目を背けた先に -03-






「霊媒師、ですか……」



 ええ、と、西南霧子と名乗った霊媒師は静かに頷いた。


 これらの事の発端は、クラスメイトである弥生凜に明人が声を掛けられたことから始まる。

幼馴染の亡霊を目撃した翌日、いつものように学校に登校すると彼女に声を掛けられた。

普段から会話をするような間柄ではなかったし、特に交友があったわけではなかったのだが、

この日ばかりは彼女と、その友人である真白瑠香に驚いた顔をされたのである。


 「ありえないモノを視たでしょ?」と看破された時、心臓が跳ね上がった感覚は今でも覚えている。

なぜ分かったのかと言及はしなかった。それよりも先に、連れて行きたい場所があると神妙な面持ちで言われたからだ。

瑠香は喫茶店のバイトが入っているとかで同行はできなかったが、手の空いている凜に連れられてやってきたのが、この『相談所かざみどり』であった。

詳しい話を聞けば、事故物件のお祓いを始めとした心霊関係のトラブルを解決する専門の業者――らしい。

そして、対面に座る無表情の女性――西南霧子はここで働く有名な霊媒師だということを彼は聞かされていた。



「山里くん、お師匠に任せれば絶対に解決するから大丈夫だよ」

「だからと言って、強引に連れてくるのは感心しませんよ」

「瑠香ちゃんのお墨付きもあったので、絶対に困ってると思って……」

「えっと、確かに困りそうだったので大丈夫ですよ」



 凜をフォローしつつも、明人は霧子へと視線を向ける。


 人形のような無垢な無表情を浮かべる人物、というのが第一印象だった。

霊媒師と言われてしわがれた老婆をイメージしたが、そのいずれにも当てはまらない。

やや童顔なこともあって年齢も自身と大差ないと思ったのだが、周囲の会話から読み取る限りどうやら二十代前半のようだった。


 そして明人は彼女に視線を向けられるのが少し怖かった。

真っすぐとこちらに向けられる瞳は深く、まるで鏡面のように穏やかな水面にも思えた。

それはこちらの心を映し出し、全てを見透かしているのではないか。

そんなことはあり得ないと思いつつも、そんな恐怖心と疑念を抱いてしまう何かがそこにあるような気がした。



「それで、亡くなった幼馴染の女子生徒を自宅で見たということでしたが」

「……はい、間違いないです」



 寝ぼけていたわけでもなく、はっきりとした意識の中でそれを見た。


 彼女の声で、姿で。

自身の部屋のドアをノックし、侵入しようとしてきた。

幸いにも母親の登場と共にその姿は消え去ったが、両親共にその日の来客はなかったと言う。

この怪奇な出来事には自身の正気を疑わずにはいられなかったし、その日は疑念と恐怖に思考が満たされて眠ることなど到底できなかった。



「いくつか質問します。霊感はありますか?」

「いえ、そういうのはないです」

「最近、心霊スポットなどに行ったと言うことは?」

「それもないです……」

「本人に恨まれるようなことは?」

「それは……」



 言い淀む――と言うより、住澤菫という幼馴染が自分のことをどう思っていたか分からなかったし、想像もしたことがなかった。

気が付けば幼い頃から隣にいて、数日早く生まれたからとお姉さんぶって、馬鹿話に花を咲かせていた。

少なくとも、明人にとって菫は友人だった。


 ――だが、昨日のあれはどういうことなのだろうと思う。


 「開けて」と部屋の外から彼女は言った。

そしてドアを強引に押し開けて、部屋へと侵入しようとしてきた――少なくとも自分にはそう見えた。



「……恨まれてる、かもしれません」



 ふむ、と、目の前の霊媒師は目を細めた。



「それでは最後に。どうしたいですか?」

「どうしたい、って……なんですか?」

「お祓いをするならそうしましょう。怪奇現象に悩んでいると言うのなら、元凶との縁を切りましょう。

いずれにせよ、霊感もないのに死んだ友人の姿が見えているのは、あなたとの縁が深いからです。

そして何らかの理由を抱えているからこそ、あなたとの縁が鎖のように絡みついている。だからあなたの元にやってきた。

