第36話 再会

 本当にどういう状況なんだろう、これ。

 ヒカルとの感動の再会、というより困惑が大きい。それが今の素直な心境だった。

 正面にはヒカルが、隣にはハヤクモが座っている。そしてやや距離を置いて近くの木に兄が寄り掛かり、槍を手にしたまま油断なく俺とハヤクモを見張っていた。

 ヒカルの呼びかけにより休戦しているものの、頭の中はこんがらがるばかりだ。どうして兄とヒカルが知り合い同士なのか? どういう間柄なんだ? 一体、今までに何があったのか?

「あの時、お前の背中が割れて寄生していた機蟲がでてきたんだと思ってびっくりしてさ。怖がっちゃってごめんな。いやでも、目の前でお前の体からバリバリ裂けたら怯えるのは無理もないだろう」

「今でも同じようなものだよ。俺は蟲人でいつ何時、機蟲に意識を乗っ取られるか分からない」

「でもアラタはアラタだろう? たとえそんなことになっても俺はお前はアラタだって呼び続けるよ」

「……ありがとう」

 俺が蟲人だと分かってなお、ヒカルは以前と同じように接してくれる。彼の度量に広さに、敵わないなと思うしかない。

「それでどうしてヒカルはサガミにいるの?」

「お前の兄貴にサガミに拉致られたから」

「人聞きが悪い。あの状況なら仕方がなかっただろう」

 兄はむすっとして言った。初めて見る兄の顔にこういう表情もするんだなと驚愕するしかない。

「話がこじれるからちょっと口出ししないで欲しいな」

 ヒカルが言うと、兄は何か言いたそうであったがぐっと堪えたのかすぐに押し黙った。そろそろ驚いた表情が顔に張り付いてしまって、とれなくなるかもしれない。

「お前が蟲人になった後、ハヤクモさんと一緒にヨコハマを脱出していたんだよ。でもその途中でお前の兄貴が現れて、俺たちを機蟲襲撃の関係者だと勘違いして問答無用で攻撃仕掛けてきてさ。アラタたちとはぐれて気を失って目が覚めたらサガミにいて、目の前には俺を尋問しようとお前の兄貴が待ち構えていたんだよ」

 拉致以外の何物でもない。兄を見ればますますバツが悪そうな顔をしている。

「それから?」

「なんやかんやあって、信頼を勝ち取って今に至る」

「なんやかんやで済ませていい内容ではないと思うんだけれど……その……」

「敵ではないのか?」

 俺が言い出せなかった言葉をハヤクモが継いだ。

「それはこっちのセリフだ。特にそこのお前はヨコハマで見かけたあのカマキリだな。蟲たちが一体何しにこのサガミに来た? 俺への復讐のために仲間を引き連れてきたのか?」

 険悪をにじませ俺をにらむ兄を、ヒカルが制した。

「あー俺が呼んだんだよ。全国放送でアラタ向けにメッセージ送った」

 兄は眉を大きく上げた。

「あの時、お前は己を捨てたマチダに仇をなすために出して欲しいと言っていたはずだが俺の記憶違いか?」

「それは建前。真の目的はアラタをサガミに呼ぶためだった。素直に言ったら阻止されると思ったから黙っていたけど」

 ひらひら手を動かすヒカルに兄はニガリきった顔をしていた。そこにヒカルと兄の関係性が如実に表れているようだった。俺の知らない二人の間柄にチリチリと胸が焦がれる。嫉妬だ。けれど、それが兄に対してなのかヒカルに対してのものなのか分からなかった。

「とりあえずさ、ここまでお膳立てをしたんだから、二人で腹割って話したら? 兄弟水入らずでさ」

 ヒカルが言うと兄はふんと鼻を鳴らした。

「蟲に言うことなぞ何もない。ヨシナガ、お前の存在そのものが藩の内情を混乱させる。俺の目が黒いうちは安住の地はない。分かったならとっととこの藩から立ち去れ」

「そういう頑固なところ、アラタそっくりなんだよな。言いにくいなら俺から言うけれど」

「……ヒカル」

 兄が険しい顔をしてヒカルを睨みつけた。

「お前は今日限りで解雇だ」

「ではお言葉に甘えて。退職金、あとで振り込んでおいてね」

 兄は何も言わずに踵を返した。彼の背に向けて、ヒカルは「本当に頑固なんだから」とつぶやいた。



「肩の傷、どんな感じなの?」

「一応繋がったけれど、動かすとたまにびりっと痺れることがあるかな」

 ヒカルが上着を脱いで上半身を晒すと、肩の部分は肉が凸凹に盛り上がってケロイド状になっていた。ふれるとくすぐったいぞ、と笑いながら抗議する。罪悪感に苛まれるが、もし謝ろうものなら、いい加減しつこいと怒られるだろう。

