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「水野ってさ、好きなやついるの?」
体育の授業の後、土で汚れたハードルを片付けている時、彼がそんなことを尋ねてきた。誰もいない体育倉庫の奥で、二人きり。
埃っぽくて汗臭い、日差しも入らない、消石灰が霧のように舞う薄暗い室内。
その時確かに心臓がしゃっくりをしたように大きく跳ねたのが分かった。
どう返事をするのが正解なのか分からず、咄嗟に「なんで?」と質問に質問で返した。彼は私の反応に困ったようで、「いや……」と言葉を濁した。
私はその瞳の奥の真意を探った。
そんなわけないとは分かっていたけれど、鋭く真っ直ぐな彼の眼差しから、ほんのわずかな可能性を心の奥で期待していたのだ。
「じゃあさ、クリスマスは? 何してんの?」
「クリスマスって……24? 25?」
「どっちも」
停止する思考。全力疾走した時の比じゃないほど荒れる鼓動。忘れていた呼吸を思い出した時、酸素が一気に肺を巡るのを感じた。
「……バイト」
「マジで? 両方?」
彼は小さく笑い、入口で束になっていたハードルを綺麗に整えながら持ち上げた。溜息を吐く彼の口からゆらゆらと白い息が上がっていく。
なんでそんなこと聞くの? どうして私のクリスマスの予定なんかが気になるの?
もしかして……。
そう言ってしまおうかと、「なんで」の「なん」を言いかけたその時だった。
おい、きりゅー! もう休み時間終わるぞ! 早く来い! 着替える時間無くなっちまうぞ!
密閉した空間を、愉快な声が破った。
彼の幼馴染の岡野くんだった。岡野くんは私を見るなり、お、水野もいたの、とあどけない声で笑った。
岡野くんは明るいお調子者タイプで、生物の実験で同じ班になってから時々話すようになった人だった。
その頃はただ話しやすい人だなとしか思っていなかったけれど、桐生くんの存在と、岡野くんが彼の幼馴染ということを知ってからは、私は露骨に岡野くんに近付くようになった。
岡野くんに話しかけるのを口実に彼との接触を図っていたのだ。
岡野くんの隣にはいつも彼がいる。特に接点のなかった私は彼に話しかける理由が見当たらなかった。自己保身とほんの少しの羞恥心から、私は岡野くんを利用していた。
もともと岡野くんは愛想がよく、誰とでも仲良くなれる性格で自然と気を遣うことなく接することができた。
私にとって岡野くんは一番都合のいい手段だった。
わざと桐生くんの好きなマンガの話を岡野くんに振り、彼がどう反応してくれるのか試した。
野球なんて好きじゃなかったのに、桐生くんの好きな球団の試合があれば常にチェックして、それを岡野くんと、彼が気付くまで大声で話した。
そんな努力の結果、桐生くんは私が岡野くんに話しかけるたび積極的に混ざってくれるようになり、ついには三人で下校したり、一緒にテスト勉強をすることもあるほど親密な関係になれた。
あいつ、ほんといいやつなんだよ。小さい頃から仲良いけど、きりゅーよりいい男見たことない。俺が昔遊戯王カードを無くした時、夜遅くまであいつ、ずっと一緒に探してくれたんだ。
岡野くんはそうやって私の知らない彼の一面を教えてくれた。私は岡野くんの話を心地良く、時々胸を高鳴らせながらじっと聞いていた。
「ほら水野、早く行こう。授業に遅れる」
「う、うん……」
なんであんな馬鹿正直に「バイト」だなんて言ってしまったんだろう。「空いてるよ」と答えていたら、もしかしたらその先に何かがあったかもしれないのに。関係が発展する何かを言われていたのかもしれないのに。本当にバカだ。
体育倉庫から教室へ向かう間そんな後悔が渦巻いていた。
桐生くんはいろんな人から告白されていた。他校の女子から声をかけられていたのを見たこともある。
冷静に考えればそんな彼が私のことを、なんてありえないのだけれど、でもあの瞬間だけは、その可能性が濃く感じられた気がした。
それに最近、よく桐生くんから話しかけてくれるようになった。私を見つめるその瞳が他の誰かのものとは違っている気がした。それは錯覚なんかではなく、真実なのではないかと、密かに信じたくなっていたのだ。
だからこそ、彼のその言葉の先を私は引き出すべきだったのに。
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