もしかしたら、未練があって苦しんでいるのかもしれません。

……もう一度聞きますが、彼女に嫌われていましたか?」

「……すいません。よく、分からないです」



 明人は首を振る。彼には、これ以上どう答えればいいか分からなかった。

対する霊媒師は「なら、それで構いません」と静かに肯定してくれた。



「どちらにせよ、あなたにとっても霊にとっても現状は良くない。お互いに苦しいだけ。

それに彼女が恨み辛みを抱えているとしたら非常にまずい。

自我を失って、永遠にこの現世を彷徨う亡霊となってしまうでしょう」

「……正直、どうするのが正解かは分からないですけど……」



 任せます、ということだけを彼女に伝えた。

正確には、もはやそれしか絞り出せる言葉がなかった、とも言える。


 菫と相対した時の恐怖が、やはり明人の中に残っていた。

あの時は思考が真っ白になり、次の瞬間には恐怖で塗り潰されていって、逃げようにも体が動かなかった。


 ――あのままあの手が伸びてきていたらどうなっていただろうか。

 ――陳腐な怪談の哀れな犠牲者のように、非業の死を遂げていたのだろうか。

 ――やはり、自分は生前に何らかの恨みを買っていたのだろうか。



「他に何か見えましたか?」

「いえ、特には。あとはその時、金縛りのようなものにあったくらいで……。

まるで大勢に体を掴まれているような、そんな感じです」

「なるほど。では、まずはしっかりとお祓いするということでいいですか?」

「それで済むなら……。

あの、ここまで相談して申し訳ないんですが、料金の方ってどうなるんでしょうか……」

「相談のみなら二千円。……なのですが、ウチの弟子が勝手に引っ張ってきたみたいですね」



 霧子は再び凛にじとりと視線を向ける。

困ったように力なく笑って彼女は身を縮こまらせるが、それ以上は何も言わずに霧子の視線は再び明人へと向けられる。



「今回に限っては、この相談についてはタダで構いませんよ。

ただ調査の方をするのなら、そっちは別料金となります。

……美琴くん」

「とりあえず一週間あたりの調査料はこんな感じになるけど……」



 そう言って、彼女は事務机から立ち上がると電卓の画面を明人へと見せる。

そこに表示された金額は――やはり、何度見直しても桁が一つ多い。

とてもじゃないが、学生に払えるような料金ではなかった。


 それが伝わったのか、美琴も困ったように霧子へと顔を向ける。

だが霧子は相変わらずその無表情を崩さない。



「ならこうしましょう。仕事の手伝いをしてくれるのなら一週間一万円でいいですよ」



 え、と、誰もが霧子を見た。



「手伝いって、どんな……」

「あなたの幼馴染のことについて調べてもらえませんか。

彼女の両親、友人、知人……その人たちから彼女のことを聞いてきてください。それだけでいいです」



 その提案で済むのなら悪くはないと、明人は思った。

やや不信感や不安を覚えなくもないが、それを察したのか次に会う時までに誓約書を作るとも言ってくれた。

もし仕事が終わった後も霊による被害があったのなら、全額返金するという内容も合わせて。

それは決して高校生にとっては安くはない金額ではあったが、しかし自身が幼馴染の霊に遭遇して襲われそうになったのも事実だった。



「あ、それなら私も手伝います。元はと言えば、私が連れてきたわけだし……」

「弥生さんはまた別の仕事があるからそっちの方をお願いします。それに話を聞くくらいなら何も危険なことはありません」



 そう言って、霧子は改めて明人へと向き直る。



「問題がなければ、この契約内容で進めますがよろしいですか?」

「それで、お願いします……」



 そうして、明人は静かに頭を下げた。











***











「なんで引き受けたの?」



 仰々しいオフィスチェアに背を預けた霧子に、姫子はそんな疑問を投げかけていた。


 すでに明人と凛は帰った後だった。

