肩を揺さぶられて気がついた。

「先生。腹、へってるだろう? 食いな」

 若造が枝に刺した肉を差し出していた。

 起き上がってみると、みんな食事中だ。焚き火を囲んでサメのステーキを頬張っている。

 私はぼんやりと言った。

「先生と呼ぶの、やめてね」

 名人が応える。

「どうして、先生?」

 あなたには特別に許しているだけ。

「嫌いだから」

 名人め、自分で質問したくせに、私の答えは無視してサメを食らっていやがる。

「たいして旨くはないですけど……ビールがあれば、救われるんですけどねぇ、先生」

 うれしそうにむしゃぶりついてないで、人の話も聞けってば!

 じいさんが名人をたしなめた。

「贅沢は敵じゃ」

 兄貴分はドスを器用に使って、木の枝を尖らせていた。

 私を見てまたにやりと笑った。

「あんな化け物がうろうろしてるんじゃ、武器を用意しておかなけりゃぁな。銃の弾も手榴弾も切れた。今のうちに食事しておけよ、城に攻め込むんだろう?」

「ええ……」

 奇妙な集団だ。さっきまで命を的に戦っていたのに、猫次元のおかげで、今や運命共同体だ。しかし、仲間だと思ってみると、漫才コンビもなかなか頼もしい。

 私もサメステーキに食いついた。火薬の臭いが残っているが、文句は言えない。

 じいさんの膝にはあけみが戻っている。あけみは、じいさんが千切った肉を喉を鳴らして頬張る。幸せそうね。

 与太郎はすでに豪快な寝息を立てていた。サメの刺身をたらふく食ったのだろう。髭を鼻の前にぞわっと寄せてあくびをすると、ごろっと寝返りを打つ。腹の上で丸まっていたパッションがずるりと滑り落ちた。

 まあ、こいつらも、頼もしいうちに入れておきましょうかね。

 食べ終わった名人が、鼻唄混じりにサメの残骸に近寄る。穴だらけになった腹を開いて奥を覗き込んだ。

「何かあるの?」

「いや……ゲームだったらモンスターを倒すと武器が出てきたりするもんで……」

 こいつは例外。

 名人、あくびをもらすパッションに食い下がる。

「ここにはドラゴンとか妖精なんかもいるんだろう?」

「そんなの、空想の生き物じゃない。人間って常識がないのね」

「だって……」

 名人を基準にして人類全体を判断されては迷惑する。

 しかし、武器は欲しい。人間世界に帰るためにはブルを倒さなければならないんだから。

 暴れたサメが落とした枝はとっくに燃やされてしまった。私はまわりの木の幹に目をやって手頃な枝を物色した。まっすぐで弾力がある方がいい。

 樫の老木に良さそうな枝が生えていた。ぶら下がって、揺すると……。

「こら! いい加減にしろ!」

 いきなり怒鳴られて、宙ぶらりんで振り返った。私が怒られたのかな?

「なに?」

 みんな、不思議そうにこっちを見ている。

 名人が首をひねる。

「先生……じゃないんですか……?」

「早く、手を離せ! これ以上、枝はやらんぞ!」

 離した。バンザイの格好で座り込む。声は樫の木の幹の洞から響いてくるようだ。何かが住んでいるの……?

