第二章 ぼうけんのはじめ
王国は人間側の最端に位置する国だ。故に王国の国境砦の門をくぐれば、そこから先は魔物の領域となる。
とはいえ、いきなり前人未到の地になるわけではない。過去には勇者が魔王を倒し、魔物の領域を人間の領域に塗り替えたこともあった。
そのときの建造物が壊されずに残っている場所も多々あるし、なにもいきなり常人では太刀打ちできない凶悪な魔物が出るわけではない。
最初に出てくる魔物は村人が棍棒を使って対処できるような魔物が多い。故に、門を出てもしばらくは人間が存在する。
そんな予備知識を思い出していると、俺たちの前に魔物が飛び出してきた。
水色の粘液状の体の中心に、赤い核を持った魔物。
「おっ、スライムだ」
「まあ、ありきたりね」
「私、魔物って初めて見ました」
出発していきなりの魔物との遭遇(エンカウント)。だが、俺も二人も冷静だった。なぜなら、このスライムこそが前述した村人が棍棒で対処できる世界最弱の魔物なのだ。
さすがに初戦とはいえスライムに負けるような勇者では、魔王討伐など夢のまた夢だろう。
俺は静かに聖剣を抜き、スライムと対峙する。
さすがに二人も俺が勝つと思っているのか、応援するでも戦闘に参加するでもなく俺とスライムに視線を向ける。
スライムが俺の敵意に気づいたのか、勢いよく地面を蹴り(足はないのだが)飛びつこうとしてきた。
俺はそれをカウンターで斬りつける。
粘液をたやすく切り裂いて核まで一刀両断できた。
聖剣に粘液がべったりついていたが、俺が拭き取るのやだなぁ……などと思っている間にジュワッと音を立てて粘液が蒸発した。
「聖剣は魔物の血や体液のせいで切れ味が落ちることはないそうです」
ヤナが解説してくれる。
「便利だな。メンテナンスの必要がないのか」
引き抜いた時と何ら変わらないかのように、綺麗なままの聖剣を鞘にしまう。
「ですが、聖剣は人間に対しては普通の剣と変わらないそうです」
「あくまで魔物に対して特攻ってことか」
元々、魔物を倒すための剣だし、仮に勇者が人間と敵対してもそれほどの脅威にならないための措置だろう。
そのままうっすらと人の気配のする道を進んでいく。すると、いかにも魔物が潜んでいそうな洞穴があった。
「俺立ちの目的は魔物を倒すことではなく、魔王を倒すことだが……どうする?」
「無視して進みましょう。どうせこんなところにいる雑魚を倒しても実験材料にはできないわ」
アルマは即答だ。自分の利益のことしか考えていないのがまるわかりだが、実験第一というのはアルマらしいといえばらしい。それに、アルマの研究で救われた人だって大勢いるはずだ。だから、俺はアルマを責めることはしなかった。
「倒しましょう。ここは国境からも近いですから、ここで倒しておけば人々のためになります」
ヤナはあくまで人々のために魔物は倒していくスタンスをとった。確かに、魔物が生存できているということは、人間が餌になっているか、魔物同士で共食いしているかの二択になる。そして、これだけ人間の領域に近ければ、自分たちの同胞である魔物を倒すより、通りかかる人間を倒すほうが手軽で簡単だ。
「レイドの意見で決まるわね」
三人だから多数決ができる。俺の一票でこれからの旅の方針が決まるわけだが、俺の答えは最初から決まっていた。
「魔物は可能な限り倒して進もう」
アルマもヤナも意外そうな顔をした。アルマはわかるが、まだお互いのことをそこまで知らないヤナにまで意外そうな顔をされるのはなぜなんだろうか。
「理由は? まさか人様のために~なんて言わないわよね?」
「あなたには急ぐ理由があるんだから」と言外に言われているような気がした。
「俺たちは、魔物について知っていることが少ない。魔物が戦術をとるようなら、それを知りながら進むほうが魔王対策になるかもしれない」
それに、と俺は続ける。
