第二章・驚愕! 異界昇天(いかいしょうてん)
1
湿っぽい風に吹かれて目を覚ました。鬱蒼と茂る森の中だ。
ありゃ? どこでしょう……?
頭の上で手榴弾が爆発したんだから……ま、無事にすむはずはない。〝あの世〟かな?
地面に大の字になって倒れた私に、パッションが冷たい鼻をすりつけて言った。
「そう、あの世」
不思議なことに、驚きがない。
「やっぱりね……死んじゃったんだ……」
パッションはなにやら楽しげに答えた。
「ううん、違うの。あの世っていっても、ここは猫のあの世。母さんたちは人間だから、ここでもちゃんと生きているのよ」
猫のあの世ですと? 何のこっちゃ? しかし言われてみると、確かに傷も痛みもない。命拾いしたことは間違いないらしい。
改めて辺りを見渡すと――。
もぞもぞと動いている人間がいる。名人、じいさん……それに漫才コンビまで! ともかく、みんなも無事な様子だ。
そこは森の真ん中にぽっかりと広けた場所だった。私たちが横たわる半径十メートルほどの空間だけが、黒く焦げた土を露出させている。
パッションが、くんくんと地面を嗅ぎまわる与太郎にすり寄った。鼻を寄せあって何事か相談しはじめる。
二匹は私のところに戻って説明した。
「兄さんの超能力でこっちの世界に飛んできたってさ。普通の猫は生きて入れないけど、私たちも死んでないそうよ。ね、兄さんがいれば心配ないでしょう?」
私は、人生最大の危機だと確信したところですけど。
与太郎が私の腕に首筋をぐいとこすりつけた。落ち着いたものです。
「よた? そんな超能力があったの?」
パッションが通訳した。
「尻尾が大きくなったから、力も強くなったんだってさ」
「へえ……尻尾にあるんだ、超能力って」
「うん。だから、尻尾がない人間はへまばかりしてる」
ほっといてちょうだい。
「帰れるの、人間の世界に?」
「ここは死んだ猫がやって来る国よ。入るのは簡単でも、すぐには出られない。でも、いつかは生まれ変わって出ていくんだから、出来ないこともないんじゃないかしら?」
心配ないというわりには、せっせと不安をかきたててくれますこと。
じいさんが這ってきた。
「ほほう……ここが噂に聞いた猫山か?」
死期が近づいた猫は、〝猫山〟に集まるという。その先にはこんな異世界があったのだ。
パッションが与太郎に質問する。
「第四百六十八方面総合猫安息所……だってさ。そこの、外れの森だそうよ」
じいさんは妙に落ち着いている。
「四百なんぼ……? 猫山っていうのは、そんなにたくさんあったのか……」
立ち上がって尻についた泥を払った名人も、話に加わる。
「みんな無事なんですか? でも、変ですよね……手榴弾でぶっ飛ばされたのに……」
「与太郎が救ってくれたんですって」
そう言ったものの、喜ぶ気分にはなれない。事態は数段ややこしくなっている。
名人はふうんとうなって辺りを眺める。
「ところで、ここ、どこ?」
やっぱり、何も分かってない。
「猫山だってさ」
再びふうんとうなずく。こいつも緊迫感というものがない。呑気な連中ばかりだ。ま、生きてはいるんだから、取りあえずはよしとしましょう。問題は、戻れるか、だが……。
パッションに聞いてみた。
「この森って、前の世界とは別の次元にあるの?」
「じげん? なに、それ?」
は? そう問われると、説明をできる知識はない。〝四次元の世界〟なんぞと書き飛ばしたことはあったけど、正確に理解できていたわけじゃないし。実際にこんな目に会ったら、アインシュタインだって頭を抱える。ましてそれを猫に説明するとなると……。
名人がしゃしゃり出る。ころっと横になって身体の毛をなめはじめたパッションの前にしゃがみこんだ。
「ほら、亜空間とか、パラレルワールドとか、多次元世界の裂け目とか……」
さすがにSFオタク、語彙は豊富だ。気休めにすぎなくても、納得できる説明が欲しいのだろう。しかし、毛ずくろいに夢中の黒猫に物理学の講義をする姿は、こっけいです。
パッションはあくび混じりに言った。
「私、猫よ。分かんない。じげんが好きなら、猫じげんにしておけば?」
「そうか、猫次元の世界か! 先生、大変だ! 僕たち猫次元に飛ばされちゃった!」
猫にからかわれて、いきなり狼狽するんじゃないわよ。
と、背後にいきなり叫び声が上がった。
「て、てめえら! なんだ、ここは⁉」
