第五章 しあわせなひびは

 俺とミンクは最初に手合わせした城壁を超えた先にある草原に来ていた。

 俺は聖剣ではなく、武器屋で買ってきた刃を潰した安物の鉄剣を構える。

「まずは鞭の使い方を強化する。かかってこい」

「おっす、師匠!」

 ミンクは鞭を構えて突撃する俺を迎え撃つ。縦横無尽に鞭がしなるが、俺は隙間を見つけ簡単に懐に入り、切っ先を喉元に向ける。

 俺とミンクは倒木に腰かけて水を飲み休憩していた。

「鞭の利点は遠くからでも攻撃できる点。鞭の弱点は懐に入られるとどうしようもなくなる点だ。気をつけろ」

「おっす師匠!」

 ミンクは俺の言ったことをメモしていた。

「レイド!」

「勇者様!」

 怒鳴り声に驚きながら後ろを振り返ると、籠いっぱいのスライムを引き連れたアルマとヤナがいた。

「おう。二人ともお疲れさん」

「「お疲れさんじゃないわよ(ですよ)‼」」

 二人ともスライムの粘液でベトベトだ。一歩踏み出すたびにポタポタと服に染み込んだ粘液が落ちる。

「スライムを生け捕りにしろだなんて無茶なこと言って」

「もう二度とやりませんからね!」

 聖職者のヤナも流石にお怒りのようだ。まあ、ヤナは最初から怒りっぽかったような気もするが。

 二人にスライムの生け捕りを頼んだのは、俺が全滅させてしまったミンクの召喚獣の補充のためだ。

「じゃあミンク、二人が生け捕りにしてくれたこのスライムたちをテイムしてくれ」

「おっす!」

 ミンクは鞭を腰に巻いてしまうと、スライムに下から手を差し伸べる。

「……おいで」

 その姿はまるで女神のようで、思わず見惚れていた。

 次の瞬間、押し寄せてくるスライムにミンクが飲み込まれた。

「ミンク!」

 俺はスライムを倒すべきか迷う。このスライムたちを倒しても、どちらにしろスライムをテイムする必要がある。ここで頑張ってもらったほうがミンクにとっては後々楽なのではないか。

「大丈夫ですよ?」

 半透明のスライムたちにもみくちゃにされながら、頭だけ出して俺に返答する。

「これはこの子たちが懐いてる証拠っすよ。前の子たちともよくやってたっす」

 しばらくもみくちゃにされると、ミンクが疲れ始めたのを理解したのか、スライムたちは大人しくミンクから離れ、召喚石に収まった。

「契約完了っす師匠!」

 ベタベタで服が体に張り付いているミンクが微笑みながらこちらに近づいてくる。意外とスタイルいいんだなぁと思っていると、胸部が寂しいヤナから冷たい視線を感じたので、タオルを投げ渡す。