「自分の命が掛かっているからと言って、他人を見殺しにするような奴にはなりたくない」
アルマがため息を吐く。
「勇者気取りもいいけど、目的を見失わないでね」
アルマが言外に「あなたは本物の勇者じゃないんだから」と俺にだけわかるように伝える。
「ああ」
俺たちは洞穴の中に足を踏み入れた。
「ヤナ、明かりを頼む」
アルマでも火は出せるだろうが、洞穴は酸素が薄い。酸素が薄い場所では火がつかないだけでなく、運が悪ければ自分たちまで酸欠で死ぬ恐れがある。ゆえに、聖職者の奇跡の出番だ。
「《聖光》」
ヤナの奇跡により、錫杖を中心に光が生まれる。すると、光に反応するかのように洞窟の中から魔物が湧いてくる。
緑色の小さな身体、ボロい布で下半身を申し訳程度に覆い、粗末な武器を持っている。
「ゴブリンか」
スライムと同じ弱い魔物の定番だが、スライムと違いこちらは一度に出てくる数が多い。
俺一人ではすべて倒し切るのは難しい。だから、仲間に頼る。
「ヤナはこのまま明かりを維持。アルマは火以外の魔術で攻撃!」
この洞穴に最初から明かりが灯されていなかったということは、ゴブリンは暗い場所でも物が見えるのだろう。明かりを消すのはこちらにとって不利でしかない。
前述したとおり、俺の役割はタンクだ。俺は盾を主体にゴブリンに立ち向かう。この狭い洞穴の中では聖剣は少し振り回しづらいし、今回に限って言えば俺は仲間の元に敵がいかないように守りつつ、アルマが攻撃しやすいように抑えていればいい。
なぜなら、このパーティーのアタッカー、最高戦力は俺ではなく、アルマなのだから。
「《雷撃》」
俺が狭い洞穴内で抑えていたゴブリンを皮切りに、洞穴の中から続々と湧き出てきていたゴブリンたちが一撃で全滅させられる。俺は抑えていたゴブリンを見た。腹部に大きな穴が開いており、穴の周りが炭化していた。
「凄いな。なんだ今の魔術は」
「《雷撃》。雷属性の魔術で、一直線に障害物もろとも貫くわ」
さすがに何百年も生きて魔術の研究をしているだけあって、ゴブリン程度の魔物では何十匹集まろうとアルマの敵ではないらしい。
「ヤナもよくやってくれた」
陰の功労者であるヤナにも労いを忘れないようにする。
「これからどうしますか?」
ヤナが《聖光》の明かりを調節しながら近づいて聞いてくる。
「もう少し進めるか?」
時計は高級品なので、王侯貴族以外は持っていない。普段なら日の高さでどの程度の時刻か判断するのだが、今は洞穴の中だ。
「そうね、まだ野営の準備には早いんじゃないかしら」
アルマの腹時計を信じるとして、この洞穴の中をさらに奥に進むべきか、戻って道を進むべきか。おそらくゴブリンはさっき向かってきたので全部だろう。残っているとしたら、奴らが貯めたもの。宝か、はたまた人間の骨か。
「じゃあここを出て道に戻ろう」
俺たちは宝が目的でゴブリンを殺したわけじゃない。それに、ゴブリンが貯めた宝じゃそんなに高くは売れないだろう。わざわざ次の町まで持ち歩くのも面倒だ。
「アルマ、この先に生存者は?」
「《探知》」
アルマが魔術を使って調べる。だが、もし生存者がいたらどうする? この先の旅をしばらく同行させて近くの町で保護してほしいところだが、この洞穴に拉致されているということは、おそらく王国の国境から出てきた人間だろう。
この辺りを行き来する人間は騎士や戦士といった戦闘のプロではなく、ただの村人や商人が大半だ。もう数日行けば町があるが、そこまで守り切れる自信もない。町まで守りきれたとしても、今度は王国の国境まで戻ってこなければならない。今度はさらに魔物の領域の深くなので、護衛を雇うことになるだろう。だが、ゴブリンに襲われたということはおそらく一文無し。そこから見知らぬ町で稼ぐのが、どれだけ大変なことか。
「生存者はいないわね」
生存者がいないと聞いて、安心してしまった自分がいたのがショックでたまらなかった。見透かすようなヤナの視線が背中に刺さる。
