第8話 一秒違いの世界

 「秒針がぐるぐる回っとる。なんでじゃ? 呪いは解けたはずじゃのに、なんで一秒違いの世界なんじゃ?」

 彩は問い詰める表情で吉弘を見つめた。あまりの気迫に、吉弘は困り果てたように顔を振った。

 「わしもわからん」

 「あやちゃん」

 疑問符を書いたような音が、彩の足元から聞こえてきた。びくりとした彩が視線を落とした。

 「僕を手に持ったままであったことを忘れてたの? あやちゃん、興奮してたから、振り返った瞬間に、僕を落としたよ」

 荒々しく不機嫌に書き綴るような音を鳴らしたのは、彩のボールペンだった。急いで拾い上げようとした彩だが、指はボールペンを透過した。

 「そうじゃった」

 はたと彩は、ヒトが身に付けていないモノは、一秒違いの世界と通常の世界を行き来できることを思い出した。透過するボールペンは、透過するコンクリートの上に乗っかっている。

 「ごめん」

 腰を下ろした彩は、ボールペンに頭を下げた。

 「ゆるす」

 優しく丸印を書いたような音を、ボールペンは鳴らした。

 「でも、落ちて良かったかもしれない」

 ボールペンが緩やかに書き綴るような音を鳴らした。続けて、ニコちゃんマークを書いたような音を鳴らした。

 「もえちゃんのボールペンから、伝言が届いたんだ」

 「伝言?」

 彩と吉弘が、同時に驚きの声を上げた。

 ボールペンは、花丸を書いたような音を鳴らして頷いた後、ニコちゃんマークを書きまくるような音を鳴らした。それは、喜びに満ちているようだった。

 「もえちゃんと再会させてくれてありがとな。お礼に、呪いのヒントをあげるぜ。植物たちの会話を思い出せ」

 「植物たちの会話?」

 きょとんとした吉弘が、彩の顔を覗き込んだ。彩は心当たりがあるらしく、コンクリート沼の一点を見つめ、思い出している。

 「噂になってる彼女は、彼女が持ってた絵の彼女だった」

 呟いた彩は、耳にした植物たちの会話を順次つなげていた。そして、思い当たった。

 「あの絵じゃ。彼女が持ってた絵の彼女とは、もえちゃんが持ってた絵の花ってことじゃ。その花は、アマリリスじゃった。じゃから、噂になってる彼女とは、アマリリスのことじゃ。そんで……」

 「彼女が闇に生き埋めじゃ」

 クヌギの木のゆさゆさと枝葉を揺さぶるような音を、思い出した吉弘が身震いした。

 「アマリリスが闇に生き埋めってことじゃ」

 考えながら呟いた彩が、家の花壇で昨年咲いていたアマリリスを思い出し、気が付いた。

 「父ちゃんがしでかした。父ちゃんがアマリリスを生き埋めにしたんじゃ」

 「どういうことじゃ?」

 吉弘が目を白黒させた。

 「父ちゃんが、駐車場を拡げるために、花壇の一部を大量の土で覆ったんじゃ」

 彩の言葉に、吉弘は理解した。

 「花の植え替えをしたとき、うっかりアマリリスだけを置き去りにしたってことじゃな」

 悲しそうに吉弘は肩を落とした。

 「じゃから、呪いはアマリリスじゃ。アマリリスの呪いじゃ」

 言い放った彩は、拳を握った。

 「うちに帰るで」

 そう言って彩は、温かい目でボールペンを見た。

 「もえちゃんのボールペンに、ありがとうって伝えてな」

 「うん、わかった」

 ボールペンは花丸を書いたような音を鳴らした。

 「そんで……絶対に迎えに来るから、ここで待っといてな」

 彩は抱き締めるような口調で言った。

 「うん、待ってる」

 ボールペンは花丸を書いたような音を鳴らした。

 微笑んだ彩は、すっと腰を上げた。吉弘に目配せすると、猛ダッシュで家に向かった。吉弘が後を追う。

 「あのときの会話は……」

 家の前で足を止めた彩は、肩で息をしながら、駐車場の拡張から逃れて残る花壇を見遣って思い出した。枯れかけた葉が擦れ合うような音で会話をしていた花たちに近寄る。

 アジサイはまだ開花していないが青々とした葉をこんもりと付けている。バラは開き始めた花を凜と立てている。

 「こんにちは」

 彩はアジサイとバラに向かって微笑んだ。だが、挨拶は返ってこない。それどころか、アジサイとバラは小刻みに震えている。それは風のせいではない。一秒違いの世界に風は存在しないからだ。

 怯えていると感じた彩は、アマリリスを生き埋めにした張本人の娘だからだと察した。そっと腰を下ろすと、静かに話しかけた。

 「必ずアマリリスちゃんを助ける。じゃから、お願いじゃ」

 彩はアジサイに向かって手を合わせ叫んだ。

 「願って」

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