「とりあえず風呂に入って着替えをしろ」

 アルマとヤナの方にも今更だがタオルを渡しておく。

「お前らもな」

 アルマが近づいてくると、俺の右腕に胸を押し付けてきた。

「ねえ、私のほうがスタイルいいと思わない?」

 心を読まれたのか、それとも魔術を使わなくても分かるほど俺が鼻の下を伸ばしていたのか。

 まあ、どっちにしてもアルマに興奮することはない。なぜなら、アルマは一〇〇歳を超える婆だからだ。

「師匠は渡さないっす!」

 ミンクは俺の左腕に胸を押し付けて対抗してくる。

「両手に花ですね。ウフフフフフフ」

 ヤナが不気味な笑い声を発しながら錫杖を手に取って近づいてくる。

「お、おい待てヤナ――」

「あなたも濡れてください。《聖水》」

 俺の静止を聞かず、ヤナは奇跡を発動させ、俺は水浸しになった。


 俺は宿屋の大浴場で体を洗っていた。すると、ドアを開けて誰かが入ってくる。

「師匠!」

「おわっ⁉」

 別の男性客かと思って特に気にしなかったが、入ってきたのはミンクだった。慌てて股間を隠す。

「何の用だ!」

「お背中流させてくださいっす!」

 一応ミンクはタオルで身体を隠しているが、タオルが水を吸って色々と見えてはいけない部分が透けている。

「他の客にバレたらどうする!」

 前述したとおり、ここは宿屋の大浴場だ。ほかの男性客が入ってくる可能性もある。

「それは大丈夫っす。入ってくるときに清掃中の看板を掛けといたっす!」

 それならしばらくは大丈夫かもしれないが、それでもミンクに背中を流してもらうわけにはいかない。

「大体、なんでそんなことになる⁉」

「やっぱり仲を深めるには裸の付き合いが一番っす! 死んだ親父ともよく風呂に入ったっす!」

「それはお前がまだ子供だった頃の話だろう⁉」

「流石っす師匠! なんで分かったんすか?」

 ミンクはピュアというか、天然というか、頭が成長していないというか。

「ミンク!」

 俺がどうするか迷っていると、ヤナが大浴場にやってきた。

「ミンク! 何をやっているのですか‼」

 ヤナもタオル一枚だが、こちらは水を吸っていないので、透けてはいない。

「ヤナ姉さんも一緒に師匠の背中流すっすか?」

 ミンクがそういうと、ヤナは俺に軽蔑するような視線を向けた。別に俺が強要したわけではないのだが。

「行きますよ。そんな男と一緒にお風呂なんて、子供ができてしまいます」

 ヤナはミンクの腕を引っ張って強引に女湯のほうへ連れていく。以外にもヤナに助けられたらしい。

 俺は自分で身体を洗い、湯船に浸かり、風呂を出て、身体を拭き、新しい服に着替え、自室へ戻った。


 今日はもう区切りもいいからミンクの修業は終わりにして、夕食までは自由時間にすると皆に話してある。

 俺は聖剣の手入れをすることにした。ヤナには聖剣は手入れの必要がないといわれたが、戦闘の際に命を預けるわけだから、できる限りのことはしておきたい。ただの自己満足かもしれないが、それでもやれることはやっておきたい。

 聖剣の手入れが終われば、次は今日買ったばかりの鉄剣の手入れだ。安物でも手入れをしておけば長く使い続けられる。それに、この鉄剣はミンクとの修行用に買ったものだが、もしかしたら聖剣を使えない場面があるかもしれない。そういうときにも役に立つ。

 鉄剣の手入れが終われば、丸盾と革鎧の手入れだ。といっても、全て油を染み込ませた布で磨いたりするだけの単純なものだ。歪みを直したり、研ぎ直したりといったことは設備が必要だし、素人の俺にはできない。

 装備の手入れを済ませたら、荷物のチェックもする。戦闘時は荷物は邪魔にならない場所に転がしておくが、基本的に荷物持ちは俺だ。荷物のチェックも俺の役割だろう。

 荷物を全部出すと、中からワイバーンの鱗と牙が出てきた。そういえば売却しようと思ったのをすっかり忘れていた。俺が勝手に売却してもいいものだろうか。もしかしたらアルマやヤナが媒介に使ったりするかもしれないし、夕食のときに聞いてから売却することにしよう。

