02

 やがてHRが終わって普通の授業が始まったものの、先生の話している内容はちっとも頭に入ってこなかった。

 私の恐怖とは裏腹に『それ』は教室の隅で静かに授業を受けている様子だった。授業の合間にが出来ることもなかったし、全員に話しかけないと気が済まないような質でもなかった。

 その永遠にも似た時間は須臾しゅゆにして過ぎ去り、昼休みになった。私は席を立つとやや早足で教室を後にして、一階の購買部に行ってパンと牛乳を買い、階段を駆け上がって屋上へ向かう。この高校の屋上は、昼休みのみ開放されている。勿論、外側には転落防止用フェンスがビッシリと張り巡らされているから、お世辞にも美しい景観とは言いがたいが。

 通用口の扉を開くと、そこでは既に数人がフェンスにもたれかかって雑談をしているのが目についた。

 私はそれを尻目に、出入り口の裏側――いわゆる日の当たらない場所に腰掛ける。

 風は浴びたいが、日の光はいらない。そんな私にピッタリの場所だ。即座にポケットからスマホを取り出して、パンの上に重ねて置く。その画面は真っ暗で、何の通知も来ていない。

 私は二秒だけ空を眺めたあと、スマホを手に取ってFINEファインのアプリを開き、との会話履歴を見てしまう。

『おくじょ』

 その発言を打ち込んだまま、送信ボタンに指をかけるかどうか迷っていた。

 ――そのまま、何分ほど経っただろうか。私は頭に降りかかる声でハッと顔を上げた。

「あ、いたいた」

 ショートウルフ(と言うらしい。本人談)の髪、吸い込まれそうになるぐらい大きくて透き通った瞳。背丈は私より数センチ高い、所謂カッコイイ部類の女子。

 津辺木千香つべきちかの顔が、私の十センチ先にあった。

「来ないと思ってた」

「まさか。ちゃんと来たし」

 私はFINEをタスクキルして、スマホを閉じた。

「また他の誰かさんと仲良しこよししてるのかと」

 冗談交じりにイヤミを言うと、千香は少したじろいだ。

 ――え? 何その反応?

「コレ――これはノーカン、だよね?」

 歯切れが悪い――と思うが早いか、千香の背後から別の誰かが這い出てきた。

「すっごい気持ちいい風。」

 そこにはあの転校生、瀬堂悠が居たのである。

 それはつまり、私の平穏が破られてしまったことを意味する。

「――転校生ってのは聞いてたけど。まさか二組そっちとは思わなかったよ」

 津辺木千香の特長その一、顔がとにかく広い。

 同学年の子はみんな知り合いなんじゃないかというレベルの有名人だ。

「学校、大丈夫そう?」

「みんな優しくて助かります」

 『それ』は突き出たコンクリート部分に腰掛けて、千香からの質問攻めに遭っていた。

「津辺木さんってさっき、学校の周り走ってた?」

 瀬堂悠の言葉は相変わらず、空虚な文字列として私の頭の中を漂う。

「あ、よく見てたね。実は私――、陸上部なんだ」

 一瞬、千香は後ろめたそうな表情でチラッと私を見る。

「えっ、陸上? すごい、速いの?」

 それはそうだろうとは思ったが、私は静観した。

「まぁ……それなりに」

 居心地が悪そうな千香を見て、私は仕方なく助け船を出す。

「ねぇ……、千香。瀬堂さんって、どう?」

 あまりにもふわっとした質問で、我ながら悲しくなる。

 そも私は、瀬堂悠せどうゆうが男か女かも判然としていないから、話の振りようがない。

「どう、って……足腰しっかりしてるし、陸上部ウチに勧誘したら、蘭堂らんどう先輩が喜ぶかも」

 ふーん、と私は応えるほかなかった。蘭堂先輩は陸上部の男子部員だから、千香からは『それ』が男子に見えているということか。

「そうなんだ」

 そう言いながら、私は色々な事を考えて、末恐ろしくなってきた。

 千香にを打っておいたのは、私の先見の明だろう。





 更に時間が飛んで、今は放課後。

 私は部活動をやっていないから、普通なら直帰しているはず。

 それが今は、校門をくぐらずに校庭の方へ歩き始めていた。

 運動部の倉庫裏。それが私たちの、秘密の部屋。

 あの時、パンの上にスマホを重ねていたのは、千香に対する『放課後会いたい』の合図だった。千香もそれをしっかりと見ていたから、何事も無ければそろそろ落ち合えるはずだ。

 

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