目を背けた先に -05-
「斎藤刑事、最近起きた不思議な事件について、知っていることを全部教えてください」
町内の商店街にある喫茶店『エーデルワイス』の店内で、霧子は相変わらずの無表情でそう言い放った。
彼女の対面の席には四十代手前の中年の男性がいて、その言葉を受けてがっくりと項垂れていた。
普段から同僚たちに疲れたような顔をしていると言われている彼のその顔は、眼前に叩きつけられた要らぬ心労によってさらに老け込み始めていた。
「西南さん、確かに俺はあなたのことを信頼していますがね、さすがにそこまでストレートに言うべきじゃないと思うんだよなぁ……」
男――斎藤刑事は、やはり疲れたような表情を浮かべて霧子を見る。
彼はこの霊媒師の視ているものが本物だと言うことは、とある事件を担当した際に身を以て知っていた。
そしてその結末の末、その奇縁はなぜだか今日まで続いていた。
それは斎藤自身の小さな失敗が招いた結果であり、呼び出される度に警察で取り扱っている事件や事故の情報をこうして仕方なく教えているのである。
もちろん、それが組織の規律に反していることは重々承知の上だった。
「まあまあ斎藤さん、絶対に悪いことにはなりませんから」
「確かに霊絡みの事件なら、俺らの手には負えないけど……。
ところで、今日は美琴さんじゃなくて姫子さんの方が一緒に来てるんだな」
「美琴君は別の方面から今回の依頼について調べてもらってます」
この日、霧子の付き添いとして名乗り上げたのは姫子だった。
美琴としては常に霧子の傍にいたいのだが、情報収集という役割の都合上、どうしても彼女を誰かに任せなければならない時もあった。
そのような時は大抵暇をしている姫子であったり、アルバイトの少女二人がいれば、そのどちらかが霧子と共に現地に出向くことが慣例となっていた。
霊が見え過ぎるが故に、もはや霧子は一人で外を歩くことができなくなっていた。
霧子はそれらの記憶が見せる幻影と現実が混ざり合って、見える世界が曖昧になっているのだと言う。
一人で出歩けばその幻影に惑わされて周囲の人々に奇異の目で見られ、霊には誘われて命の危機に見舞われる――。
自身の経験談も含めてか、生者が死者と関わることは決して良いことではないと、彼女は口癖のように言っていた。
「それで、是非教えてもらいたいんですけど」
「今回はどんな依頼を受けたんだ?」
「依頼人が幽霊に襲われたという話です」
静かに告げられた内容に、斎藤の表情が微かに動く。
その疲れた表情の破れた切れ端に、長年警官を務めてきた鋭さが僅かに見えたような気がした。
だが、それが見えたのも僅かな間で、気が付けば彼の表情に、再び気の抜けたような疲れた笑みが戻る。
「……分かった。言うよ」
「助かります。ミドリさんも説得してくれてありがとうございます」
斎藤から僅かに視線を逸らし、霧子は虚空へとそう語りかけた。
"ミドリさん"というのは斎藤に憑いている守護霊であり、どうやら現在も彼の隣に静かに座っているようだった。
霧子のように霊が視えない姫子ではあったが、以前異界へと斎藤達と一緒に神隠しされた際に彼女に助けてもらったことがあった。
その時には異界という場もあってか、はっきりとその姿を見ることができた。
彼女は容姿端麗な小柄な少女で、歳は十七、八と言ったところだったか。
丁寧な口調も相まって大和撫子と形容すべき美人であり、その時の怪奇事件解決に協力をしてくれことは姫子の記憶にも新しい。
「それで、その深夜に不審者を見たという話とはなんです?」
「ちょっと、私にも分かるように説明してよ」
姫子の抗議に霧子は面倒くさそうに溜息をつく。
この場で霊の声を聴けるのは彼女を除いた二人だけで、この話題に置いて行かれるのは必然だった。
「斎藤刑事、お願いします」
「ああ、まずは初めに起きた事件から。先週の深夜、交番に四人の少年少女のグループが駆け込んできた。
こいつらはその辺で夜遅くまで屯してる高校生のグループなんだが、そこまで悪い奴らじゃない。
家庭に不満があって集まってるだけで、特に何にもしない。
だけどその日、交番に駆け込んできたそいつらは、顔を真っ青にして支離滅裂なことを言っていた」
「それは?」
「幽霊の集団を見た、ってな」
神妙な面持ちのまま、彼は言葉を続けた。
