あけみの話をいやいや聞いていたパッションが、車座になったみんなに説明した。

「だから、出口はそのお城にしかないわけ。でも、しばらく前に来た悪猫が王様を追い出して、お城を乗っ取ってしまったの。みんな困ってるって。その悪猫、超能力がとても強くて逆らえないのよ。呪いの力で家来を増やして、我が物顔に振舞っているらしいわ」

 名人が聞く。

「猫にも王様なんていたの?」

「他の猫の面倒を見るなんてうっとうしいから、みんななりたがらないんだ。だから、順番でたらい回ししてる。兵隊なんかも本当はいないんだけど、悪猫が魔法で集めたの」

「お城はあるんだろう? 誰が建てたの」

「昔からあるだけ。猫はそんな物、作れないよ」

 確かに、土木作業に汗を流す猫の姿は想像できない。何者が猫の城を作ったかなんて、詮索したくもない。私の心配は別のところにある。

「出口といったって、猫のでしょう? 人間でも通れる?」

「真っ黒い小さな穴で、なんでも吸い込んじゃうの。大丈夫じゃない、きっと」

 元の世界に戻ったら猫の姿に変わっていた――なんて〝落ち〟は勘弁ですからね。

 名人は深くうなずいた。

「ブラックホールか……」

 馴染み深い名前がつけば安心できるなら、そう思っていなさい。

「あけみはボス猫の妾にされていたんだって。五十匹のメスを囲っているそうよ。ようやく逃げて、森に隠れていたんだってさ」

 じいさんがあけみをきつく抱きしめる。

「おまえも苦労しておったんじゃな! 呪いをかけられなかったのか?」

 パッションは不潔そうに言い捨てた。

「呪いでコントロールすると男に関心がなくなっちゃうらしいわ。だからハーレムのメス猫はみんな大丈夫なのよ」

 ハーレムね……。そんなものを作りたがる俗物に乗っ取られた国にしては、穏やかね。辺りの森には生き物の気配さえもない。静かすぎて、不気味なほど。

「猫の他に生き物はいないの? 猫だってあけみだけじゃない」

「だってここは安息所の一番外れだもの。世界の果てになんかに猫は近づかないわ。私たちがいきなり飛び込んできたんで、森の生き物は隠れたんじゃない?」

「そうは言っても、誰かが様子を見に来てもよさそうなのに……」

「猫は中心の街に集まって住んでいるものよ。私たちが生まれたところでもそう。街から離れた場所は他の生き物たちに貸してあげているの。ここでは、大きな湖の真ん中にある島に街があるんだって。さっきあけみが言ってた」

