろうか……。

 パッションが言い切った。

「信じて。目に見えるものに惑わされないで」

 私はパッションを抱き上げた。これまで、猫の力を疑ったことはない。信じるわ。

 こっちにも作戦が必要ね。

「森に戻るわ」

 女たちから目を離せないじいさんを与太郎が力任せに引きずる。


         *


 巨木の間に戻ると作戦会議をはじめた。ひんやりとした空気が私たちを包む。

「パッション、ビーストの苦手は?」

「マタタビとタコ」

「タコ?」

「八本足の、ふにゃふにゃした生き物」

 タコぐらい知ってるけど……いきなり断定されても、理論の飛躍が埋められない。

 首をひねった私に、パッションが説明を補足した。

「マタタビは匂いが嫌いみたい。嗅ぐと動きが鈍くなるし」

「タコはどうして?」

「霊を吸い取るから。タコにとってはビーストの汚れた魂は一番のごちそうなのよ」

「ここのタコはそんなに危険なの?」

「吸い取るのは悪い霊だけよ。タコって、悪魔の魚なんでしょう?」

「は? 確かに、英語じゃそう言うけど」

「母さんは大丈夫よ、きっと。悪い心は少ししかないもの」

 誉められた……のかもしれない。

「でも、どうしてタコにそんな能力があるの?」

「猫の国には警察も裁判所もないから。悪い心を放っておいたら、みんなが迷惑するじゃない。でも、タコは湿気がないと生きられないから、森の外には出られないよ」

 そうか。タコもこっち側の森に住んでいるんだ……。

 どうもこの世界にはなじめないな。

 パッションは辛抱強く説明を続けた。

「猫はタコが好き。だからタコは猫が嫌い。タコはビーストが大好き。だからビーストはタコが苦手。でもビーストは猫が大好物。だから私、ビーストに近づくのは嫌」

「ややこしいわね」

「ジャンケンみたいなものよ」

 グーはパーに勝って……あ、そうか。ところで――。

「パッション、ジャンケン知ってたの?」

「いずみちゃんに教えてもらった。でも、いつも負けるの。チョキが出せないから」

 無事に帰ったら、足ジャンケンの講習会を開かなければならないようですね。

 しばらく考えて、作戦を決めた。

「おじいさん、あけみと一緒にマタタビを取ってきてください。与太郎とパッションはタコ狩りよ。二人で追い立ててこの辺りに追い詰めておいてね」

 じいさんが言った。

「あんたは?」

「もう一度、村の偵察。仕掛けも作らなくちゃ。双眼鏡、貸してください」

 目の色が変わった。

「一人で行くのかぁ?」

 双眼鏡を握りしめ、上目使いに私を非難する。よだれが垂れそうだ。

「だから連れて行きたくないんです」

 ふん、役得よ。たまには引き締まった身体の男たちを、観賞させていただくわ。

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