「老若男女、何の共通点もなさそうな集団に囲まれて追いかけ回されたそうだ。
いずれも虚ろな表情で、生気を感じられない。その中でも霊感があると自称していた子が、あれは幽霊だと言っていたらしい」
「その子達と連絡はつきますか?」
「多分、無理だと思う」
「やはりそこまではできませんか」
「それもそうだけど、それだけじゃない。その子達、今は体調不良で寝込んでるんだよ」
「寝込んでいる?」
霧子の問いかけに、斎藤は頷く。
「原因不明の高熱で、とてもじゃないが話も聞けないらしい。
そんでもって、この日からこの正体不明の集団が目撃されるようになった。
追いかけ回すばかりだけど、被害に遭った人はいずれも体調不良になっている」
「……姫子はどう思います?」
「邪神を崇拝している宗教団体とか?」
「あなたの叔母さんが相手にしているような存在の話ではなく」
「……人間じゃないっていう話なら、やっぱり幽霊、妖怪、あるいは都市伝説的な存在なんじゃないかな。
正直、その情報だけだと多すぎて見当がつかないよ」
姫子は頭を振って、自身の知識を遡る。
幽霊や妖怪を基にした怪奇小説を書く中で、姫子は様々な民間伝承を蒐集していた。
しかし怪談の後日談として、「高熱を出して寝込んだ」という結末はあまりにも多い。
今回は幽霊が取り憑いたか、あるいは妖怪の祟りか、はたまた未知の存在による超常現象か――。
「つまり、幽霊が人を襲ってる?」
「そういう怪なんだと思います。どういう存在なのかは曖昧過ぎてまだ分かりませんけど……」
そこで姫子は隣にいる霧子へと視線だけを向ける。
霊媒師としての見解はどうなのだろうかと。
姫子は直接それを口にはしなかったが、察しの良い霧子は少し考えるような素振りを見せて後、頭を振った。
「今のところはまだなんとも。とりあえず人気のない暗闇を歩く時は気をつけてください」
「ああ、分かった。瑠香にも言っておかないとな」
「……そうですね」
「……西南さん、何で目を逸らすんですか」
「大切な可愛い姪御さんにいろいろと調べものさせているとか、そういうのは一切ないですから」
「西南さん?」
――さすがの斎藤刑事も小言を零さずにはいられなかったらしく、一時間ばかり予定が長引いたことをここに記しておく。
***
学校の帰り道、明人は体がひどく重く感じていた。
頭も少しぼうっとする――風邪でも引いてしまったのだろうか。
ここ数日おかしなことばかりあったのだから、それも不思議なことではないかもしれない。
早く帰って一休みしようと、気怠い体に鞭を打って帰宅を急いだ。
明人がいつも利用しているこの通学路は、小学生達も利用していた。
住宅地にも通じる大通りで、脇道へ逸れると、幼い頃によく遊んだ公園にも通じている。
公園をそのまま通り過ぎれば自宅のある住宅地へと辿り着くが、遊び盛り少年が友人たちと一緒にいれば、
必然的にそちらへと流れ込んでしまうのは自明だった。明人もそうだったし、今も小学生のグループが楽し気に公園へと駆け込んでいった。
朝も昼も走り回り、そしてこの時間帯も友人達と一緒に遊ぼうと駆けていく――そう言えば、菫と遊んでいた公園もここだったか。
「山里君?」
公園で遊ぶ少年達をぼうっと見ていた明人の背後から声が掛かる。
明人がそちらへと振り返ると弥生凛がいた。
しかし彼女一人だけではなく、その隣に見慣れない長身の女性が立っていた。
シンプルな黒のワンピースを着ており、歳は二十代くらいだろうか。
どこかの雑誌のモデル達と比べても遜色ない風貌の持ち主だった。
つり上がった目尻はいかにも気の強そうな女性という感じで、明人は自然と身構えてしまう。
すると彼女はこちらのことを値踏みでもするかのように、じろりとその視線が向けてきた。
彼女の瞳は深海のような深い藍色で、それに睨まれた彼は堪らずたじろいでしまい、慌てて凛の方へと視線を逸らした。
「弥生さん、どうしたの?」
「いや、見かけたから声を掛けただけ。お師匠に頼まれたお仕事の方はどう?」
「まあ、いろんな人から話は聞けてる。えっと、そちらの方は……」
「あ、親戚のお姉さんなの。ね、シーちゃん?」
シーちゃんと紹介された女性は、何も言わずに明人へと小さく頭だけを下げた。
寡黙――と言うより、じっとこちらを観察しているように見える。
やはりそれが居心地悪くて、明人はそこで話題を変えようと思った。