「それで蟲人って機蟲形態にもなれるだっけ? こうパッとなれるものなの?」

「うん」

 手を振って蟲のような節のある腕に変化させると、ヒカルは目を輝かせた。

「すっげぇ! どんな仕組みなんだこれ? 変身する瞬間、体が熱いとかある? 羽も生やせるのか? 回数制限は? 詳しく聞きたい!」

 宿屋に戻るなりアラタの質問ぜめが続いた。

 こっちだってヒカルの今までのことを聞きたいのに、間髪入れずに次の質問がくるので隙がない。それに、あえてそうしているようであった。

「ふーん、なるほどね。人間と変わりないなら俺も蟲人になれる可能性があるってこと?」

「どうだろう」

 ヒカルの機蟲の気配を探るが何も感じない。ミズキと同じだった。

「ミズキっていう蟲人に詳しい人が言っていたんだけれど、体の中に機蟲がいても羽化しないまま死ぬことがあるんだって。多分ヒカルもそう」

「残念だな。じゃあかわりにアラタの完全な機蟲形態も見てみたい」

「流石にここじゃ無理だよ。誰かに見られたらどうするのさ。気兼ねなく変身できるのはトウキョウぐらいだよ」

「トウキョウねぇ。聞いていると隠れ里みたいだけど、俺は行ってもいいのかな」

「もちろんだとも」

 机でテキストを熟読していたハヤクモが顔を上げた。二次試験対策でサガミの歴史を勉強する必要があるそうで、試験が始まる前から暇さえあればずっと本と睨めっこしていた。過去問題を見せてもらったが知らないことが多く「お前、本当にサガミ藩元次期藩主か?」とハヤクモに言われる始末だった。

「よかった。蟲人がいっぱいいる場所に行くの、楽しみだな。それでこれからどうする? とっととトウキョウへ行く?」

「それは……」

 サガミに来たのはヒカルに会うためだった。その目的が達成した今、もうここにいる必要はない。ヨシツグの言うとおり、さっさと立ち去った方が誰にも迷惑かけずにすむだろう。目を閉じていれば、苦痛はなく何も知らなかったと言い張れる。けれど銀蟲草が揺れる光景が瞼の裏に焼きついて離れなかった。

「俺を生んだ人がスズメバチ型蟲人の女王バチなんだと思う」

 ハヤクモは再び本から顔をあげこちらを凝視したのに対して、ヒカルは続けるように視線で促す。特に驚く様子もないことから、彼は知っていたのだろう。でも俺が進むか、立ち止まるか選べるようにあえて黙っている。あるいは雇用主であったヨシツグへの義理立てなのかもしれない。

「昔、幼虫だった時の記憶がうっすらだけれどあるんだ。どこかの巣穴でいつも腹をすかせていて、もっと甘露をだせと殴られて脅された。あそこはヴァムダを製造するための施設だったんじゃないかな。そのうち、ある程度大きくなったら殺されるって、俺より先に生まれた姉たちの断末魔を聞いて分かった。このままじゃ死ぬ、そんなの嫌だと思った幼虫の一匹がどうにか殺されないために人型になった。それが俺なんだ」

 ――たまたまお前は幼少期に人型をとれた異例であって、本来ならばここに埋められている者たちと同じ扱いを受けていた

 薄々と感じていた影の正体が兄の言葉ではっきりと形をなした。かといって存在意義が揺らぐというよりは、あるべき場所にすっぽり戻ったようだった。たとえ自分がどんな存在であろうと、ヒカルという拠り所さえあればが俺は俺でいられる。

「ヒカル。幼虫たちへの搾取はまだ続いているの?」

「それに関しては大丈夫。あの施設は先月閉鎖されてもうない」

 先月といえばあの全国放送より前のことだ。ハヤクモでさえ調べきれなかったヴァムダのことを知っているところを見ると、施設閉鎖にヒカルが深く関わっているのだろう。

「女王バチはそこにいたの?」

「施設へ踏み込んだ時にはいなかったけれど、おそらくまだ生きている。目下捜索中だ」

「隠居したという前藩主は今どこにいる?」

「同じく行方不明。公表されていないけれどね」

「兄さんは――サガミ藩の新藩主は女王バチを探しだそうとしているけれど、前藩主がそうはさせじと邪魔をしている、で合っている?」

「それ以上はノーコメント。本日付で解雇されたけれど一応守秘義務あるんだ」

「分かったよ。ヒカルが言わない方がいいと思っているなら無理には聞かない」

「ありがと。んでこれからどうする? アラタは何がしたい?」

「俺は、女王バチに会いたい。何のために今までのことを引き起こしたのか理由を知りたい」

「ならヨシツグと話すのが一番かな。でもどうすればいいんだろう。こっちのことすごく警戒しているし、小手先は通用しないし」

「では正面突破しかあるまい」

 黙って聞いていたハヤクモはテキストを指でトントンと叩き、不敵な笑みを浮かべた。

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