 名人が身を乗り出した。

「マップ、書ける?」

「なに、それ?」

「この世界がどういう構造になっているかという、図面さ」

「ふぅーん」

 パッションはあけみと鼻をひっつけてうにゃうにゃ言ってから、前足を突き出して地面に同心円を書き始めた。ゆっくりと五重の丸を書くと、ふうっと溜め息をもらす。

「肩こっちゃった」

「それが、地図?」

「そう。一番外側がこの森。次に原っぱ。そして湖。真ん中が猫の島で、お城がある」

「ずいぶん簡単だね」

「ややこしいのは嫌い」

 私は聞いた。

「島へはどうやって渡るの?」

「鳥に乗ったり、船を使ったり。橋はないわ」

 悪猫に見つからずにたどり着くのは難しいかもしれないわね……。

 それまで妙に大人しく考え込んでいたヤクザの兄貴が、不意に口を挟んだ。

「そのボス猫、人相は分かるか?」

 私が訂正した。

「猫相、です」

 パッションが、じいさんの膝で眠りかけたあけみをつっつく。あけみは面倒臭そうにうにゃうにゃと答えた。

「白黒ぶちのでぶ猫。片目だってさ」

 漫才コンビが声を合わせてぎゃっと叫んだ。若造が兄貴分にしがみつく。

「兄貴! 大変だ!」

 私もつられて叫んでしまった。

「な、なによ!」

 兄貴分が唾を飲み込んでからかすれた声で言った。

「ブルだ! そのボス猫は、ブルだ!」

 じいさんがはっと顔を上げる。

「あの化け猫か⁉」

 漫才コンビは調子を合わせてうなずく。

 解説はじいさんだ。

「こいつらの親分の猫だった乱暴者だ。あけみの後を追うようにして死んじまったんだが……。あの野郎、こんなところでもボス面をしやがって……」

 パッションがつけ加える。

「そのボス猫、超能力が強い上に残忍なんだって。勇敢なオスが何匹も戦いを挑んだけど、みんな殺されてしまったそうよ……」

 名人が首をかしげる。

「あれ? ここがあの世なんだろう? ここで死んだら今度はどこへ行くのさ?」

「どこへも行けない。身体がなくなるから、魂だけになってふわふわ漂うの。神様に身体をもらわないと、穴に入っても向こうに出られないわ」

 私は空中をさまよう猫の魂を想像した。

「つらいわね……」

 パッションがうなずく。

「お城のまわりではそんな魂が幽霊になって『身体が欲しい……』って化けて出るそうよ。でも、神様もブルを恐がってお城に来なくなっちゃったんですって。もちろん普通の猫じゃ、警備が厳しくて近づけないそうよ。お城は真っ黒な煙に包まれて、中で何が起こっているのかも分からないっていうし。ボス猫が煙を出す機械を作ったんだってさ」

 名人は言った。

「でも、ボスを倒せばブラックホールへたどり着けるわけだ」

 RPGのルールを説明しているようですけど……。しかし、核心を突いている。私たちは、スラップスティックっぽい〝ゲームの世界〟に放り出されちゃったみたい。

 私はほほえんだ。

「どうせ相手は猫じゃない。人間様が束でかかればひとひねりよ」

 漫才コンビが妙におとなしい。青くなって震えている。

 寒いの? そんなはずはないか。辺りには湿気が充満し、蒸し暑いぐらいだもの。

 じいさんが重い口調で言った。

「ブルはただの猫ではない。化け猫じゃ」

「え?」

「おまえら、教えてやれ」

 じいさんから偉そうに指図されても、漫才コンビは怒らなかった。

 兄貴分がつぶやく。

「ブルに殺された人間は五人じゃきかねぇ。親分に意見した憲次兄貴は風呂で溺れたし、スケにちょっかい出した佐々木さんは肝炎でくたばった。組が急にでかくなったのは、ブルが来てからだ。商売敵の組をつぶしたからにちげぇねぇ。ちっとも猫らしくねぇ鈍な奴なのに、にらまれると大の男がすくむ。ばたばた死人が続いたのは、ブルの呪いだ……」

 若造が言いそえた。

「鍋島さんの時は、ひどかったす……」

 うなずいた兄貴分は恐怖のせいか、かすかに肩を震わせた。

「ナベさん、人がいいから、気を利かせて親分の家の屋根を修理していたんだ。うっかり錐を落としちまって……下で昼寝を決め込んでいたブルの右目にぶっすり。次の日、ナベさん、トラックにひかれたよ。百メートルも引きずられて顔が半分削れちまった……」

 本当にそれがブルの力なら、あなどれないわね。まずは素性を調査するのが定石。

「その猫、どこから来たの?」

 若造が言った。

「花札で大勝ちした漁師がいましてね。いつもはすかんぴんになるカモだったんす。様子がおかしいんで脅かすと、ソ連の船員から猫を買ってからツキ始めたって言うんでさぁ」

「で、猫を取り上げた?」

「ツキも一緒に」

「ブルっていう名前は誰がつけたの?」

 兄貴分が答える。

「ソ連人がそう呼んでたそうだ」

「ブルドッグ並の猫――ってこと?」

「ああ。でかいし、面は不細工。だが、本当の名前はブロンドとかなんとか……」

 若造が訂正した。

「ブロンディっす」

「そう。そのブロンド」

 容姿と名前がかみ合わないわね。赤猫にならともかく、白黒ぶちにブロンディだなんて……。なぜか、ひっかかるな……。

 しんとした中に、じいさんが言った。

「あの化け猫め、わしのあけみがひどく気に入っていた。親分に売ってくれとせがまれたものじゃ。だが、大事な宝猫を化け物になんぞ……。あけみ、だから呪われて……」

 私ははっとした。

「それならブルは、今でもあけみを捜しているんじゃないの?」

 若造が叫んだ。

「追ってくるのか! 勘弁してくれ! その猫、どっかにやってくれよ!」

 じいさんがあけみを抱える。

 私は思わず若造の頭を張り倒した。

「ばか! 猫は品物じゃない!」

 若造、しくしくと泣き始めた……。

 ブルとやらの恐ろしさ、相当なものね。

 パッションが言った。

「あけみが大きな鳥にぶら下がってお城を逃げ出したのが二日前。追手は見てないけど、ブルが脱走を見逃すはずはないって……」

 名人がつぶやく。

「追って来られない理由があるのかな? 森にモンスターが住んでいる――とか?」

 なんでそんな不吉なことが楽しそうに言えるの?

 眠っていた与太郎の耳がくるりと後ろを向いた。ゆっくりと身を起こし、低くうなる。

 若造がつぶやく。

「な、なんだよ……。気味が悪い……」

 空気が生臭くなった。

 ま、まずい……。何かが、やって来るみたい……。

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