第5話 通常の世界

 「秒針が一秒一秒を刻んどる」

 吉弘が腕時計を見て言った途端、彩は棚の下にある空間に手を突き入れた。

 「今度こそ、誤解を解くで」

 力む彩だが、萌美のボールペンを引っ張り出す手は、そっと優しく手前に引き寄せた。

 「あたしのボールペンを取りに帰るで」

 萌美のボールペンをスカートの右ポケットに入れた彩は、立つと早歩きでペットショップから出た。振り返って吉弘に目配せすると、物凄いスピードで駆け出した。駆けっこの苦手な吉弘が、懸命に後を追っていく。

 赤信号で足止めを食らったり、黄信号で猛烈ダッシュしたりしながら、限られた時間内で無事に彩の家に着いた。

 日曜大工は終了していて、花壇の一部は土で覆われ駐車場になっていた。彩の父の姿はないが、スコップなどの道具はまだ放置されていた。こういった行動も、彩の母に叱られる点だ。だが今回は、拡張した所に、彩の母が購入した軽自動車が止められる予定だから、彩の母は文句を言わないかもしれない。

 「わしはここで待っとるけん」

 息を切らせながらの吉弘の甲高い声に、彩は足を止めて振り返った。吉弘が拡張された駐車場を指さしている。

 彩は肩で息をしながら頷くと、急いで向き直り、玄関に駆けていった。

 鍵の掛かっていないドアを開くと、既にポニーが三和土で待っていた。甘ったるい声を発しながら尻尾をぶんぶんと振り、彩に飛びついた。

 「よしよし」

 適当にあしらった彩は急いで、自室がある2階に向かった。そのとき、父がリビングのソファで寝ているのを見つけ、胸を撫で下ろす。父が起きていたら、ポニーだけが帰宅した件で叱られるからだ。この件は今回だけのことではない。友人と遊びほうけて、ポニーだけが帰宅したことが数回あるのだ。

 半開きになっている自室ドアを勢いよく開けると、部屋にいた猫が驚いたように飛び起きた。チビラという名のシャム猫だ。チビラが寝ていたもふもふクッションの横にあるランドセルに近寄った彩は、それから筆箱を取り出し、その中から灰色のウサギの顔が付いたポールペンを掴み取った。ほっとしたように、ボールペンをスカートの左ポケットに入れた。そのとき、タイムオーバー。

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