「そうか、じゃあこの洞穴を出て、元の道に戻ろう」
そそくさと洞穴を出ていくのが嫌だったので、盾の具合を見るフリをしながら歩く。新品だった盾には表面に小さな傷ができていたが、盾というのは傷ができてなんぼのものだろう。
洞穴を出て空を見上げると、空はまだ赤く染まってはいなかった。まだいけそうだ。
「さて、進むか」
しばらく進むと、上空から炎のブレスが降ってきた。
アルマは優秀な魔術師だ。攻撃に気づいていれば《抵抗》で魔術に抵抗できるだろうが、この時アルマは頭上からの攻撃に気づいていなかった。
「散開!」
アルマは自力で回避するだろうし、殺しても死なないだろうからヤナを片手で抱えて地面を転がる。
俺はただの戦士だ。アルマは魔術師だから近接戦が苦手なように、魔術を使えず、弓も持っていない俺は上空への攻撃手段を持たない。
草むらに突っ込んで視線を切り、上を見上げると、皮膜の翼をもった灰色の竜がこちらを見下げていた。属にワイバーンと呼ばれる最下級の竜だ。
しかし、最下級とはいえど竜。弱い魔物の中では頂点に位置する魔物だ。
「ヤナ、アルマ無事か⁉」
小脇に抱えていたヤナを開放し、ブレスをもろに受けたアルマを見る。
爆風が晴れ、アルマのいた場所には風の盾ができてアルマを守っていた。
「やってくれるわね。《雷撃》」
アルマが魔術を使うが、ワイバーンに容易く避けられる。アルマは《雷撃》を雷の魔術だと言っていた。
つまり、光速で放たれていることになる。ワイバーンだって竜とはいえ魔物。魔物とはいえ生物だ。光速で動いているとは考えにくい。
つまり、ワイバーンはアルマの予備動作を見て避けたのだ。
「アルマ、必中の魔術はないのか!」
俺が戦闘に参加できない間にも、アルマとワイバーンの戦闘は白熱していた。
「あるにはあるけど、魔術の同時発動には時間がかかるし、手間もあるのよ」
もし、アルマが必中の魔術を使ったとしても、必中で攻撃するには次の攻撃魔術が必要になる。
魔術の連続発動はアルマに負担がかかると、そういうことなのだろう。
「なら、俺の聖剣に必中をかけてくれ」
俺は草むらから飛び出し、ワイバーンの背後を突く。
「必中は飛び道具じゃないと意味がないわよ?」
アルマの質問に俺は視線で返す。アルマはいつもの落ち着きを取り戻し、クスリと笑って見せた。俺としては「信じろ」とか「早くしろ」と言った視線だったのだが、アルマにはどう伝わったのだろう。
「《必中》」
要望通りに聖剣に《必中》が付与される。俺はその聖剣をワイバーンに向かって思いっきり投擲した。
投げる動作が見られたのだろう。ワイバーンは素早い動作で躱すが、《必中》の効果により、ワイバーンに躱された聖剣はブーメランのようにありえない軌道で曲がり、油断していた……いや、油断せずにこちらを注視していたがゆえにワイバーンの背中に突き刺さる。
ヤナが何か言いたそうにしているのを尻目に、俺は痛みで高度が低くなったワイバーンに飛び乗り、聖剣を捻る。
ワイバーンが悲鳴を上げ、墜落する。俺は素早く聖剣を引き抜いて、アルマの魔術で巻き添えにならない範囲まで逃げる。
「アルマ!」
名前を読んだだけで全てを理解したアルマが、魔術を発動させる。
「《爆撃》」
アルマの魔術により、ワイバーンを中心に凄まじい爆発が起こる。俺は咄嗟に伏せて爆風を回避するが、それでも顔面に熱い空気がぶつかってきて目を開けていられなかった。
爆風が納まったのを肌で感じ、目を開けると、ワイバーンは既に事切れていた。それでもなんとか形を保っているワイバーンの死骸に近く。
「これでも原型を保っているなんて、凄いなワイバーン」
アルマは少し消耗したのか、肩で息をしながらワイバーンを見ている。
アルマが弱いわけではない。本来なら、ワイバーンは冒険者ではなく、騎士団が討伐するような魔物だ。
