第6話 べき論

 私は自分に対して『こうあるべき』や『こうするべき』と考えがちである。いわゆる『べき論』というものだ。カウンセリングを受けて気付いたのだが、べき論によって私は自分を傷つけていたようだ。

 社会人なら毎日しっかりとヘアメイクをすべき。デブだからダイエットをすべき。掃除洗濯料理は毎日しなければならない。きっと以前はもっと沢山のことを考えていた。今はべき論が緩和されたというより、べき論を自分自身に押しつけるほどの精神力がない。べき論を諦めたり手放したりした状態だろう。もう少しバイタリティがあればきっとすぐに立派なべき論者になれることだろう。そうならないようにカウンセリングを受けているわけだが。

 私には矛盾がある。同僚が毎日すっぴんで出社していても、そういう人なのねと思って終わる。太っている人を見ても健康に悪影響を及ぼすレベルでなければ何とも思わない。掃除洗濯料理が毎日できないと嘆く人には、毎日する必要なんてないよと言う。

 べき論は自分のみに有効なのだ。おかしな話である。そのためカウンセリングの担当者には

「友人が自分と同じことを言ってきたらなんて言うかを考えてみなさい」

と言われた。私は自分自身には寄り添えないが、幸いにも友人に寄り添うことはできるのだ。けれど、私はそれを忘れがちである。

 例えば今、私は家事を放り出してどのくらいの人が読んでくれるかわからない文章を書いている。心の中では

(掃除をしなきゃいけない。スーパーに買い物に行かなきゃ行けない)

と思っている。夫は私に

「何もしなくて良いよ。ゆっくりしてて良いよ」

と言う。この家で家事のことをうるさく言うのは私自身なのだ。私が私にあれをしろ、これをしろと言って苦しめているのだ。書き出してみると実に馬鹿らしい。

 掃除は昨日した。1日しなかったくらいで生活に支障が出るほど汚れることはない。スーパーに行かずとも冷凍食品やカップ麺など食べるものはある。どうしても必要なら仕事帰りの夫に頼めば良い。幸い明日は休みだ。

 文章にしてみると頭の中でごちゃごちゃと考えるよりもわかりやすいなと思う。暇つぶしに文章を書くという作業を選んで良かったなと思う。しかし、1つ問題がある。

(毎日書かないと)

 私はまだまだべき論から離れられそうにない。

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