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暴力団より政治家の方がはるかに怖い。少なくとも、しつこさにおいては数段勝る。
〝先生〟はねちねちと食い下がった。
「そんなわけでして、先生に是非ともご協力をお願いしたく……」
組が吸い上げるはずの資金を封じたから、〝先生〟の事務所が上前をはねることもできなくなった。で、ご本尊の登場――。
こいつは脅して帰すわけにもいかないしな……。
「先生のご苦境は分かりますが、なにぶんにも掘り出した金塊はあれで全部でして……」
「先生、お人が悪い。こちらが胸襟を開いて恥をさらしているというのに……」
「先生のような人望の厚い方なら、なにも私ごときが手をお貸ししなくとも……」
「先生のような人気作家にお褒め頂けるのは嬉しいのですが、お恥ずかしい限りで……」
「先生には党の実力者との太いパイプがあるとお聞きしましたが……」
「先生、ご存じでしょう。政治家のパイプは中央が金を吸い上げるための方便でして……」
〝先生〟のバーゲンセールは一時間以上も続いている。
秘書も連れずに泣きついてきたところを見ると、本当に貧乏なんだろう。だからといって、卯月の糞をくれてやる理由はない。ここで折れれば、津波のような〝陳情団〟が押し寄せる。卯月もどこかの大学で若い命を散らすことになる。
とうとう苛立ちを口に出してしまった。
「ないものはないんです!」
〝先生〟の顔色も厳しくなった。
「ご協力いただくメリットは充分ご説明したはずですが……」
ねっちりと上目使いににらまれてしまった。断われば、すべてがデメリットに変わる。
速達が届くのは半年後、下水が詰まっても修理は来ない、亭主はスーパーで腐った魚を売りつけられ、子供の遊び相手はいつも病気。そして、警察も消防も動かない……。
私たちが〝金を掘り当てた〟ことは、すでに嫉妬の種だ。よからぬ金だという噂も一つや二つではない。ここで先生の号令が響き渡れば、地元住民は過剰に反応する。怒らせるのは、いかにもまずい。でも……。
「先生のご心配は分かります。決して口外はしません。ご協力は必ず秘密に……」
と言いながらも、ススキノでホステスの尻をまさぐりながら自慢話に花を咲かせるに決まっているんだ、この手の〝先生〟は。
進退極まれり、か……。
「……」
〝先生〟ついに腰を上げた。
「そうですか……ここまでお願いしても……分かりました。あきらめましょう」
そして、晴れ晴れとほほえむ。見事な引き際だ。
背筋に悪寒が走った。
*
ガラスが割れる音で目が覚めた。深夜二時。
下で名人が叫ぶ。
「何だ! 貴様ら!」
派手な宴会を餌にして呼びつけておいたのだ。電気もつけっぱなしで眠った。
格闘の物音。相手が素手なら名人にも勝ち目があるんだが……。
ケータイで警察に通報。思った通り話し中だ。110番にかけ直す。どうせ通報は立ち消えになってしまうんでしょうけど……。
枕許の丸太を取った。
暴力嫌いで臆病な亭主はどうせ足手まといになるから、娘たちと東京の私の実家へ避難させた。溜め込んだ卯月のウンコも宅配便で送った。こうなったら、思う存分暴れてやるわ。一度はジャッキー・チェンを真似たかったんだ。何を壊したって自分の家だし。
踊り場へ出て下をのぞく。
名人は五人を相手にしていた。早くも二人が倒れている。なるほど、手際がいい。と、名人、いきなり両手を振り上げて吠えた。本人はキングコングのつもりかもしれないが、老衰のオランウータンと表現する方が作家の良心にかなう。
それでも奇声に圧倒され、三人がしりぞいた。一人が刃物を抜く。漫才コンビ……。
鉄格子の鍵は、やっぱり議員さんが握っていたわけね。
ヤクザがドスを腰に構えて突っ込む。
「逃げて!」
私は叫んだが、心配は無用だった。
二人が触れた瞬間、ヤクザの身体は宙に飛んだ。ドスは床に突き刺さり、倒れたヤクザは起き上がれない。名人の意外な素顔を初めて目撃した。
名人、また吠えた。逆上している。攻撃する気⁉ 死人が出かねないじゃない……。
「やめて!」
名人が私を見上げた。その隙に、兄貴分が飛びかかる。名人は軽く身体をひねってヤクザの背中を叩いた。兄貴分は壁に額を打ちつけ、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「叩っ殺してやる!」
助けなくちゃ!
しかし、私の足はすくんでいた。倒れていた二人も起き上がろうとしている。
人数、多すぎ……。狂暴さをむき出したヤクザが、四人。慣れた手つきで刃物をぎらつかせる。兄貴分は拳銃を抜いた。
銃口が私を狙う……。もはや、これまで⁉
と、私の脇を巨体がかすめた。
よただ!
与太郎はどさりと着地し、うなり、前足を振り、跳ね、ヤクザどもを叩きのめした。銃を握る手に食らいつく。銃声が、悲鳴をかき消す。銃弾は天井に撃ち込まれた。五人はあっという間に気絶させられた。
名人が腰を抜かしていた。初のご対面、ですから……。
しかし、意外にも口調は冷静だ。
「お、おまえ……よた、か……?」
パッションが私の肩に乗った。
「止めたのよ、でも、兄さん……」
家族を守る――。それが役目だと信じている。いつも律儀に土産の煮干しを忘れない編集者だって、家族だから。
与太郎の性格だもの、仕方ないわね。
「いいのよ」
階段を降りた私は、名人に手を貸した。
「これが、宴会が開けない理由」
名人は与太郎を見つめてつぶやいた。
「でも……なんでこんなにでっかく……?」
言いながら、怖がりもせずに与太郎の背中にすがっている。
「驚くことは他にもあるわよ」
パッションが与太郎に飛び乗った。
「あなた、思ったより根性あったのね。見直しちゃった」
「あ……あ……」
「説明は後で。とにかく出ましょう」
パッションが首をかしげる。
「どこへ?」
「ヤクザのボスのところよ。きっぱり話をつけてやる」
与太郎が、ぐるるとうなる。戦う気ね。
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