それを三人で倒したのだから、誇っていいことだろう。
「すみません。私は何も活躍できませんでした」
草むらからヤナが這い出てきて、頭を下げる。
「いや、また何か機会があるだろう。その時は頼む」
欲を言えば最初のワイバーンのブレスに気づいて障壁を張ってほしかったが、ヤナは戦闘の経験なんてないだろうし、理想を押し付けるのはよくない。もしかしたら旅を続けるうちにできるようになるかもしれないし。今はそれよりも大事なことがある。
「ワイバーンが出てくるのはまだ先だと思っていたが……」
本来なら、ここはまだ村人が一人で出歩けるような、魔物の領域の入り口だ。もちろんそれなりに危険はあるし、魔物の生態系なのだからイレギュラーもあるだろう。
だが、タイミングが良すぎる。まるで俺たちが魔王討伐に動き出したから手近にいた強い魔物を動かしたかのようだ。
まあ、それは考えても答えが出るわけではない。
「素材を剥ぎ取るか」
スライムやゴブリンと違い、ワイバーンは普通の人間には狩れないそれなりに希少な素材だ。聖剣で鱗、牙、皮を剥ぎ取り、袋に入れる。
残ったのは、肉。ちょうどお腹もすいた。
「ここで野営にしようと思うが、どうだろう?」
「そうね、ちょうど食料もあるし、いいんじゃないかしら?」
「いいと思います」
満場一致ということで、ここで野営することになった。俺がテントを張り、アルマが石を組み合わせて竈を作り、ヤナが料理を担当する。
「テントは二つでいいか?」
男女別は当然として、アルマとヤナの中がどれほどまで進展したかはわからないが、そこまで中は良くなっていないだろう。
「私は構わないわよ?」
アルマが自信たっぷりに言う。おそらく誰とでも仲良くできる自信があるというよりは、だれが一緒でも自分勝手にやるという自信だろう。
「私は三つがいいです」
ヤナは正直だ。
「じゃあ三つにするか」
別に手間が少し増えるだけだし、アルマと同じテントにして問題が起きて、仲が悪くなっても後々困る。
テントを張り終わると、食事を始める。今日のメニューは飛竜(ワイバーン)の肉と、スープ、ドライフルーツだ。新鮮な野菜は旅には不向きなので、持ってきていない。もし新鮮な野菜が食べたいのなら、近くの町まで行くか、そこら辺の雑草を摘むかしかない。
まずはワイバーンの肉に齧り付く。聖剣で雑に斬って塩胡椒を振って焼いただけだが、美味い。
「美味いな」
「そうね、美味しいわ」
日頃から豪華なものを食べているであろうアルマのお眼鏡にも叶ったらしい。
「アルマって日頃から良いものを食べているのか?」
「そうね。お金はあったから、一般庶民から見ると良いものを食べていたかもしれないわね」
ヤナもモグモグとワイバーンの肉を頬張っているが、聖女も何か特別なものを食べていたりするのだろうか。
「ヤナはどんな暮らしをしていたんだ?」
ヤナは食べるのを止め、口の中のものがなくなってから話す。
「大体毎日がお祈りと勉強の日々でしたよ」
「いや、そういうんじゃなくて、聖女だからアルマみたいに良いもの食べてたのかな〜と思って」
俺の質問に、再び肉にかぶりつこうとしていたヤナの手が止まる。
「教会の聖職者は皆平等です。どんな身分の人でも、皆同じものを食べます」
「そうなのか」
少し意外だった。
みんながお腹いっぱいになる頃には、ワイバーンの身体の半分の肉が失われていた。
「残った分、どうする?」
「ここに捨てておけば良いんじゃない? きっと野生の魔物が食べに来るわよ」
「教会では、貴重な食料を無駄にしてはいけないという教えでしたが……」
ヤナも流石にこの量の肉を持ち歩くのは不可能だとわかっているらしい。言葉を濁した。
「止むを得ん。ここに捨てていくことにしよう」
その後、俺たちは別々のテントで眠りについた。
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