凛に自宅まで送ってもらうことを提案された明人は妙な表情を浮かべたが、霧子の言葉なこともあって、困惑しつつもそれを受け入れてくれた。

ちなみにその際、不機嫌そうな猫の鳴き声がどこからともなく聞こえてきたのだが、それもまた彼の与り知らぬ話である。

それは彼女を守護する嫉妬深い愛猫ものだが、その根は善性であることは周知の事実であった。

あの二人なら、問題なく彼女達を無事に家まで送り届けることができるだろう。


 そんな姫子の問いかけに対し、霧子は無言でテレビを見ていた。

テレビにはちょうど夕方のニュース番組が流れており、この辺りで出没している不審者の目撃情報について報道されているようだった。



「お守りまで渡して大盤振る舞いじゃん。何か気になることでもあったの?」

「何となく、ですかね」



 テレビから決して視線を外さず、静かに彼女はそれだけを答えた。


 小学生の頃からの付き合いなのだが、彼女がこういう曖昧な表現をする時、必ずと言っていいほど何らかの核心を得ている場合がほとんどだった。

恐ろしいほど勘が良いのもそうだが、人には視えない何かを視ることが出来るのだと言う。

それは霊を認識できるようになってから現れた才能の一つであり、幻視や透視と言っても過言ではないのかもしれない。


 しかしそのくせそれを教えてほしいと頼めば、適当に返事をしてはぐらかすのが彼女だった。

それはまるで彼の有名な推理小説に登場する名探偵のようで、その度に姫子を始めとした周囲の人物たちはやきもきさせられたものだった。



「姫子、最近奇妙な話を聞いていたりしませんか? 作家の同業者だとか、取材先でとか」

「最近知り合いの作家さんとは対談したりはしたけど、そういうのは特に聞いてないかな」

「ふむ、そうなると本当に直近の出来事のようですね……ん?」



 ふとその時、霧子の目の前の机の上に置いていた彼女のスマートフォンが短く震えた。

それを確認した霧子は静かな所作で持ち上げると、数度の操作をして画面を眺め始めた。



「誰から?」

「美琴くん、心配し過ぎじゃない?」

「そんなことはないよ」



 落ち着いた声色とは裏腹に、双子の妹の目は笑っていなかった。

普段は真面目で頼りがいのある美琴だが、霧子のこととなると途端に独占欲が溢れ出すのである。

彼女らの関係は姉としても認めているし、口出しするつもりはないものの、その依存具合には若干の不安と心配を覚えずにはいられなかった。


 そしてその渦中の人である霧子は、気を取り直すように一つ咳ばらいをする。



「真白さんからですよ。最近学生の間では夜遅くまで遊んでいると、幽霊の集団に襲われると言う怪談が広がっているようです」



 真白瑠香――彼女も弥生凛と同じく、この相談所かざみどりのアルバイトの一人だった。

生まれつき特異な眼を持っており、霧子以上に人や霊の感情を直視できる――のだが、それゆえに幼い頃から暗闇に潜む異形の存在にその眼を狙われていた。

もっとも、最近になって霧子と出会い、自身の眼の向き合い方と使い方を学んでからは、そのような被虐体質は徐々に改善されつつあった。

今回のような幽霊絡みの事件が発生した際は、霧子の視えない部分をこうして補うのが彼女の役割となっていた。



「瑠香ちゃん的にはどう視えてるの?」

「確かに動き回っているみたいです。姫子、しばらく夜間は外出を控えてください」

「分かったけど……そんなにやばいの?」



 ええ、と、霧子は短く肯定する。

彼女はその後もニュース番組を眺め、しばらくの間、やはりそこから視線を逸らすことはなかった。


 ニュースの内容はと言うと、中高生の夜遊びに対して批判する中年の男女が映っている――ただ、それだけの薄い内容が映し出されていた。

少なくとも、姫子にはそうとしか見えなかった。


 それを満ちた霧子は、深い溜め息をついた。



「一万円で済めば御の字、というところでしょうか」

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