「えっと、そっちの仕事はどんな感じ?」
「とりあえず聞き込みは済んだかな。山里くんだけじゃなくて、幽霊の集団に襲われてるって言う話が広がってるみたい」
「……そうなんだ」
「祟りなのかは分からないけど、遭遇した人たちは体調を崩してるとかなんとか。山里くんも大丈夫?」
「言われてみればあんまり……」
そんな話を聞かされたものだから、どうしても意識してしまう。
自身の感じている体の気怠さや頭の重さ――これはいわゆる祟りという奴なのだろうか。
大抵の場合、怪談などではこれから自身の身に何かが起こったり、死亡してしまうというのが物語が定番なのだと思う。
明人はそんな最悪の結末を想像してしまうのだが、凜はそれを察してか「大丈夫」と笑顔を浮かべてくれた。
「お師匠からお守り貰ってるなら大丈夫だよ。少し体調が悪いとは思うけど、そのお守りがなかったらもっとひどくなってたかも」
あの霊媒師に対する絶対的な安心感はどこからくるのかは分からないが、少なくとも彼もそれにすがるしかないのは事実だった。
実際に襲われそうになったこともあって、それなら専門家に頼ることに間違いはない。そうすればあの亡霊から解放される、と思っていた。
それはあり得ないものを見たという事実が常識を麻痺させているからなのかもしれない。このフィクションのような奇妙な物語に、自身は順応し始めているのだろうか。
「その幽霊の集団って、どんな感じの幽霊が集まってるの?」
「聞いた話だと、いろんな人がいるみたい。老人もいれば、子供もいて、大体6人前後くらいの集団。昔に起きた連続殺人事件の被害者だとかって言われてる」
「菫みたいな人がいたかとかは……」
「そこまでは聞いてないかな」
「そっか。ところでその……弥生さんは、菫と話したことある?」
そう問いかけると凜は頷いた。
「何度か話したことあるよ。ほら、私学校休んでた時期があるでしょ? また通い始めた時、声を掛けてくれたの」
懐かしむように凜は笑みを浮かべていた。
凜が学校を休んでいた理由は、あの高校の関係者なら誰もが知っていた。
陰湿ないじめに遭っていたようで、とある時期から学校にこれなくなっていたのである。
無論、同学年の不良グループによるそのいじめが発覚した後、実行犯である彼ら彼女らは退学と言う処分を受けた。
その後、少年院へと送られたのだが――そこで死亡したというニュースがお茶の間を騒がせたのは、もう半年前の出来事だったか。
そんなことをぼんやりと思い返していると、凜はその言葉の先を続けていた。
「あまり話したことはないけど、とても元気で優しい子だった。
来てくれてありがとうとか、いろいろ言ってくれた。
あっ、それとバスケ好きなのかな。ウチのバスケ部の試合をよく観に行くとか言ってたっけ」
「え、本当に?」
その事実は明人にとって初耳だった。
第一、バスケットボールに興味がないと言っていた。
そう言っていたことは、もちろん明人も覚えている。
「山里君、バスケ部だったよね。住澤さん、楽しそうに試合のこと話してたよ」
――興味がないって言っていたのに。
「……正直な話、住澤さんが山里君のことを恨むなんて思えないの。だからね――」
「ねえ、あんた」
その時、凜の言葉を遮って、シーちゃんと呼ばれていた女性が口を開いた。
そのことに明人は驚き、一拍の沈黙を置いて自分に話しかけられていることにも気が付く。
驚いて返事すらできず――そしてあの深海のような瞳に睨まれて、身動きすら取れずに、ただただ彼女の言葉の続きを待つことしか出来なかった。
そしてしばしの沈黙と睥睨の後、彼女は溜息をつく。
睨みを利かせていたその表情は脱力するのだが、そこには無表情だけではなく――どこか呆れを含んでいるようにも見えた。
「もう逃げるのはやめなさい」
そう最後に口にして、彼女は再び沈黙に徹し始めた。
凜が慌ててその不躾な態度を謝罪しているようだったが、明人にはすでにそこから先の言葉はどこか遠くに聞こえていた。
――逃げる。逃げる。逃げる。
頭の中で不思議とその単語が反復して剝がれない。気分も落ち込んでくる。
やけに耳に残ったその言葉は、自身でも奇妙だと思うほどに胸に刺さっていた。
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