第35話 銀蟲草
幽霊のように顔が下に垂れた銀色の花々が風にゆられ、寂しげに揺れている。花は覆いつくすように一面に生え、銀色に染め上げる。一陣の風が吹き、花びらが煌めくように舞う光景は幻想的なのに心にひしひしと寂寥感を感じた。
「綺麗なのにどこか物悲しい花だね」
「ツツジ科ギンリョウソウ属の銀蟲草だ。ここまで群生しているのは初めて見る。本当にここがヒカルの地図が示していた場所なのか?」
ハヤクモの声音が渇いていた。見ればいつになく険しいまなざしで目の前の風景を眺めていた。
「間違いないと思うけれど、そのギンチュウソウ? がいっぱい生えていて何かまずいことでもあるの?」
「この花は、機蟲が現れてから見られるようになった特殊な植物で、葉緑体をもたず光合成をしない代わりに、機蟲の死体に寄生し栄養を得る」
それってつまり――と言いかけた時、車輪の回る音が近づいていくるのが聞こえてきたため、さっと近くの木々に身を潜める。サガミの立ち入り禁止区域に該当している場所に外部の人間がいるところを見られたら面倒だ。
やってきたのはトラックにのった男二人組だった。彼らは花々を踏みにじりながら車を止めて降りると、厳重に縛られていた積荷を解いていく。中から出てきたのは両手で抱えられるぐらいの大きさの何かのサナギだった。ピクリとも動かないのを見ると死んでいる。男が無造作に放り投げたのを見て、もう一人が怒った顔をして咎めた。
「この間、そうやって乱雑に扱って怒られたばかりだろう? またどやされるぞ」
「今日は他に誰もいないからバレねぇよ。そもそもこんな蟲けらなんて埋葬しないでゴミとして廃棄すりゃあいいものの、あの新藩主の考えていることがまるで分からん」
「上には上の考え方があるんだよ。ずべこべ言わずにさっさと手を動かさないといつまでも苦行が終わらねぇぞ」
男たちは積荷をすべて埋め終わると、ここには一秒たりとも居たくないのか逃げるように去っていった。
――ヴァムダという主に関東を中心として裏で流通していた内服薬が、スズメバチの機蟲の幼虫から得られる甘露由来ではないかという噂があってな
ハヤクモの言葉が耳に蘇る。
機蟲の死体の上に咲く花。つまりこの群落一帯に無数のスズメバチのサナギたちが下に埋められている。
夢の中の幼虫だった頃の記憶が現実のものならば、ここにいるのは機蟲ではなく俺と同じ蟲人だ。
「まさか流通元はサガミだったとはな。幼虫から甘露を搾るだけ搾ってサナギになれば殺していたのか。よくもまぁ思いついたものだよ」
「でも、もし利用するだけならさっきの男たちが言っていたように、ゴミみたいに大きな穴にまとめてポイでもいいと思うんだ。なのにただでさえ土地が少ない地下都市の場所の一角を立ち入り禁止にしてまで、一人一人きちんと間隔をとってきちんと埋葬している理由はなんだろう」
「そう言われればそうだが、ともあれ問題なのはこの大量のサナギはどこから来たのか、あの成虫たちによる襲撃とどう結びついているのか、だ。マチダをすべての元凶だと名指ししておいて、その実、サガミがスズメバチ型機蟲の幼虫から恩恵を得ていたのだとしたら話は変わってくる。女王バチの居所が判明すればいいのだが」
兄は一体何をどこまで知っているのだろう。
不意にえも知れぬ恐怖に鳥肌が立った。危険を察知した体は考えるよりも先に動き、地面へと頭から飛び込んだ。体をひねってくるりと一回転させて体勢を立て直すのと、風を切って襲いかかってきた槍の穂先が体を掠めたのは同時のことだった。
襲撃者は、地面に突き刺さった槍を舌打ちしながら抜く。全国放送の時の好青年面をかなぐり捨て、敵意に満ちた表情を浮かべる。兄だった。彼は殺気こめた目で睨みながら槍を振りかざした。
「一体サガミに何をしにきた、ヨシナガ? この藩には二度と来るなと言ったはずだが?」
怒気のこもった声が体にビリビリ響く。体がすくみそうになりながらも、負けじと睨み返した。
「俺だって本当は来たくはなかったけれど、こっちだって事情があるんだよ。ちょうどあんたに質問したいと思っていたところだ。この蟲人たちは一体何なの?」
「そこまで知っているのなら、説明しなくても分かるだろう? スズメバチ型蟲人として生まれながらも、幼虫形態しかとれなかったお前の姉妹たちだ。たまたまお前は幼少期に人型をとれた異例であって、本来ならば彼女らと同じ扱いを受けていた。せっかくその運命から抜け出せたというのにわざわざ舞い戻ってくるなんてお前はバカなのか?」
「うるさいな! そっちこそ、俺を追放して勝手に死んだことにして母さんを騙してまで藩主の座が欲しかったのかよ! この権力バーカ!」
「ふん。お前には世継ぎとして育てられ、横から掻っ攫われた人間の気持ちなんぞ一生分からないだろう。いや、そもそも人間ではなかったな。今なら見逃してやるからさっさと立ち去れ、蟲人よ」
「そう言われて、はいありがとうございます! なんて俺が言うと思ったわけ? 頭お花畑なの?」
「言っても分からないのなら、実力行使するまでだ」
言い終わると同時に、兄は槍を構える。そっちがその気ならこっちだって容赦しない。体を機蟲形態に変化させようとしたその時だった。
「ちょっと! 俺がいくまで手出ししないでって言ったでしょう!!」
聞き覚えのある声が響き、二人の間に赤い何かが飛び込んできた。
思わぬ人物に驚き、目を見張る。そこにいたのは――ヒカルだった。
「ヒカル!?」
俺が思わず声をあげると、ヒカルはビシッと指をさしてきた。
「はい! まずアラタは俺に言うことあるでしょう?」
「え、ええ!? えっと、その……あの時、怪我させて、ごめん」
「いいってことよ。もうかじるなよ」
からっと笑い、あっさりとヒカルは許す。いまだにぎこちなく肩は動かしているのに、それがどうした、という風に。
「じゃあヨシツグも槍を収めて欲しいんだけれど」
ヒカルが振り返り兄に言うと、兄の顔が苦々しげに歪む。そして盛大にため息をつきながら槍を降ろした。
「え?」
一体どういうことなのか。ヒカルと兄はどういう関係なのか。二人の顔を交互に見比べ、ただただ驚くことしかできなかった。
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