第2話 友達ができたかもしれない

 良く言えばクール。

 悪く言えば無気力。


 それが「涼白遥(すずしろはるか)」の第一印象。


 肩口で揃えられたセミロングの黒髪はサラサラで、唇は鮮やかに輝き、切れ長の目は長いまつげに彩られている。

 かなりの美少女だが、やはり会話が続かないと、気まずさは出るのだろう。

 一目惚れで告白されることはあっても、友達から告白に発展することはなさそうだ。


 愛想が悪いとまではいかないが、他人とはほとんど話さない。

 俺のほうが愛想が悪いと思うし、他人と話さないだろうけど、自分のことは棚にあげさせてもらおう。

 ちなみに俺は教室では、トーテムポールみたいだと思われているらしい。背が高くて、ぬぼーっとしているから。センスあるよ、そのネーミング。だから誰がつけたか教えてくれ。


 涼白が笑ったところを見たことがないのは本当だ。

 そしていつも左手に男が付けるようなゴツい防水時計をしているのは、自殺未遂のときのリストカットの跡を隠しているから――らしい。

 プールの時間も着用を認められている為にたった噂らしいが、真意はわからない。


 害があるやつじゃない。

 イジメの対象になるほどじゃない。

 クールで無機質みたいに冷たいだけ。

 表情の変化に乏しいだけ。

 だから全てを明かそうとするやつはいない。

 涼白は教室の隅で、綺麗なお人形が飾られてるみたいに、じっと座っている。

 ボールが投げられたらキャッチして、言われたら投げ返す――一方通行でないだけ、もしかすると俺より扱い辛い可能性もあるかもしれないな。


 でも俺は――そんな涼白遥の瞳が輝くことを知っていた。

 もちろんこの前のライブの時に。


     ◆


 あれから俺は涼白のことが気になって仕方がなかった。

 どうしてなのか、あの時に見た瞳の輝きに、俺は完全に魅了されていた。


 あの日のことは忘れない。

 もっと涼白を見ていたかったけど、ライブはあっけなく終了。

 そりゃ仕方がない。ミニライブの記念だから、曲数も五曲だけ――その後の打ち上げ食事会で、俺と組む、女性ボーカルで大学生のクーラが「おやおやあ? クーラさんの歌声に魅了されちゃったかなー? 現代のセイレーンと呼んでもいいんだよー? あと、おっぱい触る?」とか酔っぱらいのうざ絡みをしてきたが、俺がボーッとしていたのは、一にも二にも涼白の火照ったような、あの表情を何度も頭の中で思い返していただけだ。


 何を考えて曲を聞いていたんだろか。とても気になる――俺がそう思うのは多分、珍しいことだ。


 高校に通って、隣の席に座っている相手なのに、相手のことはまったく知らない。

 俺は朝からヘッドフォンを耳につけて居眠りをしているし、よく見ると、涼白も昼休みのときはイヤホンを耳につけている。

 俺の曲を聞いてくれているんだろうか。


 聞いてみたいが、なかなかチャンスがない。

 それに、あのときのライブでみた、目の輝きは、残念ながら、日常の中には一度も出ては来なかった。


 で。

 人生不思議なもので。

 話す機会は意外と早く訪れた。


     ◆


 夏休みは過去のものとなった九月終盤。

 俺と涼白は、平等な民主主義によるくじ引きで、文化祭実行委員の末席に名を連ねることになった。


 正直、めちゃくちゃ面倒くさい。

 でも次の曲も作り終えていたし、俺としては涼白と話す大チャンスだった。


 それに実行委員とはいえ、ただのクラス代表だ。

 ありがたいことに、俺と涼白の二人組が心配になった有志たちにより、クラス内会議などの進行は別の人間が行うことになった。


 俺たちはまとまった意見を提出し、与えられた予算に対して企画書を練るだけ。

 クラスメートとはあまり話したことがないけど、良い人間が多いみたいだ。

 あまり話したことはなかったけど、これからは挨拶ぐらいはできそうな気がする。もちろん気がするだけで、ヘッドフォンをつけたまま教室にたたずむ俺は、あくまでトーテムポールなんだろうけど。


