第4話 一秒違いの世界

 「噂になってる彼女だけど……」

 「なに?」

 「彼女が持ってた絵の彼女だった」

 「そうなんだ」

 シラカシの木たちが会話をしている。さらさらと葉が鳴り合うような音に、はっとした吉弘は、腕時計を見た。秒針がぐるぐる回っている。

 「あやちゃん。一秒違いの世界に戻ったで」

 「訳が分からん。もえちゃんの呪いじゃと思っとったのに……もえちゃんの様子。あたしが思ってた反応とは違っとった……なんじゃろ。もやもやする」

 ぶつぶつと呟く彩は、頭を抱えている。

 「わしの勘じゃが、もえちゃんはわしのこと、なんとも思っとらんで。あやちゃんがもえちゃんに無視されとんのは、違う理由じゃ。もえちゃんの呪いは、別の理由での呪いじゃ。じゃから、呪いは解かれず、一秒違いの世界に戻ってきたんじゃ」

 吉弘が横から彩の顔を覗き込むようにして言った。

 「じゃったら……」

 両親の離婚という不満をあたしにぶつけているんだと、思い当った彩だが口を閉じた。萌美をおもんぱかったのだ。だが、そのことで苛つく気持ちを抑えるように拳を握った。

 吉弘は少し間を置いて、穏やかに指摘した。

 「ちょっと考えてみ。気が付かんうちに、他人を傷つけることってあるけん」

 優しい口調だったが、彩はむっとして駆け出した。吉弘は距離をあけて追いかける。

 彩は黙々とショッピングモールに向かいながら省みていた。だが、自分の非に思い当らない。そんなとき、歩道の脇、アスファルトと縁石の隙間から生え出る雑草から、ざわざわと奏でるような音が聞こえてきた。

 「わいらは雑草ファミリーじゃ」

 「ファミリーといっても本当のファミリーではないよ」

 「思い遣りで結ばれているファミリーです。世界の雑草と結ばれているファミリーです」

 「うちら雑草ファミリーは元気一杯だよん」

 「俺たち雑草ファミリーはどんな障壁があろうが、着地した場所で芽を出す、ど根性勇者だぜ」

 「だけど、彼女はかわいそう」

 「彼女はどんな場所でも根付く力強さを持っていないからね」

 「僕ら雑草ファミリーの心は鋼で陽気」

 「あたいら雑草ファミリーの心はフレキシブル」

 雑草の奏でるラップ調のハーモニーは、今の彩にとっては、ただのうるさい音だった。掻き消すように足を速める。

 彩はショッピングモールの一階にあるペットショップに辿り着いた。嫌なことがあると駆けつけるところだ。

 「ペットショップに何の用じゃ?」

 不思議そうに聞いてきた吉弘に答えることはなく、彩はペットショップの入口である自動ドアに触れた。開かない自動ドアに手が透過するのを確認した彩は、えいと気合いを入れ、自動ドアに体をぶつけた。するりと体はペットショップ内に入った。そのままアスファルトと同じように透過する床を歩き、行き慣れているコーナーに向かった。

 ケージが並んでいるだけのコーナーに、きょとんとして立ち止まった彩は、すっかり忘れていたと呟く。

 「一秒違いの世界では動物は存在しないんじゃった」

 「小動物のコーナーか」

 壁に書かれてある文字を読んだ吉弘が、おやと背後を向いた。耳を澄ませる。

 書き殴るような音が聞こえてくる。

 「泣いとる?」

 彩がぽつりと言った。吉弘も同じように感じていた。その音は、背後にある棚の下の隙間から響いていた。棚には何も置かれていないが、壁に書かれてある文字から、小動物のペットフードなどが置かれている棚だと分かる。何も置かれていない状態になっているのは、一秒違いの世界に行き来できていないからだ。カエデが言っていた、心が宿っていないからだ。

 彩が棚の下の隙間を覗き込むと、鉛筆みたいなものが見えた。棚に手を突っ込んで透過するのを確認すると、えいと棚に顔を突っ込んだ。水中に潜っているような視界になったが、呼吸はちゃんとできる。隙間にあるのは、ボールペンだった。彩も持っている灰色のウサギの顔が付いたボールペンだ。

 「どうしたんじゃ?」

 彩はボールペンに話しかけてみた。途端、ボールペンから発せられていた音が止まった。それは、状況が飲み込めず、びっくりして硬直したようだった。

 吉弘も棚に顔を突っ込んで、ボールペンを眺めた。

 「わしら、味方じゃで」

 優しい語りかけに、数式を書き綴るような音が聞こえてきた。

 「俺、ポケットから落ちたんだ。彼女がハンカチを取り出したとき、うっかり俺も掴んでしまってな。彼女は気付かなくて……。俺を大事にしていた彼女だから、きっと俺を探していると思うんだ」

 不意に彩は、睨んできた萌美が言い掛けて止めた言葉を、思い出して閃いた。

 「その彼女って、萌美ちゃんって子?」

 「そうだ」

 ボールペンは花丸を書いたような音を鳴らした。

 思い当った彩は、棚から顔を引っこ抜いた。吉弘も棚から顔を抜いて上体を起こした。

 「もえちゃんの呪いは、このボールペンじゃよ」

 彩は吉弘の顔を見つめた。吉弘は訳が分からないと首をすくめた。

 「あたし、家族と遊びに行った動物園で買った同じボールペンを、つい最近、学校に持って行って……」

 ざっと話した彩は、萌美が誤解しているのではないかと説明した。

 「ってことは……もえちゃんは、あやちゃんがボールペンを盗んだと、思っとるってことか?」

 驚いて目をしばたたかせる吉弘に、彩はゆっくりと頷いた。

 再び棚の下の隙間を覗き込んだ彩は、ボールペンに向かって事情を説明した後、叫んだ。

 「願って」

 「了解したぜ。だけど、その前に……」

 すらすらと書き綴るような音が聞こえてきた。にやりとした彩は、再び叫んだ。

 「願って」

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