 怒鳴り声は穏やかになって続けた。

「そう、それでいい。お前たちはなかなか勇敢じゃが、わしの仲間を傷つけることはもう許さん。飯を食い終わったら森の外に案内してやる。二度と戻るな」

 しゃべったのは、樫の木だ……。

 じいさんがあけみを抱いて寄って来た。

「ほう、あんた、話せるのかい?」

 じいさん、たいして驚いていない。

 私は腰が抜けている。

「木……木が……」

 じいさんは私に哀れみの目を向けた。

「木とて生き物じゃ。こんな世界でなら話をしたっておかしくはないわ」

 かもしれないわよね、確かに……。

「でも、何で日本語を……?」

 木が答えた。

「長生きをすると、つまらんことまで覚える。学んでおらんと、ボケるのでな。ご老体、お主がこやつらの首領か?」

「年上だが、首領などではない。寄り合い所帯だから、そんな者はおらん」

「まあいい。年寄りなら、わしの気持ちは分かるだろう。静かにしていたいんじゃ」

「わしらの話、聞いておったか?」

「ああ」

「城とやらに行きたい」

「わしが案内できるのは森の外れまでじゃ。そこから先は勝手にするがよい」

 私は尋ねた。

「案内って……どうやって?」

「もちろん、歩いてじゃ」

 聞くんじゃなかった。

 が、樫の木は嘘は言っていなかった。わさわさと葉が揺れ、幹がかしぐ。何度か激しく傾くと、太い根が抜けてきた。木は、無数の太い根を使って立ち上がる――。

 おおぉ……。私たちは感嘆の溜め息をもらした。すっくと身を伸ばす巨木は、神々しいまでに美しい……。

 と、木はへなへなと座り込んだ。

「いやあ……年には勝てんな。何年も歩いておらんもんで……。ま、身体を慣らすまで、ゆっくり食事をしとってくれ……」

 何だか頼りにならない奴ですこと……。

 私は小声でパッションに尋ねた。

「信用していい?」

「うん。木は猫の友達だから」

 味方がいるだけ、よしとしましょう。

 森の中から大きなワシが一羽、飛び立った。イワシ雲――ではなくて、空に浮かんだ本物のイワシの群れを蹴散らして旋回する。太陽が沈みかけていた。

 こっちの世界はもう夜になるのか……。

 ワシはイワシの大群を追って去った。


         *


 一時間以上も歩いた。大した距離ではなかったが、老木の足が遅い。しかも、道がない。

 老木は複雑にこんがらかった根っ子を押し出し、幹をずらして進む。そのたびに、進路を塞ぐ木々は不平をもらしながら道を開ける。ツタは蛇のように身をすくめる。下草は踏みつぶされまいと逃げ惑った。

 いや、違う。草は巨木の根に絡みついて、前進を阻もうとしているようだ……。

 老木は洞の奥でつぶやいた。

「じゃまくさい奴らじゃのう……」

 私は聞いた。

「草は仲間じゃないの?」

「ふん。わしらはあんな半端者とは住む世界が違うわ」

 言われてみれば、太陽の光を奪い合う敵同志ではある。しかしそれは草に限らず、他の木だって同じじゃないの?

 だが老木は、他の木々に対しては取ってつけたような低姿勢を取っていた。

「すまん、すまん。こいつらを追い出さんとゆっくり眠ってもいられんでな……」

 謝りっぱなしだ。

 まあいい。森の住人には彼らなりの義理人情の世界があるんだろう。通りかがりの余所者が心配することではない。

 ようやく視界が開けた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。月明かりが頼りだ。

 森の外れで老木は言った。

「お前らの仲間がこの先に住んでおる。後は好きにするがいい」

 老木の枝が指し示した先は、草におおわれた平原らしい。遠くに人工の物らしい明かりが見えた。民家⁉

 名人が叫んだ。

「人が住んでる!」

 老木が葉を揺すってうなずく。

「この世界にも人間はおる。森の生き物にとってはやっかい者じゃがな。行くがよい」

 私は思わずつぶやいた。

「パッション、人間はいないって言ってたのに……。パッション?」

 答えがなかった。

 あれ? はぐれたのかな?

 老木はがさごそと後ずさっていく。

 私は辺りに目を凝らした。暗闇に黒猫。簡単に見分けられるはずはないけど……。

「パッション?」

 返事がない。それどころか、ばかでっかい与太郎さえ気配がない。

 じいさんもリュックに手を突っ込んであけみを捜している。

 漫才コンビがわめき立てた。

「人間が住んでいるんだろう? 早く行こうよ!」

「猫なんざぁ、置いてけ!」

 弱ったなぁ……。

 老木の背に尋ねた。

「猫たちを知らないかしら?」

「近くにマタタビの群落があるのじゃ。しばらく楽しませてやれ……」

 言いつつ、森に溶け込んでいった。

 しかし、道案内がないと右も左も分からない。猫次元を〝単独〟で探険するほど、私は物好きじゃない。

 漫才コンビと名人は苛立っている。

「早く!」

「行こうぜ!」

「もたもたすんな!」

 じいさんは悲しげに首を横に振る。私だって猫は大事だ。

「私たちは猫を待つわ。三人で先に行って様子を見てきて」

「はい!」

「おう!」

「がってんだ!」

 一斉に走って消えた。

 村までは一キロと離れていないようだ。人間が住めるなら怪物の危険もないだろう。

 昨夜は眠っていないから、さすがに疲れた。さて、一眠りして猫を待ちますか……。

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