 二人きりの放課後だった。


 遠くから野球部の掛け声が聞こえる教室で、はからずも隣同士となっている俺と涼白は机を合わせることなく、互いに黒板のほうを見ながら提出書類をまとめていた。


 当然の帰結ではあるが、ここまで、不必要な会話はほぼなかった。


「これはここの数値」と俺が言えば、「うん」と返してくる。

「……稲瀬くん、これ」と涼白が言えば、「わかった」と俺が返す。


 当然、ミュージックの話題なんてでないし、趣味の話題もなければ、日常会話のきっかけすらない。


 ライブから時間が経ち、俺の感情も薄らいでいた。

 作業も終わりが見えてきた頃、迂遠な方法はやめて、直接尋ねることにした。


「なあ、涼白ってさ」

「うん」

「暗ine好きなの?」

「……っ!」


 ぐしゃ、と紙が握り潰される音がした。

 思わず見やる。

 涼白は机に体重を預けるようにして、うつむきながら、重要書類を掴んでいた。


「涼白、書類が破けるぞ……?」

「あの……っ」 

「書類、それ、大事な書類のやつ」

「な、なんで……?」

「え?」


 涼白が顔をあげた。

 途端、俺は息を呑んだ。

 数十秒前までは氷みたいに冷たかった表情に、熱が通っていた。


 何かに耐えるように唇をもごもごとさせて、眉は困ったように下がり、そして、白い肌が目立つ顔は、これでもかというほどに真っ赤になっていた。


「なんで、そう思ったの……?」

「なんでって?」

「暗ineのこと」

「あ、いや、なんでって」


 予想外の展開だった。

 好きなものを指摘されたとして、そこまでうろたえる必要があるだろうか。

 俺の曲って、そんなにバレたら恥ずかしいもんなのだろうか……少しショックを受けている自分に驚きつつ、言い訳を探す。だって本当のことは言えないだろ。


「俺、耳がけっこー良くて。この前、イヤホンから聞き慣れた音がしたから。ほら。休み時間、いつもなんか聞いてるだろ」

「聞き慣れた……?」


 またしても予想外の部分に反応されて、俺はたじろぐ。

 そんな俺を無視して、涼白は声量をあげた。


「稲瀬くん、クライナーなの?」


 クライナーというのは、暗ineファンの総称だ。ファンの間でいつの間にか生まれていた。


「クライナーというか、まあ、それに近い存在かな……」

「そうなんだ……?」


 二人して首をひねる。

 なんだこの会話。

 疑われる前に話題を振った。


「俺が個人的に気に入っている曲は、サラダデイズってやつ」


 この曲は作るのに、とても時間が掛かったのだ。だから是非ともねぎらってほしい。

 だが涼白は、別の曲を口にした。


「わたしは『RESTART』が好き」

「それ、最初の曲だろ。出来はあまり良くないってイネも思ってるぞ。それに比べてサラダデイズは苦労したらしいから、褒められたいんだと思う」

「なんであなたがイネの気持ちわかるの? それに好きか嫌いかはわたしの勝手だと思います」

「はい、すみません」


 俺は潔く引き下がる。

 それにしても小学生のときに初めての打ち込んだ曲が、一番好きだとは……。

 この数年の努力、間違っていたのだろうか。


 先程の冷めた教室が嘘みたいに、俺達の間に会話が生まれた。


「涼白さんは、なんでRESTARTが好きなの」

「イネと出会った初めての曲だから……」

「ああ、思い出補正か……」

「たしかに曲としてはもっといい曲があるかもしれないけど」

「うん。サラダデイズとか」

「でも、意図せずして出会った名曲って、まるで宝物見つけたみたいで、嬉しくて」

「なるほど。サラダデイズは?」

「稲瀬くんって、しつこいね……?」

「……すみません」

「あ、でも、もちろん曲として好きなのもあって――」


 あまりにも雑な相槌だったが、涼白さんは気にせずに続けた。

 俺もその言葉を邪魔しなかった。

 涼白さんの瞳が段々と輝き始めたからだ。俺の思考は停止した。

 やっぱり、ライブ会場で見つけた瞳は、見間違いではなかった。

 それは雪の結晶のように、人を無意識のうちに魅了する形をしているように思えた。


「――あ、ごめん……話しすぎた……」


 涼白さんが謝る。

 俺は首を振った。


「いや、聞かせてくれてありがとう。参考にするよ」

「参考にするってことは、まだあんまり曲しらないんだね。暗ineのいいところは、全曲、ネットにアップされてることなんだよ。わたしのおすすめリスト、送ってあげるから、連絡先教えてもらいたい」

「お、おう」


 目がすごい輝いている。

 目の中に星が――いや、宇宙が見える。

 この人物は本当に涼白なのだろうか。


 その後、お互いに初めてに近い行動なのでめちゃくちゃ悩みながらも、無事にチャットアプリの友達登録をした。


 驚いたことにプロフィール写真は、この前のプライベートライブのときの自撮り写真のようで、背後に会場のポスターが見えた。

 残念なことに、ブレッブレの自撮りだった。


「……笑わないで。それしか撮れなかったの」


 そんなこと言われたら笑うに決まっていた。

 思っていたより、涼白は面白い奴なのかもしれない。


 その夜のこと。

 少しだけ気になっていたことを、少しも気になっていない風を装って、チャットアプリで聞いてみた。


>なんで、暗ineが好きか聞いたら、赤くなったの?


 その答えは明確で、しかし俺にとってはいまいち分からないものだった。


>本当に好きだったから、恥ずかしかったです


 いるよな、チャットだと敬語になるやつ。

 近づいた二人の距離が離れた気持ちになって、なんだか多少、悲しくなった自分の気持ちも、これまたよく分からなかった。


 でも、それから俺たちは度々、チャットをするようになった。

 教室では他人に近いけど。

 ていうか隣にいるのにチャットで話したりもしているけど。


 これってまさか、友達ってやつなのかもしれない。


 俺、まさか、人生初の友達ができたかもしれない。

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