 持ち物のチェックも終わると、そろそろ夕食の時間だ。俺は一階にある食堂に移動した。


 食堂に移動すると、何やら騒がしかった。一階に降りてみると、何やらヤナとこの町の冒険者が揉めているようだ。

「何かあったのか?」

 ヤナが俺を見ると、説明するのを躊躇した。まだそこまで信頼されていないということか。

「ああん? 誰だテメエ。関係ない奴は引っ込んでろ!」

 ヤナに言い寄っている冒険者には見覚えがあった。ミンクに言いがかりをつけていたあのゴロツキだ。

「またお前か……」

「? 何のことだ?」

 ミンクを助けたとき、俺はフードを被って顔を隠していた。だから、ゴロツキからしてみれば俺の顔に見覚えはないのだろう。

「こいつは俺の連れなんだ。ちょっかいを出すのはやめてもらおうか」

 ゴロツキはそれを聞くと、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。

「じゃあその嬢ちゃんを賭けて勝負だ。俺が勝ったらその嬢ちゃんを一晩貸してもらうぜ」

このゴロツキには一度勝っている。その時の勝負のダメージもごろつきには残っているはずだ。はっきり言って負ける要素がない。

「いいだろう」

 俺は快諾した。だが、俺の選択に黙っていないのはヤナだ。

「ちょっ、ちょっと待ってください! 何を勝手に――」

 俺はヤナの頭にポンと手を置く。

「俺を信じろ」

 ポカンとしたままのヤナを置き去りに、俺たちは宿屋を出ていく。


 道路に縦に向かい合った俺たちは一気に距離を詰めた。今回は鞘をベルトに挟んであるので、ゴロツキには悪いが鞘のまま鈍器として使うわけにはいかない。

 俺は峯打ちでゴロツキの首に聖剣を叩き込む。思いっきり泡を吹いて倒れているが、まあ大丈夫だろう。

「な、勝っただろ?」

 ヤナは何だかモジモジしている。お礼を言いづらいのだろうか。

「礼ならいらないぞ」

 俺はそのまま宿屋に入ろうとしたが、ヤナが俺の服をつかんでいる。

「……ありがとうございます」

 ヤナは小さく呟くと、俺を追い抜いて先に宿屋に入ってしまった。後ろから見えるヤナの耳が真っ赤に染まっている。まったく、素直じゃないんだから。


 宿屋の食堂に戻ると、既にアルマとミンクが椅子に座って待っていた。

「遅かったわね」

「師匠、ヤナ姉さん、お待ちしてたっす!」

 俺とヤナも椅子に座り、同じテーブルを囲む。

「待たせてしまって済まない。早速食事にしよう」

 俺たちは料理に舌鼓を打った。特に美味かったのは新鮮な野菜だ。旅の途中では食べられない新鮮な野菜がこの町にはある。

「ミンク、新鮮な野菜は旅に出たらしばらく食べられないから、今のうちに嫌になるほど食べておけ」

 俺は旅の過酷さを知らないミンクにアドバイスをしながら、自分もサラダを貪り食う。

 食事をしながらワイバーンの鱗と牙が荷物から出てきて、売却しようと思っていること。ヤナがゴロツキにナンパされていたところを、俺が決闘して助けたことなどを話しながら、飯を平らげた。

「さて、そろそろ寝るか」

「そうね」

「そうですね」

 俺の提案に、アルマとヤナは賛同し席を立つが、ミンクは意外そうな顔をしている。

「皆さんもう寝るんすか?」

「ああ、明日も朝早くから修行だ。早く寝ろよ」

 俺はミンクにそれだけ伝え、食堂を出て自室に戻ると、ベッドに寝転ぶ。今までの野宿では硬い地面か、草の伸び切った草原でしか寝られなかったからな。フカフカのベッドで寝られるなんて幸せだ。

