2
あけみの話をいやいや聞いていたパッションが、車座になったみんなに説明した。
「だから、出口はそのお城にしかないわけ。でも、しばらく前に来た悪猫が王様を追い出して、お城を乗っ取ってしまったの。みんな困ってるって。その悪猫、超能力がとても強くて逆らえないのよ。呪いの力で家来を増やして、我が物顔に振舞っているらしいわ」
名人が聞く。
「猫にも王様なんていたの?」
「他の猫の面倒を見るなんてうっとうしいから、みんななりたがらないんだ。だから、順番でたらい回ししてる。兵隊なんかも本当はいないんだけど、悪猫が魔法で集めたの」
「お城はあるんだろう? 誰が建てたの」
「昔からあるだけ。猫はそんな物、作れないよ」
確かに、土木作業に汗を流す猫の姿は想像できない。何者が猫の城を作ったかなんて、詮索したくもない。私の心配は別のところにある。
「出口といったって、猫のでしょう? 人間でも通れる?」
「真っ黒い小さな穴で、なんでも吸い込んじゃうの。大丈夫じゃない、きっと」
元の世界に戻ったら猫の姿に変わっていた――なんて〝落ち〟は勘弁ですからね。
名人は深くうなずいた。
「ブラックホールか……」
馴染み深い名前がつけば安心できるなら、そう思っていなさい。
「あけみはボス猫の妾にされていたんだって。五十匹のメスを囲っているそうよ。ようやく逃げて、森に隠れていたんだってさ」
じいさんがあけみをきつく抱きしめる。
「おまえも苦労しておったんじゃな! 呪いをかけられなかったのか?」
パッションは不潔そうに言い捨てた。
「呪いでコントロールすると男に関心がなくなっちゃうらしいわ。だからハーレムのメス猫はみんな大丈夫なのよ」
ハーレムね……。そんなものを作りたがる俗物に乗っ取られた国にしては、穏やかね。辺りの森には生き物の気配さえもない。静かすぎて、不気味なほど。
「猫の他に生き物はいないの? 猫だってあけみだけじゃない」
「だってここは安息所の一番外れだもの。世界の果てになんかに猫は近づかないわ。私たちがいきなり飛び込んできたんで、森の生き物は隠れたんじゃない?」
「そうは言っても、誰かが様子を見に来てもよさそうなのに……」
「猫は中心の街に集まって住んでいるものよ。私たちが生まれたところでもそう。街から離れた場所は他の生き物たちに貸してあげているの。ここでは、大きな湖の真ん中にある島に街があるんだって。さっきあけみが言ってた」
名人が身を乗り出した。
「マップ、書ける?」
「なに、それ?」
「この世界がどういう構造になっているかという、図面さ」
「ふぅーん」
パッションはあけみと鼻をひっつけてうにゃうにゃ言ってから、前足を突き出して地面に同心円を書き始めた。ゆっくりと五重の丸を書くと、ふうっと溜め息をもらす。
「肩こっちゃった」
「それが、地図?」
「そう。一番外側がこの森。次に原っぱ。そして湖。真ん中が猫の島で、お城がある」
「ずいぶん簡単だね」
「ややこしいのは嫌い」
私は聞いた。
「島へはどうやって渡るの?」
「鳥に乗ったり、船を使ったり。橋はないわ」
悪猫に見つからずにたどり着くのは難しいかもしれないわね……。
それまで妙に大人しく考え込んでいたヤクザの兄貴が、不意に口を挟んだ。
「そのボス猫、人相は分かるか?」
私が訂正した。
「猫相、です」
パッションが、じいさんの膝で眠りかけたあけみをつっつく。あけみは面倒臭そうにうにゃうにゃと答えた。
「白黒ぶちのでぶ猫。片目だってさ」
漫才コンビが声を合わせてぎゃっと叫んだ。若造が兄貴分にしがみつく。
「兄貴! 大変だ!」
私もつられて叫んでしまった。
「な、なによ!」
兄貴分が唾を飲み込んでからかすれた声で言った。
「ブルだ! そのボス猫は、ブルだ!」
じいさんがはっと顔を上げる。
「あの化け猫か⁉」
漫才コンビは調子を合わせてうなずく。
解説はじいさんだ。
「こいつらの親分の猫だった乱暴者だ。あけみの後を追うようにして死んじまったんだが……。あの野郎、こんなところでもボス面をしやがって……」
パッションがつけ加える。
「そのボス猫、超能力が強い上に残忍なんだって。勇敢なオスが何匹も戦いを挑んだけど、みんな殺されてしまったそうよ……」
名人が首をかしげる。
「あれ? ここがあの世なんだろう? ここで死んだら今度はどこへ行くのさ?」
