3
魚だった。きらきらと輝く小魚の群れが、雲のように押し寄せる。空中を泳いで……。
呆気に取られた私を、パッションが見上げる。
「変? ここの魚は空気の中を泳ぐのよ。知らなかった?」
知っててたまるもんですか!
名人が脇をすり抜ける魚を笑いながらつっついてつぶやく。
「なんで魚が空中を?」
パッションは魚を取ろうと飛び跳ねた。形も大きさもワカサギにそっくりだ。
「水の中に住んでたら、取る時に手が濡れちゃうじゃない。いやよ、そんなの」
猫は濡れるのが嫌い。それぐらいは知っていますけど……。
「ここは、なんでも猫に都合がいいように出来ているの?」
パッションは器用に捕まえたワカサギを次々と頬張る。もごもごと言った。
「だって……猫の国だもの。でも……湿気がないところでは……魚も泳げないのよ。これなら水の中と一緒でしょう? ああ、おいしい」
疑問の余地を残さない完璧な説明です。
じいさんが言った。
「このワカサギ……何かに追われているようじゃないか……?」
言葉が終わる前に、巨木の間から〝そいつ〟が顔を出した。
先端が尖った真っ黒な身体。大きく裂けた口に鋭い歯が並んでいる。木の葉を揺さぶりながら、ずるりと尻尾が現れた。体長五メートル。背中に三角のヒレ――。
ま、まさか……。
漫才コンビが金切り声を上げた。
「ジョーズだっ!」
パッションが叫ぶ。
「何してるのよ! 隠れて!」
全員、横にすっ跳んだ。
私は腰が抜けて、手で這った。与太郎が脇に来る。短い尻尾にしがみつき、辛うじて木の間に潜り込めた。サメが通り過ぎると、ぶんと空気が震える。私は衝撃で転がった。
なんという馬鹿げた世界なのよ……。
パッションも木の幹に爪を立て、後ろ足が浮くのをこらえている。
「あいつが住んでいるんでブルの手下も近づけなかったのね……」
「あのサメ、戻ってくる?」
「当然。人間を食べたほうがおなか一杯になるもの」
与太郎は目を輝かせている。砂遊びに夢中のスズメに襲いかかる寸前の、臨戦体制だ。
あんた、あんな化け物に食欲がわくの⁉
「ばか、与太郎! よしなさいったら!」
「お兄ちゃん、おなかが空いてるのよ」
だからって、サメなんかに……。
「兄ちゃん、上からの方がいいよ」
与太郎は素早く巨木の幹を駆け上がる。厚く重なった葉っぱの中からピンクの鼻を覗かせ、金色の目を光らせた。
サメは巨体を反転させて迫る。きょろきょろと辺りを見回した。どんよりとした表情のない目。そいつが私の視線とからんだ。
ぞ……。
あわてて顔を引っ込めた。とたんに、どしんと木が揺れた。奴め、体当たりしてきたのだ。必死に木にしがみついた私は、幹にごんごんと額をぶつけた。
離すものですか!
と思ったとたん、手が滑って地面に転がってしまった。脇腹に固いものが当たる。武器を! ウエストポーチに手を突っ込む。ナイフ。小さすぎ! 兄貴分の拳銃。これ!
サメの鼻先が木の間からぬっと出た。
私は転がったまま両手で銃を突き出し、引き金を引いた。
ゴン! ゴン! ゴン!
銃の反動で後頭部が地面にぶつかる。命中したかどうか分からない。たかが拳銃で、ジョーズを倒せるとも思えない。
しかし、銃声には肝をつぶしたようだ。サメは身体をよじって広い場所に戻ろうともがく。木の枝がばっさばっさとあおられた。
身体がでかすぎて、ヒレが枝に引っかかったんだ!
ばきっ!
折れた枝が降ってきた。
サメは横向きになってもがいている。また目が合った。妙なことに、今度は腹が立った。
たかが魚のくせに、でかいってだけで人間様を小馬鹿にするんじゃないわよ!
私は折れた枝を取った。折れ口は鋭く尖っている。それをサメの目に突き刺す。
やった!
目をえぐられたサメは大暴れした。巨木が揺れ、つぎつぎに枝が折れる。サメは身体をうねらせるたびに自由になっていく……。
足下で声。
「怒らせちゃった。母さんのばか」
パッションだ。
「だって!」
その時、与太郎が降下した。
もがくサメの背中にしがみつき、残った目に爪を立てる。サメは暴れたが、振りほどけなかった。与太郎は目玉をえぐり出し、次に額に牙を立てた。
いつの間にか、逃げ出した連中が集まっていた。漫才コンビは手にドスを。名人は尖った枝を。じいさんは石を握っていた。それぞれに暴れる巨体に攻撃を仕掛ける。
与太郎が振り落とされた。また飛びかかろうと身を縮める。
私は与太郎に命じた。
「待って!」
そして、兄貴分に銃を手渡す。
「目の間、撃てる⁉」
「おう!」
威勢よく叫んだ兄貴分は、しっかりと拳銃をかまえた。敵の動きを見つめ……。
三回の銃声の後、サメはぐったりと動きを止めた……。
と思ったのは大きな間違いで、気を許して近づくと、でっかい口を開けやがった。
私はまたひっくり返ってしまった。
詐欺師まがいの裏技を使いやがって!
「手榴弾はないの!」
兄貴分が若造の頭を小突く。
「ねぇのか!」
「へぇ、ここに!」
「ばか、さっさと出せ!」
漫才やってる場合か!
兄貴分がピンを抜く。
私は足もとの太い枝を取った。
「外さないでよ!」
枝をサメの口めがけて突っ込む。力いっぱい押し広げた。
「今よ!」
兄貴分、うおーっと吠えて突進して来た。あまりの迫力に私の腰も一瞬引けた。さすがに業界人。が、目が合うと兄貴分はにやりと笑いかけ、サメの口に手榴弾を放り込む。
「伏せろ!」
私も枝を離して転がった。
大音響と共にサメの頭は吹き飛んだ。私の顔にもちぎれた肉片が貼りつく。
しかし、私はまだ生きている……。
みんな、地面にぺったりと座り込んだ。
与太郎は目をきらめかせて、地面に落ちたサメの腹に食らいつく。うはうはと息が荒い。
どうぞ、気が済むまでお召し上がりください。
放心状態の私に兄貴分が言った。
「見直したぜ。女のくせに、いい度胸だ」
惚れるなよ、と言いかけて気を失った。
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