 就寝中にまたミンクやアルマがちょっかいをかけてくるかもしれないと思ったが、そんなことは杞憂だった。


 翌朝、すっきりと目覚めた俺は、顔を洗い、着替えをしてから食堂に降りる。食堂のテーブルには、既にアルマ、ヤナ、ミンクが揃っていた。

「おはよう。俺が一番遅くなっちまったな」

 俺のあいさつに、みんなそれぞれの返事を返してくれる。

「おはよう。その顔を見るによく眠れたようね」

 アルマは俺を気遣ってくれる一言を添えて。

「おはようございます。リーダーなら一番に来たらどうですか?」

 ヤナは少し棘のある一言を添えて。

「おはようございます師匠!」

 ミンクは元気いっぱいのあいさつをしながら、空いている椅子を引いてくれる。

「じゃあ食事をしながら、今日の予定を話そうと思う」

 俺たちは朝食を堪能した。今回の目玉は何といっても卵だろう。卵はすぐ駄目になってしまうため、新鮮な卵は旅ではなかなか食べられない。燻製卵がせいぜいだ。

「今日はワイバーンの素材を売って、そのあとミンクの修行の続きだ」

 全員の同意を得たので、俺は一度自室に戻り、ワイバーンの素材を持ってくると、隣の冒険者ギルドへ持っていく。

「買取を頼みたい」

「はい、かしこまりました。これは……ワイバーンの素材ですね」

 ギルドの中にいた冒険者たちがざわつく。一応冒険者ギルド内を見渡すが、昨日二回もちょっかいを出してきたあのゴロツキはいなかった。流石にもう懲りたか。

 素材を売却し終えた俺たちは、一度宿屋に荷物を置き、最低限の荷物だけを持って城壁を越え、魔物の領域に来ていた。

「今日はミンクがスライム以外の魔物をテイムできないか試すぞ」

 ミンクはスライム以外の魔物をテイムできない。だが、例えばスライムより一段階上のゴブリンならばどうか。一段階上がっただけでそこまでテイムが難しくなるとは思えない。

 というわけで、ゴブリンの足跡がある洞窟を探し出し、中に入る。

「ゴブリンがいても殺すなよ。ミンクはいつでもテイムできるようにしておいてくれ」

 言うが早いか、ゴブリンたちが集団で襲い掛かってくる。

 俺は殺さないために、盾で受け止め、鉄剣の刀身の峰で打つ。

「ミンク! テイムしろ‼」

 後ろを振り返れない俺は、全力で叫ぶ。洞窟内で反響し、ワンワンと声が響く。だが、ちゃんとミンクには伝わったらしい。ミンクが前に出て、手を差し伸べる。

「……おいで」

 スライムをテイムした時のような、優しい、思わず手を取りたくなるような光景。しかし、ゴブリンは手を弾き、ミンクに飛びつく。服を引き裂かれ、ミンクの肌が露わになる。

「きゃああああああ‼」

「ミンク!」

 俺は容赦なく鉄剣の刃でゴブリンを切り伏せ、ミンクを下げるが、俺が派手に動いたことで、戦線が崩壊してしまう。

「失敗だ、一旦下がれ!」

 俺は出口に向かう足音を聞きながら、俺自身も下がる。

 無事洞窟を脱出するが、獲物を見つけたゴブリンは下卑た笑みを浮かべながら追いかけてくる。正直、広い草原で俺一人がみんなを守ることはできない。負傷したミンクを下げて洞窟内で戦闘を継続するべきだった。完全に俺のミスだ。

「すまん。俺のミスだ」

 俺は鉄剣から右腰に下げている聖剣に持ち替え、本気モードでいく。

「アルマは全体攻撃! ヤナはミンクの治療!」

 俺は聖剣で《聖撃》を放つが、ゴブリンの一番の脅威は数だ。一〇や二〇匹程度一気に殺しても、後から後から湧いてくる。だから、アルマの魔術に頼る。

「《火嵐》」

 炎の竜巻が草原に現れ、ゴブリンを呑み込んでいく。アルマが操作しているので、仲間である俺たちに危害が及ぶことはない。

 俺たちが苦労したゴブリンは、アルマの魔術によってものの数分で根絶やしにされた。

 俺もヤナもミンクも、ボロボロの格好だったがその神秘的な光景に見とれていた。

 奇跡でもおそらく同じことはできるだろう。だが、ヤナにはできない。それこそアルマのように何一〇〇年も修行しない限り。改めてアルマの凄さがわかった瞬間だった。

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