兄貴分が拳銃をかまえてそこらを走り回り、最後に私にすがるような目を向けた。若いのは震えて兄貴の足にしがみついている。
私はかすかに笑いながら言ってやった。
「決まってるでしょう、あの世よ。あなた方のおかげでね」
拳銃を握った腕がだらんとたれた。
「し……死んじまった……のか?」
「良かったわね、親分の身代わりなれて」
「良くねぇ! あんな、けちで、あほで、すけべぇなじじいの身代わりだと! 勘弁してくれ! やめてくれ! 助けてくれ! 俺の人生、返してくれ!」
ヤクザの業界も複雑ね。
パッションがけらけら笑う。
「死人のくせに元気じゃないさ」
兄貴分は初めて聞く声に驚いて、きょろきょろと辺りを見渡す。
「女か? 誰だ? どこにいる?」
パッションは、くねくねとしなを作りながら兄貴分の足にすり寄った。
「わ、た、し。うっふん!」
「わ! ね、猫が!」
銃を落としてだだっと後ずさる。
私はそれを拾ってポーチに納めた。
「物騒なものは預かっておくわ。ここから出るまでは力を合わせるしかないんだから」
「だ、だって、猫が!」
「慣れなさい。この娘は話せるの」
兄貴分はじっと私の目を見つめてから、妙に素直にうなずいた。
「は……はい……」
「うっふん!」
ヤクザ二人は、さらにバックした。
パッション! いたずらが過ぎます!
じいさんが不意に声を上げた。
「おお! ここは猫山じゃろう! ならば、あけみもおるのか⁉」
「あけみ? だれ?」
「言ったろう、わしの白猫!」
あけみ……ね。意味ありげな名前だが、ま、由来は詮索はしないでおきましょう。
じいさん、やみくもに走り出す。森に向かって叫ぶ。
「あけみぃ! あけみぃ!」
私は半分なげやりに言った。
「遠くに行かないでくださいよ!」
迷子が迷子になったら、警察だって捜せない。この世界にも警官がいるなら、だけど。
と、どこからか、わにゃにゃにゃと猫の声がした。
あらら。森の間から白猫が……。
「あけみぃぃ!」
すさまじい勢いで走ってきた白猫は、ぴょんと飛び上がってじいさんと抱きあった。
あららら。話がうますぎません?
パッションは驚きもせずに、ふんと鼻を鳴らす。
「好きそうな女。嫌いよ、ああいう猫」
「あなた……おじいさんの猫、ここにいるって知っていたの?」
「だって、四百六十八方面だもの。担当地区で死んだなら、ここに住んでてあたりまえ」
理屈は合ってる……ような気もする。
「パッションも生まれる前はここに住んでいたの?」
「私たち、札幌生まれでしょう。別の安息所にいたのよ。第百二十……何番だっけ。忘れちゃったわ。でも、お引っ越ししちゃったから、今度死んだらこっちに来るわけ。じゃあ、あの白猫と一緒? やだな。それまでに出てってくれればいいんだけどな……」
パッションはあけみを横目で見た。
私は小声でしかった。
「失礼よ。おじいさんには大切な猫なの」
「ふん。でも嫌いなんだもん」
気に入らない奴ともつき合わなけりゃならないのは、どの世界も同じ。だからといって実力に訴えると、私みたいに居場所をなくす。鼻をつまんでやり過ごすしかないのよ。
名人が口を挟んだ。
「あっちの世界に生まれ変わるんでしょう? なのに前の世界のことを覚えているの?」
「猫は人間みたいに忘れっぽくないもの」
物覚えがいいのは結構だが、この〝安息所〟に関する知識は持ってないわけよね。
「でも、ここは初めてなんでしょう? 道案内は無理?」
パッションは動じない。
「安息所はどこも同じ作りだって。いつもぽかぽかして冬はないし、魚は取り放題。人間もいない。だから、みんな戻りたがらなくて窮屈だって、おばあちゃんが言ってた」
猫は不特定多数の人間とつき合うのは苦手だ。自分のペースでのんびり暮らすのが理想。私も猫に似ているから、気持ちは分かる。ただし、なつけば情が深い。
何はともあれ、じいさんとあけみにとっては喜ばしい展開だったようで。
「ま、めでたしめでたし、ということね」
名人が深くうなずく。
「猫次元ねぇ……。アンビリーバボーな世界だ」
こいつ、まだそんなことに感激していたのか。異世界に放り出されたというのに、目を輝かせておもしろがれる精神構造の方がよほどアンビリーバボーな気もするけど……?
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