「どこへも行けない。身体がなくなるから、魂だけになってふわふわ漂うの。神様に身体をもらわないと、穴に入っても向こうに出られないわ」
私は空中をさまよう猫の魂を想像した。
「つらいわね……」
パッションがうなずく。
「お城のまわりではそんな魂が幽霊になって『身体が欲しい……』って化けて出るそうよ。でも、神様もブルを恐がってお城に来なくなっちゃったんですって。もちろん普通の猫じゃ、警備が厳しくて近づけないそうよ。お城は真っ黒な煙に包まれて、中で何が起こっているのかも分からないっていうし。ボス猫が煙を出す機械を作ったんだってさ」
名人は言った。
「でも、ボスを倒せばブラックホールへたどり着けるわけだ」
RPGのルールを説明しているようですけど……。しかし、核心を突いている。私たちは、スラップスティックっぽい〝ゲームの世界〟に放り出されちゃったみたい。
私はほほえんだ。
「どうせ相手は猫じゃない。人間様が束でかかればひとひねりよ」
漫才コンビが妙におとなしい。青くなって震えている。
寒いの? そんなはずはないか。辺りには湿気が充満し、蒸し暑いぐらいだもの。
じいさんが重い口調で言った。
「ブルはただの猫ではない。化け猫じゃ」
「え?」
「おまえら、教えてやれ」
じいさんから偉そうに指図されても、漫才コンビは怒らなかった。
兄貴分がつぶやく。
「ブルに殺された人間は五人じゃきかねぇ。親分に意見した憲次兄貴は風呂で溺れたし、スケにちょっかい出した佐々木さんは肝炎でくたばった。組が急にでかくなったのは、ブルが来てからだ。商売敵の組をつぶしたからにちげぇねぇ。ちっとも猫らしくねぇ鈍な奴なのに、にらまれると大の男がすくむ。ばたばた死人が続いたのは、ブルの呪いだ……」
若造が言いそえた。
「鍋島さんの時は、ひどかったす……」
うなずいた兄貴分は恐怖のせいか、かすかに肩を震わせた。
「ナベさん、人がいいから、気を利かせて親分の家の屋根を修理していたんだ。うっかり錐を落としちまって……下で昼寝を決め込んでいたブルの右目にぶっすり。次の日、ナベさん、トラックにひかれたよ。百メートルも引きずられて顔が半分削れちまった……」
本当にそれがブルの力なら、あなどれないわね。まずは素性を調査するのが定石。
「その猫、どこから来たの?」
若造が言った。
「花札で大勝ちした漁師がいましてね。いつもはすかんぴんになるカモだったんす。様子がおかしいんで脅かすと、ソ連の船員から猫を買ってからツキ始めたって言うんでさぁ」
「で、猫を取り上げた?」
「ツキも一緒に」
「ブルっていう名前は誰がつけたの?」
兄貴分が答える。
「ソ連人がそう呼んでたそうだ」
「ブルドッグ並の猫――ってこと?」
「ああ。でかいし、面は不細工。だが、本当の名前はブロンドとかなんとか……」
若造が訂正した。
「ブロンディっす」
「そう。そのブロンド」
容姿と名前がかみ合わないわね。赤猫にならともかく、白黒ぶちにブロンディだなんて……。なぜか、ひっかかるな……。
しんとした中に、じいさんが言った。
「あの化け猫め、わしのあけみがひどく気に入っていた。親分に売ってくれとせがまれたものじゃ。だが、大事な宝猫を化け物になんぞ……。あけみ、だから呪われて……」
私ははっとした。
「それならブルは、今でもあけみを捜しているんじゃないの?」
若造が叫んだ。
「追ってくるのか! 勘弁してくれ! その猫、どっかにやってくれよ!」
じいさんがあけみを抱える。
私は思わず若造の頭を張り倒した。
「ばか! 猫は品物じゃない!」
若造、しくしくと泣き始めた……。
ブルとやらの恐ろしさ、相当なものね。
パッションが言った。
「あけみが大きな鳥にぶら下がってお城を逃げ出したのが二日前。追手は見てないけど、ブルが脱走を見逃すはずはないって……」
名人がつぶやく。
「追って来られない理由があるのかな? 森にモンスターが住んでいる――とか?」
なんでそんな不吉なことが楽しそうに言えるの?
眠っていた与太郎の耳がくるりと後ろを向いた。ゆっくりと身を起こし、低くうなる。
若造がつぶやく。
「な、なんだよ……。気味が悪い……」
空気が生臭くなった。
ま、まずい……。何かが、やって来るみたい……。
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