04

 ざぁっ、と風が草木を凪ぐ音が響き渡る。

「……どうして、そう思ったの?」

 言いながら、ゆっくりと振り返ろうとする。

「分かるよ? だってあの教室でボクを怖がってたの、アナタだけだったし」

 顔の無い転校生の面影が、そこにあった。

「特段珍しい話じゃないんだよ、わたしの顔が見えなくなっちゃう人。これにはいくつか条件があるんだ」

 そこで瀬堂悠は右手をチョキの形にして突き出し、中指の方を折った。

「ひとつ。他者との関係性に対する認識が曖昧な場合。これは発達期の児童とかがそう。体感だと、小学校一年生ぐらいまでかな」

 じり、とそれが数歩こちらに寄る。私は、倉庫の壁に追い詰められていた。

「そしてもう一つが、仲良くなりたいと考える人間が他に居ない場合――つまり」

 顔の無い人間へどうやって視線を定めればいいか、教えてくれ。

 マジックか何かで目と口だけでも書き込んで、シミュラクラ現象でも引き起こしてやろうか。

「あなたみたいに『既に愛している人物がいる』人のこと」

 あれ――おかしいな。

 もっとこう、彼女の声はもっと無機質で、抑揚が無くて、ロボットが喋っているみたいだったのに。いま耳元で囁かれたのは、ハスキーな優しい声。

「でもね、これってチャンスなんだよ。裏を返せば、私はあなたが思うアタシになれるんだから。――だから目を閉じて、もっと深いところまで想像してみてよ」

 私を抱き寄せたそれはスカートを履いていた。私の左耳に、細い息づかいが聞こえてくる。

「お願い。アタシを、あなたの理想にさせて」

 心臓が早鐘を打つ。だけどそれが彼女のものなのか、私のものなのかは分からない。

「好きなんでしょ? ――津辺木さんのこと」

 呼吸が荒くなる。心臓を針で何度も突かれているような感覚。

 すずりのように重いスマホから手を放す。

「もう話しかけないで……! あなたがどんな顔をしてたって、私はオマエなんか好きにならない」

 きっとそうやってお前は、他でも恋人同士の仲をぶっ壊してきたんだ。

 アンタの思い通りになんか、ならない。

「――知ってるよ」

 静かにそう言って、瀬堂悠は私から離れた。

「だってアタシがあなたの理想になれるのは、もう好きな人がいるからじゃん。だけど今、凄く寂しがってる」

 だけどそんなことより、私は瀬堂悠の姿に目を奪われていた。

 ボブカットの髪。凜々しい目鼻立ち。

 そしてさっきからのその口調。

「その姿は……私へのアテツケってコトだよな」

 声を荒げた。こんなに大声を出したのは、部活をしていたとき以来だ。

「アテツケ、って言えば確かにそう。梓から見たアタシがどんな姿してるか、自分じゃわかんないけど。――きっと、津辺木さんに似てるんだね」

 首肯も否定もしない。言葉を発すれば、全てが手玉に取られてしまう気がした。

「でも多分、アタシのほうがずっと梓の理想に近いよ」

 千香は普段から男装の麗人みたいな見た目で、ああやってスポーツも出来るし、はっきり言ってモテる。しかしながら声は私よりも高いし、プライベートではカワイイ物好きだ。

『――ご、ごめん、千香。津辺木千香ワタシがこんなの買ってたら、引く……よね』

『そんなことないよ。何を好もうが、ベッキーの勝手じゃん』

 そんなことを千香には言ったけど、心の奥底ではそういう求め方をしてしまっていたのだ。

「だからさ、梓。アタシと付き合ってよ。あんな、半分プラトニックな関係なんか捨ててさ」

 私はどれぐらいそのままで居ただろうか。

 瀬堂悠が、どういう存在なのか。これが夢なのか現なのかなんて、どうでもいい。

 私が浮かされた熱を現実のものとして進むことの、何が悪いんだ。

「……いいよ」

 私は瀬堂悠の手を、強く握ってその言葉を告げた。

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