魚だった。きらきらと輝く小魚の群れが、雲のように押し寄せる。空中を泳いで……。

 呆気に取られた私を、パッションが見上げる。

「変? ここの魚は空気の中を泳ぐのよ。知らなかった?」

 知っててたまるもんですか!

 名人が脇をすり抜ける魚を笑いながらつっついてつぶやく。

「なんで魚が空中を?」

 パッションは魚を取ろうと飛び跳ねた。形も大きさもワカサギにそっくりだ。

「水の中に住んでたら、取る時に手が濡れちゃうじゃない。いやよ、そんなの」

 猫は濡れるのが嫌い。それぐらいは知っていますけど……。

「ここは、なんでも猫に都合がいいように出来ているの?」

 パッションは器用に捕まえたワカサギを次々と頬張る。もごもごと言った。

「だって……猫の国だもの。でも……湿気がないところでは……魚も泳げないのよ。これなら水の中と一緒でしょう? ああ、おいしい」

 疑問の余地を残さない完璧な説明です。

 じいさんが言った。

「このワカサギ……何かに追われているようじゃないか……?」

 言葉が終わる前に、巨木の間から〝そいつ〟が顔を出した。

 先端が尖った真っ黒な身体。大きく裂けた口に鋭い歯が並んでいる。木の葉を揺さぶりながら、ずるりと尻尾が現れた。体長五メートル。背中に三角のヒレ――。

 ま、まさか……。

 漫才コンビが金切り声を上げた。

「ジョーズだっ!」

 パッションが叫ぶ。

「何してるのよ! 隠れて!」

 全員、横にすっ跳んだ。

 私は腰が抜けて、手で這った。与太郎が脇に来る。短い尻尾にしがみつき、辛うじて木の間に潜り込めた。サメが通り過ぎると、ぶんと空気が震える。私は衝撃で転がった。

 なんという馬鹿げた世界なのよ……。

 パッションも木の幹に爪を立て、後ろ足が浮くのをこらえている。

「あいつが住んでいるんでブルの手下も近づけなかったのね……」

「あのサメ、戻ってくる?」

「当然。人間を食べたほうがおなか一杯になるもの」

 与太郎は目を輝かせている。砂遊びに夢中のスズメに襲いかかる寸前の、臨戦体制だ。

 あんた、あんな化け物に食欲がわくの⁉

「ばか、与太郎! よしなさいったら!」

「お兄ちゃん、おなかが空いてるのよ」

 だからって、サメなんかに……。

「兄ちゃん、上からの方がいいよ」

 与太郎は素早く巨木の幹を駆け上がる。厚く重なった葉っぱの中からピンクの鼻を覗かせ、金色の目を光らせた。

 サメは巨体を反転させて迫る。きょろきょろと辺りを見回した。どんよりとした表情のない目。そいつが私の視線とからんだ。

 ぞ……。

 あわてて顔を引っ込めた。とたんに、どしんと木が揺れた。奴め、体当たりしてきたのだ。必死に木にしがみついた私は、幹にごんごんと額をぶつけた。

 離すものですか!

 と思ったとたん、手が滑って地面に転がってしまった。脇腹に固いものが当たる。武器を! ウエストポーチに手を突っ込む。ナイフ。小さすぎ! 兄貴分の拳銃。これ!

 サメの鼻先が木の間からぬっと出た。

 私は転がったまま両手で銃を突き出し、引き金を引いた。

 ゴン! ゴン! ゴン!

 銃の反動で後頭部が地面にぶつかる。命中したかどうか分からない。たかが拳銃で、ジョーズを倒せるとも思えない。

 しかし、銃声には肝をつぶしたようだ。サメは身体をよじって広い場所に戻ろうともがく。木の枝がばっさばっさとあおられた。

 身体がでかすぎて、ヒレが枝に引っかかったんだ!

 ばきっ!

 折れた枝が降ってきた。

 サメは横向きになってもがいている。また目が合った。妙なことに、今度は腹が立った。

 たかが魚のくせに、でかいってだけで人間様を小馬鹿にするんじゃないわよ!

 私は折れた枝を取った。折れ口は鋭く尖っている。それをサメの目に突き刺す。

 やった!

 目をえぐられたサメは大暴れした。巨木が揺れ、つぎつぎに枝が折れる。サメは身体をうねらせるたびに自由になっていく……。

 足下で声。

「怒らせちゃった。母さんのばか」

 パッションだ。

「だって!」

 その時、与太郎が降下した。

 もがくサメの背中にしがみつき、残った目に爪を立てる。サメは暴れたが、振りほどけなかった。与太郎は目玉をえぐり出し、次に額に牙を立てた。

 いつの間にか、逃げ出した連中が集まっていた。漫才コンビは手にドスを。名人は尖った枝を。じいさんは石を握っていた。それぞれに暴れる巨体に攻撃を仕掛ける。

 与太郎が振り落とされた。また飛びかかろうと身を縮める。

 私は与太郎に命じた。

「待って!」

 そして、兄貴分に銃を手渡す。

「目の間、撃てる⁉」

「おう!」

 威勢よく叫んだ兄貴分は、しっかりと拳銃をかまえた。敵の動きを見つめ……。

 三回の銃声の後、サメはぐったりと動きを止めた……。

 と思ったのは大きな間違いで、気を許して近づくと、でっかい口を開けやがった。

 私はまたひっくり返ってしまった。

 詐欺師まがいの裏技を使いやがって!

「手榴弾はないの!」

 兄貴分が若造の頭を小突く。

「ねぇのか!」

「へぇ、ここに!」

「ばか、さっさと出せ!」

 漫才やってる場合か!

 兄貴分がピンを抜く。

 私は足もとの太い枝を取った。

「外さないでよ!」

 枝をサメの口めがけて突っ込む。力いっぱい押し広げた。

「今よ!」

 兄貴分、うおーっと吠えて突進して来た。あまりの迫力に私の腰も一瞬引けた。さすがに業界人。が、目が合うと兄貴分はにやりと笑いかけ、サメの口に手榴弾を放り込む。

「伏せろ!」

 私も枝を離して転がった。

 大音響と共にサメの頭は吹き飛んだ。私の顔にもちぎれた肉片が貼りつく。

 しかし、私はまだ生きている……。

 みんな、地面にぺったりと座り込んだ。

 与太郎は目をきらめかせて、地面に落ちたサメの腹に食らいつく。うはうはと息が荒い。

 どうぞ、気が済むまでお召し上がりください。

 放心状態の私に兄貴分が言った。

「見直したぜ。女のくせに、いい度胸だ」

 惚れるなよ、と言いかけて気を失った。

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