第8話 続・女性ボーカル
クーラと次の曲に向けてのイメージのすり合わせをしている時、それは起こった。
お互いに近い距離には住んでいないので、ちょっとした相談事はチャットアプリで済ます。
また、長くなりそうな話や、互いの意見のすり合わせが必要なときには、ビデオ通話を使う。
で、今日は、ビデオ通話だった。
俺は作曲でも使用しているパソコンの前に座り、画面に映った「キレてしまったクーラ」を眺めていた。
「ちょっと! なんとかいいなさいよ、イネ! 人をアサガオ観察してる感じで見てるんじゃない!」
「いや、そんなことはないけど」
アサガオはこんなにうるさくないからな……。
ことの発端はただの一言だった。
一言、俺が『涼白に曲を提供することにした』と言ったとたん、これだ。
やれ「浮気」だの「唾をつけたのはあたしなのにぃ、きぃぃぃ」とか、嘘か本当かわからない対応が長時間続いている。
途中、面倒くさくなってミュートにしていたら、普通にバレて、チャットアプリの通知音が消えなくなったので、そこは素直に謝って、再び元どおりとなっていた。
「イネは、わたしの相方なんだから、わたしの曲を作ってよ!」
「相方かもしれないけど……、でもレンのときは、むしろお前が仲介してきたんじゃん。同じレーベルに、俺のファンがいるとかなんとかいってさ」
「あれは、勝てるから。わたし、勝てるから」
「親しき仲にも礼儀を持てよ……」
俺からしたらどっちもどっちのイイ性格してるよ……。
「とにかく涼白さんに曲は作っちゃダメだから。約束だから」
「だから、なんでだよ。一曲くらい良いだろ。正体をばらすわけじゃないんだから」
「わかってないのは、イネだから――」
途端に、クーラの声が静かになった。
俺は茶化そうとしたが、できなかった。
なぜかその時のクーラは、ただただ正しいことを口にするだけの存在に見えた。
俺は身構えた。
「イネが、個人とのやりとりの楽しさに気がついたら、もう皆に曲なんて作らなくなる。きっと誰かの為だけに曲を作りたくなる。それはきっとイネのためにはなるかもしれない。でも、わたしとの関係は終わっちゃうよ。だってイネだけ別人になるんだから」
「……意味がわからない」
「わたしは、みんなのうちの一人でしかないから。オンリーワンじゃない」
「そんなわけないだろ。仲間だよ、俺の」
「ありがと。でも違うんだよ――ごめん、今日はもうここまでにしとく。曲の意見はあとでメールで送るから」
「うん。わかった」
「……じゃあね」
「じゃ――」
別れの言葉を言い終える前に、クーラのほうから通話が切られた。
俺は無意識にあげようとしていた右手を下ろす。
椅子の背もたれに体重をかけて、天井を見た。
「意味、わからねーよ」
そう。
意味がわからない。
なのに――なにかを心のどこかが動かそうとしている。
だって、俺は涼白の歌詞を早く見てみたいと、思ってる。
それは俺にとって、初めて約束した遊園地に行く約束みたいに、心が浮き立つような出来事なのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます